何日か早く生まれてきて、一歳違うだけなのに、留年生は「先輩」「~さん」などと呼ばれ別格扱いです。クラスは彼らなりに気を遣っているのでしょうが、実はいちばんいろいろと気を遣ってたいへんなのは、留年生なのです。
前の学年からありがたく頂戴した「置き土産」、留年生を受け入れることになったクラス担任は彼ら、クラス全体をどのように指導していったらよいのでしょうか?
今回は、留年生の受け入れ方、学級担任としての指導の在り方についていっしょに考えていきましょう。
プライドを捨てられるか?がカギとなる!
学校にもよりますが、たいていは、原級留置処分の決定がなされたらほとんどの生徒が退学を選ぶことでしょう。
それほど彼らにとって、一コ(高校生はよくこういいますね)下の生徒と机を並べることは屈辱であり耐え難いことなのだそうです。彼らには彼らなりのプライドが当然あります。でも、この自尊心なるものをいつまでもひきずっていると進級、卒業が遠くなることを私は自分の担任歴から学びました。
一年時に原級留置となった男子生徒は、度重なるバイク指導で出席日数、および既定の授業時数が足らなかったことが留年の理由でした。彼は最初からクラスになじもうとは決してせず、孤高を貫き通しました。女子生徒からの受けは非常によく人気もあったのですが、男子生徒が他をまったく受け付けず去年と同じように学校から足が遠のいていったのでした。
何とかクラスに溶け込ませようと、さまざまなイベントや根回しにもトライしましたが、彼のプライドがそれを許しませんでした。
これは私の失敗例ですが、つまり、いかに彼らのプライドを尊重しつつも、クラスに早い段階でなじませるかがキーなのです。あえて学校に残ることを選んだのですから、学校に未練はあるのです。
そのためには、何もしないでクラスの雰囲気のおもむくままに任せるのではなく、担任だからこそできること、担任にしかできないことに注力していくのです。
計画的・意図的にクラスに馴染ませる担任ならではのプランニングが当時の私には欠けていたのだと思います。
はじめに、これからのスタンスを決めさせる!
「二学年で受け入れた今度の留年生だけは、何とか卒業までもっていきたい!」~そう思いを強くし、私はさまざまな方法に挑戦していく決意を固めました。
まず最初に取り組んだのは、これからのことについて本人、家庭とじっくり話し込んだことです。
①進級する意思の再確認
①昨年なぜ、留年になってしまったのか?
②今年、前と同じことにならないようにするためには、何が必要か?
③具体的に何をどのように実行していくか?
また、彼の場合、前年度原級留置となった原因は、連日深夜に及ぶバイトのため、朝起きられず遅刻が多く、必然的に午前中の授業の時数が足りないためでした。絶対進級するため、バイトを極力減らし、授業にだけは絶対出ることの再確認をさせました。
しかし、これだけではこれからの二年間という長いあいだ、彼の意思が続くとは思われなかったのです。そうなのです。彼もまたクラスの一員であるのです。
これから先、いかにクラスと付き合っていくか?~という彼と私の戦略とでもいうべきものが必要だと思ったのです。
このことについて彼と話し合ううち、
「自分は年上だけど、みんなと同じクラスメイトとして扱ってほしい(私もクラス全体としても)!」という意思が確認できましたので私は次の手に打って出たのでした。
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担任にしかできないことを
一つひとつやっていくだけ・・・
次の一手はやはり根回しです。
彼の情報を前担任から仕入れ、彼と性格が合いそうなグループ、子どもたちに積極的に声をかけていくように話していったのです。それ以外にも、クラス替えのあったばかりのクラスでしたので、顔合わせの意味も含めてさまざまなイベントも実施しました。
本当は部活動をやらせたくて、私が顧問をしていた運動部にも誘ったのでしたがこれはだめでした。自分は、卒業するのがいちばんの目的なので、部活、授業、バイトの3つは両立できないと~もっともらしい理由を付けられて却下されました。
そこで、彼にクラスの大事な役割を与えたのです。二年時のビッグイベント!と言えば修学旅行!行先も未だ決まってない段階で彼と数人の生徒を修学旅行に任命し、その準備に当たらせたのでした。
彼の場合、一コ上ではなく2歳お兄さんでした。なんと二年時3回目のツワモノで、そのうえ修学旅行は既に2回沖縄、広島と行っているのです。今回の行く先は長崎~北九州の旅と決定になり、平和学習のコンプリート!などと手放しで喜ぶようになるまでクラスに馴染んできたのです。
これは結果的に大当たりでした。男子二名、女子二名の計四名構成だったのですが、事前の場所選定のアンケートから、決まってからのリサーチ&計画、班決定から修学旅行のしおりづくりに至るまで、四人ではたから見ても仲睦まじくワイワイガヤガヤいつも楽しそうでした。
これに味を占めた彼は、クラス卒業文集の編集長まで買って出るくらいに成長していったのです。
彼がこれほどまでにクラスに早くから馴染んでいったのは、次のような要因からだと私なりに分析しました。
①プライドをかざさず、場合によっては相手を立てる度量を持ち合わせていた
②あまりでしゃばらず、かと言って引っ込み思案でもなく、ちょうどいい距離に彼がスタンスを取った
③クラス内で仲の良い友人、グループがすぐにできたが、分け隔てなく万遍なく付き合っていった
④スポーツがもともと得意であったので、早いうちに一目置かれるようになった
⑤いやな仕事、特に掃除を一生懸命やっていたのでみなの見本となった(これは私の戦略でした)
こんな感じで彼はクラスになくてはならない存在となり、男子からは「さん付け」、女子からは「くん付け」で呼ばれるアイドル的存在にまで上り詰めたのです。同級生男子を呼び捨てにしてしかり飛ばしている女子生徒も、彼を呼ぶときだけは、猫なで声になり「君付け」になるのですからなんとも不思議なものです。
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担任の関わり、相性もまた大切!
彼の場合は、自分から積極的にクラスとかかわっていこう!という強い意志が見て取れましたが、このようにうまくいくケースばかりでは当然ありません。
最後まで意固地になって、「自分は自分だけでやっていく!」と宣言する生徒も当然出てきます。当時の隣のクラスの留年生がそうでした。しかしそのようなケースでも、担任としてはその意思を尊重し、最後まで寄り添っていかなくてはいけません。
担任との相性というものも重要身を帯びてくるでしょう。こちらはいくらシャカリキになっても、肝心の留年生から嫌われて話もままならない状態であれば、卒業までの二人三脚も難しいものとなります。
受け入れることが決定事項であって覆すことができないのであれば、最後まで彼のために寄り添い尽くす努力は当たり前として、彼が少しでも心を開く教職員の援助を求めるなど担任としてできることはたくさんあります。
といっても、このようなケースは本当にむずかしいです。本人、家庭との根気強い対話が必要になってくるのですから。担任も相応の覚悟が必要です。中途半端な気持ちでの深入りはとても危険です。
繰り返しにはなりますが、最後に一つだけだいじなことを話します。これは生徒指導すべてに通じることですが、絶えずクラス全体、学年全体、学校全体を見渡したうえでの指導でなくてはならない・・・ということです。
確かに担任である先生、あなたのチカラによるべきところが大きい留年生の指導ですが、卒業までもっていくためにはさまざまな教職員の力添え、援助が不可欠です。つまり一人の生徒は教職員、学校全体で寄り添っていくべきなのです。「自分が自分は!」でグイグイ引っ張っていくのもいいですが、他の協力を仰がなくてはならない時、自分が一歩下がらなければならない時・・・きっとそんな時もあるはずなのです。生徒のためを思えばこそです。
そして、一人の生徒に夢中になるあまり、自分のクラスの他の生徒、教科担当クラス生徒、その他多くの子どもたちへの目配り心配りが疎かになってはいませんか?前に話したように私には苦い経験があります。
教師であるならば、全体を見渡す余裕もまた、持ち合わせなくてはいけない「チカラ」の一つだと私は思います。
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