公立教師の給与水準は民間と比べおおむね高いですね。なぜ、このように恵まれているのでしょうか?それはその分の価値を生み出すことが要求されている何物にも代えがたい仕事であるからと私は信じたいです。
しかし、金額の多寡だけで推し量ることができないのが教師の仕事です。
「働かせ放題」「やりがい搾取」と常々感じていて、「させられている」感アリアリの教員にとっては、いくらお金をたくさんもらっても、「こんなもんじゃ、割に合わないよ!」となるでしょう。
しかし、「働き放題」といって毎日学校行くのが楽しくて「がんばっているオレってちょっといいかも!」などのように自己陶酔の極致まで行っている教師にとっては、学校は天国のようであり、給与にしたって「こんなにもらっちゃってホントにいいの?」って感じでしょう。
倒れる前の私の気分もこのように非常にハイでした。当然、苦しいこと、しんどいこと、イヤなこと、面倒なこともたくさんありましたが、自分が楽しんで仕事をしてそれなりのお金までもらえてしまう~とても不思議な感覚でした。
しかし、過労で身体を壊し教壇を去った今、思うことは冗談抜きで「シャカリキになって学校、子どものために日々がんばっている先生方、どうか死なないで!」「もっと自分を大事にして!」これなのです。
日々ジェットコースターのように流れて来る仕事をこなし、さまざまな出来事を処理しているうちにいろいろな感覚がマヒしていってしまうのが怖いのです。気が付いたら病気になっていた、こころを病んでいた・・・こういった人たちからの相談も最近は増えてきました。
自己犠牲の精神、博愛精神は尊いものではあるのでしょうが、あなたが倒れて誰がその後の生活を面倒見てくれるのでしょうか?学校が、同僚が面倒など見てくれるはずなどないのです。あなたが志半ばで辞めたとしても最初のうちは、あなたのことも話題に上るでしょうが、半年一年後はどうでしょう?
もちろん人にもよるでしょうが、よくてたまに思い出してもらえる程度、最悪「そんな人いた?だれそれ?!」まず、こんな感じです。過去に私の在職中に学校を去っていった同僚然り、私だってそうでしょう。
否が応でも残された人たちは、学校で生きていかなければ生活していかねばならないのです。教職員も子どもたちも。日々の学校での生活に忙殺されて、悠長にそんなノスタルジックな気分に浸っているヒマなどどこにもないのです。悲しいけど。
身体を壊して辞めたいま、確かに自分の働き方は異常だったと思います。後先考えないで、自分の健康を命を削っていった日々でした。バランスを考えないで突っ走ってきたのは他の人たちから見たら本当にバカの見本だったのかもしれません。
しかし、やめてしまったことは半分後悔はしていますが、全力で子どもたち、学校と向き合ってきたことには何ら後悔はないのです。
そういった意味で現職時代に私に与えられた労働の対価としての金額は安くもあり高くもある~これです。
お金を払ってでも得たい貴重な体験をさせてもらった意味では、あまりにも高すぎる金額であり、時給換算にしたら全くを持って割に合わない低い金額でもあるということなのです。
教師は聖職者か労働者かの議論は昔から現代にいたるまでさまざまな場所で繰り広げられていますが、私個人的な考えでは聖職者であってほしい!これに尽きます。生身の人間ですので労働者の側面も当然ありますが、最近では教員の労働者としての権利ばかりが声高に叫ばれ、「なんかなんかね~」といった感じですね。
今回は、私の過去の給与を振り返りながら、教師と給与、そして働き方についてちょっと考えてみました。現役の先生方は、自分の働き方をこの機会に振り返ってみてはいかがでしょうか?そして教壇を目指す未来の先生は、これから先、自分は何を目指しどのような働き方をしていくのかをあえて今、考えてみるのも無駄なことではないかもしれません。
私の年収から時給を計算してみた!
高等学校教諭、勤続11年37歳時で確か、総支給額で月額430,000円前後であったと記憶しています。これに年2回のボーナスが、1回当たりこれも支給額で900,000円前後付きました。これに年末調整、土日の部活動手当が何時間やろうが一律一回1,000円前後。そして主任手当てが確か5,000円程度~合算した年収は7,000,000円前後。
私の一日のスケジュールは朝6:30には機械警備のマスターキーを警備員さんが来る前に解錠し、朝練(部活)が始まる前にデスクワーク、だいたい午後8:00頃部活の子どもたちを帰し雪崩のような一日のだいたいが終わってほっとする間もなく、自分の分室に戻り、クラスの子ども、家庭への連絡、授業の準備などの事務を済ませ帰りはだいたい夜中の10~11時・・・
それでも終わらない仕事は持ち帰り残業・・・現実は家には寝るだけ帰ってるという感じの毎日でした。あまりにも疲れて学校で寝てしまい、機械警備セットされてなく警備会社からの電話でたたき起こされたことも幾度となくありました。
平日の平均勤務時間はだいたい16時間として、辞めた当時の部活は二部練(午前と午後に分けての部活動)だったので、土日はおよそ8時間勤務。まともに休めたのはお盆と年末年始くらいであったので、一か月の総勤務時間は352時間、かけることの12ヶ月で一年間の学校に関する稼働時間4,224時間と出ました。(持ち帰り残業、家に帰ってからの深夜の家庭からの電話などと入れたらこれどころでは済みません)
これを年収の7,000,000円で割ると一時間当たりの労働の対価が「1,657円」なのです。
「たったこれっぽっち!?」でしょうか?
それとも「こんなに!!」でしょうか?
これを高いとみるか安いとみるか、ひとさまざまでしょう。安い安い~と金額だけのものさしではかって嘆く外の空気をまったく吸ったことのない純粋培養教師は外の世界を知らなすぎると言わざるを得ません。インセンティブの呪縛に縛られず、だまっていても給与は上がり続け、どんな働き方をしても決して下がることはないのです。
とんでもない不祥事を起こさぬ限り辞める必要はなく、その身分はこれでもかというほど厚く厚く保証されています。そして、退職後も共済年金は厚生年金より優遇されているのです。(ただ、ご存知でしょうが、いくら居残り残業しようとも、教育公務員に一切残業代は支払われません。)
少なくともお金の心配をまったくせず、自分の仕事だけに打ち込めるということはとてもしあわせなことだと私は思います。
私は教師を辞めてから自活できるようになるまで、さまざまなトライ&エラーを繰り返し辛酸を舐めつくしましたので、食うためだけの仕事のツラさせつなさは理解しています。お金がない人にはこの世の中は本当に冷たいものです。人としてみなしてくれませんもの・・・
お金があれば何でもできる~ということは「お金がなければなんにもできない」ということと一緒なのです。当たり前ですが。もっとひどい言い方をすれば「貧乏人は死ね!」これです。
一方、「こんなに高いの?」と思った人は、よく考えてみてください。
決して余裕しゃくしゃくの状態での「1,657円」ではありません。身も心もズタボロの状態になっての「1,657円」です。自分、家庭をまったく顧みることができない、買い物をする時間も惜しい、好きな創作活動もスポーツも読書も何もかもすべてを犠牲にしての尊い「1,657円」です。
今回のタイトルよろしくまさに「高級取り!されど使うヒマなし!」どころか使う気力さえなくなってしまうのです。こういう生活をしていると・・・倒れる寸前の私は容貌、雰囲気も異様だったようで、よくクラス父兄から心配する電話をもらいました。ありがたかったですね。
こういった状態での「1,657円」はそれでも高いでしょうか?例え10倍であったとしても、心身共に病んでいてはお金など何の価値も持たないことでしょう。お金とは自分が生み出した「価値」そのものですが、活かして使わないことにはただの「数値」にしか過ぎないことに体を壊してはじめて私は気付いたのでした。
たしかに一般のアルバイトからしたら高い換算時給かもしれません。それでは時間講師の先生の時給はいくらですか?私も時間講師は何度か経験しましたが「3,000円」前後でしょう。
常勤講師ではなく、時間講師の先生は主に教員採用試験を目指している方や定年退職された方などが多いようですが、私の在職中にちょっと変わった働き方を選択している先生がいましたので紹介します。
彼の教科は美術で時間講師としての自分の持ちコマと美術部の指導のみに当たり、浮いた時間はすべて自分の創作活動に充てていたのでした。教採はここ数年ずっと受けておらず、これから先も受けるつもりはないとのことでした。
つまり、自らの意志でそういった働き方を貫き通していたのです。彼とも話したことがあるのですが、「どちらも好きで大切、いいとこどりの自分はずるいですよね」ってフレーズが今でも印象に残っています。
決して腰かけ的な安直な考えではなく、全国にはこういった働き方をあえて自らの意志で選択している先生もいっぱいいるのでしょう。作家と時間講師を両立させていたり、高校で時間講師やって、空いた時間で学童保育バイトなど、本当に働き方はいろいろですね。
私も公立退職後、私立高校で常勤、時間講師経験しましたが、時間講師のときは週18コマ、この時の時給は「3,200円」でしたので単純計算で週「57,600円」かけることの4週で月額「230,400円」です。おまけに長期休業中も平常時と同じ給与が保障されていた上、ちょっとしたボーナスも年2回あったのです。すべての私立がこうであるとは言いませんが、比較的時間講師としては恵まれておりました。(公立は長期休業中は基本無給です)
あらためて時間講師としての給与が振り込まれた時、これまでの自分のあの働き方はなんだったのか?と考えずにはいられなかったのでした。
あしたのジョーよろしく身も心も燃え尽き寸前のヘトヘト先生と、心身リラックマ余裕綽々先生・・・どちらも子どもたちからしたら先生には変わりはないのですが、働き方だけでなくずいぶん違うところがありますね。
子どもたちと相対する時間であったり、責任の軽重、カバーする仕事の範囲、やりがい充実度、身分、そしてお金・・・
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そうなのです。どのような働き方をするのかはすべて自分次第なのです。たとえ専任、教諭であっても常勤講師の先生の足元にも及ばない働き方しかできない(しない)教員も当然いるでしょう。こういった人たちは敢えて自分でそのような生き方、働き方を選択しているのです。
法に触れるわけでもないのですから、あとは自らの内なる主人の良心に任せるしかないのです。
教師の仕事は時給換算できるような代物ではないのでしょうが、時間給、月給定額を保証されているうちは少なくとも原価意識を誰であれ持つべきであると私は思います。
つまり、
一極集中
最小の時間で最大限の果実を得、最高の結果を出すように努める
奉職前、退職後民間でも長いこと勤めた私が教わったことです。
再び結論です。教師の給与は「高くもあり安くもある」
すべて個人の考え方、働き方によってです。受け取るのはあくまで「現金」という「一定」の「数値」に過ぎない「事実」なのですから高くも安くもないはずです。
どう思うか、とらえるかは個人の問題であり、高くても安くてもイヤならやめればいいだけの話になります。
※「講師差別!教諭/常勤/非常勤講師~ぜんぶやってみてわかった、非正規のツラさせつなさ~」
安い高いだけでははかれない仕事、それが教職!
あくまでも例えの話ですが、最近の教職不人気を受けて現在の給与を2倍に引き上げたとしても絶対にやりたくない~という人は存在するでしょう。そして逆に、教員の給与を半分に引き下げたとしても絶対やる~という教師も確実に存在することでしょう。教師とはそういう仕事なのです。
人間相手の仕事なので日々、ストレスが蓄積し、それに追い打ちをかけるような「超」時間労働。弱った時に限ってトラブル続出。本当にたまにの休みはただただひたすら泥のように眠るだけ・・・当然、まったくお金を使う時間もない。買い物に行く気力さえない・・・これが、自分の労力と持てる時間のすべてを投げうって学校に生徒に尽くしている教師の実態です。(リーマン教員は別ですよ。休日はおろか、アフター5も謳歌していることでしょう。時間とお金をじゅうぶんに使ったりして・・・)
一方、教員ほど、割り切ることができるのなら、お金的にはありがたい仕事はないかもしれません。時間ギリギリセーフに来て、退勤時間スレスレで帰っていく。「部活なんてやらないよ。授業の準備なんてしたことないよ。毎年同じ授業すればいいんだもん。」「年次有給休暇は全部キッチリ取るよ。教員の権利だもん。」
こういった教員でも、給与は退職までエスカレーター方式で決して下がることなく上がり続けます。彼らは元気があり余っているので、海外旅行、車、外食、ショッピング~と大いにある意味忙しいのです。教員は教員同士の結婚が非常に多い人種ですので、ちょっと年齢がいった教員カップル世帯は退職間際は世帯年収「20,000,000円」に手が届くことでしょう。
しかし、それで自分の「内なる主人」が自分を許せるのでしょうか?教師としての「志」「矜持」というものがなくなってしまったら私は教師とは呼べないと思うのです。それこそリーマン教員の見本なのではないでしょうか?
あれもこれも~とできる仕事ではない・・・十年以上奉職してきた私が思うのはこれです。
やりがい十分、それこそ仕事に際限なし。
あぶはちとらず
二兎を追う者、一兎をも得ず
昔の人は良く言い得たものだと思うのです。
これも私なりに出した結論になります。
専任、教諭でやるなら全力で!
どちらも望むのであれば違う働き方を選択すべし!
それが学校、子どもたち、そして本人にとってもしあわせ
熱血教師は短命であるという事実、
これをどうとらえるか?これが大事!
志半ばで若くして急死した同僚。退職してすぐ亡くなってしまった先輩教師を多くみてきました。これはデータとしてきちんとウラが取れてる事実ですが、退職してからの平均余命の少ない職種の上位にいつもランクインするのが、教師です。
これはあくまでもデータなので平均値をとっているのでしょうが、教師の働き方、職場環境等が心身に与える影響に由来するものであると思われます。あなたが「熱血教師」であったり、これから熱血教師を目指しているのなら要注意です。いくらお金をもらったとしても命を早いうちになくしてしまっては何にもならないと思いませんか?
教師の取るスタンスとして、MAXシャカリキ先生、完全リーマン教員、バランスマンとおおよそ3つのタイプに大きく分けることができるのかもしれません。
どこまでやるか、何をやらないか、どこまで自分を追い込むか、教師人生に何を求めるのか?すべてあなた次第です。
教職を聖職と思っている私の希望としては毎日の最低限の睡眠時間と、一週のうちのちょっとしたリラックスタイムは確保してもらってあとの残りの時間はまさしく奉職してほしいです。道半ばにして倒れたヤメ教の戯言と捉えてもらってもいいですが、教師の仕事とは中途半端な気持ちでできる仕事ではない!と今でも思っています。
そして教壇からしか見えない風景、充実感は確実にあります。
私もまた、失ったもの以上の「なにか」を求めて、日々自分を追い込み、いまももがきあがいています。
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そして、結論!
金目当てだけの教員志望者は絶対に教員になるな!
自分を労わることも忘れずに!あなたには家族も、そして児童生徒がいる!
結局、自己の働き方を決めるのは自分!
教師は自分のめざすところにしかいけない!