自分と向き合う

若者こそ断捨離そして終活・生前整理を~モノ・しがらみのスリム化はあなたに何をもたらすか?~





「あなたの人生において残された時間、日数は何日ですか?」 この問いに「残りあと6,216日です。」~などと即答できた人は私の今回の話はスルーしてください。それこそ、残された時間がもったいないですから。

因みにこの「6,216日」は私の今日の段階での残された日数です。もちろん持ち日数はカウントダウンですから、明日は「6,215日」となります。生きてられる日数がどんどん減っていくんですね。(前は「生存日数」と呼んでました。)私の場合、これまでの悪行?!と不摂生もあり、あまり長生きはできないだろうと確信しています。

この予想をもとに親族の寿命などのもろもろを加味し、まず自分が死ぬ年齢、時期を設定して、そこから「持ち日数」を逆算していったのです。

今を生きる若い人は、自分が死ぬことなんて考えられない、考えたこともない・・・という人がほとんどでしょう。それが普通でしょう。私も若い時分はそうでした。

でも、まだ人生の時間がたくさん残されているいまのうちに、自分の死と向き合うということは、これからの残された時間を愛おしみ、そして何より今をより良く生きることにつながると私は信じます。

そこで今回は特に若い人たちのために、「モノ&しがらみ」のスリム化のすすめと、それがもたらす変化について話していきます。まずは、手軽・気軽に始められる「断捨離」をステップとして、自分を深く見つめる「終活」、さらに一歩進んで「生前整理」(誰にとってもちっとも早くなんかないんです、実は・・・)までいっしょに考えていきましょう。

断捨離の前に、断捨離より大切なこと・・・

前に「しあわせ基準!死ぬときに後悔しない人生~今日もまた一歩、死へと近づく!~」で、しあわせの基準は自分の心のなかにあるものであって、

「外」には無いこと、そして「いま現在」にフォーカスすることの大切さについて話しました。

しかし、ここでの一番大事なテーマは実は「自分のテーマの断捨離」だったのです。つまり「やるべきことと、やらないことをハッキリさせる!」ということなのです。モノとしがらみ人間関係をスッキリさせる前に、自分の人生というステージのテーマがあれもこれも~では何でもつまみ食いしただけで終わっちゃうこと必至でしょう。

一生をず~っと自分探しで終えるのも、自分がそれでしあわせならそれもまた一つの道ですが、生きた証を残してこそ、人さま・世の中に尽くしてこそ人の生きがいなのではないでしょうか?

何かを成すには、私たちの人生というのはあまりにも短すぎます。自分の人生ですから当然、どう生きようと勝手です。人生、おかしく楽しく面白く~もいいのでしょうが、やり尽くす、人生を生き抜く、駆け抜けるためには人と同じことをやっていては到底その域には到達しないことでしょう。

ですから、自分はどうこれから残された時間、人生を生きていくのか~この人生の柱となるものをまずは決めなくてはいけないのです。そうすると、おのずから「やることとやらないこと」がハッキリしてくるのです。

因みに私は、自分の専門の商業科と英語の学習をやめました。商業科のスキル維持・アップは、自分がリタイアした時に、講師職でもう一度現場に戻る日もあろうかと思い、続けていたのですが、残された時間を考えるととてもとても・・・私のキャパシティを考えたらこうなるわけなのです。英語にしたって、せいぜい海外旅行に行く程度では何のための学習なのか分かりませんよね。私の場合・・・

テーマのスリム化により、より今、やるべきこと注力できるようになるのです。

Sponsored Link

内なる充足・満足を生む断捨離のススメ

突然ですが、私たちはなぜ「モノ」に執着するでしょうか?そしてどうして、欲望というのもはきりがないものなのでしょうか?

この問いに関する答えはカンタンなことなのです。人がモノを欲しい!所有したい!と思うのは「人に良く見られたいから」、つまり「見栄」からくるものなのです。こんなかんたんなことに私は最近になって気が付きました。

前にも話した自動車で大ケガをしたことがきっかけでした。自分の「死」というものがより身近に感じられた貴重な経験でした。

結局人間みな死ぬわけなんです。死んであの世に持っていけるモノなんて何もないのです。これまで私が追い求めていたモノのすべてが急に妙にむなしく、どうでもいいモノに思えてきたのですから不思議です。

クルマの複数所有、時計、コレクションアイテム、携帯電話の良番(例えば090-9999-9999などのようにインパクトのあるキリ番、ゾロ目などのことを言います。)、服・・・本以外のモノはすべてカッコ付けのためだと気づいたのです。誰も自分のことなんか気に掛けてなんかいないのに自意識過剰もいいとこでした。

本来、生活必需品以外のモノは私たちの生活をよりよくするモノであるべきではないでしょうか?それが、過去の私の場合、自分の生活を圧迫し窒息させるモノとなっていたのですから、今考えるとお笑いモノです。

そうなのです。本当の意味でのこころの充足というものは、私たちの「外」の世界にあるのではなく、自分の「こころの中」にあるのです。最近の世の中の流れが「モノ」から「コト」にシフトしているのも分かるような気がしますね。

モノの断捨離の前の注意点!

「断捨離」とは、

①これから入ってくる自分にとって本当は必要のないモノを「断つ」

②今持っているモノでいらないモノを「捨てる」

③モノへの執着から距離を置く「離れる」

~と「3つ」の自分のなかでの決心のことです。

断捨離というと、②の「捨てる」ことばかりに目が行き、誘惑、執着を断ち切っていく①、③は疎かにされがちです。しかし、「捨てる」以上にこれらが実はとても大事なことなのです。

だって、どんどん捨てていってせっかくスッキリしてきたのに、再びドンドンモノをため込んではまた同じことの繰り返しですものね。

そうならないためにもまず、これからの自分にとって必要なモノは何か一度じっくり考えてみることをおすすめします。そして、それらが見栄を張るためであったり、カッコつけのためであった場合にはキッパリとその買いたい衝動を断つのです。

いちばん効果的な方法は、自分をそういった衝動に駆り立てる媒体(広告、ネット、TV、スマホなどなど)から距離を置くことです。

そして、モノを買いそうになるたび、「これは自分にとって本当に必要なモノか?」と自問自答するのです。あなたのまわりにあふれていませんか?買っただけで一度しか袖を通していない服、履いていない靴、積読で山になっている夥(おびただ)しい数の本・・・

もし本当に買うのであれば、そのモノと添い遂げる(ちょっと大げさですか)つもりで買わなくてはなりません。これは昔の私の反省でたどり着いた考えなのです。つまり買ったモノは自分で責任を持って使い倒し愛用せよ!ということなのです。

資本主義の世の中、消費消費~で循環させていかなければ経済が立ち行かなくなることは目に見えてはいますが、モノを厳選していく消費者サイドのたしかな選択眼を持つということは、ひいては「売れるモノ、ウケるモノ」を作ればいいという企業のスタンスを、「確かなモノ、ホンモノ、イイモノ」を作らねば~という行動への変革につながるのです。

どうでしょう?これから買い物をするとき、衝動買いするその前にちょっと立ち止まって考えてみませんか?ほんのちょっとのあなたの行動の変化がさざ波となり、やがてあなたに大きな変化をもたらすようになるかもしれません。

それでもまだ「モノ」に対する執着、こだわりがなかなか頭から離れない人は、コレをどうぞ
「足るを知る」中野孝次著~自分を知り自分を見つめる~♪「知りたくないの」ちあきなおみ

Sponsored Link

モノの断捨離のコツ

実際にモノの断捨離を実行に移す前に、すべての人に断捨離がいい!という訳ではないことを断っておきます。作家の五木寛之さんはモノへの執着がすごく、できるだけ自分のモノを取っておきたい人なのだそうです。

特に想い出の品、記念品などはまず捨てられないそう。氏によると、そのモノを見るたび思い出がよみがえり、ボケ防止にも役立っているとのこと。そうやって昔に想いを馳せる時間がしあわせなんですね。

当たり前のことですが人それぞれでいいのです。断捨離の基準も、しあわせ基準も。つまり、自分の価値基準で「捨てる」「残す」を決めていけばいいだけの話なのです。いまをよりよく生きるための断捨離なのですから。

それでは実際にモノの整理をやる前に、知っておいたほうがいいコツを何点か挙げておきます。

①やりすぎに注意!

実際にやってみるとスグわかることですが、モノを捨ててすべてがきれいサッパリになり身軽になるということは、ある種の快感を伴い病みつきになります。だからと言って、よく考えもしないでバッサバッサどんどんゴミ箱へ投げ捨てるのは考え物です。

自分にとって本当に必要なモノ、これから必要になってくるモノは残すべきです。本などは仮に一度捨ててしまっても、後から必要な時には買うことができるでしょうが、コピーのとっていない大事な書類、再発行ができないものなどは安易に捨ててしまうのは厳禁です。よく考えてからにすべきです。

そうならないためにも、次の方法がおすすめです。

②断捨離にかける時間は一日30分×30回がイイ!!

取り掛かるとまず、失敗します。これは私が経験済みです。なぜかというと、①にも関係してくるのですが、捨てる・片付ける行為は快感を伴うのでバッチバッチどんどん捨ててしまうことにもつながってしまうからなのです。そして、一日たっぷりと時間があるため、想いでの品との感傷にもどっぷりと浸ってしまうことにもなりかねません。

一日に限られた時間で取り組むからこそ集中でき、落ち着いてたしかな判断でモノと向き合うことができるのです。何より時間をかけて取り組むと最後のほうはもう疲れてきて、正常な判断で取り組むことなんかできません。

私は毎日、自分の仕事に取り掛かる前に、20分の整理整頓と掃除を必ず行っています。こうすることによって、いまあるモノの再確認ができ、おまけに書斎、仕事部屋とすべてがキレイになり、フレッシュな気持ちで仕事のスタートを切ることができるのです。

このことは仕事自体の能率を高めるためにもとても有効です。どこに何があるかを常に把握し、必要な時にスグにそれを取り出せるということは能率の面からだけでなく、気持ちまでもスッキリさせる効果があるのです。そして、新しいモノ(特にいらないモノ)が入ってくるのを抑止できるというおまけの効用もあり、断捨離が終わったあとのとっておきの方法としてみなさんにもおすすめです。

③デジタル断捨離のススメ

モノ、書類をデータとして残すというのも一つの方法です。場所は一切取らず、必要な時にスグに取り出せるのも魅力ですね。以下が私が取り組んだデジタル作戦です。

★CDはすべて i-Tune に取り込む

★カセット、LPの類はすべてデジタル化

★原本保存が必要な書類以外はすべてスキャナでスキャンして保存

★本もすべて自炊できればよかったのですが断念(数が多すぎて)(ほとんどを廃棄、必要な時には買いなおします。)

★デジカメ登場前の膨大なフィルム→フィルムスキャナーですべてデジタル保存

★ガサの張る大きなモノから小さいモノまでちょっと残しておきたい想い出のモノなんかはデジカメ、スマホで撮影

などなどですが、モノをデジタル化することによって膨大な空き空間が出現しただけでなく、いつでも必要な時には即、出てくるのですからありがたいことこの上なし!これはやらないほうが損でしょう。

これらのとにかく空間を独り占めする膨大なモノを極力阻止するため、数か月間に「アマゾンプライム」というサービスにも入りました。音楽百万曲に加え、映画ドラマアニメなどが見放題聞き放題です。1ヶ月当たり「325円」ですが、こんな方法も自由な空間と気持ちが手に入るのならただみたいなものです。



 ④モノを活かすために

一番カンタンなのは捨ててしまうことなのですが、まだ使えるモノ、価値のあるモノは誰かに引き継いでもらうのがよいのではないでしょうか?知り合いにあげる、譲ってあげる、その他オークション、フリマなどに出品してもよいかもしれません。

「あなたの不要は誰かの必要」とはよく言ったもので、あなたのモノを必要としている人がきっといるはずです。たかがモノと言ってしまえばそれまでですが、すべてのモノに命が宿っているという考えもあるのです。

スポンサーリンク

モノの断捨離による、ハッキリとわかるその効果とは・・・

私が捨てた&売ったモノの数々・・・メダル・トロフィー・賞状、クルマ4台→2台、ミニチュアカー、フュギュア、年賀状、手紙ハガキ、蔵書、CD等のソフト系、膨大な書類、使っていないPC数台、雑貨、インテリア、ほとんど着用しなくなった服関係などなど・・・とその数は膨大で、部屋2つ分の人に貸せるほどのスッキリした空間が出現しました。

そしてそのあとには、主を失くした家具、クローゼット、衣装ケースなどが寂しく鎮座していたので、ついでにこういった家具類もすべて処分してしまいました。

スッキリとした空間が出現し、あとには整理整頓されて自分で把握できる範囲のモノだけが残りました。するとどうでしょう。すべてが軽く、スッキリ、クリアとなってきて同じ空間なのに他人の部屋に入った錯覚のような不思議な雰囲気ではありませんか?

そして実際に自分の意思で残したモノですが、これらが何とも愛おしく感じるのです。断捨離を進めていけばいくほど、その結果残ったモノは自分にとって価値のあるモノということになります。

そして必要最小限の「モノ」だけを残したことにより、これからやるべき「コト」、やらなくてはいけない「コト」がハッキリと見えてきたのです。身を軽くすることによって見えてくるもの、景色があるのです。

そして断捨離を進めていくと、その後のあなたのモノの購入に関する行動にもきっと変化が訪れるはずです。モノを買おうとするにその瞬間に、

「コレは本当に自分にとって必要なモノだろうか?」

「ずっと着られそうにもないからパス!」

「一生持ってたいから買おう!!」

~などのように自分の消費行動を冷静に分析している自分に驚かされることでしょう。これまでの「消費のための消費」から「将来の自分のための投資」へときっとシフトしていくのです。おのずから「モノ」の消費は必要最大限に絞られ、これからは自分の成長、今をよりよく生きるための「コト」への「投資」がウェートを占めていくということです。

余談ですが、自分のために使うだけではなく、まわりの人たちに使うお金も増えてきたのです。お金は巡り巡って自分に帰ってくるものとまでは言いませんが、循環させてあげるものでもあると思うようになりました。ためこむだけではまさに死に金になりかねませんものね。

すべてのモノがどこに何があるか自分で分かっていて、きれいサッパリな部屋は実に気持ちがイイものです。これまでインテリアなどにはまったく興味がなかった私が、インテリア、家具、照明などにも気を配るようになり、しまいには観葉植物なんか10鉢以上も揃えたりしてここまで自分に変化が訪れるなんて自分でもビックリ!です。

気の向上、やる気のアップ、快活な気分などいいことずくめの私でしたが、それ以上の収穫があったのです。それは、これまで以上に「自分の生と向き合うようになった」ということです。これは自分の感覚的なものであり、うまく表現できないのですがあえて言葉にするのであれば、

いま現在の自分の立ち位置がハッキリとし(視界がパ~ッと開けた感じ)、これからの行く末がクリアになってきたということなのです。

もっとカンタンに言いますと、アタマの中がスッキリ~ということです。

これは大げさでも、私の誇大妄想でもなく本当にほんとうのことなのです。

しがらみ、人間関係の断捨離もついでにやってみた!

~と思い立ってまず取り掛かったのが、スマホ住所録を使ってのつながり度確認。登録はしてあるけど、いつの間にか番号変わっててそれっきり~なんてことありますよね。やってみると結構面白くて、何日もかけてやるハメになりました。

何年も会ってない友人と数時間も話し合ったり、一方昔とにかく親しかった知人なのに、別人のようになってしまったり(声だけが雰囲気の頼りではありますが)~と新たな気付きが新鮮でした。私は仕事用とプライベートでケータイを使い分けていますが、仕事でのつながりもやはり、定期的なメンテナンスは必要だと痛感しました。

この住所録整理はモノの断捨離と同じように、やはり残った人たちがとても愛おしく感じてくるのです。再び、新たな出会いがあるようでとっても新鮮ですよ。

次に私が着手したのが以下の断ち切りでした。

①年賀状

学校時代は5~600枚、辞めてからも300枚は毎年送っていた年賀状も思い切って整理することにしました。もともと筆不精である私にとって年末のこの通貨儀式は苦痛以外のモノではありませんでした。

なぜに毎日学校、職場で顔を突き合わせる人たちに「旧年中は大変お世話になりました。本年も宜しくお願い致します。」などと改まってワザワザ送り付けなくてはいけないのか不思議でした。遠く離れた知人に近況を知らせる賀状なら理解できますが、年々、年賀状の発行枚数が減少しているのもなんだか判るような気がします。

そこで、年賀状を踏み絵にかけることにしたのです。初年度→年賀状全く出さない(来た人にのみ出す)、二年目→一年目とまったく同じ、三年目→二年続けてきた人にのみ出す・・・これをずっと続けていくことによって、先方も半ば義務で出し続けていた人からの年賀状が削ぎ落されていったのです。

中には丁寧に「出さないことにしたの?オレもそうだと助かる!」のように納得してその後も関係が続いている友人もいますが、半数の人はもうそれっきりです。これでいいのだと思います。なぜなら、繰り返しになりますが私には残された時間がそう多くはないので、うわべだけの付き合いに費やす時間がないのです。私がそうなように、先方もきっとそうなのかもしれません。

考えてみると私たちのまわりには、表面上の付き合いのなんと多いことか・・・

最近話題になっている年賀状の終活も、いよいよの時期には着手しようと決めています。「本年度を最後とし、以降、新年のあいさつは遠慮させていただきます。」

②リアルでも義務、表面上の付き合いは切り捨てる

賀状断捨離で少なくなった付き合いをさらにふるいにかけたのです。これまで乗り気ではない接待、付きあい、飲み会などは仕方なく出ていた私でしたが、ハッキリと行きたくないものは「イヤ!」という勇気を持つことにしました。

理由は同じことです。残された時間を考えてのことです。やるべきことに注力すべきなのです。いまの私は。はじめのころは、何回かは誘ってくれますが、あとは声がかからなくなっていくだけですので大丈夫です。

終活、そして生前整理へと・・・

私は、終活と生前整理とはいっしょに考えるべきものだと思っています。なぜなら。終活には自(おの)ずから生前整理が付き物だからなのです。自分でやってみるとスグに気付くことなのですが、これらの活動は自(みずか)らの死を想定した、生きている今の自分にしかできない自分のスリム化なのです。

終活という言葉からはマイナス、ともすると退廃的なイメージしか浮かばないかもしれませんが決してそうではないはずです。

いまをこれからをよく生きるために、やがて訪れるであろう日のための「備え」をしておくことはとても大事なことなのです。この準備は「こころ」と「リアル」が含まれると思いますが、実際に終活、生前整理~と活動がすすむにつれ心までもが、来るべき日に備えた心持になってくるのです。

実際、私の場合終活は大きく次の2つに分けて行いました。

①自分が死んだときのことを考えて、まわりのための実際の準備

②身辺整理をすることによって、過去をもう一度振り返り気持ちに整理を付ける

スポンサーリンク

終活、生前整理の実際

終活、生前整理とは、かんたんに言うのなら、いつ死んでもいいように自分の気持ちと身辺をきれいにしておくことです。縁起でもない話ですが、あなたはいつ死んでもいいように準備はできていますか?

自分が死んだときのことはおろか、この自分が死ぬなんて露ほど思ってない人も中にはいるでしょう。お葬式のカタチ、規模、財産などなどすべて家族親族に任せるのですか?葬式をはじめ、人ひとりが亡くなるとさまざまな手続き、行わなければならないことがたくさん出てきます。こういったコトすべてを残された人に託すのでしょうか?

あらかじめ、自分の意思を残されるであろう人たちにキチンと伝えておくということは大切なことなのです。なぜなら、みな明日は当然自分は生きている~という前提でいまを生きているからなのです。でも、そんな保証はどこにもないのです。

人間いつかは必ず死にます。それが早いか遅いかだけの違いです。だったら「死」を前提とした準備は誰にとっても大切になってくるはずです。以下に私が行った「準備」を記しておきます。

①葬式の形式、遺品、財産の処分について(樹木葬、葬式は近親者のみで、ネットバンク・各種預金のパスワードを知らせた等々)

②事故等で植物人間等になった場合の意思表示(延命、臓器提供など)

③死んだ後のため、つながりのあった人たちの範囲と連絡先の告知

これらはバラバラに残しても、残された人が苦労することは目に見えています。そこで私はこれらを「エンディングノート」にすべてまとめて書きました。いろいろな会社から出ていますから、自分の感性にフィットした手帳を選ばれるとよいでしょう。ちなみに私はコクヨのエンディングノートに書きました。

これに、自分のつながり情報、そして家族へのメッセージなども書いたのです。いまは何とか生きていますので一年に一回メッセージは書き足しています。きっと残された人はこういったノートがあると助かることでしょう。

④デジタル終活

明日自分が死んでもいいように、PCは最低の4台のみに整理し、お気に入り、ファイルフォルダ等も整理しました。

また、私の場合はサイトアフィリエイト、ブログアフィリエイト、物販、コンサル等、ネットを介しての収入がそれなりにありますので、サイト、ブログごとに譲渡する人間も決めてエンディングノートに記載しました。サイト自体が収入を生み出す媒体ですので、こういった整理も当然必要になってくるのです。

そして突然死ではなく、死期が普通に近付いてきた日には各種SNS大会、プロバイダ、ケータイ解約、銀行口座解約なども行う積りでいます。なぜならこういった手続きは、本人が死んでからでは恐ろしくその手続きが煩雑面倒で時間がかかるものなのだからなのです。

⑤親を含めた親族との関係の見直し

特に親の場合、恥ずかしくてなかなかこれまで聞けなかったことってありますよね。自分が生まれた時のこと、幼少期の思いで、両親の馴れ初め、いままで黙ってたけどお互いに言ってなかったこと、聞いてなかったこと・・・こういったことも恥ずかしながらいろうろと話を聞くことができました。

自分が、親が死んでしまってからは何も話すことも聞き出すこともできないのですからいまがその時なのです。明日がある!などと侮ってはいけません。

終わりに

「死」と「生」とは対極にあるもの、別々にあるものではなく、生の延長線上にあるものが「死」であると私は考えます。つまり、死してなお、その人の思いは生き続けるということです。

死んでしまった人が思うかどうかはおいておいて、少なくとも残された人のこころのなかで彼らの思いは生き続けるはずです。

だとしたら、その思いを残された人に託すための準備というものが必要になってくるでしょう。

終活、生前整理は何も残された人たちのためだけにあるのではなく、そのおもな目的は自分のためなのです。

つまり、いまと残されたこれからをよりよく生きるための・・・

終活などは死期が迫った人だけがするものではなく、むしろ若いうち、比較的時間がたくさん残されている人たちもすべきことでしょう。

なぜなら、若いうちなら自分の死を意識しつつもまだまだ動けるし、チャレンジもできる、そして自分のこれまでとこれからを見つめなおす絶好のチャンスになるからなのです。

若い、先がある~ということはそれだけですばらしいことなのです。その時間を無駄にしないためにも、自分の「持ち時間」を意識し続ける営みは大切です。

過ぎ去ってしまった「過去」と、「これから」・・・いまこそどちらに重点を置くべきなのか考えるときなのではないでしょうか?














-自分と向き合う
-,

© 2024 ユメザス〜人生すべてネタ!ユメをメザスあなたのためのユメザスネット!〜 Powered by AFFINGER5