あなたは、人生について考えたことがありますか? 人はなんのために生きてるのでしょうね。
自分の使命を果たすため、人生を楽しみ幸せになるため、人のため・・・みんな「ため、ため、ため・・・」と、なんか人生の目標がないと生きてちゃだめな感じアリアリですね。そんなことないのに。
ただなんとなく生きていくのだって結構シンドイこの世の中、いまさらだけど「人生」、「生きること」について考えてみることも悪くないでしょう。別に無理して「しあわせ」になろうなろうとなんかするからみんな疲れちゃうような気がするのです。
ものごと、ラクに考えることは時には大切かもしれません。 しかし、世界でたった一人きりのあなたの人生はあなただけのかけがえのないもの。マジメに自分の人生について考え、悩み、生きていくこともまた大事なことのはずです。
生きている時間はみんなみんな限られているのですから。
比べることのむなしさ・・・自分の軸をもつことの大切さ!
毎日のように、さまざまなメディアで幸せ(そう)な人たちが、これでもか?というくらい自分たちの「しあわせ」を見せつけてくれています。SNS等で自分のリア充ぶりをひけらかし自己満足?!に陥る人たち・・・本当にみんな、「幸せ」なんでしょうか?
どうも、今の世の中、しあわせを煽(あお)り、なんでもかんでも消費させ、「しあわせでなくてはいけない!」という強迫観念に私たちは囚われてしまっているようです。そんなに無理してしあわせになろうとなんかならなくともいいのに。
こういう時代だからこそ、私たちは見せかけの幸せになんか惑わされてはいけないと思うのです。
「自分はいったい何を求めているのか?」
「何がしたいのか?」
「どこにたどり着こうとしているのか?」
これが実はいちばん大切だと思うのです。みんなの幸せは私のしあわせではないかもしれません。
それなのに、みんなと同じでいないと不安でたまらないなんてちょっとおかしいじゃありませんか?
夢、幸福を追い続けることも大事、
しかし現実を直視し日常を大切にすることはもっともっと重要!
いまの自分は本当の自分ではない・・・自分は何かができるはずだ・・・随分となが~い間、「未来の夢のために今がある、いまがんばらないといけない!」という考えに囚われ、その目的のために修業僧のような生活を続けてきました。
そのためにはすべて日常を犠牲にし、さまざまな人たちに迷惑をかけてきました。ほんとうにそれでよかったのでしょうか?
そんなはずはないです。私を取り巻く人たちにも日常があり、夢があり、しあわせになる権利があったはずなんですから。夢を追い続けるあまり、私は現実を直視することなく日常をないがしろにしてきたのです。
夢は「みる」ものだけではなくて、「実現」させるものでもあるはずです。
そして、しあわせというものは「なる」ものではなくて、ひとそれぞれの「感じ方」の問題だと思うのです。
「なる」ことにこだわるあまり、日常を疎(おろそ)かにし人に迷惑をかけていたのでは、日常にこそ潜む「しあわせ」を見逃していってしまうのではないでしょうか?
しあわせの郵便物は日々、誰にでも届けられているのだと思います。実は・・・ただ、〒ポストをあえてあけようとしないでいたり、ポストを見るのを忘れてたり、ポスト、手紙の存在にさえ気付こうとしないだけなのです。
つまり、「夢」を追いかけ「実現」させるプロセスの中にも、実は「しあわせ」があるのではないかということです。
現実と夢の距離が遠ければとおいほど、シンドくて途中であきらめたくもなります。
でも、苦しみの中にこそ、見い出せる「光」というものがあるのではないでしょうか?
そうです、日常こそがリアルなのです。
日常を疎かにする人に未来はありません。
未来の夢は日常の積み重ねにすぎないのですから・・・
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夢、しあわせ・・・その先にあるもの・・・
人は自分がしあわせになることと同じくらい、人の幸せをも願うことのできる生き物です。
せっかく巡り合わせた人生です。誰かのために生きてみるのもいいかもしれません。
近くのひとたちはもちろんのこと、「他人」に対して自分は何ができるか?何を提供できるか?
足らないものがあるならば、その距離を縮めるためにどうすればよいか?いま、何をするべきか?人生のゴールまでやることいっぱいです。
その先に見えてくるのが、ほんとうの「しあわせ」のような気がして私はならないのです。
そして、結論まとめ!
生涯、夢追い人
辛いけど、現実を直視する勇気を!
自分には今、何が足りないのか?
いまは自分のため、まわりのために!
そしていつかは、他人のために!
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※「しあわせ基準!死ぬときに後悔しない人生~今日もまた一歩、死へと近づく~」