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滋賀・中学校クラス分け異例のやり直しはなぜ?考えられるケース~よほどのことがなければやるはずないじゃないか!~

やった!がっかり↓ ときめき!さまざまな思いが交錯して始まった!と思われた新クラスが幻のものとなってしまっては生徒、保護者、教師ともども複雑な心境であろう。一週間遅れで新新クラスがまたまた誕生したわけだが、クラス編成にかかわった先生方の心労のほどは痛いほど分かる。「クラス替え」とカンタンに言うけれど、当然テキトーに子どもたちを並べ替えるわけなどなく、その実、ありとあらゆることを考慮して配慮に配慮を重ねたうえ決められるものなのである。




報道では、「前代未聞の事態」「意味不明な理由」「異常事態」などのように学校サイドを非難、中傷する声が多く聞かれるが、果たしてこういった物言いは正しいのであろうか?冷静になってみて普通に考えてみれば、少しはものごとが見えてくるはず。このまま見切り発車もできたものをワザワ非難覚悟でやり直す~というのであるから、「重大な何かがあったはず」と想像力が働くのが普通。

そしてその理由が言えないワケも推察、想像できないのであろうか? 保護者、生徒ともどもお客様、消費者意識むき出しで教職員、学校と相対する向きが多いと感じるのは私だけではないはず。自分、自分の子どもだけの利益を最優先させ、学校全体を見守る、寄り添っていく~という姿勢を持てないのはほんとうに危険である。

本来、学校と保護者は、互いに子どもの未来のため手を携えていかなくてはならない同士、パートナーに近い関係のはずなのに。

また、何か問題があると(もちろん学校に非がある場合は、責められ責任を取らされて然るべき)教職員、学校サイドをたたくというマスコミ、保護者の潮流には警鐘をならすべき。クラス替えを幾度となく行ってきた立場から、今回に限っては、学校側の姿勢を評価し、なぜ評価できるのかを話していきたい。

クラス替えやり直しの経緯

「子どもたちの個人情報特定に繋がらないようにご配慮していただきたいというお願いもしつつ、もう一度学級編成させていただくことについてお願いをしました。その翌日、新3年生にも学年集会を開いて謝罪をし、新しい学級編成をするのでもう少し待ってほしいという説明しました。10日に新たなクラス分けを発表しようと教員たちも夜まで作業をしたのですが、今度も不手際があってはいけませんので、しっかりと確認するためにはもう少し時間が必要なのではないかということになりました。学年集会のあと、新3年生一人ひとりと面談をして、新しい学年を迎えるにあたって不安な点などを確認し、そこで出てきた子どもたちの思いも踏まえて学級編成をする必要もあったため、このような判断に至りました」~守山市教委担当者の弁

つまり、4月5日→10日→12日(最終決定)~とクラス分け発表が伸びに伸びてしまったことに対することと、その理由が「意味不明」ということに非難が集中したのである。確かに発表自体が遅れたことにより、授業、学校運営にも支障がでてしまったことは全くを持ってスマートではなく、いけないことである。しかし、その負の部分をも上回る「利益」が見込めるからこそ、やり直しにやり直しを重ねたのだ。

「学校側も把握していたにもかかわらず配慮が足りない学級編成を行ってしまった」とあるように、「このままでもおそらく大丈夫だろう」と一度は出したゴーサインも保護者からの指摘を受け、「このままじゃやっぱりまずい!」となり、学校を突き動かす「何か」があったのであろう。

たしかに、生徒同士、教師生徒?の組み合わせが悪かったことが判明したからといって、一度発表したクラス編成をいじり直すとは普通はあり得ない。現場で、人間関係のいざこざや生徒、保護者の好き嫌いをいちいち反映していたらキリがないし、そもそも小学校や中学校の「クラス」とは、集団と個の関係性を学び、社会性を身に付ける場所である。それでもなおクラス替えをやり直さなくてはならなくなった背景には、やはり「命」にかかわる案件、もしくはそれと同じくらいに重要な問題があったことがじゅうぶんにうかがえる。

知っての通り、この中学校は過去に「命」に関わる事件が複数あり、学校、教職員も過敏すぎるくらい鋭敏になっていると思う。「命」ほど大切なものはないのだから、この学校の判断に対する批判ばかりを浴びせる保護者の考えがまったく私には理解できなし。

保護者たちから「どうして一部の人の声はひろってもらえて、私の子どもの要望は聞き入れてもらえないんだろう?」といったたぐいの意見がわんさか出てくることはもちろん予想されるが、問題の重要度がまるで違う次元であったことはほぼ間違いない。それほどまでに重要な問題あったのだ。それでは、その「何か」とはいったい何であろうか?




クラス替えやり直しの重要な問題とは?

まず最初に注意したいのは、この「なぜ、どうして」「何かあった?」を深堀することは、学校サイド、当該人をさらにひどく傷付け、さらに大きな問題に発展することもあるという事実である。我々の「知りたい」という欲求は自然なものではあるが、われわれ蚊帳の外はもちろんのこと、この中学校の関係者であっても当該人ではない限り、深く詮索したり興味本位で首を突っ込むのはやめておいたほうがいいということである。また、この案件はこれ以上報道してくれるなとも願う。

クラス替えを重ねるくらいなのだから、相応の外に出せない事情と情報があったことは間違いない。それを大衆の興味の赴くままに調べ、公にするというマスコミの社会に対する姿勢はいかがなものか?くりかえしになるが、傷付くだけでなく、さらにさらにその傷口が広がってしまう恐れもはらんでいるのである。守られるべきは、クラス替えの理由となった生徒たちであろう。 誰が原因でそうなったかが分かってしまえば、彼らの立場はどのようなものになるであろうか容易に想像がつく。さらに、今の時代、ネットで特定、さらされること必至である。 今回のケースは起きてはいけないことではあるが、学校は保護者、生徒、学校関係者に頭を下げればまるく収まる話。報道で全体が知ることとなれば、この学校の子どもたちが最も不利益を被る。マスコミはここまで考えがいたって当然のはずの社会の公器。

わたしも当然、深く調べるつもりなど毛頭ないが、長く学校に奉職した経験から考えると、以下のようなケースが考えられる。(ただし、守山市のこの中学校がどういったクラス編成のやり方を採っているのかが不明であるので、あくまでも憶測の域を出ない)

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➀ いじめ加害者と被害者が同一学級になってしまった

もちろん学校は「いじめが原因ではない」と言ってはいる。しかし、生徒が特定されてしまう恐れがあるので、いじめが原因であっても「いじめが原因です」などと言えるはずもなし。そして、直接の加害者と被害者の関係でないおそれもじゅうぶんにある。たとえば、いじめ加害経験者といじめ被害経験者がたまたま同じクラスになってしまったというパターン。もちろん、AとBはいままで同じクラスになったことはない。

私の校種は高等学校であったが、もちろん現場ではこの種の可能性を十二分に吟味して編成する。が、しかし、直接の加害者被害者の関係でない限り、見逃されやすいのである。

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② 生徒指導案件にかかわった生徒同士を組ませてしまった

生徒集団でトラブルが発生し、更に保護者間でも揉めるというケースはよくあること。「やらされた」「まきこまれただけ」「うちの子どもが首謀者ではない」「なんでウチの子どもだけ指導が重いのか」などなど、保護者学校間だけでなく、保護者同士が壮絶なバトルを繰り広げ、学校が仲裁に入ることもよくあること。

解決した、元に戻った~と思っていて、大丈夫だろうと思い一緒もしくは隣のクラスにしたが、やはり保護者からのクレーム~というパターン。ひとりの保護者からのクレームとはなってるが、 バツな組み合わせが一対だったら、どちらかを移動させるだけで解決する場合ももちろんあるが、そうは簡単にはいかないのである。一人を動かすことによってまた新たな人間関係を考慮に入れなくてはならず、ほんとうに永遠に解けないパズルのような感じなのである。

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③ 保護者と保護者の組合せがまずかった

問題は生徒同士だけでない場合も。生徒には必ず保護者、養育者がいる。当然別の人格をもった人間である。対応の難しい保護者同士の組合せならまだなんとかなるかもしれないが、モンペが複数も一つのクラスにごじゃまぜになったらこれはもう悲惨である。モンペとモンペがタッグを組んだ日にはもうどうにもならないかもしれない。さらにさらに他の保護者をあおり学校、教師と敵対してくるからである。




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④ 教員と生徒の組合せがやはりダメだった

私はいちばんこれがアリなのではないか?と思う。世間一般では当たり前のように「生徒同士」の問題で~と思っているようであるが、あながちないはなしではない。学校側は「人間関係に問題があった生徒同士を同じクラスにした」と明らかにしてはいるが、まさかそのまま「教員と生徒の相性、マッチングがうまくいきませんでしたので・・・」とは言えないであろう。

「この生徒は私が最後までどうしても見ていきたい」との担任の思いとはうらはらに家庭からの拒絶反応があったのではないか。当然クラス替えをやり直しするくらいであるから、重要な問題を抱えた生徒。もしかしたらセクシャルな問題を抱えているケースも考えられる。このように担任の思いと家庭の考えの違いから大きな問題に発展することもままあるので、生徒と担任の相性もまた重要なクラス編成のファクターなのである。

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⑤ 大化けしそうなペアをつくってしまった

これも現場で場数をふんでいるものならば、頭に入れて編成するはず。一人一人はたいしたことなくてもこの二人が組み合わさるととんでもない化学反応を起こす~というパターンもまたよくあること。ここが本当にむずかしい。誰が見てもこの二人はまずいだろう~という組み合わせなんかではなく、何ら問題行動の無かった二人が組むことによりモンスター化した例は結構あるのである。

★ 問題行動を抱えた二人がつるむことにより、さらに強大になり、クラスをも巻き込み、問題を重ねるようになるパターン

何もチカラを蓄えた生徒同士の組合せだけではない。チカラはないが狡猾さを内に秘めている生徒が、何も考えないですぐに手が出るようなタイプの生徒を従えてクラス全体を子分のように扱っていたというクラスを見聞きしたことがある。

★ 問題を抱えた二人が敵対することにより、クラス全体を引っ搔き回す事態になるパターン

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⑥ 男子生徒と女子生徒のまずい関係

大方の見方としては、男子生徒同士もしくは女子生徒同士と同性の組合せと思っていると思う。しかし、ことはそう簡単ではない。経験校ではドメスティックバイオレンスの指導が初めてであったため、指導をどういったものにするかについて大分議論したことがあったが、男が暴力を振るう場合もあれば、女が男を従える場合だってもちろんある。現代はこれほどまでにも本当に複雑。

付き合っている者同士のトラブルだけでなく、特定の男子生徒に付きまとわれている、告って恥ずかしくていたたまれないので別のクラスにしてくれなければ死にそう・・・などなどさまざまな要望を考慮に入れた可能性もまだある。まえに受けた相談事例では異性間だけでなく同性からの性的いじめ、暴力のケースもあった。

ちなみに付き合っている者同士の編成をどう捉えるかは学校によってさまざま。考慮する学校もあれば、あえて離した学校もあった。新クラスで付き合うようになれば、それを無理に引きはがすことなどできやしないが、クラス替えの前までであれば学級編成権は学校にある。

この他、性的マイノリティーや発達障害などさまざまな要因が考えられるがキリがないのでここらでやめておきたい。




クラス分けの決め方

クラス替えの実際については以下の記事で詳しく話しているので深入りは避けたいが、そのやり方は学校により実にさまざまである。私が経験してきた高校ではすべて、学級編成権は新学年主任のもと、新学年スタッフが掌握していた。(高校入試での合否判定も新一年予定スタッフの発言が大きな影響力も持っていた)

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もちろんうえの記事でも話しているように生徒の取り合い、トレード、遠慮なんてことも普通にあった。一方でこのパターンとは逆に、新学年スタッフはクラス編成業務に携わることがまったくなく、出来上がったクラスを気が付いたらあてがわれていたというパターンと出来上がったクラスを順番に取っていくという方法もあるらしい。

いずれにせよ並々ならぬ注意を重ね、配慮に配慮を重ねてなされるのがクラス分け。隣のクラスになるものまでに注意を払う徹底ぶりなのである。それもこれも教師であるならば、クラス替え、編成がこどもたちのこれからに対する影響力が計り知れないものであることを十分に理解しているからなのである。また、これから受け持つことになる自分たちの力量、将来性、人間関係(主に学年スタッフ同士)なども考慮に入れてなされるのが普通。クラス分けでドキドキワクワクするのは、何も子どもたちだけではないのである。



教育現場はこの10年くらいのあいだで、児童・生徒、保護者の力が増し増しとなり、毎年3学期年度末になると、保護者などが学年主任などに教師や生徒との相性を理由に違うクラスにしてくれとか同じクラスにしてほしいなどの要望、哀願が絶えないという。

私の場合も、こういった個人的な要望は実際のところそれなりにあった。しかし、よほどのことがない限り、すべて受け入れていたのではそれこそ収拾がつかなくなってしまうので、どこかで折り合いをつけてもらっていた。この「よほど」の持つ温度差が学校保護者間であればあるほどこじれ、もめることになるが、普段からのクラス経営で保護者との連絡を密にして関係性が良好なものであれば、「来年も先生のクラスでお願いしたいのですが・・・」なんてことになるものである。

また、私は公立退職後、私立女子校にも奉職したことがあったが、私立の場合、公立高校といっしょくたに並べて論ずることはできない。私立の場合、保護者は学費その他もろもろを納めてくれるお客さま。保護者からの要望、苦情、意見にはかなり敏感である。学校の評価、評判がモロ志願者数に影響してくるので当たり前なのだが、そういった意見、要望などは公立に比べ慎重に受け止められ、「よほど」のことがない限りおおむね受け入れられていた。

学校と保護者との思いの違い

「なぜ延び延びになった理由を言えないのか?」

「なぜ少人数の生徒のためだけに、授業をしないのか?」

この2つが説明会での保護者意見の主なものであったようだ。

要は多くの父兄、保護者は、自分と子どもが良ければそれでよしとし、学校サイドの事情などは知ろうともしていないことがよくわかる発言ではなかろうか。 「少数のために授業をしないのか」という物言い。それ、自分の子どもが今回の事案の対象でも同じことが言えるのですか?と問いたい。一人の子どもの事情であったとしても、これほどまでにさまざまな犠牲を強いてまでやってくれている学校なんだ~と思えない余裕の無さ、心の狭さが情けなくさびしい。

そのような一人の子どもでも手を差し伸べるのが学校というところ。確かにこの学校の規模からしたら「たった一人」かもしれないが、その一人ひとりが集まってこそこの学校も成り立っているであるからして「されど一人」なのである。そして、その一人、ワンペアの他に与える影響力を考えるとき、「たかが一人」で済まされないと判断したからこそ踏み切ったのではないか。そこを分かってもらえないのが悲しい。

また、それでもなお延び延びになった理由にこだわ続ける保護者にも、自分の子供がそのような立場であっても同じことが果たして言えますか?と問いたい。たとえいじめではないにせよ、当事者の生徒を思えば詳細などは話せない。生徒同士の人間関係などデリケートな問題を公表したら、即、当該人特定につながるからだ。「知りたい」「納得がいかない」という気持ちもわからないわけでもないが、何でもかんでも真実を追求し、公表することが必ずしも常に正しい事とは限らないのではなかろうか。

このようなギスギスした不寛容な時代だからこそ、相手の立場に立って物事を考えてみるという余裕、寛容の姿勢がもう少し必要であろう。

さまざまな方面に迷惑と心配はかけ、決してスマートなやり方ではなかったかもしれないが、誤りをを認めて謝罪もしている。この中学校は、生徒のために、いま出来ることを全力でやったような気がする。もう騒ぎ立てることはよそう。

それにしても、子どもたちは普通はできない、一年に二度のクラス替えを経験したのである。間隔こそとてつもなく短かったが。最初の新クラスであったなら・・・とか、新新クラスでよかった!とかさまざまなそれぞれの思いが交錯したことであろう。でも、それもこれもまたすべてめぐりあわせの一つである。来年、卒業という晴れの日を迎えるころには、この経験もまたさまざまな想い出の一つにかわっていく・・・

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