教育・教師 生徒指導/教育技術 相談ケース

「頭丸めろ!」と生徒に言う前に「まずお前が丸めろ!?」~生徒と教師が坊主になるとき~

あなたがいきなり!教員から「頭を丸めて来い!」と言われたらどうしますか?

今回の相談者さんは、そんな突然の教員からのセリフに憔悴しきりの男子高校生から。かなり長めのメールからも彼の深刻さ切なさが伝わってきました。思いっきり要約するとこんな感じです。「大事な県大会を控えたある日、彼女の誕生日だったため部活を早退して彼女と街で待ち合わせしました。運悪く校外補導中の先生とバッタリ・・・これが顧問も知ることとなり、

たるんでる証拠だ!部員に申し訳ないと思わないのか?辞めるか頭を丸めるかどちらかを選べ!!

と迫られたそうです。

バスケ部は辞めたくないし、ボウズにもしたくない。彼女にも「切らないで!」と懇願されているとのこと・・・進退ここに極まった!という感じできょうもまた駆け込んで来られたのでした。







顧問に髪型を強制する権限も法的拘束力もないが・・・

結論から言ってしまえば、校則違反の髪型、色であるのならばそれを定められたものに直す義務が生徒にはあるが、そうでもない場合、教師に生徒の髪形を強制することなどできない~ということです。

もっとカンタンに言えば「従う必要なし」ということです。

しかし、これでコトが済むかと言えばそう簡単にはいかないでしょう。普通に考えても・・・丸刈りの是非は別にしても、顧問はなぜ「頭丸めてこい!」と言ったのでしょうか?嘘までついて早退して、みんなに悪いことをした~と本人はじゅうぶんわかっているはずです。その理由と心情はじゅうぶんに理解はできますが。

私が思うに、今回の顧問教師の過激なセリフは、「悪かった!」という本人の意思をみんなにもわかりやすいカタチで示してあげよう~という顧問の親心なのではないかと思うのです。辞めるか、剃(そ)るかの二択を迫る行為のウラには本人だけしかわかりえないこれまでの部員も含めた人間関係の積み重ねがあったと思えるのです。

普通の教員であるならば、いきなり「辞める」という進退にかかわるところまでは行きつかないものです。顧問にそう言わせる「何か」が、伏線がこれまであったのだと私は思うのです。

彼との相談メールは二往復しただけであいさつもなしに音信不通になってしまったので、結末がどうなったかをうかがい知ることはできませんでしたが、こういった彼の言動から考えてもあながち「顧問がすべて悪い」とは言えないでしょう。

顧問の先生はこうも言っているといえるのです。

「部活辞めなくてもいい!頭丸めてくるなら!」

最大限の譲歩だったのかもしれません。彼のしてしまったことは取り消すことはできません。彼の行為がみんなの知るところになったなら、彼は自分の誠意、謝意を示すために何らかのアクションを起こさねばならなかったはずです。それなのに、聞くところによると、親友だけには謝ったが、ほかの部員に対してはまだ何も話していないとのこと。

これでは顧問教師が提示したように、どちらかを選ぶしかないのではないでしょうか?やっちゃったけれど、責任は何も取りたくないというのはちょっと違うのではないでしょうか?!

顧問にこう言わしめるその前に、彼がとるべき行動はほかにももっとあったはずなのです。




武士の切腹と断髪の持つ意味

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ブラック校則?茶髪頭髪指導の難しさ~心に響かなかった私の失敗~信じて待つ~

などで頭髪指導についてはさんざん一緒に考えてきました。しかし、今回のケースは本人が頭髪指導対象となっているからというわけでもなんでもありません。

たとえとしてはちょっと不謹慎&違うかもしれませんが、武士の「切腹」「髷(まげ)を落とす」という責任の取り方と、今回顧問が提示した「2つの方法」を対比させて考えていくとものごとの本質が見えていくような気がしてなりません。

「切腹」=ハラキリは、自らの腹を搔っ捌く(かっさばく)ことによって、罪をなかったことにする(罪をあがなう)というものであり、殺されるのではなく、あくまでも自らの意思で死を選ぶという武士の誉(ほま)れ、矜持(きょうじ)でもありました。(当然ですが、あくまでも武士の世界での話です。)

そのため、切腹をすればそれ以上の追及はしないということが、「武士の情け」となってしまったのです。いまでは当然、腹を切って責任を取る~ということはあり得ません。しかしこのような風潮は、深いところまで日本人に根付いてしまったため、切腹のかわりに頭を丸める行為であたかも責任を取ったかのような感覚が残ってしまったと考えられます。

一方、「髷を落とす」行為は、昔は「反省」などの意味ではなく、「仏門(ぶつもん)に入る」ということだったようです。髷を落とす=武士でなくなることであり、俗世を捨て去る~ということでもあったのです。今のように反省の態度を示すためのデモンストレーションなどではなく、たいへん重要な意味を持った行為であったことがじゅうぶんにわかります。

つまり現代では、かつての武士の責任の取り方として最高の誉れであった「ハラキリ」が、かたちを変えて「坊主」にすることになってしまっているのです。昔の「髷を落とす」こととその意味はまるっきり異なったものではありますが・・・

自らが責任を取るというアクションはどこか清々(すがすが)しくそれこそ誉(ほま)れなのかもしれませんが、ハラを切ったからとか、頭をツルツルにしたからといってすべてなかったことにしてしまうのは、物事の本質を直視することから逃げることに他なりません。本人の生死は別にして、次に活かすことができないでしょう。

何が言いたいのかというと、こういうことです。

顧問教師は、何も辞めさせたりボウスになどさせたくはなかった。

そう言わせる前に、本人の謝意なり反省の弁が聞きたかった。

しかし、それが望めなくなったいま、究極の選択しかなかろう・・・

つまり、彼、顧問は本人を突き放したようで、最後のチャンスを与えているのです。

こんな顧問の思いをよそに、相談者さんは、「まずお前が丸めろ!?」と顧問に言いたかったそうです。だったら自分も坊主にするというのです。彼の主張するところによると、部員の責任は顧問の責任でもあるので、まずはやってみせてくれ~という論法のようです。

この二者間には、いままで積み上げてきた人間関係とか信頼関係、師弟関係というものは無いのだと直感し、一抹の寂しさを覚えたのでした。

この場合、顧問まで坊主にするのは「?」がつくでしょう。もちろん彼の言うように、部員に強制する前に、御自ら頭を剃り上げ、範を垂れるケースもあるのでしょうが、明らかに今回は違う。

それでは、生徒、そして教師が「頭を丸める」という行為におよぶケースはどのような時なのでしょうか?!これまでの私の経験から少し話していきます。




生徒が頭を丸めるとき
反省の態度を自ら示すとき
いまの時代、強制はできない

やはり、「頭を丸める」のは男子生徒~と相場が決まっているようです。かつて、指導に入った女子生徒が自らの意思でロングをバッサリと落としたことがありましたが、ボウズにまではしませんでした。彼女は反省の意味というよりは、これまでの自分と決別したかったからという理由のようでした。

男子生徒が頭を丸めるときには、私の経験では以下のスリーパターンがありました。

① 生徒指導上の理由から

流れがわかっていて、本人自らボウズにする~と申し出るパターンと、担任もしくは指導部教員などが本人が反省している場合、少しでも指導を軽くしてあげようという親心から、本人にそれとなく言う場合。

教員によっては、なかば強引に丸めることを強制するケースもありますが、こういった指導はうまくいくはずがありません。あくまでも本人自らの意思で切った~ということが大切なはずです。反省も謝意もないなかのボウズがまったくの意味をなさないカタチだけのものであることは言うまでもありません。

不思議なことに、ボウズにすることにより指導が軽減されることがほとんどなのです。生徒指導部案件に上がる→まずはボウズ→生徒指導部会で担任の弁「頭を丸めて本人は本当に反省しています」→指導期間、内容、課題の量の軽減~といったようにお決まりのパターンです。

これもまた学校文化、教員文化というのでしょうか?「カタチで示しているのだから、少しは考えてあげてもいいのじゃないか?なんでもカタチ、態度で示すことは大事だ・・・」

繰り返しにはなりますが、カタチだけにとらわれて「なかったことにしてしまう」風習はいかがなものでしょうか? 本人がこころより反省し、何も見返りなど求めず自ら頭を丸める~というならまだしも、指導の軽減狙いで、その気もたいしてないというのに「カタチ」だけ反省のポーズ、スタイルを取るという行為にはどこか人間の浅はかさ、醜さを感じてしまいます。

私自身の担任歴、指導部歴のなかでも子供たちが自主的にボウズにしたことはそれなりにありましたが、私が強制したことも、私自身が言い出したりに、それをにおわせたこともありませんでした。頭を丸めるという行為は、やはり自身の身体の一部をそぎ落とすというものである以上、たとえそれが身体上痛み(心情は別)を伴わず、すぐに伸びてくるものだったとしても強制すべきものではないと私は考えたのでした。(指導で直させた髪の毛の色は、これまた何度も話してきたように別物です。)

② 部活動顧問が活を入れるため

私の顧問経験では活入れのためにボウズを強制したことはありませんでしたが、運動部などではしょっちゅうありましたね。大会前、気合を入れるため、大会後の総括、そして今回の相談者さんのように部員の不祥事、問題行動のため、一部もしくは部員全員で丸刈り。

③ 身体上の問題のため

いくら若くても若ハゲということばがあるように、どうしても髪の毛が生えてきてくれないという悩みを持つ生徒も少なからずおります。こういった生徒はなまじっか髪の毛がちょろちょろ生えてたりすると逆に目立ってしまうため、思い切ってルルツルに剃り上げてしまうのです。

逆に女子生徒などには、顔のアザや傷を隠すために顔を覆いつくすような長髪を認めてほしい~と相談を持ち掛けられたこともありました。

以上の三例、いずれのケースも教師サイドの指導の名を借りた一方的な強制は望めません。気持ちが入っていないカタチだけの行為は何ら意味を持たないのです。それでは、教師が頭を丸める~ということはあるのでしょうか?




教師も坊主になるとき
私もボウズになった

私が頭を丸めたケース

① 抗議のため、身の潔白を明かすため

この生徒指導案件は話すと長くなるため、詳しくはこちらをどうぞ。部会で生徒の言い分と教師の話のどちらを信用するか?生徒はやっていないというのに、教師が現場を押さえたというだけで指導に入れることが可能か~と部会でも職会でも大紛糾したケース

※「教師人生、一番悔しかった生徒指導(禁煙指導)~警察の学校介入の是非~

② 責任を取ったため

長い教師人生でやってはいけない単純ミスをやってしまったことがありました。あれはまだ経験が浅かったころ、バスケ部の顧問をしていたときのことです。引率で県大会に連れて行ったのですが、私のオーダー、タイムテーブルの確認ミスで誤った開始時間を生徒に告げてしまい、そのため試合は没収試合となり不戦敗となってしまったのです。

頭を丸めたからと言って、時計の針が戻ってくれるわけでも何でもありませんが、当時はとにかく何らかの私自身の反省の「カタチ」をわかるような「カタチ」で示したかったのです。これまら繰り返しになりますが、丸めたからと言って責任がなくなるわけではありませんが、何かしなくちゃいてもたってもいられない~そういうときだってあるのです。

③ 責任を取らせられたとき

長いこと教員をやっていましたが、半ば丸刈りを強制されたのは後にも先にもこの時だけでした。あれは私が初任のころでした。指導教諭の指導の下、検定業務にあたっていましたが、検定合格のためには指導する教員の気合も重要だということで、子供たちの目標合格数の設定を定め、それを達成できなければ丸刈り!というのです。半ば強引に!

もちろん指導教諭もです。ふたを開けてみれば指導教諭も私ともども、なんとなんと目標数を下回ってしまったのです。仕方なく?(このころは結構、髪型にもこだわりがあり、付き合っていた人もいたので結構いやでした)三分刈りに刈り上げました。野球部顧問でもあった彼はもともとボウズなのにツルツルに剃り上げてしまう始末・・・

これが気合いなのかどうか、当時もいまも「?」なのですが、指導教諭曰く「教師の本気度を見せるため」とのことでしたが、どうもイマイチ生徒には伝わらなかったようです。

あれ以来、頭を丸めてはいませんが、昔の同僚に聞くところによるとまだまだ丸刈りの風習は残っているようです。本人の意思とはまったく関係のないところで・・・責任の取り方がちがったカタチで一人歩きしているような気がしてなりません。

ものごとのうわべ、表層的なものだけを見て判断するのではなく、本質を見抜き実践していくという心眼(しんがん)をいまこそ私たちは養っていくべきではないでしょうか?今回の相談者さんの話を聞いてその思いを強くしました。










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