先日、久しぶりに教え子が経営する飲み屋に行ってきた。教科で縁があっただけの生徒だったのだが、なぜか彼女らのグループに気に入られ、卒業後も年に何度かは会う関係である。当時からやけに洗練された独特の雰囲気を持っていて、彼女は多くの男子生徒のあこがれの的でもあった。
頭髪、化粧などで担任と衝突することも多く、生徒指導上の相談も幾度となく受けてきた。が、担任との板挟みになるこちらの気持ちにもなってほしいものだと当時はよく思ったものである。担任の言うことは聞かないで、他のクラス担任の言うことはスンナリ聞くというのでは、当の担任は面白くないのも当たり前であろう。
そんな彼女であったが、実は高校を卒業できなかった。いや、しなかった・・・というほうががあっているかもしれない。
自ら身を引いたのだ。高校の生徒指導には従えませんと・・・
当時、高校生でありながら、キャバクラお嬢として月50万、多い時で100万稼いでいたというのだから強者(つわもの)である。それでいて、遅刻早退欠席もほとんどせずにそれなりにキチンと通っていたのだからさらにたいしたものである。
しかし、そんな彼女の二足の草鞋(わらじ)を学校は決して許しはしなかった。学校への匿名通報、そして教職員と店でバッタリ~というお決まりのパタ~ンで学校の知るところになり、指導、謹慎を繰り返し、保護者本人納得済みでの中途退学であった。
そもそもが風営法、労働基準法違反を平気の平左で犯すような真っ黒クロスケなお店なのである。それを承知の上で働いていることに加え、度重なる学校の指導にも従わない従えない~ということで生徒指導部会、職会でも学校の指導として「退学」を命じるべきだ~という意見が多くみられた。
しかし、担任や私を含めた少数派の「彼女の相応の理由に免じて最後に温情を~」の声が何とかみなの気持ちに届き、「自主退学」という形で学校を去ることになったのである。
はじめて学校に彼女の素行がバレたときもまた、相談を受けた。
「やっぱり辞めたほうがいいのかも?やめるしかないのかな?」
「でも、学校も続けたい・・・」
「それはハッキリ言って、ずるい考えなのかもしれない」
「やはり、どちらかを選ばなくてはいけないんじゃないか・・・」
「相応の事情」・・・彼女の家庭の様子は以前から相談を受けて見知っていたので(担任と同行して家庭訪問も何度か行っていた)、中途半端で無責任なことは言いたくなかったし言えなかった。
母子家庭で父親が残した借金がたくさんあることに加え、幼い妹たちの面倒、そして祖母の看病までしていた彼女・・・そこに大黒柱であった母が大けがをしてしまい、これまでのようには働けなくなってしまった現実・・・生活保護は受けてはいたが、とてもとても借金までは・・・
そこで最初はガールズバー勤めだったのだが、時給3,000円・日給20,000円プラス歩合とさらにさらに稼げるキャバクラに鞍替えしたということ。御存知のようにキャバクラは風営法の適用を受ける「接待」をともなうお店である。
バーやスナックと異なりキャバクラの場合、女子の管理、掃除やキッチン、雑用などの裏方の仕事はたいていボーイがやり、女子は席に付いてお酌したりいっしょに飲んだりしながらお客を楽しませることの接待のみに専念するのが普通。その点で華やかなイメージが強く、それなりの目的で来るお客が多いのもまた事実。
こういった環境下では、キャストは自らの身は自らで守るしかないうえ、自己の才覚で売り上げを伸ばしていくのが当たり前の個人事業主でもあるのである。
「接待」と一言でいうのは実にカンタンであるが、その仕事の種類と量、持っていかれる時間はたいへんなものであると想像がつく。とくに時間外がたいへんらしい。かつて彼女から聞いたところによるとこんな感じである。
-
きれいな服を着てヘア、メイクをバッチリキメる
-
当然、お客のとなりに座る
-
名刺を作ってお客に渡す(連絡先入り、メアド&ケー番)
-
お酒を作ったり、お酌
-
お酒を飲みながら楽しい雰囲気づくりを心掛ける
-
お客同士のトラブル時の処理
-
タバコに火を付けたりおしぼりの提供
-
延長・指名交渉、ボトル誘導
-
場合によっては、プライベートな連絡先の交換
-
お客とアフターで食事やカラオケなどに行く
-
お客と定期的に連絡をとり、店との関係をつなぎとめる
-
次回来店・指名の交渉
-
同伴交渉&同伴でお客と食事など
これ以外にも、頻繁にお客から電話がかかってきて何やら相談を受けたり、とにかく口説かれまくってたいへんという。しかし、キャバクラは連絡先の交換を前提としている以上、口説かれるのも仕事のうちととらえるしかないのであろう。
私はバーやスナックはたまには行くが、キャバクラはほとんどいったことがないのでよくはわからないが、正直なところあの独特の雰囲気は苦手である。お金の臭いのする人にすり寄っていき媚まで売る人たち・・・というイメージが私の場合どうも強い。もちろんみながみなそうな訳はないのだが。しかし、彼女はそのような環境下で働いていたのだ、家族のため、自分が生きながらえるため・・・
彼女が働いていた環境と学校とはまるで相いれない存在同士であるのは明白だ。たとえば都の場合、営業所(風営法規制対象のお店)から100メートル以内に保全対象施設(学校、病院、児童福祉施設、図書館など。何が保全対象施設なのかの規定は自治体による)がある場合、営業の許可すら下りない。こういったお店は学校の教育活動上、好ましくないととらえているのである。
そして風営法ぬきに考えてみても化粧、頭髪、ピアス、喫煙、飲酒、不純?異性交遊、深夜俳諧~と生徒指導該当事項案件のオンパレードである。
こういいたお店で努めていながら学校に通うというのはどう考えても無理があるし、許されることではない。それで先述の私の発言になったというわけである。やはり、どちらかを選ぶしかなかったのである、彼女は。
当時、彼女の進退がかかっていた保護者を交えての面談時に同席したことがあったが、かなりこたえた。いたたまれなくなった。
「きれいごとじゃ食べていけない、生きていけない」
「じゃ、あなたがわたしたちを養ってくれるのですか?」
この2フレーズはいまでも耳にこびりついている。当時、その場に居合わせた教員誰しも口をつぐむしかなかった。次の言葉を発するのがこわかった・・・自分の言った言葉がまるで意味のない軽々しく無責任なものに思えたから・・・おそらくみな私と同じ感じだったのではないだろうか・・・
教師という存在はなんて無力なのかと・・・こんなときなんにもしてやれない・・・
既得権益にのっかかり、あえて冒険はせずチャレンジもできない、勉強もしない人たち。彼女はどうか?個人事業主である以上、自己の売り上げを最大限に伸ばすために、自らの価値を高めるためにできる努力はなんでもした。とにかくたくましかった。
お客をいやす楽しい時間、雰囲気を提供するため、話を聞くことに徹するトーク術、そのためのさまざま勉強・・・彼女から水商売の奥深さをいろいろ聞くにつれ、やはりこういった仕事は究極の接客業なのだと思えてきたのである。何の努力もなしにできるしごとではないと。
彼女の場合、学校で学ぶことよりも実社会で学んだことのほうが多かったのかもしれない。
月給換算で管理職並かそれ以上稼いでいた彼女・・・どれだけ稼いでも家にほとんど入れていたため仕事上着飾るもの以外は自分のためにはほとんど使うことがなかったという。そんな彼女は、当時の私を含め大人たちをどう見ていたのであろうか?それがなぜか気になってこないだ聞いてみた。
「恵まれた人たちという感じかな。わたしたちとは住む世界がちがう人という感じ。」
「誰も助けてはくれないから、自分で自分が何とかするしかなかった」
私が高校生だったころ、学校の先生は自分の知らないことを教えてくれる絶対的な存在であり、敬うべき人であった。
いまではもはや学校教師はそういう存在ではなくなりつつあるのかもしれない。わざわざ学校など行かなくとも、その気にさえなれば学びの場はネットをはじめそこいらにいくらでも転がっているし、実際に億を稼ぐN高生をはじめ、教師よりたくさん稼ぐ小中高生はこの日本でもたくさん存在する。
ものをおしえるから偉い?!
それはいまやなくなった。教え込む、教えるだけから 子どもの学びを刺激し学習をコーディネイトするコーディネイター、コンサルタント、カンセラー、メンターのような存在になることがいまや教師には求められているのかもしれない。
彼女はいまは飲み屋さん、スナック、バー、その他飲食店を多店舗経営する敏腕経営者であり3人の娘のお母さんでもある。だんなとはキャバクラ縁がきっかけではあるが、なんと彼は彼女のやめた学校の同級生である。彼女が辞めてから心配になり、高校生でありながら学校に隠れてのキャバクラ通いで彼女のハートを射止めたらしい。キャバクラで彼女に会うためにバイトに精を出していた彼もまたつわものである。
縁とはあらためて不思議なものであるとしみじみ思う今日この頃である。
※関 連 記 事
「高校生が退学になるとき!学校の事情と生徒のいいぶん~退学のもつ意味とその重さ~」