今回の相談事例は高校生(女子)の母親から、娘のスマホ中毒を何とか治したい~という切なる依頼。依存症とかのレベルではなく、もはや中毒を通り越して病気だそうです。四六時中、片時たりともスマホを手放すときはないという。本人が「病気」と気付いておらず、治そう、見直そうという気が全くないようなので、まず自力改善、治癒は難しいことを告げました。ましてネット依存専門外来などの医療機関受診などは、本人が行くはずもないでしょう。このように、まず自分が「依存症、中毒、病気」と自覚していないことが恐ろしいのです。まさに自分、そして人生がスマホに乗っ取られ、支配されてしまった悲惨な状況であり、心身が蝕まれていくのです。
ネットで「スマホ 中毒 やめたい」などと検索すれば、依存症を改善するためのさまざまな方法が紹介されているでしょう。そこでは、実際にスマホを断った者の記事はあまり見かけないので、私がスマホをやめて気付いたこと、実感したことを話してみましょう。
スマホ×3台、フューチャーフォン×3、タブレット×1、PC×5
以前は携帯端末やPC関係が大好きで、新機種が出るとすぐに飛びきつき、その新しい機能を試したい病気に取りつかれていました。一番多く所持していたときには、上のようにかなりの端末を維持していたのです。これも一種の病気だったのかもしれませんね。ずっとこんな感じできたのですが、現在はスマホ1台、ガラケー2台、パソコン4台のみです。スマホも1台あるにはあるのですが、これは仕事用で必要なアプリしか入れておらず、SNS等のアプリは一切入れていません。近々こちらのスマホも手放すことにしています。どうして、私は携帯端末の断捨離に踏み切ったのでしょうか。それは「つながっている」ことに疲れたことと、モノを追い続けること、モノに囲まれていることに嫌気がさしたからなのです。

自分のやりたいことは、いったい何なのか?
まさか、私の生きがいは「スマホ」をいじくっている時です。~なんて言う人はいないでしょう。でもですね、これが、笑えないのが現実なのです。スマホ依存症に取りつかれ、生きがい、自分の時間のすべてになっている人が急増中なのです。スマホは自分の生活のためのツール、手段であって目的そのものには成りえないはずなのに、スマホに人生のすべてを預けているのです。それに本人は全く気付いていないことがさらに恐怖に拍車をかけます。生活を豊かにしてくれるバラ色の機械のはずなのに、「機械」に支配されている人生を彼らはこれからも歩むのです。せっかく「ひと」として生まれてきたというのに何ともったいないことでしょう。
機械をツールとして使いこなし、便利な道具として自分の支配下における人は、ごくまれでしょう。大多数の人達はこの恐ろしい機械の魅力に取りつかれているのです。絶えず進化し、その魅力もとどまることを知らないスマホは、これからも人を引き付け、縛り続けていくことでしょう。

スマホをやめて気付いたこと
①自分の時間がとにかく増えた寝る前のニュースチェック、検索ついでの意味もないネットサーフィンなどに取られていた時間がなんと勿体なかったことでしょうか。私はi-phoneの3G時代から使っていたので10年近くも付き合ってきたことになるのです。時間を計算したら、怖くなってしまうのでできませんけど。私のような意志の弱い人間はやはり自分から、強制的に距離を置かなくてはいけないのです。
出掛ける時もスマホは必需品であったのですが、外出先でスマホをいじくることをやめましたので、「本」を持参するようになりました。そのおかげで読書時間が大幅に増え、今月はもうすでに、4冊読破です。うれしい誤算!
②スマホをいじくっている人のアラが目立つようになった
街を歩いているとホント、歩きスマホの人を避けて通るのがうっとおしい。彼らは自分の世界に入っているので、周りへの配慮など一切ないんです。大きな事故にならないといいけど。最近では歩きスマホの人が接触事故に遭う危険性もさることながら、余りにも無防備でいるためさまざまな犯罪に巻き込まれているようです。心配です。
飲食店に入って身なりのキチンとした女性が、肩ひじついて片手でスマホをいじくりながらごはん。げんなり・・・恐らくこの姿を自分でみたら恥ずかしくなると思うのですが。
私は出張も多く、首都圏に出掛ける時は車よりかは電車もよく使うのですが、先週こんな人を見かけました。スーツでビシッときめたビジネスマンが、スマホの画面に顔をビッタリと付け一喜一憂しているのです。時たま、人目をはばからず、「ヤッタ!」とか「ヨシッ!」などの奇声を上げていたから恐らくゲームか何かをやっていたのでしょう。いい年をこいた大人が・・・あまり誉められたことではないですね。
③人間関係の断捨離が進んだ
実際これが、私には一番よかったです。「つながっている」という幻想的でバーチャルな関係の人たちとの付き合いはやはり、うわべだけ、表面的だったということが分かったのです。それでも付き合いのある人たちだけが、ホンモノでした。それに伴い、ネット上だけの付き合い、ストレスから解放され、清々、スッキリしました。「つながらない」しあわせもあるのです。そして、自分との対話の時間、本当に一人きりの時間が増え、自分を見つめ直すことができたのです。
④情報の取捨選択がうまくなった
短い時間で自分にとって、本当に必要な情報を得るためには、効率的にやらなくてはいけません。そのため、時間の使い方もうまくなり、スキマ時間も愛おしく感じるようになったのです。時間を更に有意義に使うようになったのは言うまでもありません。

⑤テクノストレスとおさらば!
気のせいか、寝付きと目覚めがよくなったのです。考えてみれば人間も自然の一部なのですね。スマホをいじくっていること自体不自然なこと。自然の中に身を置き、なにかをしようとせず、地、空の声をただただ聴き続けるのです。何か忘れていた大切な感覚が呼び覚まされ、生きていることを体感できるでしょう。
⑥眼の疲れ、頭痛が軽減
仕事柄PC等の機械を使うことが多く、眼精疲労、肩こり、腰痛、頭痛に悩まされてきましたが明らかに、ラクになってきたのです。これまた意外な副産物でうれしいですね。
⑦スマホなしでも別に困らない
LINEも他のSNSもパソコンでできますね(あまり実際PCでやっている人はいないと思いますが)、電車乗り継ぎだって事前に調べればいいこと。検索だって同じ事。GoogleMapが使えなくたって何でもないです。読書、マンガはやっぱり紙で読むのが好き。逆にこれから、ガラケー(生産中止が噂されているから端末はこれからますます貴重品!)がカッコイイ!と勝手に私は思いたいです。
要は考え方次第なのです。自分が何を優先させ、何が大切なのかを考えれば、機械との付き合い方も見えてくるでしょう。人生劇場の時間は無限ではありません。時間の使い方、ツールの取捨選択からすべて、決めるのはあなたなのです。
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そして、結論!
機械はあくまでも機械!
機械に使われてどうする!
使いこなせないのであれば、やめるしかない!
スマホは決して必需品ではない!
なくても全然(少ししか)困らない!
でも、「病気」の場合は専門の医療機関へ
今回の歌はその子さん作詞作曲の「空を見上げて」