教師を辞めたいときに 教育・教師

教師辞めたらこうなった②(先生!その転職ちょっと待った!)~失ったモノと得たモノ~

投稿日:2018年2月2日 更新日:



教師を辞めたいま、あらためて思うこと。当時の自分の存在は、上から決められた仕事が落ちてきて、ただ単にそれをこなしていく存在だったのかな?これです。次から次へと雪崩打つ仕事を、自分なりにうまくこなしていくことで精いっぱいで、大事なことをたくさん忘れていた気がするのです。効率とか要領といったうわべだけの見せかけにとらわれ、自分の本当にやりたいことの追及を忘れていたのでした。

落ちてくる仕事を変えてみようとか、そんな無駄なあがきも散々試みましたが無駄でした。自分で仕事を創り出せない苛立ちから、せめて自分の授業、部活でそれらを追い求め続けようともしました。やはり教師とは校舎、学校という狭いハコの中で、決められた仕事だけをひたすらこなし、一生むなしく終える存在なのでしょうか?
その答えは、教師であるあなた自身の中にあります。決められた枠の中で、精いっぱい毎日現場でもがきつづけている先生方もたくさんいるでしょう。一方、さまざまな原因から現場に見切りをつけていく教師も後を絶ちません。いま私は、中途半端な気持ちで現場に居座り続けていて権利だけを享受している教員のことを言っているのでありません。このようなひとたちには、まず辞めるという選択肢はないことでしょう。理想に燃え、必死に現実との狭間で奮闘している教師だからこそ悩むのです。

どちらに転んでもそれぞれの世界があります。私は身体を壊して辞めざるを得なくなりましたが、今ころ学校に残っていればまた別の世界が見れただろうと、昔を懐かしむ時がたまにあります。逆にあの時、辞めていなければいまの自分はなかっただろうと思います。本気で仕事をしてきた人であったなら、教師は潰しが効かない!なんてあり得ません。どこへ行っても必ず持ち前のバイタリティーで、自分の生きる道を探し当てるはずです。

これは持論であり、また極論かもしれませんが「教員は有能な人と無能な人にきっぱり分けられる」と思います。どこへ行っても適応し、自分の能力に磨きをかけることを怠らない人、そして、学校でしか生きられないかわいそうな人です。(これが学校でしか通用しない、他では使い物にならない人・・・という意味です。学校が好きでスキでだいすきで、他ではなんて考えられない・・・といううらやましい人はもちろん別です。)

あなたが今、辞めたい!本気で考えているのは分かります。それでも、ちょっと待ってください。年度末近くに退職願いを出してしまってからではほんとうに遅いのです。

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あなたの「辞めたい!」ホンモノですか?

あなたの「辞めたい!」気持ちがホンモノであるかどうかの基準を5つ以下に挙げます。このうち、どれかひとつ欠けてもあなたの本気度は「ホンモノ」ではないことになります。辞めたクチの私が言うのですから、ちょっとは信じてください。私は退職当時、自分で本気と信じていた自分の気持ちが「ホンモノ」ではなかったために、自営で食べていけるようになるまで、かなりのまわり道を余儀なくされたのですから。

ただ1点だけ付け加えます。あなたの在職年数が一応目安として3年未満(非常勤講師の在職1年は1年とカウントはできないでしょう。)であれば、まだまだ踏ん張れる余地があるということです。いまがイチバンしんどい時かもしれませんが、ここを乗り切ればもしかしたら違う景色が見えてくるかもしれません。私の場合がそうだったからです。

私もどれだけ初任の時に「辞めよう!」と思ったかしれません。でもあのとき辞めずになんとか十年以上踏ん張れたから、辞めた今でも「学校っていいな」って素直に思えるのです。初任の一年で辞めてたらきっと、思い出したくもない、自分にとって恥ずかしい暗黒史となっていたことでしょう。だってがんばれずたった一年で見切りを付けちゃった~ということになるのですから。一年やちょっとで学校のなにがわかるというのでしょう。

教師は一生成長し続ける存在だ・・・と言われるように定年退職まで、いやそれ以上も自己研鑽に励むことを強いられる厳しい仕事です。厳しい言い方にはなりますが、それを一年で諦めてしまうようでは、そもそも適正という意味で疑問符がつくのではないでしょうか?

それぞれ人には事情があるのは分かります。それでも教師はチームを組み、子どもたちと一緒に成長していく存在です。ちょっとやそっとでは動じない、「柱」という矜持が求められるのも当然ではないでしょうか?

前置きが長くなりましたが、以下の5点についてもう一度自分と真剣に向き合ってみてください。

ただ単に「いま、ここから逃げたい!」という現実逃避なだけではないか?

辞めるだけのきちんとした理由、動機があるか?そして辞めた後のハッキリした道筋が描けているか?

月収↓ 年収↓ そして肩書がなくなることの覚悟があるか?

退職後の最低最悪の状況を想定したうえでの選択であるか?

教師を辞めてまでのやりたいことなのか、譲れない「何か」が本当にあるのか?




以上の5つがすべてクリアできていればひとまず安心です。覚悟だけは出来ていますので仮合格です。それでも私が言えることは「もうちょっと待って!」これなのです。辞めてしまってからでは遅いのです。時は逆戻りなど決してしてくれないのです。

特に、紆余曲折を経て教員になった訳でもなく、民間の空気をまったく吸ったことのない純粋培養のストレート合格教員、講師時代を含めてずっと学校で過ごしてきて、学校以外の世界を知らない教員は特に慎重になったほうがいいかもしれません。

これまでまともに休みなど取ってこなかった先生なのですから、「休職」という制度をここらで目一杯使って、これまでの自分を振り返ってみませんか?現場復帰後のことを考えると気が引ける~というのであれば、とりあえずはこなしきれていない「年休」をまとめどりしていったん現場と距離を置いてみるという方法もありますね。

当たり前のことではありますが、学校の外には違った世界があり、これまた異なった空気が流れているものなのです。違った視線視点で学校を児童生徒を、そして自分を見つめなおせること請け合いです。

それでも、気持ちは変わらないあなただけ以下は読んでください。辞めたクチの私が得た現実と失ったモノについて話していきます。

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辞めて変わったコト!変わらないコト!

教師を辞めたことにより、これまでのほとんどすべてが変わっていきました。自活できるようになるまでの数年、再び勤め人、宮仕えを繰り返しましたが、今はすべて自分で仕事を選べます。何をするのも、何をやらないかもすべて自由です。

しかし、いつ野垂れ死にするかもしれない危険と常に隣り合わせです。それは、飼い犬転じてノライヌになったからなのです。野良犬は自分でエサをもぎ取ってくるものなのです。いや奪ってくるしかないのです。

ごはんを取る能力が自分に備わっていなければ、今日から生きていけないことは自明の理です。

ただ私がこれまで話してきたことは自活、自営の場合であって再び勤め人になる場合はまた話は違ってきます。(学校関係の転職はここでは置いておきます。)使用者のもと使用人となって再び組織人になる場合であっても、それなりの覚悟が必要になってくるでしょう。

ご存知のように民間は、組織に貢献、利益をもたさない人間は必要とはしていません。学校のように卒業したら子供らはきっと分かってくれる~などという実に甘く、悠長な眠たいこと言っていたら笑われるだけです。「いま」が大事であり、即結果、果実が求められる世界です。

そしてたいていのみなさんが大事にしてきた「プライド」というものもズタズタにされることでしょう。想像と現実はまったく別物なのです。私の場合ですが、これまで「先生さま」で通ってきた世界なんて夢だったかと思うくらいの別天地でした。



私は毒にも薬にもならない変なプライドなんてものはとっくに脱ぎ捨てていたのでまったく問題ありませんでしたが、教員時代が輝かしいものであった人ほどつらいでしょうね。私事になりますが、教師を辞めてから経験のためにあえてさまざまな職種の仕事にチャレンジしてきました。

警備員、原発除染員、役所臨時雇い、清掃員、教材セールス、建築営業、駐車場管理人、学童、塾講師、家庭教師、常勤講師、非常勤講師、苦情処理センター電話番などなど・・・数え挙げるとキリはありますが結構思い出すのがしんどくなるくらい経験してきました。特に原発、警備、清掃の世界は厳しくも面白い世界でした。

ただ、まったく違う仕事はまっさらな気持ち・覚悟でどのような仕事にもチャレンジできたのですが、教育関係はなまじっかこの世界の空気を吸ってきましたので、やはりプライドというやっかいなものが見え隠れしてきたのも事実です。

年下の若いお兄さんに呼び捨てでアゴで使われる日々は、実に新鮮で勉強になりました。新米はそれなりの扱いを受けるのですから当然なのですが、こういったことにいちいちこころが苦しくなるような人は学校時代と同じような待遇で扱ってくれるところを探すしかありません。

しかし、キョウビそのような働き口がそうやすやすと見つかるのでしょうか?あなたがよほど有能で、引く手あまたのキャリアとスペックをお持ちであれば何も問題はないと思います。失礼な言い方にはなりますが、ほとんどそのような人はまず学校には来ないと思います。一部の例外を除いて。

そうなのです。もし辞めて再び勤め人になるのなら、準備に準備を重ねて、そして慎重かつ慎重に適応できそうな次の職場を見つけておかなければならないのです。

そしていきなり自営!はないでしょうから、起業するにしても自分にチカラを蓄えておく必要があるわけなのです。

またまた前置きが長くなりましたが、辞めて私が気付いたことを話していきます。

自分の裁量で、すべての仕事をコントロールできる

自分で仕事を創っていくことができる幸せは、給与所得者には分からないかもしれません。来る日も来る日も同じハコの中で、降りてくる仕事をひたすらこなし、絶えず何かに追われているような毎日が懐かしい時もありますが、子どもとの時間もろくに取れなかったあの事務雑務地獄はやはり異常であったと思います。

教員という仕事は、子どもの成長・発達を短長期的スタンスで寄り添っていくことができるかけがえのない職業であるとは思いますが、自分自身の成長というものに磨きをかけたり、それを感じるということはなかなか難しいのではないかと思います。それはもちろん職業的特色からくるものもありますが、教員の仕事はあまりにも多岐にわたり、非常に忙しく時間的余裕がまったくないことから来ているのでしょう。

そこのところ、自営自活の場合、自己の成長を日々リアルに捉えることができ、毎日が刺激的かつ新鮮なのです。それは自己の社会的活動の結果が金銭という絶対価値で否が応でもあらわされることから来ているのです。

そして、公務員勤め人にとって「21日」はお金が振り込まれるありがたい日でありますが、私たち自活者にとって給料日は一か月勤めてくれた人に、給料というこれまでの労働の対価を支払わなければならない日なのです。これは雇用という面で社会、人とつながっている~という自己有益感もたしかに感じられはしますが、やはりプレッシャーは相当なものです。

プレッシャーについては大事なことなので、②でもちょっと話していきます。それでも仕事を作っていく、自分の色に染められる~というのは何ものにも代えがたい有難いものなのです。

自営なので、いやな人とは付き合わなくても済んでいる部分と、逆に仕事のため自分を殺している部分とが同居

学校勤務時と比べると身体が受けるストレスは極端に減りました。しかし、収入はもちろん固定するはずもなく、いつ食えなくなるというプレッシャーに絶えず晒されています。長期休暇中の8月だろうと固定給が自動的に振り込まれることに慣れてしまった先生にはこの辛さは分からないかもしれません。しかし、逆にこのプレッシャーが自分を強くもしてくれたのです。絶えず自分を磨いていかないと、顧客、社会の要望に応えることができず取り残されてしまうのですから必死にもなります。

こういったプレッシャーに弱い人、リスクと背中合わせの生活に耐えられない人は一生給与生活者の道を選択したほうが無難です。確実に・・・

そして、これはみなさんも容易に想像がつくことかと思いますが、自営の場合、どうしても社会的ニーズに企業体質を合わせていく必要があります。別にへつらうということではないのですが、必ずしも自分の好む仕事ばかりできるという訳にはいかないのです。時に自分という人間を殺さないといけないこともあるのです。

そこのところ教師という仕事は、自分という人間を前面に出していって勝負できる非常に魅力的な仕事であると言えます。

教師時代にも増して長時間労働

学校勤務時は学校が家みたいなものでしたが、前にも増して仕事ばかりです。学校のように授業の始まり終わりのチャイムなど当然鳴りませんので、のべつ幕無し自分の気が済むまでやり続けるだけです。気が付いたら「あらもう夜ですか?」なんてことしばしばです。

そしてある程度食えるようになると、仕事を選ぶことができるようになります。嫌いな仕事はやる必要がないし、苦手なクライアントとは距離を置くこともできます。自分をほんとうに必要としてくれる人とだけ付き合うことができるのは精神衛生上、ほんとうにいいですね。当然好きなことをずっとやっているのですから別に苦しくなんかまったくありません。(自分の時間が欲しいと思うことはありますが)

しかし、自分の心身の健康管理は学校時代以上に求められます。健康診断なんて強制的に受けさせてもらえたんですから実に有難い時代でした。

何をやっても自由

何をやっても自由なのは仕事だけに限定されません。気が向いたときにどこへ出かけようと、出張ついでに2~3日遊んで来ようと誰も文句を言ったりなんかしません。当たり前ですが、一日の起きる時間に始まり、就寝まですべて自分で決められるのです。いや決めなくてはいけないのです。

ここまで読まれてお気づきだとは思いますが、自分で決められない人、何かに縛られていたほうがしっくりする人、与えられた仕事だけしかできない人、そのほうが好きな人などなどはまったく自営には向いていません。断言できます。そのような方は学校にそのまま居座るか、学校を辞めるのであれば、勤め人になったほうがラクです。

自由には責任がつきものではありますが、誰もいない海にクルマを停め、海を眺めながらゆっくりのんびり読書・・・自分とじっくり向き合う時間が持てるようになったのも学校を辞めたからこそなのです。私の場合。

睡眠時間タップリ・・・ほんとうにしあわせ!!

これはほんとうにしあわせ!!私は辞めて命拾いしました。確実に寿命が延びたと言えます。前に「教員になったら毎日睡眠時間3~4時間ポッキリは覚悟~それでも教師目指しますか?~」で詳しく話しましたが私は睡眠不足に殺されかけました。そして教壇から降りることになったのでした。

睡眠不足の怖さをいやというほど知っているがゆえ、どんなに忙しくとも、ご飯を食べなくとも睡眠時間だけは毎日しっかり確保しています。みなさん睡眠時間はしっかり取れていますか?先生稼業では無理な相談ですよね。しかし、睡眠不足は確実に心身をむしばみます。

いま気づかなくとも、あとあとになって私のように体のあちこちにガタがくるようになってからでは遅いのです。どのような職場に行かれても睡眠時間だけはゼッタイタップリ確保しなくてはダメなのです。


しかし、ひとつだけ付け加えさせてもらいますが、私のように、請け負っている仕事をほとんど自分で回しているような人間はいつまでたっても本当の自由人にはなり得ないということなのです。自分の時間と労力のほとんどを自分で仕事のために費やしているうちは、時間の奴隷も同然なのですから。やはり自分が直接タッチしなくとも、人を育て使い、仕事が回っていくようなビジネスモデルにしていかなくてはダメなのです。

それではどうすればいいのでしょうか?それは、「ビジネスオーナー」になることができれば、「時間」と「お金」という自由が手に入ります。ビジネスオーナーであっても、自分の時間ばかりはお金で買って増やすことはできないので、自分の時間を作り出すために、人さまの人生の一部分である時間をお金を出してもらっているわけなのです。すごいですね。

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そして、辞めて失ったもの・・・

やはり、学校というステージでしかできないこと、得ることができない大切なものがたくさんあります。

ですから、学校で得られる価値以上のものが、新しいステージで得ることができないのであれば辞めるべきではないのです。学校に未だ価値を見い出だしていて、ちょっとでも未練があるような方はゼッタイ絶対思いとどまってください。私の二の舞になること必至なのですから。

あの狭いハコの中で繰り広げられるさまざまな出来事は、よくも悪くも大切な想い出となることでしょう。そんなセンチな気分に浸らせてくれる想い出だけでなく、失ったものも当然たくさんあります。

肩書き、信用性

当初は名刺を作るとき焦りました。資格と言っても元教員という肩書と日商簿記と英検が2級・・・たったこれだけだったのですから。まだ信用というものがまるでありませんでした。教育関係に転職するのでなければ、一から社会的信用を積み重ねていくしかないのです。

ただ、昨今の教員の転職事情もちょっと様変わりを見せているようです。ひと昔までは、大して何もできないくせにプライドばかり高くて扱いづらい・・・と酷評されていた元教員でしたが、最近ではその職業的経験から来るコミュニケーション能力、折衝能力、統率力、リーダーシップ性などを見込んで積極採用に乗り出している企業もあると聞きます。

安定性、確実性

将来の確実な計画というものが、当初はまるで立てられないことでしょう。これまでは共済の組合員証1枚で何の審査もなしに一発でローン審査に通っていたのに、ローン審査で落ちた時には本当に落ち込みました。借りたカネを返す信用がない人間にまでとうとう堕ちてしまったか・・・と。

いまでこそ自活はしていますが、これから先、いつ野垂れ死にするかそれは私にも分かりません。

プライド

矜持(きょうじ)こそ無くしてはいませんが、学校時代に身に纏(まと)っていた変なプライドみたいなものは全部脱ぎ捨てました。邪魔になるだけで一銭にもなりませんから。こんなものがあってはいつまでたっても自活はできないでしょう。辞めてから自活に至るまでの転職時代で、イヤというほど辛酸を舐めつくしました。いまとなってはいい経験でした。

また、ずっと教師であり続けていた自分の「柱」というものを失った当初は、何をよすがとしてこれから生きていけばいいのか途方に暮れた記憶があります。自分を再構築していくのに私の場合、エラく時間がかかりました。

同僚、こどもたち・・・


辞めていなければ、病気にならなければ続けていたであろう学校・・・将来出会うはずであった子ども、同僚たちとの出会いを私は失いました。これまで関わってきた生徒、同僚との関係が今でも続いているのが救いですが、やはり想い出は遠いです。

学校でしか得ることのできないもの、教壇に立ってこそできるもの・・・というものはやはりあります。さまざまな学校行事、研究大会などをみんなでやり遂げた後の、あのなんともいえない心地よさと充実感・・・私はもう味わうことはできません。

去る者日々なんとかで、辞めたとたん断ち切られた縁も少なからずありました。私がそれだけの人間であったということなのでしょう。それだけの関係だったのです。自分ひとりで気負っていった自負など大したものではなかったのです。教師一人などいなくなっても、当然学校はいつものようにまわっていくのですから。

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組織という枠の中でこそ、自己のチカラを存分に発揮できる人!

ここで、一つの例を出します。彼は学校は大好きでしたが、学校というワクから飛び出して自分の理想を追求するために私塾を始めました。しかし、何から何まで自分で決めなくてはならないこと、やらなくてはいけないことが多すぎて、おまけに思うように塾生が集まらずノイローゼ一歩手前になってしまったのでした。

しかし、家族の支えがあって、一般企業に普通に就職し今はサラーリマンとして立派に活躍しています。彼は私の同僚だったのですが、学校ではほんとうに有能な人でした。すべてにおいて・・・忙しさにかまけて授業の準備に手を抜くことなどなく、分かりやすくためになる授業は生徒からも好評でした。それなのに、独立して思うようにはいかなかったのです。

教師の世界は、独立自尊の精神が尊重される世界であり一概に比べることなんてできやしませんが、本当に彼は抜きんでいました。すくなくとも私よりは。

私も彼と同じように独立の道を選びましたが、何が違ったのでしょうか?

私の勝手な分析になりますが、私はこう思います。

①モノになるまで私はあきらめなかった

私は元来、打たれ強くダメモト精神で何でも当たって砕けてしまうことを繰り返してきました。当然失敗もたくさん・・・しかし、その失敗から何かを学び、次へとつなげていっているのです。いまだってそうです。

彼はどちらかというと完璧主義で私はオールアバウト主義。肝心なところはシメますが、とにかく何でもやってみる!をモットーにしていますので見切り発車も多いです。これがいいのか悪いのかは分かりませんが、ビジネスはスピードと正確さが求められます。彼はたったの2年で自分の志を曲げてしまったのです。家族のため仕方なかったのかもしれませんが、それならが少なくとも数年は一家が路頭に迷わないくらいくらいのお金は用意してからにすべきだったのではないでしょうか?

個人塾という性格からしたら、塾生が定着するまではそれなりの時間がかかると思われます。創業時は大木になるまでの「根っこ」を生やし、育てる時期です。集客できない~は表面上、地上だけの話であり、実際着々と根を伸ばし、成果があがっていたのかもしれない~と思うと本当にもったいないなと思うのです。

②完璧主義性格は、時に自分を追い込み殺してしまう

決められた時間、ワクの中であらかじめ決められたことを着々とこなしていく・・・こういった難儀なことを容易くやってのける人はほんとうに優秀だと思います。しかし、こういった人のすべてがモノ、価値を自ら作り出し、プロデュースしていく術に長けているかというと必ずしもそうではないでしょう。

社会的価値・要求のある仕事を自ら創り出し、それを需要のあるところに流していく営みは、組織人とはまた異なった能力が要求されます。ここにもまたカンペキシュギを持ち込むとなると、さらに問題が難しくなると思います。いわばヤワラカいアタマが必要とされるのです。

これもいいかも、これでいいかも~といったアバウトさも時には必要なのです。

③時、場所、ニーズを読めるか否か

塾という業種業態は成熟期をとうに過ぎ、いまはどこへ行っても大小の塾が乱立しており児童生徒の奪い合い状態です。地域での信頼信用を確立している既存のマーケットに割って入るにはよほどのパイオニアスピリッツとライバルとの差別化できる何かを持っていないと難しいでしょう。

そして、塾というハコを構えなくてはいけない、人も雇わなくてはいけない、集客と成果が得られるのに時間がかかる・・・といまビジネスを始めるにはこれでもか!とネガティブな要素ばかり並びます。情熱に燃えていた彼には悪いですが、私なら塾をやろうなどとは思わないです。

同じ教育産業であればコンテンツビジネスやオンライン塾・家庭教師などでしょうか?とにかく場所、時間を選ばずマネタイズできる仕組みに持って行かないと、いつまでたっても時間の奴隷で終わること必至です。

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心身を病んでいる人だけは話はまったく別!!!

これまでの話してきた内容は、心身ともに至って健康の人に向けてのものです。正常な考えができないようなこころの病になってしまっている、学校に行こうとすると吐き気を催す、過去の私のように学校で何度も倒れた~

このような状態に今、ある方は自分と家族を守るために急いでください。まずは休むための算段を取らなくてはいけません。まずは「休む」のです。とりあえずでもなんでもいいので兎にも角にも「休む」のです。

そして心身をある程度休めたなら、これからについて考えるのです。散々「辞めないほうが・・・」などとこれまで話してきましたが、心身にかなり異常を来す状態になってきていて自分で「危ないな!」と感じられるようであれば、これまで私が話してきたような後先は考えず、キッパリ辞めてしまう、学校から距離を置く、逃げる~というのも何ら恥じることのない立派な選択肢です。

命あってのものです。教員の自殺・・・一年でどのくらいの先生が尊いその命を絶っていると思いますか?毎年100人から200人です。男性が毎年ほぼ4分の3以上を占め、そのほとんどが病気を苦にしたもの、そして精神疾患からくる突発的なものだそうです。

あなたが「私だけは大丈夫」と思いたい気持ちは私にも分かります。しかし、症状がひどくなってからでは手遅れなのです。まだまだ治る余地のある症状のうち、そして正常な判断を下すことができるうちに、「自分を守る!!」という決断が大切です。


自分の内なる主人の声を静かに聞く・・・

どうだったしょうか?あなたの「辞めたい!」気持ちはホンモノであったでしょうか?特に守るべきもの、家庭がある方は慎重になってください。辞めても辞めなくても、それぞれがあなたの道です。こうしている今も人生、生きられる時間は刻一刻と削り取られていっているのです。人生という限られた時間の中で「何を」一番に考えるか、優先させるかで、おのずから答えは出てくることでしょう。

違った視点からも話していますので私の「辞めたシリーズ」も、ちょっとはなにかの参考になるかもしれません。

いまの私に言えることは「ひとりで抱え込まないで、家族でも友人、同僚でもあなたが心から信頼している誰かに相談したほうがゼッタイいい!」これだけです。これは私の経験からです。

あなたが打ち明けたなら、きっと親身に考えてくれる人がいることでしょう。私は一人ですべて勝手に決めてしまったことを、今は悔やんでいます。いまの自分になれたのは辞めたからこそであって、紛れもない事実なのですが、私はそれでもやっぱり学校が好きなのです。

とどまるためにもっとほかの方法があったと思うのです。誰かに相談できていれば今、違う世界を見ていたことと思います。

特に公立勤務の先生は異動というすばらしくもあり、難儀でもある実にありがたい宿命を背負っています。いまがたいへんでも、異動の地ではあなたらしくもしかしたらイキイキと働くことができるかもしれないじゃないですか?

辞める、辞めない・・・これに正解はないです。ただ、下したその決断に後悔だけはして欲しくはないです。一生あのとき辞めなければ・・・なんて思い続けるのは辛すぎますよね。

まずは、しっかりと自分ともう一度向き合い、自己を見つめなおすこと・・・これからすべてが始まります。

辞めたら辞めたで、あなたの新しいステージ、あなたと出会うであろう人があなたを待っています。

残ったなら残ったで、出会うべき同僚・子どもたち、その他たくさんの人たちがいます。

あなたのこれから歩む道を選べるのは、やはりあなたしかいないのです。

どうかこの機会をピンチではなく、あなたのターニングポイントとなる絶好の「チャンス」ととらえてください。



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