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元教師が語る保護者クレーム、モンスターペアレント対応の極意~悪くないならゼッタイ謝るな~理不尽な要求苦情はこう対処する~









子どもたちよりも実は、父兄・保護者対応がいちばん大変だったりすることは、日々みなさんも実感していることと思います。学校はチームワークに頼ることも多い職場ではありますが、事が起きた時、最後まで頼みになるのは自分だけで、結局自分でなんとかするしかないのです。

チームプレイと個人プレイとのウェイト、バランス・・・みなさん、このようなことで悩んでいませんか?他の助けをあまり期待できないのであれば、結局は自分が強くなっていくしかありませんよね。そこで今回は、これまで私がクレームに対してどのように向き合ってきたかを話していきます。この事例から何か解決のヒントの一つでも見つけてもらえたらうれしいです。

追い詰められるパターン~結局誰も助けてくれやしない~
でも、その前に・・・

いちばん悪いパターンがさまざまな人たちに「これでもか!」という位まで追い詰められ、誰にも相談できず八方塞がりとなり、自分で自分を責め自滅していってしまうものです。実際、このパターンで学校を去っていった同僚を幾人もみてきました。それほど、現場父兄のお客様・消費者意識はすさまじいものがあります。

教師は根がマジメで誠実な人が多い職業かもしれませんが、

★自分ひとりで何とかしなければ・・・

★他人に相談するのは恥ずかしいことだ・・・

などと自分で勝手に思ってしまうのは早計です。

前に、「なぜ、教師は悩みを相談するのが苦手なのか?教師の同僚性①」で自己の解放、他の声に耳を傾けることの重要性を話しましたが、最終的には自分が踏ん張るしかないにしても、状況を客観的かつ冷静に見つめなおすためにも、自分以外の「誰か」の意見を求めることはとても大切なことです。

当方の保護者は、我が子可愛さ相まって親ばか丸出しで担任の話など聞く耳持たず、子どもの嘘八百を盲信するのみ・・・

同僚は同僚で、あくまで他人事で知らないふりをするならまだしも、こういう状況を「他人の不幸」と楽しんでいる輩もいる始末・・・

果ては管理職は、「ことを荒立てないで下さいよ、穏便にオンビンに、何とか一人で頑張ってください」などとのたまうのだからたまらない・・・

当の子どもらは、父兄と似たようで、ここぞとばかりクラス中を扇動し、彼らもまたこの状況を実に楽しむ・・・

これらは、以前保護者対応に悩める教師から相談を受けた時の状況です。

たしかに現場はそうであっても、みなさんのまわりを見渡してみてください。全部がぜんぶそうではないかもしれません。教師など長年やっていればば保護者トラブル、クレームの5つや6つぐらい必ずついてまわるでしょう。

自分以外の「誰か」もきっと同じような修羅場を潜り抜けてきた知恵と経験があるはずです。管理職だって時には味方になってくれたり、ナイスなアドバイスをくれたりすることもあるかもしれません。子どもたちだってそうです。どこかでだれかがあなたのいまの状況を憂い悲しんでいるかもしれないのです。

最後の最後で踏ん張るのはもちろん自分ですが、先人の知恵を拝借したり、協力を仰ぐことはなんら恥ずべきことでも情けないことでもないのです。

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まず、我を省みる
これもまた大事

保護者から受ける苦情そのすべてを「クレーム」~といつもひとくくりにしてしまうのはあまりにも危険すぎです。学校、教員サイドからしたら「クレーム」であっても、保護者父兄からしたら至極全う、正当な「要望」「要求」だったりするわけです。

このように教員からしたら一見、「クレーム」に思える苦情も2つに大別することができます。

➀ 理解できる要望、要求(対処の必要あり)

② まったくをもって理不尽であり、とうてい受け入れることのできないもの(病的なクレーマー含む)

まずは、この見地に立ち、学校全体での自分の立ち位置を含めて自省してみることをおすすめします。「本当に完全完璧100パーセントこちらに非がないのか?」「保護者の言い分にも理解できる部分があるのではないか?」などと考えてみることは非常に大切です。

スタート時点のここでつまづいてしまうと、もうダメです。正当な要求であるのに一蹴された保護者は、学校、教師に対する不信感をずっと引きずることでしょう。

クレーム対応よりもクレームを受けないようにする
「クレーム予防策」が何よりも大事!

入学、クラス替え時より、クラス・家庭双方巻き込んで、ことあるごとに自分のクラス経営方針、教育観、クラスにかける思いなどを話し込み、対話を重ねて言っていたので私の場合、そう頻繁にクレームの類を受けることはなく、十数年の教師歴のなかでもほんの数えるほどでした。

拙い担任ではありましたが、子どもたち、保護者にいろいろ助けられた部分もありました。「何か」たとえあったとしても、いまのようにすぐどこかに駆け込んだりSNS上にアップしたりなんかではなく、そこには「待つ」「信じる」~という余裕がお互いあったような気がするのです。

こういった「相互信頼」というものは、一朝一夕に築き上げられるものなどではなく、少しづつ一歩づつお互いの距離を縮めていくものなのです。最近の世相なのでしょうか、人間関係もまたインスタント仕立てのようになってしまっている間柄も多いのではないのでしょうか?

友人関係も、恋人関係もほんの少しづつ間合いを詰めていってそれなりの関係になっていくはずです。父兄と担任との間合いだってそれなりの過程と時間を要するのは当然です。そうなのです。できる努力を怠ってはならないということなのです。

しかし、そうは言っても築き上げてきた~と思ってきた関係が脆くも崩れ去るときがあります。意見の食い違い、誤解、教育観の違い程度であったらまだいいでしょう。モンスターペアレンツ一歩手前のような、普通の物差しでは測り切れないトンデモペアレンツに時たま出くわす時があるのです。でも、これまた仕方のないことなのです。確率の問題~と思って向き合うしかないでしょう。教師であるのなら・・・

先述のように私の場合、数件でしたがクレームはありました。しかし、その陰で私にクレームつけたくともつけるにつけられなかった親御さんの存在も当然あったことと思います。そんな当たり前のことなのですが、そのような人たちの存在も、いま教師たる立場にある人たちは心のどこかに常に置いておいてほしいのです。

自己を顧みる、謙虚な姿勢を崩してしまったら教師でなくなってしまうと思うから・・・

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私が実際に受けたクレーム、トラブル事例

①ケータイ授業中使用→担任預かり→父兄召喚返却クレーム

他の教師の授業中、携帯を使用していたため教科担任が取り上げ、担任預かり。そのあとは父兄召喚、親子同席指導の上返却~というルールになっていたのですが、当の保護者が多忙を理由に全く学校に足を運ばず、1ヶ月以上経過。電話、文書、家庭訪問により来校を促すも2ヶ月経過。やっと取り付けた約束に高校生の兄を寄越す反則技。果ては女子生徒に別の回線を契約して新しい携帯を持たせる始末。ようやく学校に現れたのは半年近く経ってのことでした。

この保護者の来校はこれが初めてで最後となったのでした。しかし、問題はこれで収まらず、預かっていた期間の携帯の基本料金等と新しく買った携帯端末代金を学校に払え~と打って出てきました。最初からこういうルールになっていることを生徒、親御さんにも文書で周知徹底させていること、再三のこちらの呼びかけにも応じない理由の不明瞭さを話すと今度は県の教育委員会に電話。そこで激高したらしい旨が学校に管理職を通して降りてきました。

管理職とも、不用意にこれ以上まともに取り合わなくていい、これまでの指導でいく~と話はついていましたが、それ以降、この保護者がアクションを起こすことはありませんでした。生徒の携帯授業中使用もパッタリとなくなったのでした。

②頭髪指導、どうしても従わないクレーム

入学当初から根気強く、保護者の協力を仰ぎつつ行ってきた頭髪指導でしたが、クラス替え、他のクラス担任との指導の温度差から子どもたちの不公平感が増長し、学年全体としても頭髪指導が困難なものとなっていきました。整合性が取れないため、自滅していくことは分かってはいたので何度も学年全体に申し入れましたが、ついに卒業まで足並みが揃うことはなかったのです。

そんな中、クラスの一人の女子生徒が「自分は絶対直さない!」と声高らかに宣言し、母親も他の父兄を扇動する行為に出たのです。頭髪指導に関しては入学年次、進学時に時間をかけて保護者と対話を重ねてきたので、他の父兄は誰も当該保護者に取り合うことはなかったのでしたが、いったんつけたクレームの収めどころが見つけられず、とうとうこの生徒はどうしても学校の指導には従えない~ということで退学してしまったのです。

この件については、「ブラック校則!?頭髪指導の難しさ~心に響かなかった私の失敗~信じて待つ~」でかなり詳しく話しましたので深入りは避けますが、やはり生徒指導は整合性、統一基準、公平さ~というものが大事になってくるのです。

誰の目から見ても、「なんでうちのクラスだけ厳しいの」「隣のクラスはあれでOKなのに」~などの声が聞こえてくるようではダメなのです。髪の色など機械で計測する訳でもなし、目視確認での指導はどこまでいってもあいまいさ、グレーな部分が必ず残ります。




ここのところの詰めが学年全体で甘かった~と反省しきりです。担任としてはそれでも意に反して、しっかりと守っているクラスの子どものために、この親子だけを特別扱いすることだけはできなかったのでした。内心はこの親子の気持ちは痛いほど分かります。でも、私が預かっていたのはこの生徒だけではなく40人近い子どもたちだったのです。

辞めた今、彼女は故郷を遠く離れてヘアデザイナーという仕事に就いています。髪の毛がきっかけで人生ちょっと変わったから、とことん髪の毛にこだわってこれからも生きていく~と決め、この道を選んだのです。救いはいまもこうやって彼女と話ができる関係にあることです。

頭髪がどうのこうのよりも、教師であれば生徒とはもっとほかの話さなくてはいけない、話したいことがたくさんありますよね。しかし、学校全体で、学年で一度決まった事をはずすことはまかり通らぬことです。ここでは頭髪指導の是非を問うことは控えますが、もうちょっと深く知りたい方は以下の話題をどうぞ。

なぜ、茶髪はダメなのか?頭髪指導ってなんでやるの?♪「亜麻色の髪の乙女」ヴィレッジシンガーズ




③他クラスカップルイチャイチャクレーム

週番で各教室を巡回中、あるクラスで男女カップルが普通の距離を越えた身体的接触をしていました。男子生徒が座る椅子の上に女子生徒がのっかかるような状態だったのですが、幼稚園児の織りなす光景でしたら微笑ましいものに映ったのでしょうが、大人になりつつある高校3年生同士、それもクラス前後ドア閉めての密室状態、果ては私が入ってきてもその行為を恥ずるどころか、ますますムードが盛り上がる始末。

顔と顔などいまにもくっつきそうな雰囲気でした。不純異性交遊という言葉からは、いかにも古めかしく型にはまったような感じを受けますが正しくそのような言葉がピッタリなのです。どんよりとしたジト~とした気持ち悪いものを感じました。どこの学校でも校内での不純異性交遊はおもてにあげて指導したがりません。内々にカタチ上、指導したことにして片付けてしまう傾向にあります。こういったことも分かっていて彼らは行動しているのです。

しかし当然、その場で説諭、指導しなければなりません。担任に報告し、あとから指導がある旨を伝えると「担任公認の仲なんで、どうぞどうぞ」などとおちゃらける有様。担任に事の顛末を報告するも、まともに取り合わず「放っておいてください」などとのたまい、クラスは実質指導が通らない学級崩壊の状態の有様。担任が危機を危機と捉えていないのですからどうしようもありません。

しばらくして、そのカップルの男子生徒の父親から酔った勢いで学校宛てにクレームの電話がかかってきました。当然、担任以外にも、指導部長(当時は私も副部長でした)と教頭には話を通しておきましたので、電話を受けた教頭がこの父兄をきちんと指導しました。

①素面(しらふ)の時にもう一度連絡ください。

②担任の指導が通らないので、他の教師の指導を受けたまでです。

②学校の指導は何も間違ってはいない。むしろ、指導案件にもう一度あげることも検討していますが・・・

~とこれだけを理路整然と話すと無言で電話を切り、その後は二度と連絡がなかったのでした。

父親の言い分を要約しますと

①担任でないものが、他のクラスに入ってきていちゃもんつける権利がどこにあるのだ?

②担任が許しているものがなぜダメなのだ?

③将来二人は結婚する予定なのに、これがきっかけでダメになったらどう責任取るつもりだ?

④こんな細かいことに首突っ込むより、他にあんたらやることないのか?

~と気持ちはわかる部分もありますが、スジが通らない話だらけでした。この件に関しては私がその後一切かかわることなく、いったん問題は解決したかに見えました。しかし、やはり事はエスカレートしていってしまったのでした。

きちんと指導に上げ、指導していかなかったため、指導が指導として彼らのこころに入らず、素通りしていっただけなのですから当然の帰結です。男子生徒の所属する部室で相方と性行為に及んだところを部顧問に咎められ、その後今回もまたやはり指導に上げられることなく、双方とも自主退学してしまったのです。

これはひとえに子どもたち、保護者ばかりを責める訳にはいきません。男女間の交遊・交友について厳格な指導体制を貫き通している学校ばかりではないからです。学校という組織に属している一構成員である教師という立場では、その指導も限界があります。

その他、クラス替えで仲のいい友人と離れ離れになって学校がイヤになってしまったので、いっしょにしてくれないと娘を学校にやらない~などキテレツな申し入れなどもそれなりにありましたが、自分が学校ができることとできないこと、これを冷静に見据え、限られた時間と労力を他の助けを必要としている生徒たち、果ては全体に振り分けることのできるスマートさもこれからは必要とされるのでしょう。常に熱く、一本気だけではやり過ごせない難しさがアリアリなのが学校というところなのです。

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理不尽な要求にはこう対処する

まずは、相手の話を聴くこと、それもただ単に聞くだけではなく「傾聴」という姿勢で臨まなければなりません。最初のここでつまずくとうまくまとまる話もすべてダメになってしまうことはよくあること。第一報を受けた時点で緊急の仕事などが入っている場合を除いて、とにもかくにも相手の気のすむまで存分に話させてあげてましょう。

最初の一報が電話であったなら、次回はぜひ対面で臨みます。それは電話などでは相手の表情やその場の雰囲気などをつかむのが難しく、行き違い齟齬などが生じやすいためです。そして大事なことが、すべて相手ペースに乗っからないということです。時間場所など相手の要求のままそれらをすべて受け入れると(当然、こちらに明らかに非があり謝罪が必要な時は相手都合優先です。至極あたりまえの話ですが)、常に相手ペースにはまり、常にマウントされてしまうことになるでしょう。

「この日、この時間なら確保できますが、いかがでしょうか?」などのようにお互い譲歩するような感じがいいですね。そして第一回面談相談で思いっきり時間を区切らずに話し合ったのなら、問題の軽重にもよりますが、次回からは時間を区切ったほうがよいです。いつまでもだらだらズルズル~となるのを防ぐだけでなく、これまた相手ペースドツボにはまらないためです。

それでは、実際の面談ではどのように臨んでいったらよいのでしょうか?

あくまでも一つの例ですが、私の事例を出してみましょう。私が学年主任だったころ、他のクラス生徒の父兄面談に同席した時のことでした。彼は少し発達障害を抱えており、他の生徒とうまくコミュニケーションをとることがなかなかむずかしいうえ、他者のかえりみず自分の感情の赴くままに行動するので絶えずクラスメイトとのいざこざが絶えませんでした。

彼がクラスで問題を起こすたびに彼を呼び出し、きつく指導をした~とは担任の弁ですが、彼女はまだ若く初任上がりのこともあってか、なかなか彼女の指導が入っていない状態でした。私は教科でもその他の活動でも彼とは面識がありませんでしたが、この面談の前に何かの手掛かりになればと思い、担任の了承を得たうえで彼と面談の機会をつくりました。

「どう学校は、クラスは楽しい? どんな感じ?」

担任から聞いてはいたもろもろの彼の情報はおくびにも出さず、まずは彼の話を聴くことに注力しました。なかなか話そうとはしない彼でしたが、音楽ネタで探りを入れたら見事に乗ってきて、それから家でも学校でも居場所がなくだれも信用できない、学校はやめたいが父親が絶対許さないと言って悩んでいる~という担任初情報まで勝手に話してくれる始末。

「担任の先生もお父さんもみんな、なんとかここをふんばってもらいたいと思ってるだけなんだと思うよ。思いつきで動くより、はじめに自分の気持ちをもっと言葉にしてみたらどうだろう?」

「つらい時は家だって、学校だって誰にだってつらいって言ってもいいと思うんだけどな・・・」

こんな感じで話したと記憶してます。この後、彼はどういうわけか、職員室などに頻繁に顔を出すようになったのでした。このわずか数十分でつかんだ感触は明らかな愛情不足、愛に飢えている感じでした。自分を誰も理解してくれない、悪く言う~という被害者感情一杯の一方、他者との触れ合いを異様に欲していたように思えました。

決して悪いところだらけの子なんかでは決してなく、ちょっとしたきっかけさええあればじゅうぶんにクラスでうまくやっていけるような感触でした。

はなしが前後してしまいましたが、肝心の保護者クレームの内容は学校にかかってきた一本の電話でした。~息子の担任はいつも息子の悪いところだけを並べて、一方的に息子が悪いと決めつけて息子をクラスの悪者に仕立てた!どうしてくれる?きちんとしたことの経緯と正式な謝罪が欲しい~だいたいこんな趣旨だったと聞いています。

小学校の教師をしているというこの父親はとにかくプライドが高く、人を値踏みするような態度がアリアリの人物という担任評・・・そのうえ、他人を言い負かすことに快感を覚えるような人とのことでした。

そこで担任の先生と私で作戦を練る~と言っては「戦い」ではないので言い方が違いますが、シュミレーションをして面談に臨むことにしました。

➀ まずは来てくれたことへの感謝を述べ、最初にこちらから話すことは避け、相手に好きなだけ話させる

② 実際困ってはいるが、助かってもいる。彼もクラスに必要なクラスメイト。なんとかいい方に持っていきたい。これまでの担任の指導の記録を提示し、彼のいいところを強調する。(担任パート)

③ ②を踏まえたうえで私が、これこれのことでトラブルになっている。このままでは決してよくはない。クラス、本人、教職員、親御さんと対話を重ねていって何とかいい方向に持っていきたいので、ぜひ協力してもらえないか?~の旨を話す(学年主任パート)

④ 決して一方的に決めつけてかかったわけではなく、彼のこれからのことを思うあまり、そう映ってしまったと思う。傷つけてしまったことに関しては謝罪したい。しかし、彼のためを思ってこれまでした指導についての部分は謝らない。(学年主任パート)

だいたいこのような流れでいくことに決めました。結果、ほぼシュミレーション通りに行き、お互い連絡を密にとってこれからやっていきましょう~ということに相成ったのでした。

私がこのように複数でのクレーム応対を提案したのは、自分の若いころの失敗経験があったからです。

自分に非がないことを言いことに、相手を打ち負かそうとして熱くなりすぎたり、相手の気持ちを全く考えていなかったりと若気の至りでした。結局まとまるものも全部ぜんぶダメになってしまったのでした。やはり、どのような相手に対しても逃げ道は用意しておくべきなのですね。そして、どのような人にも彼なりの言い分はあるわけであり、それをまずじっくり聞き上げなければ何も始まらないということを経験則から理解していたのでした。

また、担任においしいパートを預け、けっこう難儀、ちょっと苦手な部分は私にしたのも、これから彼とのいちばん長い付き合いになるのはなんてったって彼女自身だからなのです。結局いちばん親身になってくれるのは担任の先生なんだよ~って感じにとってもらうため。主任がやはり泥をかぶることも時には必要でしょう。

こういった保護者を相手にするときは、正論セイロンと理詰めだけでは決してうまくはいきません。相手も感情のある人間なんですから。分が悪いと分かってはいても引くに引けない~そんな感情を分かってあげる大人の余裕もまた必要です。

決して相手に媚を売るのではなく、自分の主張を通したうえで相手をもまた認める~この考え方でいくのです。

いきつくところは、こちらのサイトで繰り返し話していることです。それは、こうなる前の普段からの家庭とのコミュニケーションです。これが密なものとなってさえいればこのような面談の機会などまずないはずでしょう。

いずれにせよ起きてしまったことはどうしようもないこと。これを好機ととらえ、クラス、自身の成長の糧と教師であるならば考えるべきです。保護者と学校、教職員は敵対するような間柄では決してなく、むしろ手を取り合って子どもの将来のためにすすんでいく同士のような関係です。むろん対等なあいだがらです。

すべては子ども、保護者を知る、理解していくという日々の教育活動が基礎となるのです。




好かれようとするなかれ、自分の中に
自分だけの柱を持つことの大切さ

クラス、教科、部活動その他諸々・・・ちょっとした生徒、保護者、同僚とのトラブル、行き違い、誤解・・・などは長年教員などやっていますと、しばしばあるものです。しかし、そんな時でも、じっくりと時間をかけてお互いを知るようになっていくと、分かりあえるようになり、それどころかよき協力者となってくれたりもすることもあるくらいですよね。

しかし、いつもすべてがうまくいくという訳ではもちろんありません。人間と人間とのことですからやっぱりソリが合わない、なんとなくうまくいかない、理解してくれない、どうしても好きになれない~なんてことはよくあることです。でもこのくらいであったら何とか付き合っても行けますが、先の例のようにいくら時間をかけて向き合ったところで分かり合えるどころか、ますます険悪なムードになってしまうような相手だって現実にはいるのです。

こういった人たちとは教師として、どうのように付き合っていけばいいのでしょうか?そうなのです。自分の「軸」、どんな状況であっても決してブレることない「柱」を持つことがいちばん大事なのです。これさえしっかりしていればどのような問題が降りかかろうとも何も恐れることなどないのです。

私の十数年の在職時代、私には怖いものはありませんでした。怖いもの・・・それは自分の軸がブレることだけでした。なぜなら、これを失ってしまっては自分が自分でなくなってしまうから・・・自分の信念を曲げてまで職にしがみつこうなどという気はさらさらありませんでしたし、誰かにへつらう迎合する・・・などということがいちばん嫌いでした。よって、どう考えても自分に非がないときなど謝ったことなど一度もありません。父兄に限らずすべてにおいてです。

職会などでも全体のことを考えつつもハッキリと自分の意見は述べてきましたし、どのような父兄であっても人によって態度をコロコロ変えたりなんてことは一度もありませんでした。つまり自分というものを貫いてきたのです。

だからといって一匹狼のような存在などではもちろんなく、チームプレイでもある学校という職場の特性も理解して、かなり協調性もあったほうだったと自己分析しています。しかし、自分を通す~ということには絶えず危険が付きまとうのもまた事実です。仮に自分が道を間違えた時、それはとんでもないことになり、時にはひとさまの人生を左右しかねないことになってしまうのです。

この点、私にはしっかり見ていてくれる同僚、良き先輩などがおりましたのでだいぶ助けられました。こういった自分の信念、教育観に基づいて学校のルールーに従って教育活動を展開していく限り、管理職を含め、周りのひとたちの助力が期待できるのも、自己の信念のなせるワザなのです。

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これでいいのだと私は思います。ハナから全員に好かれようとか、分かって欲しい~などとは思っていませんでしたし、何のために教師になったのか?~の原点に立ち返れば、何がいちばん大事なことなのか?なんてことはスグに見えてくることなのですから。

自分が任されている子どもたちは一人だけではありません。子どもたちから見たら、自分と教師の関係というものは絶えず「一対一」かもしれませんが、教師からすると、「一対一」の時もあれば「一対二」の時だって「一対クラス全体、全生徒」の時だってあるのです。

繰り返しになりますが、全体を考えた時、何があっても譲ってはいけないブレてはいけない自分の信念、矜持というものが何よりも大事になってくるのです。ここがしっかりとしていない人ほど周りに振り回されあたふたとするのです。

そしてこれも大事なことですから最後にもう一度話します。自分の芯となるべきものももちろん大切ですが、他の意見に耳を傾ける余裕、自己を顧みる謙虚な姿勢・・・これらは教師であるならば絶対に必要なことなのではないでしょうか?先生方教師だって人間なのですから・・・

関 連 記 事・情 報

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