教育・教師 生徒指導/教育技術

なぜ手が先に出てしまうのか?なぜ暴力はいけないのか?~暴力に頼らざるを得ない悲しい教員~

投稿日:2017年11月17日 更新日:

結論から言います。教師に暴力が許されるのは、児童生徒の心身に危険が及んだ時、暴力によらなければその危険が避けられない時のみです。心身の「心」としたのは、最近は人間の尊厳を著しく貶める「言葉の暴力」もあるからなのです。ケースにもよりますが、暴力に頼らずとも、このような時は教師は毅然とした態度で子供と相対しなければなりません。

このような緊急時以外は、暴力は決して許されるものではないのです。と言いますのも、暴力では何も解決しないどころか、カラダよりも子供の「心」に深いダメージを与えてしまうからなのです。心の傷は一生癒えることはありません。

百歩譲って、緊急時以外暴力が許されるケースは、教師と生徒間で深い信頼関係で結ばれている時だけでしょう。こういった関係であれば暴力も教育的指導として成り立つのかもしれません。

私が受けた暴力~忘れたいのに忘れられない~

そもそも、教師が生徒、児童に暴力を振るった時点で「教師」ではなく、「教員」になり下がるのです。暴力を受けたこどもは「教員」とも思いたくないことでしょう。私も中学校時代に担任教員の暴力に人知れず傷つきました。悔しかった、何もできない自分が情けなかった・・・

とにかく自分の機嫌、気分次第で手当たり生徒を殴る、蹴る、傷つける~何でもありの人でした。清掃中、いきなり自分の前に立ちはだかったと思ったら、いきなり「立て!」と言われて太ももを蹴られ、それだけでおさまらなかったのか横っ面を張られた。痛さよりも、ワケの分からなさよりもなぜか惨めで情けない気分になった。

その時は動転していて、何もできませんでしたが、翌日職員室を訪ねその理由を聞こうとしました。「理由など知らんでいい!」さらに尋ねると、「理由などあとから付け加えてやる!そうだな掃除のやり方が気に食わなかったかな・・・」こういう人だったのです。いまでも、彼の発言の一字一句覚えているのです。こういう人だけにはなりたくないと思いました。

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今日もどこかで、だれかが・・・

特別支援学級教師逮捕、児童殴られあご骨折

同志社大4年生、塾の生徒に暴行 私語に怒って顔面殴打、逮捕

心が痛みます・・・どころか空恐ろしい気さえしてくるのです。

いずれも、最近の教える立場のものが起こした暴力事件です。暴力は当たり前ですが、「体罰」さえも教師には禁じられているのに、こうしている間にも「暴力」によって心身をズタズタにされながらも、ひとり悲しみに打ちひしがれているこどもがたくさんいるのです。「事件」であるのに、表に出てこないのです。

そもそも、10歳のこどもに厳つい風体の54歳にもなったおっさん教員が、力まかせに顔面殴打し、顎を骨折させるって・・・二の句が継げない・・・ 私が学校に勤務していた時のことを思いだしてみました。

私の経験校はいわゆる「指導困難校」とされている、入学時の学力が低く、基本的な生活習慣が身についていない生徒が多い学校がほとんどでした。こどもはやんちゃでワルな面もありましたが、純朴でかわいい生徒たちでした。愛情表現であたま、肩などを「パシッ」とはたくことなどはありましたが、その程度です。

しかし、「こちらも本気である!」「ここで譲ったら、こどもが駄目になる!」~と強い態度で生徒と対峙しなくてはいけないケースも当然ありました。ここでどう生徒に対処するのが教師の面白さであり、難しさでもあるのでしょう。

生徒は、やり方はともかく愛情を持って叱ってくれる本気の教師と、そうではない教員とを敏感に嗅ぎわける独特の嗅覚を持っています。これは頭で分かるのではなく、からだで感じるのでしょう。

生徒のことを思い「叱る」ことと、自分の抑えられない感情にまかせて「怒る」ことは全く異なります。ハッキリ区別させておく必要があります。


私の場合、ここでは絶対厳しい指導が必要!と確信した場合は恫喝とまではいきませんが、生徒が震えがる程の気迫を見せたらしいです。勿論、本気の本気のときもありますが、教師は本心とは異なる自分を演じなければならないときもあるのです。

生徒にはマジギレのように映っていたようですが、至って冷静に激昂した自分を演じていたのです。感情に任せて怒るまくるのではなく、自演していればその先の「落としどころ」が当然見えてくるものなのです。

教師が自己の感情に任せて、言葉を発し、暴力を振るうなど私には考えられません。子どものためを思って殴った~というのは詭弁にすぎないのです。

教師が教師たる所以は「師」であるからなのです。範を垂れる人が、自分をわかっていない、抑えられない人であるはずがないですよね。

私は、自己の感情が抑えられなくなるようなケースの場合には目を閉じ、心の中で「10まで」数えながら家族のことを思い出すことにしています。

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生徒がいきなり、教室の側面のロッカーを崩し始め、周りの生徒が囃したてたケース

授業中、突然何を思ったのか、ある男子生徒が何段にも重なっているロッカーを崩し始めました。他の生徒に危害が及ぶ恐れがあったため、その男子生徒に飛びかかり、ずっと抱きついた感じで彼の行動を抑え込みました。しかし、それも長く続かず、おさえきれずにしばらくして私がはじき飛ばされてしまいました。なぜか、彼はびっくりして恥ずかしそうな顔をしていたのが今でも忘れることができません。

あとから聞いた話では、授業開きの授業でお互い初対面だったので「どんな感じかためしてみよう!」みたいなノリだったということ・・・私に非があるのならともかく、高等学校であれば器物破損、対教師暴力、授業妨害で自宅、学校謹慎2~3週間のところでしょう。指導歴があれば「進退」にもかかわる事案だと思われます。

しかし、私は即、お決まりの「指導」を受けさせるのではなく彼とこれから付き合っていきたいと思ったため、放課後職員室ではなく、彼と2人切りで話ができる別室に来ることを提案したのです。彼は「ぜってぇ~いかねぇ!」などと皆の前では粋がっていました。そして放課後・・・

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彼を待つこと15分・・・来ないと半ばあきらめかけてきた時、来たのです彼が来たのです!これ以降のストーリーはいろいろありすぎて長くなりますのでここ辺りにします。もちろん、私ひとりで抱え込むことはせず、担任その他への報告をし、公の指導にこそ入りませんでしたが、彼にキッチリと担任同意のもと指導もしました。

このように、私がかかわってきた男子生徒はたいてい、私よりも背丈が高く、目方も重く厳つい生徒ばかりです。このような自分より体格が勝る生徒に対して、サシで勝負を挑むのであれば百歩譲って理解もできますが、抵抗すらできない特別支援の小学生に対しての暴力など信じられません。

今回、暴力の被害に遭った児童は10歳なのです。本来なら保護、守られるべき年端もいかない児童が54歳巨漢のおっさんに骨折させられた時の恐怖は筆舌に尽くしがたいです。教師にはまず、自分を制御、律することのできる人になってもらいたいと強く願います。自分をコントロールできずして、人様から預かっているこどもを指導などきるはずもないでしょう。

暴力は こころとからだに 傷負わす・・・

 

 

 

 

 

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