自分と向き合う

しあわせ基準!死ぬときに後悔しない人生~今日もまた一歩、死へと近づく~

投稿日:2017年10月10日 更新日:

人は誰でもいつかは、必ず死を迎えます。どんな人であっても、死は平等に訪れます。それが早いか遅いかだけかの違いかというと、そうでもないようです。自分の生きた時間の長短だけではなく、人生というステージで何をやり,何を残したかが大切になってくるのではないでしょうか?

人間誰しも「死」から逃れることができないのであれば、死を前提として今を生きるべきでしょう。人生は無限!と日々を無為に送るのも、限りある命、自分に残された日数を慈しみながら生きて行くのも、これまた人生。どちらを選ぶのもひとそれぞれですよね。つまり自分の人生、時間の使い方は自分次第、あなたのこころひとつにかかっています。生きられる時間に限りがあるからこそ、人は毎日を精一杯生きようとするのではないでしょうか。

歳を重ねてきて40の後半に入った今、私は毎日が愛おしくてたまりません。血気盛んな若いころには考えもしなかった「死」というものをおぼろげにも感じるようになり、いま生かされていることへの感謝の気持ちでいっぱいです。死を現実として受けとめるようになった今、それでも生きているのはどのように死を迎えるか、その日のための準備のようなものです。

死を恐れる気持ちはいまのところ無いです。むしろ、死へと一歩一歩近づきつつある今、死へと向かって自分がどのように変化していくのか、そして臨終の日、どのような気持ちで死を受け入れるのか、今から楽しみなのです。

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自分の衰えを感じるようになった今・・・

若いころはスポーツで自分の限界に挑戦し、カラダをだいぶ痛めつけ、仕事も徹夜の連続等無茶ばかりの毎日でした。それでもなんとかなってしまったのも若さゆえでしょう。今ではとてもとても考えられません。気持ちは若いつもりでも体がついていかないのです。

若い方たちは考えもしない事でしょうね。自分が衰え老いていくなんてことは。昔、親に「歳を取ると親の気持ちが分かる」~なんてよく言われたものですが、少しづつですが分かりかけてきています。ほんとうに一年と言わず一日、時間が過ぎるのが早いです。とてつもなく早く感じられます。妙に涙もろくなったり、食が細くなるなどの現象はまだいいのですが、モノ、人の名前が思い出せない、足が取られる、とにかく座りたくなるなんてのは実際かなり困ります。そして、一抹の寂しさを感じるのです。

そして、いままで自分は何をやってきたのか、このまま死んでもいいのか?と自らに問いかけずにはいられなくなるのです。そうなのです。まだやりかけのこと、何もやっていないことだらけなのです。しかし、残された時間はそう多くはありません。自分のキャパシティと残された時間を考えると、できることには限りがあり、おのずから「やらないこと」「捨てること」を考えなくてはならなくなります。

実はこの「やらないこと」を思いきって決め、「いまやるべきこと」に注力集中することが実はとても大切な事なのです。私もかつてはそうでした、やりたいことがあまりにも多すぎで、すべてに中途半端、結果何も身に付かず、お金と時間そして労力だけがむなしく泡となって消えて行ったのでした。よく一生を「じぶんさがし」に費やし、じぶんさがしを続けた結果、何も残らずみつけられず終わる人がいると聞きますが、本当にもったいないことだと思います。ある意味一生が「じぶんさがし」の連続で一生かけても自分が何であるかなんてわからないものかもしれませんが、時間は待ってはくれないのです。何かをやり尽くし、やり遂げた充実感を味わずに死ぬのは、わたしはさびしいです。

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苦の中に光あり!

いろいろな所へ出かけ、おいしいものをたくさん食べ、たくさんのステキな人たちに囲まれて毎日をおかしく楽しく過ごすことは、確かにパラダイスのようで誰でも夢見ることでしょう。でも、他者から自分自身が見えてくるように、自分と向き合い、自己を見つめ直すことで見えてくるものもあるはずです。私はこの「自己との対話」がある経験をきっかけに、非常に重要だと感じるようになりました。

その経験とは自動車事故で重傷を負ったことなのです。MR車であったので前にエンジンがなく後ろにあったのです。その分、クラッシャブルゾーンである車体前部が弱く、ここに車線を飛び越えてきた対向車にかなりのスピードで突っ込まれたのです。鎖骨、両足骨折の重傷でした。死を覚悟しました。いま生きているのが不思議なくらいです。いま生きているのはオマケというより、そのぶん余計に生かされている~という感覚の方が強いです。「なにか」をやりぬくために。

「自己との対話」で光が見えてくるためには恐らく、ギリギリのところ。いや限界を越えて努力しないと何も見えてはこないのではないかと思うのです。私自身、未だその境地には至ってはいませんが、いつかその日のために自分との対話を続けています。そのためには人と同じような事、同じような努力ではダメなのです。自分ならではの道はきっとあるはずなのです。みな、その道を模索しているのでしょうが、なぜか途中でやめてしまうのです。あと少しで頂が見えてきて、あとは下り坂に楽になっていくだけなのに、もったいない人だらけなのです。

その意味で「やり続ける」「あきらめない」ということはとても大切で尊いものなのです。そして、続ける、諦めないこと自体がチカラです。私は日々、怠けがちになる自分に鞭打ってこの言葉を思い出しています。

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カタチあるモノと形の無いもの

死を前提に今、何をすべきかを考えた時、必要最低限の「モノ」以外は魂の充実のためにはなんら意味をなさなくなってきます。考えてみてください。あの世にまで、いま持っているモノを果たして持っていくことが可能でしょうか?

事故にあってから私は「モノ」への執着がほとんどなくなりました。あれだけ大切にしていたビンテージカーを失ったダメージも、傷が癒えるころにはなんともなくなっていました。クルマ4台所有、万に及ぶ蔵書、数々のコレクション・・・そのほとんどを処分し、いつのまにかモノを持たない主義になっていたのです。このモノの断捨離は、予想以上の結果となりました。身の回りがスッキリしただけでなく、なぜかこころもスッキリ軽くなったのですから不思議です。

カタチあるモノのほとんどはいつかは無くなり、消えて行ってしまう運命にあります。しかし、「信用」「いきがい」「充実感」などといったものは目に見ることはできませんが、無くなることはありません。なぜならこれらの存在は「感じる」ものだからです。

自分の感覚で感じる、この自分の気持ちは誤魔化すことはできません。いまこそ、自分の気持ちに正直になり、自分の内なる主人と対話し自分のほんとうのしあわせについて真剣に考えるべきなのです。ひとさまがどう思うと、誰に何を言われようとあくまで「自分の価値基準」で決めなければなりません。しあわせの基準はひとそれぞれなのですから。かの高名な相田さんも言っているではありませんか。

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる  みつを

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最期の時までやっておきたいこと・・・

よく、自分の葬式や臨終のシーンをイメージすると、今やるべきこと、いろいろな人間関係も含めて見えてくる~と言われますが、まるっきり無意味な事ではないようです。死へのカウントダウンが始まっているのであれば、それに向けて備えるべきです。自分の死をイメージするということは、今、残された時間を大切にすることにつながるからです。毎年迎える新年、お正月も実はおめでたいものではなく、残された年月を計算してみよ!という戒めの節目なのかもしれません。

これまで仕事第一で駆け抜けてきた人生でしたが、ふと立ち止まって見て何とも形容しがたい寂しさに襲われるのはなぜなのでしょう?たしかに仕事はそれなりに充実したものではありました。しかし、「これが自分の生きた証だ!」と言えるものが何もないのです。私は死ぬまでにこの証がほしいです。それはおいしいものを食べたり、まだ行ったこともない所にも行ってみたい気持ちもありますが、そんなことは魂の充実の前では霞んでしまうのです。

あとひとつあります。それは死ぬにあたってなるべくまわりに迷惑をかけないということです。自分が病気なったり寝たきりになって周りに迷惑をかけるのだけは、私は何としても避けたいです。だって家族だろう?という声が聞こえてきそうですが、家族だからこそ~なのです。自分のためにいろいろな事を犠牲にしてもらいたくないのです。理想は寝たきりにならず、ある日突然キュッとなって、気が付いたらあの世だった~なのですが、なかなかこれがむずかしいようなのです。

難しいことではありますが、病気になったり寝たきりにならないよう努力することは私たちはできます。日々の生活のこころがけ次第です。お医者さんはこれまであまり好きではなかったのですが、好きになるよう距離を縮めることにしました。せっかくがむしゃらに頑張ってきていろんなものを勝ち得て充実した人生であっても、最期が病気寝たきりでは、みんな悲しすぎます。残された時間を自分のカラダ、健康のために費やすのもこれまた大切なことだと思います。


そして、結論まとめ!

①しあわせ基準は自分が決める!

②過去は関係なし!今、そして残された時間のみ考えよ!

③誰にも一つのかけがえのない道がある!

④まわりを不幸せにするしあわせ基準はご法度!

⑤しあわせは健康なカラダがあってこそ!

 

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