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高校で化粧を禁止する理由~化粧指導の是非~化粧指導はどうあるべきか?!






「なぜ、学校は生徒の化粧を許さないのか?」この質問にズバッ!と明確な答えを出せる現役の教職員は少ないでしょう。

人、みなそれぞれに個性があるように、顔つき・スタイルも皆ことなります。お化粧をして、自分らしくありたい~という自己表現の自由を学校は制限・禁止しているのです。校則という学校内でのみ通用する法律を盾にして・・・

高校では卒業後、就職する生徒もまた多くいます。まったくのノーメイクで通すのはマナー違反とされている職場もきっとあることでしょう。アパレル、ファッション業界、店員などでノーメークはまずありえないと思います。

となると、「化粧教育」なるものも、高校では必要になってくるのでは?・・・と誰しも思うはずです。

今回は、校則で生徒の化粧が禁じられている意味をあらためて知りたくなって現役時代を思い出してみました。化粧はなぜダメなのか?そして、そのための指導はどうあるべきなのか?一緒に考えていきましょう。

許されれば、みんながみんな化粧するのか?!

この質問に対する答えは、当然NO!です。

実際、私の受け持っていたクラスも女子生徒が多いクラスで、頭髪・化粧・服装指導などに追われる毎日でした。彼女たち、そして家庭との対話を続けていっても一進一退の状態に業を煮やした私は、ある日、半ばやけくそと密かな計画のもと「あさっての一日だけ、化粧・頭髪に関してはなんでもOK!」と宣言したのでした。(しぶしぶではありましたが、管理職ならびに指導部、学年の許可をなんとか取り付けておりました)

ちなみに、「あさって」としたのは、彼女たちにオメカシをするためのたっぷりとした時間を提供するためだったのでした。さてさて・・・結果はどうだったと思いますか?

お察しのとおり、当然みながみな茶髪・金髪に染めたり、装飾品ジャラジャラ、化粧ゴッテリ~なんかになるはずないのです。数的にも内容的にもほとんど変わらずでした。

遠足の時など、「自由な服装できていいぞ~」といざなった時にふたを開けてみれば、ほとんどみんなが「制服」というパターンと似ています。自分のファッションセンスに自信がなくて、果ては突出するのを恐れていちばん無難な制服に落ち着く訳なのです。

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化粧禁止指導に関しての彼女たちの思いはだいたいこんな感じでした。

※禁止されると余計に燃える

※そもそも禁止されるってのが意味不明、理由を教えて欲しい

※化粧をする自由としない自由~どちらの自由も保障されるべき

※クラス、学年によって指導の基準が違うのが納得できない

化粧が似合う、似合わないは別に置いておいて、私が化粧指導を通じて強く感じたのは、そこには彼女らなりの確固としたポリシーがあって、彼女らなりにまじめに「美」「個」の追及をしていた~ということです。

化粧指導、チェックの時だけおとなしくし、校則の網の目を掻(か)い潜(くぐ)ろうとする子どもたちとのいたちごっこの日々でしたが、彼女たちなりの信念がそこには確かにあったのです。

その信念なるものがまじめなものであるのなら、化粧を禁じる側の理由も明確なものでなければならないのは至極当然のことです。

「ゆれてる私」詞:阿久悠 曲:森田公一 歌:桜田淳子

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そもそも、学校ではなぜ、化粧はダメなのか?!

この問題については昔、同僚といろいろ意見を出し合ったことがあります。

①若さ=最強=ナチュラル美~なのでそもそも化粧なんて必要ない

②化粧解禁~となると、度を越したゴテゴテメイク(ひと昔前のヤマンバのような)もOK!となって、指導の線引きが非常に難しくなり教師の仕事がこれまた増える

③化粧OK!となると、学校で化粧をする生徒も当然でてきて、そのための指導もまた必要になる

④化粧をすることにより、校外でさまざまな誘惑の手が彼女たちに襲い掛かることになる(深夜飲食店、風俗店バイト問題など、以前からたいへんな指導であったのに、盛ることにより彼女らのさらなる深夜進出が加速度を増していく恐れがある)

⑤本人と区別がつかなくなる!(真面目な話で、ほんとうに分からなくなる子どもがいるのです。)

⑥化粧が許されるとなると、化粧にお金をかけられる子どもとそうでない子どもとの二極化が進み「化粧格差」も生じる

※ちなみに、勉強に集中しなくなる~はあまり関係ないように私は思います。途轍もないきれっきれっの化粧を毎日丹念に施しているクラス委員が成績優秀~なんてパターンはよくあることですから・・・

~こんなところしか思いつかなかったように記憶していますが、「化粧禁止」の長い歴史の根底にあるものはやはり、

高校生=まだまだこども

化粧=オトナ

よって、高校生に化粧必要なし、学業が本分・・・

方式のオーソドックスな考え方なのでしょう。~「まだ早い」「若すぎる」たったそれだけ~♪という歌([春おぼろ]岩崎宏美)昔ありましたが、「たったそれだけ」のことで禁じてきたのかもしれません。実は・・・化粧の歴史は本当に古く、いにしえの平安時代までにさかのぼるそうです。平安の御代でも化粧は大人のあかしとされていたそうなのです。

「東京の空」相馬裕子

現在の高校生にこれらの理由を並べても納得するはずないのは、火を見るより明らかですよね。それじゃ「校則」でも持ち出しますか?

入学前から校則でキチンと「化粧禁止!」と謳(うた)ってあるのに、「入ってしまえばこっちのもの、こんな校則従えない!」~なんて憤(いきどお)るのは、「そっちのほうこそ許せん!」~なんてセリフ、キョービの高校生納得なんかしないのです。父兄も含めて・・・

それでは、どう生徒に化粧禁止の理由を説明していけばよいのでしょうか?

苦しい説明・・・と受け取られるかもしれませんが、あえて私は以下のように話してきました。一貫して・・・

「ダメなものは駄目、ルールはルール」

「ルールを守っている者がバカを見るクラスには絶対しない!」

「いまだけが、化粧しないでいられることが許される唯一のときなんだ・・・」

「社会に出たら、否が応でも化粧することになる。社会人は化粧する権利じゃなくって、義務でみんなやっているようなもの・・・」

「化粧は本当に肌の健康にとってはよくない。いまくらいゆっくりと肌を休ませてあげてほしい・・・」

下から3つなど、自分でもこじつけとは思ってはいましたが、これが私の精いっぱいでした。

最後の手段として使えるのは、頭髪指導時の殺し文句であった、「就職、進学時の面接でも茶髪金髪(化粧)で通すつもりか?」くらいなものでしょう。

※頭髪指導での私の指導歴は以下をご覧ください。

「あなたのすべて」詞:阿久悠 曲:和泉常寛 歌:桜田淳子

「ブラック校則?頭髪指導の難しさ~個々に響かなかった私の失敗例~信じて待つ」

「なぜ茶髪はダメなのか?頭髪指導ってなんでやるの?」

これからの化粧指導はどうあるべきか?

まずはじめに、下の生徒の切なる思いのたけを読み取ってください、感じてみてください。

切ないですね。最初から最後までしっかり丁寧な文字と構成から、まじめ、誠実な彼女の人柄がうかがえます。化粧をしない顔を人に見られることを「恐怖」という言葉を使って表現していることから、彼女の切実さがうかがい知れます。

私には彼女のこころが分かったつもりにしかなれませんが、ちょっと似たケースで思い当たるふしがあります。他のクラス生徒はありましたが、3つの顔を持った生徒がいたのでした。(これは笑い話なんかでは決してなく、まじめな話なのです。)

①盛りに盛ったてんてこ盛りのヤマンバスタイル化粧

②おとなしいメイク(といってもすっぴん時とこちらで同一人物だとは誰も気が付かないレベルの化粧)

③すっぴん

彼女の本当の顔、素顔である③のすっぴんは、そのクラス生徒のほとんど誰も知るものがいないのでした。素顔、素性はごく親しい友人にしか見せていないという噂でした。彼女の入学時までさかのぼってみれば素顔が見れる~と思いたって、いわゆる「生徒指導用アルバム」を引っ張り出してきました。

いざ、広げてみて愕然としました。全くの別人なのです。本当に見分けがつきません。とてもとても、同一人物だとは思えません。当時、化粧指導の壁にぶち当たっていたこともあり、気になって一年時の担任にそのことについて話を聞いてみると意外な事実が浮かび上がってきたのでした。

入学当初は肌にシミ、傷等があり、それらを隠すために化粧をやり始めたのだが、もともと顔全体にコンプレックスがあったために加速度的に化粧に没頭していくようになり、顔そのものを作り替えるようになり、終いには「3つの顔を持つ女」になった~という衝撃の事実が明るみになったのでした。

前置きがだいぶ長くなりましたが、生徒のなかには彼女のように、自分の顔コンプレックスを解消解決するための手段として化粧をする子供もいるのです。

だとしたら、上の彼女の「恐怖」というのも少しはわかるような気がするのです。そして何よりも切なかったのが、

学校の指導に納得がいかない

指導が公平さを欠く、差別(区別ではなく)がある

・・・といった箇所です。

これは、生徒側としてももちろん許せず、つらいことでしょうが、指導に当たる教師にとってもまた一番つらく切ないことなのです。面従腹背であっても、担任の指導にしたがってすっぴんでいるのに、他のクラス、学年での違反者が堂々とバッチリメイクでまかり通ってしまっている~

これでは生徒にしてみれば、憤りを越えてやるせない思いできっといっぱいでしょう。

つまり、全校挙げて(当たり前ですが)やる!となったら、校則でそうなっているのであるから、全教職員がその統一見解のもと、一斉に公平公正にことに当たるべきなのです。

たった一人の教員のひとクラスのぬけがけにより、どれだけ多くの子ども、教師のこころが傷つくことになるのか、抜け駆けを行う教員はぜんぜん分かっていないのです。自分のクラスの生徒だけに甘くすることが生徒指導でしょうか?生徒のためになるのでしょうか?

例え、教員の本心が「化粧OK!」であっても、全体の決まりを一人だけ守らずして教師と言えるのでしょうか?実は私も現役時代、この問題でだいぶ悩み、苦しみぬきました。クラスの子どもらが、きちんと曲がりなりにも学校ではすっぴんでい続けているのに、ほかのクラスでは学年では・・・と生徒、父兄を前にたいへんでした。

信頼関係ができていたから何とか彼女たちは声を大きくすることは決してありませんでしたが、内心くやしさでいっぱいだったことでしょう。

いずれにしても、指導するのであれば全校統一基準のもと公正公平に継続的に一貫して指導していくことが必要なことはいうまでもありません。

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家庭との連携は不可欠

また、当然ながらこういった化粧に係る指導は家庭との連携、協力なしには成し得ません。

学校で行っている化粧指導の内容、経過等を正確に継続的に父兄に説明しつづけなくてはいけません。と言いますのも、こちらの考え、想いが生徒というフィルターを通して家庭に届くと、必ずしも正確に伝わらないどころかまったく違ったものとして伝わってしまうことが往々にしてあるからなのです。

悪意があるなしにかかわらず、生徒は自分にとって都合のいいように家では話すものです。私の場合、家庭との意思疎通は当初、クラス通信を主にしていましたが、途中からクラス通信に加えて定期的な電話掛け、そしてクラス会に切り替えました。

特に同じ問題を抱えた生徒の父兄が集まるクラス会は効果がありました。特定の家庭を個々に呼び出すのではなく、グループとして集まってもらいいろいろ意見を出し合い、戦い合わせ情報交換をしていくのです。こういった過程で齟齬(そご)や誤解も自然に消えていったように思います。

今の時代、ただ単に「校則でそうなっているから~」では誰も納得などしてくれはしないのです。

恥ずかしいあざがあっても、教員なら化粧で隠せて、白髪染めもし、カツラも被れる・・・けど生徒は絶対ダメ!・・・むずかしい問題ではありますが、もっともっといろいろなことについてさまざまな人たちを交えて話をする場を設けるべきだと私は思います。

これからの化粧指導

先述のように、卒業後即就職する生徒も多くいる現状を踏まえた時、これからは高校でも化粧に対する指導・・・といいますか「化粧教育」が必要になってくるのではないかと私は思います。実際、私が公立を退職した後、一時期縁のあった私立女子校などでは、3学年に限ってですが卒業間際、就職進学問わず生徒一律に簡単なメイクも含めた社会人マナー指導を施していました。普通は外部の化粧品メーカーの人たちを招いてのケースが多いのでしょうが、この学校は女子教育にチカラを入れていたためか伝統的に女性教師が講師をつとめていたのでした。

私も実際に居合わせたのですが、化粧のマナー、メイクの実際、化粧品に対する正しい知識、化粧による肌へのダメージ、ケアの方法~など彼女たちのこれからの実生活に直結することばかりで、勉強になりました。こういった教育は高校で行う意味も大きいと思われます。いまや、卒業後進学するにしても化粧をしていない学生など探し出すのが困難なくらいな時代です。

校則で化粧を禁止する合理的な根拠は乏しく、子どもたちに明確な答えを提示できていない現実に学校サイドは目を背けるべきではありません。時代は流れ、絶えず変化しているのです。変えてはいけないもの、変わっていくべきもの、変えなければいけないものがあるはずです。

前近代的な大人の常識、価値をいつまでも引きずっていく保守的なやり方がいつまでも続くとは思いません。このやり方を続けていくのであれば、学校側の姿勢、考え方をつまびらかにすべきです。それができないでいるから、お互いストレスがたまっているのです。

高校卒業後、ほぼみなが化粧と向き合うことになる現実にいつまでも目を背けるのではなく、すっぴんからお化粧美人への橋渡しの役目が今、高校にも求められているのかもしれません。

とは言うものの、もはや高校にはそのような役割はまったく期待されてないのかもしれませんね。高校卒業後どころか、一昔前までは高校でメイク講座があったものでした。就職を控えた女子生徒のために化粧品会社、販売店の化粧のスペシャリストを招いてアイシャドウ、口紅の塗り方、まゆ毛の書き方などを学んでいた風景が思い出されます。

しかし、いまやワザワザこのようなスペシャルな場など設けずとも、SNSなどで動画付きでていねいに自分なりのメイクのやりかたを学べる時代・・・

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自分をキレイ&ステキに魅せたい欲求は大事なこと・・・でも・・・

「誰に見せるためでもない」

「おしゃれは自分のため」

こう言い切ったクラス女子がおりましたが、自分自身の身につけるものに関心を持つことは、いつまでも心身を若く保つためには大切なことです。特に異性の目を気にしなくなると、人間老け込むのが早くなるようです。

でも、いくら外見、見た目がキラキラピカピカであっても、中身がスカスカではガッカリゲンナリでもったいないですよね。高校生の年頃は外見を磨くのもいいかもしれませんが、自分とじっくりと向き合い、自分自身を高めていくことにも関心を持ってもらいたいものです。

化粧に夢中になるあまり、猫背でいつもブスッとしていて感じが悪い女性には、だれでも近寄りがたいような気がしませんか。

今回はちょっとディープに化粧指導について一緒に考えてきました。

私の個人的なスタンスとしては、一貫して化粧OK!です。害はないでしょう。人様に嫌悪感を抱かせるようなトンデモメイクを除いては。しかし、現状ではほとんどの高校がそれを許してはいないのです。一部の私学、定時制、通信制高校を除いては・・・

現役時代、当然、全体の指導方針、見解に従い、決してはずすことはありませんでした。いつの時代であっても、学校の子どもたちは全体で見ていくもののはずです。一人だけの抜け駆けなど許されるものではないのです。

反省文に出てきた生徒のような悲しい目にだけにはあってもらいたくはありません。やはりダメなものはダメなのですから。

最後にもし、生徒のみんなが読んでいたら聞いてください。

学校の決まりであっても、きまりはきまりです。現状に満足がいかないのであれば、自らが声を上げるしか方法はないのです。そこまでの覚悟があれば、行動に移すしかありません。無理とわかっていてもやるしかないのです。何でもものごとの最初は、はじめの一歩は誰かが始めています。他のだれかがやるのを待っているのではなく、あなたがやるのです。

正直なところ、たいへん難しいでしょう。でも、生徒の声に向き合う度量のあるきちんとした学校であれば、結果はどうであれあなた(がた)の意見に耳を傾けてくれるはずです。学校がどうして校則で化粧を禁止しているのかにもこたえてくれるでしょう。

何も行動に移さず、陰でコソコソ学校の悪口、SNSなどで教師に対して罵詈雑言を浴びせる~というのは私は好きじゃありません。何よりフェアじゃないですよね。

個人的な見解になりますが、そこまでこだわるのもまた自由ですが、それに費やす心労と時間を考えたら全くをもってペイはしないと思うのです。それだけの時間があったら他に、いましかできないこと、やるべきことがたくさんあると思うのです。

「負けるが勝ち」ということわざがありますが、私は「負けるが価値」と思うことにしています。意に反すること、思い通りにならないことは社会に出てもたくさんたくさんあります。自分の意志をまげても、時には従わなくてはならないことだらけです。

校則であなたのそれを許さないのであれば、それはそれで仕方のないこと、あなたがたが入学する前から決まっていたことなのですから。

何も学校はあなた、そしてみんなの敵なんかではないのです。

高校時代の思い出が教師や化粧指導に対する、恨みつらみだけ・・・なんてあまりにも切なく悲しいじゃありませんか?!

学校側の辛さ切なさやるせなさを今は理解はできないかもしれませんが、悩み苦しんでいる教師もいることを少しは分かってあげてください。あなたの学校にも、こんな思いを胸に秘めている先生がきっといることでしょう。

「化粧」詞曲:中島みゆき 歌:桜田淳子



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