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児童養護施設職員はたいへん?! その就職ちょっと待った!!~元教師がここだけの就職は避け続けてきたワケ~




今回の相談も、これまた実にヘビー。なんでも、実習でお世話になった児童養護施設での実習体験があまりにもキラキラしたものであったため、本人は強く強く施設への入職を希望。しかし、家族の猛反対にあい、家族間が非常に険悪な状態になってしまっていて、いまは実家を出ることも考え中とのこと。

「なんとか、家族を説得する方法を教えてほしい~」という相談であったのだが、私は彼女に「ちょっと待った!」を突き付けた。だが、本人は職員になること前提むき出しで、いまは他の意見に耳を傾ける余地はまったくなし。これじゃ相談も何もあったものではない。

児童養護施設の職員という仕事は、私は「覚悟」の仕事ととらえている。生半可な博愛主義者やお花畑的なドリーミードリーマーなどが勤め上げることのできる仕事では決してないと思う。では、どうして私がそう思うに至ったか、そして私がなぜこの仕事のかかわりだけはこれまでずっと避けてきたのか、この仕事の大変さ過酷さと照らし合わせてその理由を今日は話していきたいと思う。

何が彼女をそうさせたのか?

今回の相談者さんは、卒業を控えた福祉系の学部生。中高の教員免許の他に社会福祉士の資格も卒業までには取得できる見込みとのこと。両親は強く教員採用試験の受験を勧めたのだが、ついに受けずじまい。彼女の頭のなかは施設就職一色。彼女がここまで思いを強くするにいたった何かがあるはずだと思い、私は彼女に今の想いをたずねてみた。

しかし、どれだけ彼女との連絡を密にしても、真意を聞き出そうとしても上手にかわされ、彼女のこの仕事に対する熱い想い、覚悟というものがまったくをもって感じることができなかった。短期間の実習でいいとこどりで「これしかない!」~と、ときめいてしまっただけではないように私には思えてきたので、これ以上むやみに時間を引き伸ばしたり、本当の気持ちを言えないのであれば相談を打ち切る旨を伝えたところ、しぶしぶ本当のところを話し始めた。

いま付き合っている年下の彼氏が施設出身であること、彼への同情心、慈しみさから施設就職へ切り替えたこと、彼とは卒業後に結婚の約束をしていることなど次から次へと新事実がぞろぞろと出てきたのである。相談ついでに「彼との結婚もまた両親に反対されているのですが、これまたどうしたらよいでしょうか?」と彼女の悩みは尽きない。

事情がある程度つかめたところで、彼女にこう問いかけてみた。

「何でもチャレンジ!やってみたら!と安直にすすめるのはカンタン!でもこの仕事だけはいくら新卒で未経験でもハイどうぞ~と誰にでもすすめるわけにはいかない。なぜならある意味「覚悟」の仕事だから。入って大変だから、辛くて耐えられないから、傷つけられてメンタルやられたからといってスグに辞められたら、もう既に傷ついている子どもたちをまた傷つけることになる。やるとの決断には相当の覚悟と仕事にかける熱い想いがないとまず勤まらない。あなたにはその覚悟と想いがありますか?」

予想していた通り、この仕事にかける思いだの自分の夢など語られるはずもなく、聞こえてきたのは彼氏に対する熱すぎる想いだけだったのである。相手の成育環境と一緒に彼女の成育環境また聞いてみたのだが、彼氏とは正反対のお嬢様的育ちを絵に描いたような方で、一人暮らし経験ナッシング、料理洗濯をはじめとする家事もほとんど母親にこれまでやってきてもらったこと、アルバイトの経験もこれまた皆無でこれまで習ってきたおけいこごとの数々を延々と聞かされた挙句、花嫁修行のためにこれからはお花お茶料理を習う予定とのこと。

いつまでも「夢見る少女じゃいられない」のは相川七瀬さんだけじゃないのは本人も分かっているはず~と思い込んでいた私がバカでした。これ以上話してもお互い時間の無駄ということが分かってきたので彼女に早々にこの仕事に就くことをあきらめたほうがいいことを告げた。

彼女はよくあるように悪態をつくでもなく、不満をぶちまけるでもなく「そうなんですか~」みたいな感じでどうも納得しないような不思議な感覚をのこしたまま連絡が途絶えた。

正直な話、荒削りであっても経験がぜんぜんなくっても、この仕事に対する強固な動機、そして熱い想いと覚悟さえあれば、たとえどのようなツラいこと、しんどいことがあったって耐えていけるし、乗り越えていけるものだと思う。しかし、彼女の場合、熱い想いが向けられていたのは彼氏だったわけであるのだからどうしようもない。

児童養護施設は模擬疑似家庭であっても、家庭ではない。

保育士、児童指導員は親代わりであっても決して本当の親にはなれない。

そんな環境下で生活するこどもたちの親代わりになる「覚悟」がないとこの仕事は続かないのである。結婚したら、家庭を「ふたつ」守っていく「覚悟」が求められるから、ほとんどの女性は続かないのである。子供たちを傷付けないためにもいったん施設に足を踏み入れたなら、長期にわたる勤務が求められるのは当然のことだろう。

普通の就職とは一緒くたにできる仕事では決してなく、くどいようだが「覚悟」の仕事なのである。

こんなエラソーに話している私自身、施設での経験はわずかである。日本遍歴道中にボランティア住み込みで3ヶ月と非常勤のこれまたボランティアで一年ちょっとこれだけである。このわずかな体験だけからも、子どもたちのこれまで置かれてきたさまざまな過酷な環境、職員の方々のつらさ切なさを肌で感じることが出来た。

この相談者さんのように、ときめいて(彼氏に)、即、働きたい!などとはとてもとても恐れ多くて思いつくことすらなかった。

これまでさまざまな教育関係の仕事に就いてきた私だったが、なぜこの仕事だけは自分にはできない~と避け続けてきたかを話していきたい。




学校教員から見たこの仕事のたいへんさ

施設はおおよそ2~18歳までの子どもたちを相手にはしているが当然学校ではない~と頭では分かってはいても、教員経験者の性(さが)でどうも、こどもたちを幼児児童生徒に見てしまい、果ては職員を教職員と比べて考えてしまっている自分がいた。

学校教員がブラックブラックと言われるようになって、教員の勤務実態の過酷さが広く知られるようにはなってきたが、児童養護施設のブラック度は学校の比ではない。まさに漆黒(しっこく)と言っていいほどの「黒」であった本当に黒光(くろびか)りしているのである。確かに学校は勤務時間はそれなりに長すぎる。校務分掌がイヤというほど強制的に貼りつきになるから仕方がないのだが、早朝から深夜まで学校に閉じ込められ、土日は部活でつぶれたうえ、まともに休めたのは正月とお盆のそれぞれ3~4日程度・・・となればこちらはこちらで耐えらず、忍びきれない人が出てきてもなんら不思議ではない。しかし、午前様になろうといったん家に帰って仮眠3~4時間とって一息ついてまた早朝出勤はできる。これを許さないのが施設勤務。

日勤、早番、遅番、宿直、断続勤務~勤務形態がとにかく変則的なうえ、シフトがつねにいっぱいいっぱいなので職員の急な休みなど入ったらもうお手上げである。施設は24時間365日、回って動いて稼働しているので「誰か」がその穴を埋めなければいけない。宿直空けであろうが、10日連続勤務になろうがそんなのぜんぜん関係ない。

私が経験したのは2つの施設のみであるからすべてがこうであるとは決して言えないが、常に人手が足りない上、人員の入れ替わり回転が早いのでそれぞれみんながどこかで無理をしていてすべてにおいて余裕がない。これはこどもたちを相手とする職業においては致命的な構造的欠陥になってしまうと思う。職員自身が自分のことで精一杯でどうしてこどもたちにもっと寄り添っていこう優しくありたい~と思えるであろうか?こういった大人の余裕の無さ、ギスギス感をこどもたちは独特の嗅覚で敏感に感じ取る。

勤務形態一つを取り上げてみただけで、結構しんどいもの。これで終わりではないところが施設の突き抜けているところ。以下に私が感じた施設特有ののたいへんさ、厳しさ難しさむなしさなどを例挙してみたい。




➀ 閉じられた密室空間、狭い人間関係

施設も地元との交流促進が求められていてさまざまなイベントや事業が盛んにおこなわれている。しかし、これもまた施設によりけりである。最初に私がお世話になった施設はこれでもか!というくらい日々さまざまなイベントをこどもたちと職員、さまざまな人たちがみなチカラを合わせて作り出していっていたが、もう一方の施設はほとんどイベントらしいものはなく、日々無事に一日が過ぎ去ってくれればそれでよしとする~そのような施設であった。

子どもたちの発達、自立促進のためにも学校~施設の2空間だけではなく、さまざまな体験、活動を日々取り入れていくことは非常に重要になってくるのだと思うのだが、子どもたちも職員もみながみな、日々いっぱいいっぱいの状態ではそのような余裕を持ち続けるのは正直むずかしい。

国の方針として、大中舎制から小舎制へ、そして施設偏重の現在の状況から脱して、里親・ファミリーホーム、グループホームへの転換がいま求められてはいる。つまり、より家庭的、家庭に近い家庭的養護にシフトしようとしているのだが、こういった流れもますますここで働く者たちを追い詰めるものとなる。家庭的な処遇となると、職員の住み込みの断続勤務が求められるようになるのだが、それでなくともいっぱいいっぱいの現場ではとてもとてもである。

このような状況の施設だが、人の入れ替わり、回転はたしかに早いというか激しい(実習に訪れる学生さんも含めて)ものがある。(平均勤続年数4~5年と言われている)とにかく人が集まらないのである。その人間関係は外の世界、学校などと比べてみても非常に狭いものとなっている。その狭さが良い方に作動するときもあれば、時にはその狭さ故、職員を悩ませ苦しませる。

人間関係がうまく回っている場合は、たしかに和気あいあい、切磋琢磨する関係でいい。しかし、いったんこじれたりギクシャクし始めたりするとたいへん。狭い空間の上に、長時間ベッタリ。施設は24時間365日、施設が潰れるまで永久稼働・・・となると逃げ場がないのだ。

これが、私がこれまで経験した高等学校数校などとなると、職員数もかなりのボリュームで、それぞれが複数の分室を持つことも珍しくもなく、下手すると一日一度も顔を合わせないで済んでしまう人たちもいっぱい。分掌が違うと、直接の付き合いもほとんどない。おまけに学校勤務は定期的な異動がある。トラブルがあってもイヤな同僚がいてもずっとずっとではないのだ。

しかし施設はどうだ?基本、ほとんどがチームプレイ。それぞれが本当に近いところで一緒に仕事をし、シフトが同じなだけでもたいへんなのに、宿直ペアになることなんて当たり前。どのような人とだって付き合っていくしかないのである。仕事だけではなく、職員、こどもともども「生活」を共にしているだけに、こじれるとたいへんであり、「逃げ場」などどこにもないという厳しい現実がそこにはある。

この狭い人間関係空間が独特の空気を醸成し、その空気に耐えられない人たちは早々に職場を去っていく。



② 学校のこどもたちとはまた違った子どもたち

何事もものごとひとくくりにはすることなどできないものであるが、これまた現実である。施設に入ってくる段階で修羅場をくぐり抜けてきた子どもたちが多いのである。愛情に飢えていて守ってあげたくなるようなこどもたちばっかり~なんてこれまたお花畑的ハートで入職した日にはもう理想と現実のギャップに苦しめられ、ギャップを埋める暇もないほど痛めつけられてノックアウトになりかねない。そこには、タイガーマスクのちびっこハウスのような子供らしい子どもは存在せず、それこそ伊達直人のような鋼(はがね)のハートと博愛心がない限り、「この子どもたちのために~」なんてあったかなものはあっけなく雲散霧消する。

愛情を知らず、大人に痛めつけられてきた子どもは、こころを閉ざしたままでハナから大人を信用してない、いや信じたくても信じられないのである。カラダが一人の人間として拒絶反応を示すのである。これも人間の自己防衛機能が働くためなのであろう。同年代の子どもと比べて、コミュニケーション能力の発達が著しく遅れている子どもも当然いる。

それに加え、まともなケア、養育療育を受けてこられなかった子供も少なからず見受けられ、発達障害、病弱虚弱等なんらかの支援援助、医療的ケアが必要と思われる子どもだっているのである。

また、虐待意を受けてきたが故、チカラ関係、人間関係の醸成、認知に歪みが生じ、「チカラがすべて」、「なんとかこの場を切り抜ければOK!」などのように大人を出し抜く狡猾で刹那主義的な考えに傾きつつある子どもも私が経験した施設ではいた。

これも考えてみれば仕方のないことなのだ。自分を守るため、傷つかないための生きるチカラをけなげにももう身に付けているのだろう。指導されないように嘘をつく、常に大人、チカラの強いものの顔色をうかがう、職員、子ども間を序列をつけ利用する、人間関係の距離をはかる、大人をワザと怒らせ困らせる・・・どれもこれも子どもたち自身を守るための精一杯の背伸びなのだ。

こういった子どもの特性を理解せずして、目の前の子どもの一挙手一投足に傷ついたり、怒り心頭になるようではとてもここではつとまらない。

こんなエラソーなことを話している私自身、よく学童保育などで年長の児童が年下の子どもの面倒をかいがいしく見てあげてる~なんてほほえましい風景を期待していたものである。はじめて入職したその施設で、初月にその淡い思いは見事に吹き飛ばされた。弱いもの、年下を従え、王様のようにふるまう中学生に職員も手を持て余していた現場を目の前にして、人間への信頼の回復にはとてつもない時間と労力がかかることをあらためて思い知らされたのだった。

こういった子どもたちも当然学校に通ってはいるが、少なからず不登校、自閉などの傾向が見受けられるうえ、学校での問題行動、校外での非行などで学校、警察に呼び出されたことも一度や二度ではない。



③ さまざまな年齢層、かつたくさんの子どもたちの親代わりになる覚悟が絶対必要

ある時、私のように学校教員上がりのものは、このことでどうしても壁にぶち当たる~と施設長が言った。授業で得られるあのライブ感、高揚感充実感も、クラスを運営していくダイナミズムも、部活動でしか得られない体感的共感的なあの心持ちもここにはない。

来る日も来る日も、家庭では決してない実に閉鎖的な空間で、親には決してなり得ない指導員、職員が親代わりをつとめる日常・・・これがやめるまでのエンドレスワーク・・・もちろん、ここでしか得られない貴重なものもあるのだが、学校ではありえない日常を共にし、疑似家族を「演ずる」ことによるさまざまな軋轢・・・

こういった、仕事を続けていく上でのさまざまな障壁を乗り越えていくには、何があっても子どもたちに寄り添い支え合い、ともに歩んでいくという強い覚悟と、自身を突き動かす「何か」がゼッタイ必要である。勤務実態も含めて学校以上の本気度さが求められる仕事と言えよう。

まさしく本気、根気、体力、気力そして忍耐力の総合的なチカラが求められるド根性の世界である。学校で先生様でなんとか通してきて、家では家事全般家族にまかせっきりだったひとにはちょっと辛いかなという世界である。掃除洗濯、買い出し、料理に洗い物にお裁縫、学校への送り迎えの職業ドライバー+学校行事参加、具合が悪くなったら病院にも連れていく。そして、子どもの親、児相、学校との連携調整、さまざまなデスクワーク・・・こどものしつけ生活指導、教育、指導、精神的なケア&フォロー、果ては急用、急病が出たときのピンチヒッター・・・と仕事にキリはない。学習指導などのおいしい部分は、たいてい学習ボランティアなどの学生さんが持って行ってしまう。

超過勤務当たり前、不測の事態当然ありありの世界で、トーゼンのようにプライベートな時間などほぼないと思った方が気も楽なのである。

~とここまで思いつくままに綴ってみてちょっとハートが重たくなってきたが、施設養護ならではのことももちろんたくさんある。これがあるから、いくらしんどくても続けていけるのだろう。

それが何であるかは、もちろん人それぞれであろうが、長く務めたわけでもない私にはよく分からない。しかし、おぼろげながらも見えてきたものもある。それはここでしか得られない、かけがけのないぬくもり、つながりであると私は思う。

それはそれは大きな家族を持ったようなあの大所帯の雰囲気、年齢を越えた人間的なふれあい、苦楽を共にしたものとのつながり、出会いと別れ・・・ほんとうにさまざまな魅力にも溢れているところなのだ、実際は。
ここで働く人たちの年齢の幅は、お兄さんお姉さんからお父さんお母さん、そしておじいさんおばあさんまで実に幅広いものがあるが、それぞれが年齢なりの役割を越えた役目をきちっと果たしているのもスゴいところである。

子どもたちが成長し、しあわせになっていくその姿をそばで支え続けていく~そんな日常の中に職員のしあわせがあるのかもしれない。




これから、この世界に飛び込もうとしている方たちへ

おそらく、思い描いたようなあたたかなふれあいだけではなく、むしろつらく苦しいことのほうが多いかもしれれない。しかし、ここでしか得られないかけがえのないものもきっと多くあるはず。

家庭のあたたかさに恵まれなかった子どもたちに寄り添っていく覚悟と待つことのできるおおらかさ、そして「いま」自分にできることをやり続けられる、耐えるチカラのある人は是非とも、こういった子どもたちのチチカラになってほしいと思う。子供が好き!だけでは決して勤め上げられる仕事ではないが、ハマる人は本当にハマってしまうのもこの仕事の面白いところ。

私がお世話になった施設の職員さんの話であるが、子どもにずっと恵まれず、養子縁組をして子どもを迎えたのだが親子関係がうまくいかず、その勉強のために入職してそれこそハマってしまった方がいた。その方が言った言葉がいまでも忘れられない。

「親子・・・血のつながりはなくとも愛情さえあればなれるのかもしれない・・・」

施設養護にも希望もあるし、これからも光もさし続けることだろう。陽の当らなところで、耐えて忍んでそれでもこの仕事が好きだから、ここにいたいから、こどもたちを支え続けている人たちの存在があることを私たちはわすれてはならない。



余談・・タイガーマスクと伊達直人

「養護施設」と聞いてスグに私が思い出すのはマンガ、TVアニメの「タイガーマスク」

最近でも、養護施設などに「伊達直人」が善意の贈り物!~などのニュースを耳にしたことがあるかもしれない。これはおそらく存在する「伊達直人」さんがお一人ではなく、彼の名を借りてたくさんの方々が善意を寄せてくれているのだと思う。

今の若い人たちのなかでは、アニメ「タイガーマスク」も「伊達直人」もなじみはほとんどないであろうから、カンタンにストーリーを紹介してみたい。

孤児院(昔はこういった蔑称も許されていた)ちびっ子ハウスで育った青年伊達直人は、悪役レスラーを養成する組織「虎の穴」で鍛え上げられ、タイガーマスクという悪役覆面レスラーになった。 しかし、経営難に苦しむちびっ子ハウスを助けるために、その半分を組織に上納すべきファイトマネーをその借金返済に当ててしまった。

伊達直人がまさに虎として、けもの道を突き進んでいく第2章の幕開けである。虎の穴はタイガーを裏切り者とみなし、タイガーを倒すための残酷な刺客を次々と送って来る。虎の穴出身のレスラーのスタイルというか掟(おきて)は反則技なんでもありの「悪役」に徹することであるが、同じ裏切り者となるなら、せめて後輩となる「ちびっ子ハウス」の子供たちに恥じない戦いをしたいと、悪役からフェアプレーで戦う正統派スタイルへ転向を決意する。




しかし、虎の穴が次々と送り込んでくる悪役レスラーたちとの死闘の中、反則に反則で応えてしまうこともしばしばあり、「虎の穴」で身についた悪役スタイルと正統派でありたい意識の中でながく葛藤した。

戦いに疲れ果てた直人の唯一心の支えが、ちびっこハウスのこどもたちや若月ルリ子(亡くなったちびっこハウス経営者の娘)との触れ合いであった。ハウスの子どもたちもテレビで見るタイガーマスクの大ファンである。もちろんやんちゃ坊主のケンタもである。直人はこのケンタに幼いころの自分を重ねているのであるが、ケンタをはじめハウスのこどもたちは直人を大金持ちのキザな兄さんとしかみていない。だから「キザ兄ちゃん」とみんなに呼ばれている。

直人がマスクで顔を覆い死に物狂いで稼いだファイトマネーも、悲しいかなお金持ちの気まぐれとしか受け取っていない。これは直人の意向ももちろん影響している。施設への金品の寄付、子どもたちへの毎回毎回のプレゼントも有り余るお金からのおすそ分け~としておいたほうが気軽に受け取ってもらえると思ってのことなのだ。

子どもたちは自分たちのあこがれの的であるタイガーマスクが伊達直人であるなどとは露も思わず、今日も直人が贈ったテレビの前でプロレス観戦。しかし、ルリ子は気づき始めている・・・

~とカンタンにストーリーを追ってみたがラストはどちらも壮絶である。「どちら」と記したのは漫画とアニメではラストが全く異なるからだ。

漫画の直人のラストは、幼い子供がクルマに轢きかれそうになる寸でのところで身を挺して救い、自分は自爆。息も絶え絶えの中、最後の力を振り絞ってポケットに忍ばせていた虎の覆面を近くの川へ投げ捨てたため、伊達直人の事故死とタイガーマスクの失踪はむすびつけて考えられることはなかった。

一方、TV版ではちょっと複雑になってくるのでWIKIより引用してみた。

原作と最も大きく異なっているのが最終話である。アニメ版の最終話は、「虎の穴」のボスが自らマスクを被り、最強最後の悪役レスラー「タイガー・ザ・グレート」として、タイガーマスクの前に現れ、直接対決の試合に挑む。タイガーは、最初はいつものように反則技に耐えてクリーンな試合をするが、タイガー・ザ・グレートは裏切り者であるタイガーを抹殺しようと殺意剥き出しで凶悪な反則技を連発する。そして、タイガーは、グレートの顔面への凶器攻撃を間一髪で避けるが、その時にマスクが完全に脱げてしまい、正体が伊達直人であることが白日の下に晒されてしまう。素顔をさらされた伊達直人は、涙を流しながら高々と笑い、グレートに対し「虎の穴からもらったものをたたき返してやる。それで俺は伊達直人に返るのだ」と宣言し、グレートを上回る容赦ない反則攻撃を繰り出し、ついにはジャイアント馬場、アントニオ猪木の制止すら無視して止めを刺してしまう。だが、試合後に冷静になり、リングにおける自らの行いを恥じた伊達直人は、日本を去るという形で物語は終わる。

「キザにいちゃん・伊達直人としては死亡したが、子供達の心の中にヒーローとして生き続けたタイガーマスク」という原作の最終回に対し、アニメ版は「伊達直人としては生存したが、皆のヒーロー・タイガーマスクとしては死ぬ」という、奇しくも対照的な最終回となった。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

報われない愛こそ、至上の愛・・・タイガーはそう教えてくれた・・・

みなしごのバラード



おまけ:TV版「タイガーマスク」最終話ではケンタが「キザにいちゃん」と言いかけて「直人にいちゃん」と言い直すシーンがあるので必見。最終話のファイティングシーンは今ではあまりにもスゴすぎるのでご注意を!










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