コラム

公共の場で大声で話し続けるバカ丸出しの人に、勇気を出して話しかけてみたらこうなった

「なんで、ここで自分の家のように、こんなに大きな声で話し続けられるんだよ?」「注意したいけど、やめておこう・・・」結局のとこ、毎回毎回あちらこちらでストレスたまりまくり~だれでも一度や二度は堪忍袋の緒がブチ切れ寸前までいったことがあることでしょう。

私はこれまで、このような迷惑千万な声の発生元が屈強な大男であろうが、か弱そうなおばあちゃんであろうと、迷惑の度合いが公共の場での「許容値」をはるかにこえていたり、明らかにまわりの他の人たちが嫌がっていたり迷惑がっている場合は、ちんけな義憤にかられてほぼ話しかけていました。(ほぼというのは、急いでいて時間を取られるのがまずい時だったり、体調が著しく悪い場合などがあったためはやむなくがまんしたときがあったからです)

しかし、その私なりの安っぽいかもしれませんが確固としたポリシーを揺るがすような、私にとっては「事件」が起きたがため、もう他人様に注意したり、進言したりするのは一切合切やめにすることにしました。そんな体験談というかちょっとしたエピソードを今回はシェアします。




おじいちゃんと延々と1時間、
大声で馬鹿話をし続けたおばさんの話

私は元来頭痛持ちで、頭痛外来に通っているのですが、そこでの出来事でした。頭痛外来は、元来毎回問診に時間をかけるのとこちらのお医者さんの評判とでいつ行ってもここは2~3時間待ちが当たり前です。そんなわけですから常時とても込み合い、待合室はぎゅうぎゅう詰めの状態・・・

頭痛外来という性格上、もちろん待ってる時だって頭が痛い人だっているはずなのです。そんな中、私の前列の席が空いておじいちゃんとおばさんが座ることになりました。スグに彼女たちは話し始めました。私の直(じか)の前&甲高い大声のため否が応でも会話の内容が遠慮なしに耳をつんざきます。

彼女の制服、そして会話の中身からどうやらデイサービスか何かの職員さんとその利用者さんの間柄のようです。おじいちゃんのほうはちょっとボケ気味のようで、ただうなずくだけで会話というよりは一方的にこのおばちゃんが機関銃のようにまくし立ててるだけの感じです。

「またかよ・・・まあ今に終わるだろうから、ちょっとのがまんガマン・・・」と自分に言い聞かせて、いつもの読書に集中しようと自分に言い聞かせてました。しかし、いかんせん、私の席の目の前であったため、まったく読書どころじゃありません。

このおばちゃまのボリューム機能が壊れてるのか、ただ単に耳が遠いため声がデカくなるのかはわかりませんが、施設での想い出話しとか、おじいちゃんとのエピソードなんかを延々と一方的にがなり続けます。「読書に集中集中!」という淡い願いはもろくも砕け散り、イライラがつのり「もう、がまんの限界!!」~というとこまでとうとう来てしまいました。

だって、時間を見ていたからわかったのですが、キッチリ1時間以上も話していたのですから。いつものことで、私はこういったシーンで話しかける時は自分を落ち着かせるためにも、ワンクッションおくことにしています。話しかけるタイミングの感情のまま実際に言葉にしてしまうと、キツイ物言いになったり、うまく自分の思いを相手に伝えきれないことはこれまでの経験から実証済みだから。

話しかけられて固まってしまったおばさんと
状況が呑み込めていないおじいちゃん

「お話し中ごめんなさいね。もうちょっとボリューム絞ってもらっていいでしょうか?」

どのような会話の展開になるかはケースバイケースなので、最初の切り出しはこのようにワンフレーズで端的にこちらがお願い推したいことをやんわりと相手に伝えることがスマートですね。見ず知らずのの人にいきなり、非難されたりなじられたら自分が悪いと分かってはいても誰だってきっとムッとなると思うから。

この時、やたらとへりくだって「お話し中たいへん申し訳ございません。申し上げにくいのですが、お声をもう少しだけ小さくしていただいてもよろしいですか?」などと話すのはダメですね。相手を最初から上に持ち上げ、相手ペースの展開になること必至だからだめですね。

チラッとこちらに一瞥をくれた後、前に向き直し、横に鎮座するおじいちゃんの方を向きながらおばちゃんはこう言い放ちました。

「ああいいの。この人、耳遠いから大きい声で話さないと聞こえないから・・・」

おばちゃんはこの一言で事なきを得たと思い、けっこう満足そうな感じです。まわりの人たちもこの後、どのような展開になるのか興味津々な様子で聴き耳をそばだてています。これで「ああそうですか・・・」と引き下がる私ではもちろんありませんのでご安心を。これまでの経験上、このように自分中心にしか物事の状況判断ができない人が、こういった言動をするのは織り込み済みなので、二の矢を放ちます。

「いいのじゃないでしょう。ここはどこですか?病院ですよ。大人ならわかるでしょう。まわりを見てください。」

このように第二手は、相手の言葉を受けてそれなりの返しを入れます。このように全く意に介さず、まわりの迷惑なんのその、まったくやめようとしない場合などはちょっと手厳しく、ハッと気づいて本当に悪そうなそぶりを見せてくれるような人には、それなりに・・・という感じです。

まわりがざわつき、おばさんはなんともバツが悪そうです。一気呵成にここでまくしたてるのは大人の態度としてちょっと私のスタイルではないので、おばちゃんの反応を待ちます。

「ハイハイハイ、黙ってればいいんでしょう。まったく・・・」

おばちゃんは、気まずさそうにおじいちゃんに向かって「怒られちゃった、しゃべっちゃダメなんだって。もう話しちゃダメだよ。」そして聞こえるか聞こえないかの小さな声で確かに(うちらだけかよ、バカが・・・)とつぶやきました。

~とあくまでも被害者ぶりを貫きます。うるさいのはおじいちゃんじゃなくって、お前なんだけど~とがなりたい気持ちをグッとおさえ、次の句を告げます。

「おばちゃんね、何が悪いのかまったくわかってないようなので、一応説明してあげるね。何でもものごとには「限度」というものがあるでしょう。声の大きさとか、話し続ける時間、長さとか。ここ病院で調子の悪い人だっておそらくいるよ。自分らが話したいだけ話せれば、他の人の迷惑はどうだっていいの?」

おばちゃんは、これまでの表情とは打って変わって険しい表情になり、

「だから、誰が迷惑って言ってんだよ?あんただけだろ?」といきなり言葉も汚くなりました。

もうこれは何を言っても無駄だと思い、「お見受けしたところ、どこぞかの施設の方だとお見受けしますが、きょう施設の車で来ていますよね?」と、そうかどうかもわからないくせに私は鎌をかけさらに続けます。「施設にあなたのこれまでの振る舞いを連絡しますけどいいですね?」

おばちゃんは一瞬固まったかと思うと険しい表情になり、「ダメダメダメ、それはやめて」「ごめんなさい、ごめんなさい」と今度は平謝り~と態度がコロコロ変わります。おちいじちゃんはあまり状況が呑み込めてないのかなぜか笑顔です。

私がさらに畳みかけようとしたその時、なんともバッドタイミングで診察に呼ばれ、おばちゃんと私の掛け合いは幕を閉じたのでした。

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なぜにポリシーを曲げるのか?

診察を終え会計を済ませ、帰ろうとして例のおばちゃんのそばを通り過ぎたときのことでした。すれ違いざまにおばちゃんはこう言い放ちました。

「あぁマジで殺してぇ~!」

中断されてしまった続きを延々とやることも一瞬頭をよぎりましたが、もう相手にしたくない気持ちでいっぱいいっぱいになり、無言でその場をさびしく去りました。前にも話しましたが、私は切り替えが早いのとイヤな事は流すすべを身に付けているからなのです。

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これまで一丁前な正義感を振りかざして、このように公衆の中で大声で話す人だけでなく、並んでいる列への割り込み、イヤフォン、ヘッドフォンのシャカシャカ音、犬の散歩で放し飼いにして歩く人などなど~挙げたらキリがないですが、状況に応じて話しかけてきました。

でも、今回の出来事でちょっと心が折れました。もういい加減つかれました。「やっぱり、何を言っても通じない人っているもんだなぁ~」となってしまったのでした。こういった人たちにいくら心を込めて話しても、わかってもらおうと努力してもダメなものは駄目で、こころも通じ合うことなんかやっぱりナイんだとあらためて思ったのでした。

このような方々を矯正、指導する立場であるわけでもないし、義務もない。なんで自分だけが損な役回りをいっつも引き受けなくてはならないんだろう?(頼まれてもいないのに)~となってしまったのですね。これまでも殴り掛かれたことだってあるし、こういった事で傷つけられたり死んじゃった人だってきっといるのでしょうね。

私のようにみんなやっぱり同じ思いやイライラを抱くのだろうけど、めんどくさかったりトラブルに巻き込まれるのがイヤで素通りなのかもしれませんね。でもやっぱり、これが普通の世の中じゃさびしいし、恐ろしい。見て見ぬふりが当たり前の世の中がどのようなものになるかみんなわかっているはず。

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上の記事でも話したように、一人じゃで何もできなくたってまわり全体で一緒に考えていくってことで大きなチカラになっていくということもあるのではないでしょうか?

やるべき立場の人がやるべきことをやる

今回のケースだったら、普通に考えて病院職員、看護師さんだったり、事務受付の人がいちばん最初に矢面に立って対処すべきことでしょう。実際、私とおばちゃんのやり取りを近くの受付の女性職員は固唾をのんで見守っているという感じで何ら行動に移そうとはしませんでした。看護師さんだって複数の方が私たちのそばを通る過ぎるだけで何のアクションもありませんでした。

実際、看護師さんたちも「何事?」みたいな怪訝そうな顔つきでしたので「何かあった」ことには気づいていたはずなのです。

私たちとのトラブルをいさめるということではなく、私がおばちゃんに話しかけるまでもなく、これだけの迷惑行為に対して職員は、患者といえども(ましてやこのおばちゃんは患者ではなく、完全な付き添い人ですので)毅然とした態度を取るべきなのです。それが患者の利益のために尽くす病院職員のつとめでしょう。

実際、むかしむかしのことになりますが腰を強打して一時期通っていた整体の先生なんかは、待合室であまりにもうるさい患者さんには檄を飛ばしていましたよ。「まわりの患者さんの迷惑を少しは考えてください!」とご自分の整体院の患者さんであろうとしかり飛ばし、迷惑をこうむっている他の患者さんを守ってくれたのでした。

一方、やるべき立場にあるかどうかは微妙な立場にある全くの他人がこういったシーンに首を突っ込むとそれなりにイタい目に遭うかもしれないという事例をお昼の番組で偶然やってました。大和田伸也さんという俳優が過去、他人の行いを正そうとして「話しかけた」結果、大変な目に遭ったエピソードを披露してたのです。これをまとめた日刊スポーツの記事を紹介しましょう。

伸也は映画館で後ろの席に途中から入ってきたカップルが話をしていたので、紳士的に、「悪いけど、もう少し静かにしてくれる」と、いい声で言ったら「オイ、前のオヤジが何か言ってるぜ。よし、やったるか!」と、げたで殴られたと明かした。そして周りの人は見ないふりをしていたので、逃げて、映画館の中で隠れ、ほとぼりが冷めたころにそっと出たと打ち明けた。  また、名古屋でホテルから舞台の会場まで歩いていた時に、幼稚園の生徒が歩いている所に乱暴な運転をする自転車が来たので、思わず「何してんだ!」って注意したら、「コノヤロー」と自転車を持ち上げ、投げつけて「この、クソオヤジ!」と言われたと振り返った。そして、逃げて楽屋口に入り、その時、一番悔しかったのは「クソオヤジ」と言われたことと明かした。  そして、路上でいかにも未成年な若者たちがタバコを吸っていたので「タバコ吸うな!」と言うと反発されると思い、「いろんな人が歩いている所だから危ないから、ここでは吸わない方がいいんじゃないか?」と優しく、いい声で注意したら、顔面を殴られ頬にアザ&メガネが破損したと明かした。そして、テレビのスタジオに逃げ、スタッフに事情を話すと、それがニュースになり、ワイドショーがいっぱい来たと振り返った。そして「いまだにその痕が残っている」と打ち明けた。

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結局は自分の内なる主人に聞いてみる

私の場合、「もうここらでいいだろう、自分なりにやってきた」という感じで、ひとさまの問題行動に「?」を投げかけることから降りたわけですが、みなさんが私のマネをする必要なんかまったくないです。当たり前のことですが。実際、私以上に過激、攻撃的に他人をいさめている人はいくらでもいるでしょうし、スルー専門だってこれはこれで仕方ないと思う。

ただですね。こういったマナーとか倫理上、道義上のような領域の問題ではなく、人の命とか危険にかかわってくる場合などで完全スルーはあり得ないですね。上の別の記事でも述べていますが、「してもしなくてもいい」などのレベルでは決してなく「しなくてはいけない」義務になります。

日本の刑法では「やるべきことをしなかった」がために犯罪とされる「不作為犯(ふさくいはん)」となるものがあります。たとえば上司が取引先から金品を私的に受領しているのを知りながら、自分の内に秘めたままにする、同僚が明らかにハラスメントを受けているのに見て見ぬふりをする、母親が養護養育を怠って子どもを餓死させる~などがその例です。

アメリカでは州にもよりますが、犯罪に値する行為を見て見ぬふりをすると加害者と同罪とまではいかないが、何らかの罪に問われる場合もあるとのこと。ウェスタンの世界ではないのでしょうが、自らの地域の治安は自分たちで守るという意識が高いのかもしれません。日本でも「不作為犯」の対象を拡大解釈の方向に持っていくことはできないものでしょうか?

自分の身にも危険が迫る恐れがあるのであれば、他をたのんだり、知らしめたりとか自分のできる範囲で精一杯のことをやるべきです。最近でもニュースでありましたよね。焼身自殺を図って火だるまになっている人をスマホで撮影している群衆の動画です。このような人たちの心理が私にはまったくをもって理解できません。

自分と自分にかかわりのある人の利益しか考えない人でいっぱいの世の中は、どのようなものになってしまうのでしょうか?






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