「挫折」とはそもそも、いったい何のことを言うのでしょうか?今回は指導が通らない、自分の思いが子どもたちに通じない~と悩まれている先生方のために、私自身がどうやって自分を変えていき、挫折を乗り越えて行ったかについて話します。
最初に大事な結論をもうすでに言ってしまいました。そうなのです。指導の挫折を乗り越える「コツ」は、他を変えようとせず、変わる&変えることができる自分に注力することなのです。
初任地でいきなりの挫折!
初任でいきなりのいわゆる指導困難校・・・なかなか言う事をきかない(私の思い通りに動かない)生徒を前に自信喪失の毎日、そして砂を噛むような虚しさとなんとも表現できない寂しさで、本当に心が折れそうでした。そんな時、先輩教師が相談にのってくれたのです。
「ものごと何でもとらえ方次第だよ!」
「リキんで、相手を何とかしようと思っちゃうまくいかないよ。まず、自分ができることを探して一つづつあせらずやっていったらどうかな?」~とボクは思うんだけど・・・とアドバイスしてくれたのでした。今でこそ、この核心を突いたアドバイスすべてにうなずくことができるのですが、当時の私にそんな余裕はまるでありませんでした。
「捉え方次第ってたって、このひどい状況、他にどうとらえるの?」
「やれることやったけど、他にどう探せばいいんだろう?」
失礼な話ですが、確かこんな風に受け止めていたことが思い出されます。
しかし、ブレイクスルーのその時が間もなくなってきたのです。初任者研修でその先輩の授業を参観させてもらった、その時に天使が舞い降りてきたのです。うまくいかなかったその訳、なぞが一気に解けたような気さえしたのです。不思議なことに。
生徒を全身で丸ごと受け止め、寄り添っていく母のようなあたたかさと父親のような毅然とした厳しさを併せ持つ、それはそれは引き込まれる授業でした。コレだ!と思ったのでした。へこたれない性格が災いしたのか、私はすぐに自己分析に着手したのです。まずは、授業改善からです。(と言っても初任者ですから当たり前ですが)
①自分の授業の分析
撮りだめした自分の授業のビデオを初任研指導教諭、その他先輩教師に見てもらい指導を仰ぎました。
②情緒を安定させる努力をした
自分自身が不安定であれば、こどものちょっとした言動が気になり、感情的になったり、生徒を否定的な目で見がちなことがわかったからです。
③見返りを求めないことにした(ように努力した)
こんなに、がんばってるのに・・・
こんなにしてあげたのに・・・
「~あげた」「~のに」を使わないと決めました。そんなことは生徒からしたらまったく関係のないことです。それが学校教師の仕事なのですから。「自分が好きでやっているんだ!」と何度自分に言い聞かせたことでしょう。
④自分の価値観を押し付けていることに気付いた!
これに気付けたことは私の中では大きかったですね。教員は往々にして「児童生徒はこうあるべきだ!」とか「善か悪かのどちらかだ!」のように決まりきった共通の価値にこれまで培ってきた自分の価値をMIXしてこどもを見ていることが分かったのです。
これまで、「自分が良い!と思っているものはみんなそう思っているんだ~」と恥ずかしながら思っていたのです。
⑤その生徒のすべて(良いところ悪いところも含めて、選別せず)を丸ごと受け止めることにした!
このことは数多くの生徒を選り好みしない~ということにもつながります。好き嫌いしてはいけない~と戒めたのです。
⑥他人に期待しない!ことにした!!
悲しいけれど所詮他人です。自分だって御せず四苦八苦なのに、他人が自分の思い通りに動かないからってイライラして気に掛けるのは愚の骨頂です。ハナから期待する頼る気持ちを持たなければ、イライラガッカリもありませんよ。
これらのことをありがたい先輩教師のアドバイスと自己分析から導き出しました。とは言ってもそう簡単に事ははこぶはずもなく、時間がかかったのでした。しかし、気持ちだけはだいぶ穏やかになり毎日がイキイキし始めたのです。うれしかったですね。考え方をちょっと変えるだけで、ものの見え方がこうも変わるのか~と。
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「挫折」っていったいぜんたい「何?!」
何をやってもダメ!なすことすべてが悪いほう悪いほうへと運び、いくら頑張ってもこれ以上どうしようもなくなったとき、人は「挫折」した!とか「壁にぶち当たった!」などとよく表現します。前の私の例がまさしくこれでした。自分では八方塞がりと思っていたのですが実はそうではなかったのです。解決の糸口、ヒントは至るところにあったのでした。
先の先輩はこうも言ってくれたのです。
「ボクは通過点だと思うんだけど、だれでも通る道だよ。」
「これをどうとらえ、これからどう動いていくかが大事だと思うんだけど」
あくまでも控えめな先輩なのですが、核心ズバリ!です。
「これが、とらえ方ということか?」
「そういうコト!?」
つまり、「挫折」とは「捉え方」「感じ方」なのであって、事実として「挫折」なんてものは存在しない~ということなのではないでしょうか?
私にとって「挫折」と感じたこれらの日々も、「チャンス!」ととらえる人がいるかもしれません。その人の個性、人格によって感じやすかったり鈍かったり、図太かったり打たれ弱かったり~といろいろだと思うのです。
そう考えると気持ちがラクになりました。挫折なんてものは、そもそもなかったのですから。
人に期待するなかれ、自分を頼れ!
私も若い時分は、他人を頼り他人に期待ばかりしていました。家族、同僚、こどもたち、そして友人。こんなふうであって欲しい、こうして欲しいああして欲しい・・・つまり、自分の思っているようにみんなに動いてもらいたかったのです。
でも、これってハッキリ言って、私の独りよがり以外の何物でもなく、他人からしたら「そんなの知るか!」って感じですよね。そう気が付いてからはこう思うことにしました。
「人は思い通りになんかならないものだ」
「もう他人に期待するのはよそう!」
「他人の言動に惑わされて自分を見失うのはイヤ!」
あのイチローさんや松井秀喜さんも言っていたというではありませんか。「自分でコントロールできないものは、どうしようもない。自分ができることのみ注力する!」こんな感じだったと思います。
そうなのです。他を変えたかったら、まずは自分で何とかすることのできる自分を変えていくしかないのです。
自分の考え方にちょっと柔軟性を持たせてみる
意外と多くの人が陥りやすい考え方があります。それは、自分中心にすべての物事を見てしまうということなのです。私も昔はそうでした。しかし、現在では意識して、そうならないように努めています。
世の中にはさまざまな価値が存在し、自分の経験から成り立っている狭い価値がすべてではないということです。
教員は学校では偉そうにしているかもしれませんが、教員の知らない色々な世界を知っている児童生徒だっていてたくさんいるのです。その意味で、こどもたちから学ぶことは多いはずです。自己の凝り固まった固定観念も、違った角度から見てみたり、鳥瞰してみることも時には大切なのではないでしょうか?
また、なんでも物事、張り詰めるとよくないです。ハンドルの「遊び」の部分が大事なように人間にも「余裕」「遊び」が大切です。良し悪しのどちらかだけでなく、グレイのゾーンだって時にはあってもいいじゃありませんか?
生徒の問題行動に当てはめていくと、「待つ」「許す」という「余裕」が生まれてくるかもしれません。
私の退職間際に、新採で赴任してきた若い教師が壁にぶち当たりました。だいぶ深刻なのしたが、詳しく話を聞いてみるとこうです。一人の生徒とうまくいかなくなり、もう学校に来たくない、苦痛だ~となんとも子どもじみた「挫折」だったのです。「アイツはいなくならないだろうから、自分がやめるしかない!」と話は大々的に飛躍します。
「問題の解決は、どちらかが辞めたり顔を合わせなくなることじゃなく、お互い分かり合えることなんじゃないかな」
「教師やってりゃ、誰だって心の中では苦手な生徒の一人くらいいるもんだよ」
「うまくいかないって言ったって、学校全体を考えてみて!先生が辞めたら、他にちょっとは悲しむ生徒いるんじゃないかな?」
こんな感じで生意気にもアドバイスしたように思います。自分を鳥瞰してみて、今自分がどの立ち位置にいるのかについてじっくり考えてみる・・・これもまた大切なことではないでしょうか?
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他者受容と他者理解の大切さ!
ある程度、経験値を積めばテクニック、そして力(ちから)でこどもたちを押さえつけておくとはある意味、容易です。しかし、児童生徒も教師もそれで心から納得できるでしょうか?
こどもの過ち、問題行動などは、それ自体は決して認めてはいけませんが、彼らがそうしてしまった「心情」「心の弱さ、切なさ、虚しさ」を分かってあげてほしいのです。これが他者受容と他者理解です。
「受け入れられた!」と子どもが感じられた時、こどもの心はきっと安らかになることでしょう。これが、指導の始まりとなるのです。みな、頭ごなしに、言うことを何とか聞かせよう、押さえつけようとするから指導が入らない、通らないと嘆くのです。
ここにこそ、ブレイクスルーの糸口があるように私は思います。まずは、自分をもう一度じっくりと見つめなおし、自分の思考をどう変えていったらよいかについて考えてみることです。そして、自分を変えていくためには、行動あるのみです。
他を動かす前に、自分が変わる、自分を変える!
そのために、できることから始め、できそうもないことにも何度も何度もチャレンジしていく!
そういった努力し続けていく教師の姿こそが、生徒を突き動かすと私は信じます。
思っているだけでは何も変わりはしません。
いま、この時から「何か」始めてみませんか?
関 連 記 事・情 報
※「教師の挫折の乗り越え方②~「辞めたい」から「辞める!」に変わる決断の時~」