生徒と教師の関係は果たして「敵同士?」でしょうか? あり得ないですよね。
この国の未来を担っていくこどもたちをリードしていく~という重く、大切な使命を帯びているはずの教師とこどもたちの関係がこうもギスギスしているのはなぜでしょう?
あなたは、生徒の悪口を平気な顔して人前で言う教員を尊敬できますか?教師は完全完璧な人間なのでしょうか?
すべては、ここから始まっているのではないでしょうか? 私は生徒、人のことをとやかく言う前に、まず自分を振り返りたいと思うのです。
いろんな生徒がいてこそ学校、
いろんな考えがあってこそ政治!
~のはずです。何べんも繰り返してやっとできるようになるこども、何度話しても、すぐ忘れてしまう生徒、なかなか言うことを聞かない(指導が生徒の心に響かない)こども~これらのこどもたちがいてこそ、学校でありおもしろいのです。
教員が自分たちのモノサシで生徒を選別(これを区別ではなく、「差別」と私はいいます)し、自分の意にそぐわない生徒の悪口を言ってしまった時点で「教師失格」でしょう!
教師は生徒をよいほうに導いていく存在であることを忘れてはいけません。「悪いところ」があるのならば、生徒が納得いくように指導していかなくてはいけないはずです。悪口からなどは、何も生まれないどころか、生徒に悪影響を及ぼし、教員本人の人格をも貶(おとし)めることになるのです。
今月、東京都議会選挙の自民党候補応援演説でこの国の首相が、聴衆のヤジをまともに受けて、「こんな人たちに私たちは負けるわけにはいかない!」と言いました。みなさんはどう思われましたか?
私はとても寂しく感じました。ヤジをまともに受けてしまった余裕のなさもさることながら、自分の意にそぐわない、反発するひとたちを「こんな人たち」と表現したことが悲しかったのです。安倍さんにとっては「こんな人たち」は自分のこの国の「国民」ではきっとないのでしょう。
なぜ、自民党支持率が急落し、現にいま自分が聴衆から反感を買われているのか自らの胸にきいてみればきっと分かるはずです。痛いところを付かれ、カッとなって「こんな人たち」と切り捨てる~とても一国のトップとは思えない発言である意味、私にとってはショックでした。
たとえば、ユーモアで返す、それが許されないような雰囲気なら最低、無視してでも応援演説を続ければよかったのではないでしょうか? この秋葉原応援演説が、ダウン寸前の自民党にとどめの一発だったように思えてなりません。
自民党大敗のあおりを受けて、都議選落選候補から更に私を寂しくさせる発言が出てきたことにはビックリでした。前幹事長 内田氏後継の中村彩(27)候補です。「(落選したのは)努力不足とかではないと思っている」「脇が甘いなと思います。公人である以上、人を罵倒したりだとか、お金の問題であるとか、恋愛を含む人間関係の問題だったりとか。すごく恥ずかしいなって思いがあり、情けない」たしかにその通りかもしれません。
でも、それをあなたが言いますか?言えますか?と私は彼女に言いたいのです。こういう人に政治は任せられないと思うのです。それでも自民党から出ることを選んだのはあなたですよ。一連の発言で特に空恐ろしいのが、「(落選したのは)努力不足とかではないと思っている」これです。
なぜ、逆風を補って有り余る魅力が実力が自分になかったからだ~と振り返ることができないのでしょうか?
この若さでこの傲慢さ、怖いです。恐ろしいです。こころの中で思うのは人間ですから自由です。それを本当に言ってしまうなんて、とてつもないことだと気づかないことがもっと怖いです。
このように「言葉」というものはとてつもなく、重いものなのです。児童生徒に影響を与えていくこと必死の教師は「前向き」「建設的」であるべきで、そして「教育的配慮」が求められるべきです。その教師が「悪口」など言っていいはずがありません。
Sponsored Link
最悪なのが陰口、
そして最高なのが陰ホメ!
私事で恐縮ですが、私の祖母の話をします。もうなくなりましたが決して人の悪口を言うことのない人でした。苦労人で姑にいじめられ、やっと解放されたかと思ったら今度は息子の嫁にいびられ続け、さぞかし辛かった人生だったでしょう。
それでも嫁を悪く言ったことは一度も聞いたことがなく、むしろ立てていたのです。孫である私たちの教育は厳しいものがありましたが、指導はしても悪口は決して言うことのない人でした。陰でも日向でもですよ。
その祖母がよく言っていたのが「うちはいい嫁もらった~」で、これが口ぐせでした。褒めるということは直接本人に言うことももちろんよい影響を与えるものですが、このように陰で、本人がいないところで本人をほめるということが一番よいほめかたなのでしょう。それが伝え聞きで本人の耳に入った時、本人はどう思うでしょうか?
そして最悪なのが陰口です。ウラで言われるよりは面と向かって言われたいものです。
飲み会などでグチならまだいいかもしれませんが、よくそこにいない人たちの悪口大会になることがあるかもしれません。こういった飲み会から生まれるつながりは実に脆いものだと知るべきです。こういった話し合いからは何も得られるものがないばかりか、あなた自身にも悪影響を及ぼすような気がしてなりません。
悪口などは瞬時に漏れ伝えで本人の耳に届くことでしょう。それでもあなたは悪口を言い続けますか?
悪口をいうくらいなら、その人のいい面に目をちょっとでも向けてみませんか?きっと何かが見えてくるような気がします。
※ちょっとした気のゆるみの陰口から、大切な友人を失った私の悲しい反省
「悪口を言う人、言わない人、どっちが好きですか?みんな悪口の怖さに気付いてない!」
そして、結論!
悪口は陰でも日向でも決して言うまい!
ことばのパワーを侮るなかれ!
ことばは「前向き」「明るい」「建設的な」ことばを選んで使おう!
自らを省みる余裕と謙虚さを私はもちたい!