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生徒を好きになってしまった!生徒と教師の愛はアリ?!~自制自律できない教員もどきは教壇を去るべき~

先日、「先生を好きになってしまったあなたへ伝えたいこと~元教師が語る想いの伝え方と注意点!教師と生徒、禁断の恋~」で教師と生徒の恋愛について私の体験から考察を試みたが、最近まさかの「逆アプローチ」、つまり教員が生徒を好きになってしまって、実際に告って処分される~というトンデモな事件?が発生。

それもくだんの教員は50代のそれなりに年齢を重ねたはずのいい大人。好きでもない(すきだったら好きでこれまた面倒なことにはなるのだが)教員にマジの告白されてゲンナリどころか、不登校気味になってしまった女子生徒の心中を察するとなんとも言えない気分になる。これは表向きはとてもレアなトンデモ珍件なのであろうが、実はおもてに出ない、出さないだけで悶々と悩んでいる教員もまた一定数存在するという現実は知っておくべきであろう。

実際、私の在職中にも同僚からこのような相談を受けたことがあったし、ユメザスにもこういった類の相談が複数寄せられている。(この相談者さんの事例は「教員のスクールセクハラが多いワケ」で詳しく話している。)

相談だけならまだしも、在職中に生徒に猛アタックし、彼女が卒業後結ばれたという校内カップルだって私のまわりにはいたのだから、この出来事がニュースになっても別に私は驚かなかった。それだけにこの種の問題は潜在的に事例が非常に多く、その根も深い。人間という動物の自然な欲求に根差しているのだから・・・

処分された先生には申し訳ないが、同情などしないし、前にも述べているように、正直私にはこいった人の気持ちはまったくを持ってわからない。しかし、この先生の予備軍が在職、入職予定を問わず多数存在する現実を前に、ユメザスとして素通りはできないとの思いから、今回はこの問題の「是非」ではなく、どうして「ダメ」なのか、そして「何が」いけないのかをいっしょに考えていきたい。




先生はなぜ?自分の気持ちをおさえられなかったのか?

考えていく前に、ことの詳細をおさらいしておきたい。

兵庫県立高校に勤める50代の男性教師が、女子生徒に好意を伝える手紙を授業で使う冊子にはさみ、生徒に渡したとして減給処分を受けました。兵庫県教育委員会によりますと、県立高校に勤める50代の男性教師は去年12月、女子生徒への好意を手紙に記し、授業で使う冊子にはさんで生徒の机に置きました。そして授業が始まる前に女子生徒を呼び止め、手紙を冊子に挟んだので、誰もいないところで読んでほしいと伝えたということです。手紙を読んだ女子生徒が保護者に報告し、保護者が担任の教師に連絡したことで発覚しました。女子生徒は手紙を読み、その一方的な内容に動揺し、去年12月からことし1月にかけて通常の3分の1程度しか登校することができなかったということです。教育委員会の聞き取りに対し、男性教師は「自分の気持ちを伝えたいという一心で手紙を渡した」と話しているということです。県教育委員会は22日、男性教師を1ヵ月の減給処分としました。

ABCニュース 2024年2月22日 配信より

百歩譲ってたとえそれが彼なりの誠の愛情であってたとしても、50にもなってそのような自分の感情をおさえきれず、相手に伝えてしまう~というアクションを実際に取ってしまうのはいかがなものだろうか?彼女の心持ちを考えるとこの処分が妥当かどうかはさておき、実際処分されていることであるからして、教師としても教員としても「不適格」という判断であろう。

なぜにこれを受け取ったものの気持ちを考えられないのか?~という問題はちょっとナンセンスかもしれない。自分の気持ちを抑えようとか、ここはまず、自己を鳥瞰俯瞰してみよう~などという気持ちになる余裕などまったくなかったのだと私は思う。

私なりにこの教員の身になってみて、ほとんどない想像力をたくましくしてみた。結果、私の見立てとして以下の2つのどちらかの境地だったのではなかろうか?と思うのだが、いかがだろうか?いずれにしても考えていて恥ずかしいやら情けないやら変な気分になってきた。

➀ 自分の気持ちを抑えきれず玉砕覚悟でアタック

好きで好きで大好きでどうしようもなくなると、まわりがまったく見えなくなることはよくあること(私の場合、若い時)。ダメかもしれないけど、とにもかくにも自分のこの切ない気持ちをわかってほしい、これだけ好きなんだ・・・とさらけ出し、吐き出したい~このような気持ちからこの先生は実力行使に出たのではないか。

② 脈アリかも?という、もしかマサカを期待して賭けに出た

これは説明不要かもしれないが、勘違いしてしまう先生って結構多いかもしれない。事実、生徒の思わせぶりな態度に本人もその気になり舞い上がり→告白→玉砕~という末路をたどった同僚がかつていたから、あながちレアなことではないのかもしれない。

お花畑先生の処分は妥当か?

実際、先生が述べているように「伝えたい一心」だったのであろう。「一心」という言葉を発しているように、他のことに考えがおよなないような状態になっていたと思う。しかし、全体を見渡せなくなったら教師、いや教員としても終わりだろう。厳しい言い方かもしれないが、即、教壇を去るべき。なぜなら、一教師が相手にしているのは、たった一人の彼女だけではないはず。彼女もまた彼の大切な教え子の一人にすぎないのである。どこかの塾のような完全個別指導なんかではないのである。土台、教育公務員は全体の奉仕者と位置付けられている事実を踏まえると不適格もいいところで、よくこれで減給処分だけで済んだものだと思う。

教職員の懲戒規定は各自治体により異なるので一概には言えないが、最近の世相を鑑みて子どもへの性的なハラスメントに対しては厳罰主義で臨んでいるのが実情。ちなみに兵庫県のケースを調べてみたものを以下に一部抜粋しておく。

兵庫県教育委員会 懲戒処分の指針

2 児童生徒性暴力等関係

(1) わいせつ行為等
ア 児童生徒等(学校に在籍する児童若しくは生徒(以下「児童生徒」という。)又は 18 歳未
満の者(児童生徒を除く。)をいう。以下同じ。)に対し、わいせつな行為をした職員は、免
職とする。
イ 児童生徒等に対し、身体的接触を行った職員は、免職、停職又は減給とする。
ウ 児童生徒等に対し、わいせつな言辞等の性的な言動を行った職員は、減給又は戒告とする。

恐らく、身体的接触があったわけではないし、苦し紛れに「ウ」をあてはめ、処分といったところなのであろうが、学校へ通えなくなるほどの恐怖を感じた彼女の心的ダメージを考えると、私にはこれが妥当だとはとても思えない。

正直、この先生はかなり危ない危険因子を抱え込んでいるのではないか?他の記事でも何度も訴えているように、任命権者(県教育委員会)は、こういった人たちは教職から遠ざけてほしいと切に願う。それができない相談なのはわかっているので、せめて本人御自ら職を辞し、児童生徒とはまったく接触の可能性のない職に就いてもらいたい。



彼女の気持ちを考えると・・・

そうは言っても実際問題として、彼が職を辞する可能性はあまり期待できないと思う。しかし、どの面下げて明日から学校に行くのであろうか? このメルヒェン先生がかなりの鋼の心臓をお持ちでない限り、学校が彼にとっては修羅場になりそうではあるが、本当に心配しなければならない問題は彼女の心のケアである。

事件の概要では、教科担任としての接点しか浮かび上がっては来ないが、せめて彼を彼女の視界から遠ざけるための努力を学校としてせいいっぱいやってあげてほしい。それが学校としてできるせめてもの償いであろう。それでなくとも、教職員は担任であるなしに関係なく児童生徒の個人情報を容易く入手できる立場にある。彼のメンタルを考えると実に心配。女子生徒の心身の安全を保障するのがまずは、急務なのは間違いない。

少しこの問題を全体的に考えてみて欲しい。自分より40も年の離れたオッサン教員から「一方的に」告白された彼女の気持ちを。下手したら彼女のおじいさんに近い年齢であろう。このような分別もありそうな年齢の、それも信頼されるべき自校の教員から・・・私だったら恐怖である。

何が「恐怖」かというと、これまた彼女の身になってみて、私の貧弱な想像力をたくましくしてみた。

「私の教科の先生が、私を「異性」、それも「女」としてみていた・・・」

「気持ち悪い! 怖い! どうしよう!? 毎回授業あるのに・・・」

生徒にとって教員は教師という大人であり、異性として意識するなんてことは普通はない。相手が自分のことを異性としてみてるなんて普通は思いもしないだろう。教師はある意味、信頼されている立場・・・その信頼を見事に裏切ったのである。

この先生が「誰もいないところで読んでほしいと伝えた」にもかかわらず、彼女は完無視で保護者に告げ、そこから担任~という経路で明るみになったことからも、彼女の恐怖が伝わってくるではないか。彼女にちょっとでもこの先生のことを思う気持ちや信頼関係があれば、ダイレクトにこの先生に「ごめんなさい。お気持ちはうれしいですけど、先生の気持ちには応えられません。やっぱり同年代の彼氏がいいです」などとサラッとかわすような気がする。

彼女にそのような気持ちがこれっぽっちもないのに、自分本位、自分勝手な一方的な気持ちから彼女に気持ちをぶつけたこの先生は、本当にしくじり先生もいいとこであろう。




SNSなどの反応はどうだった?

SNSではだいたいの予想通り、「気持ち悪い」「処分が軽すぎる」というものが大部分を占めていたが、なかにはこの先生を擁護する意見も少なくなかった。さまざまな考えがあって当然なのだが、そう考えても看過できないものを2つ以下に並べてみた。みなさんはどう思うであろうか?

➀ 直接、手を出したわけでもないのでまだかわいいほう。

ジカに手を出した(身体的接触があった)わけではないから、余計にやっかい。と私は思う。ストレートな行動に出てしまえば、先に見たように懲戒処分に当てはめて規定通りに処分は可能。しかし、直接、手を出したわけではないので懲戒規定に当てはめようにも当然、いちばん軽いものとなってしまう。よって停職にもならず、そのまま当該校に勤務が可能。モラル上ではなく法的には彼は大手を振って勤務できるのである。

そして、何より手を出したわけではないのだから傷つかない~ということにはまったくを持ってならない。実際、この子どもは学校に来れない日が続いていたではないか?彼女の教育を受ける権利を侵害したばかりではなく、彼女の心に癒えない傷跡を残してしまったことは明白であろう。

② 個人間のことであるのに、なんでもかんでも学校は介入しすぎ。こんなことやって教員の仕事ふやすから、誰も教員になりたがらないんだよ。

「これまたとんちんかんなご意見ですね」で済まされないとても危険な考え。問題のすり替えもいいところ。この問題は公教育の場である「学校」で起きたもの。しかも当該者2名は生徒と教員、つまり教え子と教科担当というあいだがら。なぜにこれが個人間のことで済まされなければならないのか。

学校という場所は、色ボケ教員が恋愛相手、結婚相手を見つけようとアプローチする場なんかでは断じてない~と、なぜ思えないのであろうか。実際、先に述べたように結婚相手を探しに学校に入職(奉職ではない)しようとする輩が跋扈する現代に置いて、このような人たちを水際で食い止めるのはもはや不可能であろう。(みな教師になりたがならないから、教師の質の低下を招き、結果としてこのような危ない人たちが紛れ込んでしまうという負の連鎖になっているのであろう)

それじゃ、いったいお前はどうなんだよ?!
と問われたら・・・

私のスタンスは先に紹介した「先生を好きになってしまったあなたへ伝えたいこと~元教師が語る想いの伝え方と注意点!教師と生徒、禁断の恋~」でもくわしく話しているように、生徒に恋愛感情を抱くのはあり得ない~の一言で終わり。

仮に百歩譲って、そのような気持ちをいだいてしまったとしても必死に抑え込もうとするに違いない。「いや、そうなったら人間の感情なんてわらないものだよ」などと言う人がいるかもしれないが、ほぼ(人間100パーはあり得ないので)抑えられる自信はある。実際、私が告白された時であってもみじんも自分の柱はブレることなどなかった。

人を好きになる感情というものは本当にステキなものであるとは思うが、生徒に限ってはそのような目で見たことはおろか、そのような感情が沸き起こったことさえただの一度もなかった。これまた「いや、そりゃウソだろう?」と勘繰る向きも当然あろうが、本当のことであるから仕方ない。ウソ言っても仕方ないし、信じられないならそれはそれで私にはどうしようもないので気にしない。

土台、早朝から深夜まで学校で過ごして、ロクに休みなど取れず、どこにそんな暇と体力気力あるんだよ~というレベルの仕事量だったのである。それで身体壊して学校辞めた私としては、そのような感情が沸き上がるご身分はうらやましいの一言。恋愛(それも中高年になってからの)ってとにかくエネルギーを必要とするものだから。それこそ、この先生の場合はこれほどまでに思い詰めてしまうほどの熱量だったのだから、仕事などまったく手につかなかったであろう。

授業やホームルームの準備に時間かけて、子どもたちからどんな反応かえってくるかな?!~というドキドキワクワク感はわかるが、大好きなあの子に今日も会えるな、徹夜でラブレター書き上げました。今日こそ渡すぞ~などというトキメキはイヤ、正直味わいたくもない。まったくを持って理解不能。教員には職務に専念する義務というものがあるはずなのに恋(というか病気に近いとさえ思う)ってほんとうに怖い。大のオトナをこれほどまでに狂わせるのだから・・・

高校生くらいにの子どもたちは、自我であったり人格というものが形成される途上であり、どことなくはかなげ危なげであり心情も非常に揺れ動く多感な時期である。こういった人たちと等身大の恋愛をしてみたいとは普通は思わない。(私も高校生のころは、それは素敵な先輩に憧れたり、同級生と付き合ったりとかは人並みにあった。しかし、それはあくまでも高校生同士のあこがれだったり恋愛だった)教師であるならば、いくら傍目からみてステキな生徒がいたって、その生徒に向けられる好意というものは「愛してます」とかそういった類のものではなく、父性母性などのようなものから湧き上がるいつくしみのようなあたたかな感情ではないのだろうか?




まとめ、何がいちばん問題なのか?

生徒が教師を好きになってしまって、その一途な思いが卒業後成就した~というパターンは実際、結構ある。結婚にまで至ったパターンはおおかたこれである。中には在学中ひそかに付き合っていた~なんて「カップル」も含まれていて悩ましい限りであるが、純愛を貫き通したという点では理解もできる。

しかし、逆に教師が生徒をずっとずっと好きで、卒業後解禁~というのはいかがだろうか?子どもからの場合はその幼さもからくる純愛もまた可愛げもあるが、大人の場合そうはいかない。土台、在学中、卒業後うんぬんの問題ではない。問題のすり替えもいいところである。

学校で教育者として子供たちと向き合っている立場上、児童生徒にそのような眼差しを向けることは一切合切許されないということなのである。これは親の視線視点に立ってみるとよくわかる。自分の子どもをそのような感情で見る教員のいる学校に我が子を預けたいという親は果たしているのであろうか?私だったらゼッタイにイヤだ。

先述の「教員のスクールセクハラが多いワケ」でもくわしく話しているが、いちばんの問題はこういった種類の人間が、己が欲望を満たすために学校という職場を選んでいるという紛れもない現実である。これは現場を経験した者であれば、みなそれなりに知っていることである。

犯罪になるようなコトには決して踏み込まず、おのれの頭、こころの中でそのおぞましき欲望を抱え込んでいる教員もどきが、あなたの学校にも一人や二人潜んでいるかもしれない。怖すぎる・・・

つい先日、子どもと接する仕事に就く人の性犯罪歴を確認する制度「日本版DBS」を導入する法案を、政府が19日朝の閣議で決定した。「こどもの性暴力防止法案」は、学校や保育所のほか、国の認定を受けた、学習塾などの民間事業者に、性犯罪歴の確認を義務づけることが柱となっているが、あくまでもこれは「犯罪歴」という過去がある人のみ。

問題はこころの中に闇を抱えた人たち、いくらこのような法案が通って法律というカタチになっても、誰も他人の心の中までは覗けないし、ただ思っているだけでは法は介入などできやしない。個人の思想の自由は憲法が保障しているのだから。



このような人種の入職を採用前にストップをかけられないという大きな壁が相も変わらず立ちはだかっているのである。なげかわしいのは、教員と生徒の恋愛をむしろ奨励しているサイトさえあるという信じられない現実である。そのサイトの一つがコレ。↓

生徒に恋した先生へ!教師と生徒の恋愛を成就させる方法を元教員が解説

 

こういったたぐいのブログ、サイトが一つ二つどころでないのである。非常に罪作りなことである。このサイト主は教育困難校で非常勤7年のご経験ということらしいが、非常勤はあくまでも授業のみの担当のいわゆるお客様。やはり学校全体を見渡せるポジションに就いたことがないとこのような無責任なことが書けてしまうのだ~とあらためて勉強になった次第。

もちろん、さまざまな考えが許されるべきであってこの方の意見も自分の胸の内に秘めておくのであれば尊重もできるが、不特定多数の方が目にするネット上で、むしろ教師の対生徒恋愛をあおるような内容をたれ流す行為はいかがなものであろうか?

教師と生徒の恋を成就させる方法は下記の2ステップです。

  1. 教師と生徒としての信頼関係を築く。
  2. 生徒の卒業後(在籍期間が終わったら)告白する。

もし恋した相手が中学生だった場合は、高校を卒業するまで告白するのを待ちましょう。

~このような感じ・・・

むろん、在学中はさまざまな法規制があり、おたがいにたいへんなことになることは触れてはいるが、これでは「法に引っかかるからやめましょう、なので卒業後にしましょうね」というスタンスで法規制がなかったら、この方の場合、即OK!になるということなのだろう。

繰り返しなってしまうが、在学中バツ、卒業後〇~云々などの問題ではないのである。児童生徒に対してそのような感情を抱いて、それを成就させようという欲望こそが非難されるものであるということを最後にもう一度強調しておきたい。好きになった人は「特別な人」のはずであり、教壇に立つ限りお気に入りの生徒などこさえてはいけない。

おまけに、「匿名で恋愛相談ができるところ」とか「教員におすすめのマッチングアプリ」などをご丁寧に紹介までしている始末。アフィリエイト目的かどうかよくわからないが、本当に無責任にも程がある~である。

今回問題になってしまった先生のコトの次第は、父兄→担任→管理職~というルートで明るみに出てしまった。やはり私だって自分のクラスの子どもが、同僚教員にそのような目で見られ続けていたと知った日には居ても立っても居られない。この担任教師の気持ちが痛いほどわかる。

これやったら、こうなる、自分がほかにどう見られれているなどのような想像力の欠如のなせる業と断じてしまえば身もふたもないが、それが恋の怖さであり「盲目」と言われるゆえんでもある。

そういった感情も含めて人間といういきものは「かわいい」ものなのかもしれないが、この先生の行く末を考えると何とも言えない気持ちになったりもする。人によって、物事の考え方、とらえ方はさまざまでそれぞれに尊重されるべきではあるが、この問題に限ってはやはりダメなものはダメと断ずることができよう。

なかには、そのような感情を持たないように普段から自制していても、やっぱり人間だもの、子どものことを好きなってしまった先生もたくさんいるであろう。これは人間の自然の感情でどうしようもないもの。それを必死に抑え込んでいる先生もまたいるということは最後に協調しておきたい。これが大人というものであり、師とも呼べる人間であると私は思う。

関 連 記 事

※ 「生徒と教師の適切な距離って?~異性児童生徒への身体的接触のあるパターン~セクハラで泣かないための自衛手段







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