わかってはいるのに、つい、命令口調で同じことを何度も何度も言ってしまうんですよね。子どもを思ってのことなのに、親のこころ、子知らず~これじゃ悪循環ですよね?お父さんお母さんが、学生、思春期まっさかりの時の親子関係はどうでしたか?
ちょっと昔のことを思い出してみると、こどもの気持ちがちょっとは見えてくるかもしれません。当時、自分がこどもだった時、親にして欲しくなかったこと、言って欲しくなかったことなどを、いま、自分のこどもにしてはいませんか?
この時期のこどものこころは不安定で、おとなとこどもの間を行ったり来たりしているような状態です。そのような迷える状態の時や、大人としての指導が本当に必要な時だけ、ピシッと決めればいいのです。
また、この時期は親離れの時でもあり、適度な距離を保つことも必要になってきます。親子だからわかる、分かりあえる~と決めつける気持ちは分かりますが、中高生特有の心理状況を理解するようつとめ、こども視線に立ってみることも無駄なことではありません。
今回は、どうしてもギクシャクしてしまう親子関係も、お父さんお母さんがほんの少し変わっていくだけで、好転していくちょっとしたアイディアをアドバイスしていきます。
反抗期と重なる思春期
小学校の低学年ころまでのこどもは、自分を中心に何でも世界が回っている感じで、自分の気持ちにほんとうにストレートです。何にでも興味をもち、本心から泣き、笑い、そして悲しみます。このころのこどもは、本当にこどもらしくってかわいいですよね。そんなわが子も、小学校中高年ともなると、親と心理的物理的に距離を置きたがるようになってきます。
親御さんにとっては、悲しくさびしいものかもしれません。しかし、実は本当のこども時代を脱け出して、ちょとだけおとなになりつつある過渡期の現象であり、本来親として、喜ぶべきことなのです。この時期に自我を確立できず、親にべったりの関係が続くことは、その後の親子関係にわるい方向に影響を及ぼすのです。
思春期とは、自分が他からどう見られるているかについて、はじめて考え出す時期であり、これまでの自分中心的考えから脱却する時期です。またこの時期は、「自分とはなにものか?」と自分と向き合うようになる時でもあるのです。
一方、思春期と重なる反抗期とは、同じようででいてちょっと意味合いが異なります。「これまで親の言うことには素直に従っていたわが子が、ある日突然言うことをきかなくなった、反抗期かも?」よくあるパターンですが、これまた当然且つ自然なことなのです。
親がこうあってほしい、こうして欲しい~という希望、願いとこどもがしたいことのギャップが初めて出てくるときなんですから。こどもは、親の願い、希望のこども像を押しのけてまでも、自分の思うようにふるまい始めます。
こういった思春期特有のこどもの心理状態をまるで無視して、親の思うようにならないからといって、子どもとぶつかりあってばかりでは、うまくいくものもいかないのも当たり前なのです。
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こどものためを思えばこそ、
いまはグッと我慢の時・・・
では、いったいどうすれば、どのように接していけばいいのでしょうか?基本はさきほど話したスタンスです。お父さんお母さんが子どもだったころ、親にはどうしてもらいたかったか、親としてどうあってほしかったか?そのように接していけばいいのです。
ああしろこうしろ~などの命令口調指示はバツ!親の価値基準でこどもを叱るのもダメ!です。過剰な指示命令は、この時期に限っては逆に子どもの反発心、反抗心をあおるだけで何もいいことはないのです。
「こうしたほうがいいんじゃないかな?」
「お母さんはこう思うけどあなたは?」
などのように、子どもの考え方、自主性を尊重しつつ大人としてのアドバイス、意見を出すくらいがちょうどいいのです。誤解されるとたいへんですので前もって断りを入れておきますが、こどもにへつらい甘やかすといったことなどでは決してありません。こういった愚行なら、まだぶつかり合っていたほうがいいくらいです。親はあくまでも子どもナビゲータなんですから。
このような態度で接していても時にこどもは道を誤ります。このような時こそ、これまでこどもの自主性を尊重していた態度を一変させ、毅然とした姿勢でこどもに臨まなければなりません。寄り添い見守るだけでなく、親は指導監督しなくてはいけない存在でもあるからなのですから。
「これとこれをやった時は許さない~」などとあらかじめ子どもと話し合い、納得させたうえで子どもを見守っていくスタイルがいいかもしれません。
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子どものために、いまできること
とは言っても、なかなか思うようにはいかないのが世の常です。そこで、ちょっとしたアイディアを伝授します。ちょっととは言っても、いずれも大切なことですので頭の片隅にでも入れておいてください。
①緩急つけて接する
たとえば、お父さんお母さんがいる家庭であったなら、ふたりとも同じような方針でこどもに接することはもちろん大切なのですが、時には緩急つけて接していくのもよいのです。どちらかがちょっと憎まれ役で、片方が和ませ役とか。時は役割変更してもいいですね。お父さんお母さんどちらかだけの家庭であっても、指導方針は変えずに緩急つけていくことは大事です。こどもだって大人だって和みたいときはありますもの。
②性差を考慮に入れて
いつまでたても子どもは子ども・・・親からしてみたらそうかもしれません。しかし、性差を意識し始めるこの時期、いつまでも「男女の性差」おかまいなしで全部ひっくるめて子ども扱いはちょっとうまくないですね。男の子は「一人前のオトコ」として、女の子は「ひとりのオンナ」として、たとえそうではなくとも、そのように扱われると自尊心がくすぐられてやっぱりうれしいものです。
特に、父と娘そして母と息子の関係のように親子でありながら、異性である場合はデリケートになってくる分、異性のこどもとしての自尊心を尊重してあげなくてはなりません。性から来る問題が根っこが深い分、こじれると親子とは言え、いや親子だからこそ更に難しいものとなるのです。
一方、同性の親としては大人の男として、そして一人の女としてのモデルのような存在であってほしいのです。子どもに「こんな男だけにはなりたくないな~」などと思われたら親として悲しいですよね。
③認め、そして信じること
子どもの考えを尊重し、自主性をはぐむむようにしてはいても、子どもは時に裏切らります。見事に。しかし、どんな悪さをしても指導はもちろん必要ですが、子どもわが子の存在だけは否定してはなりません。どんな時も見捨てない、親であることに変わりはない~この姿勢を貫くことが何よりも大切です。親が子を見捨てる、無関心~これが一番こどもにはこたえます。辛いんです。
④逃げない
どんなに気まずくとも、逃げずに子どもと向き合う続けることです。これは案外難しいですよね。何か子どもとあっても、恨みに思ってネチネチグチ指導~なんてのは論外です。指導は指導できちっと済ませ、お互いのためにもスパッと気持ちを切り替えられる大人の余裕を見せてあげましょう。
家庭を家族を大事にしている~というスタンス、姿勢は日ごろの会話にも自然とあらわれてくるものです。夫婦間、親子間の会話はどうでしょうか?笑顔が一日で一度も見られない日なんてありませんよね。まずは、「おはよう」「おはようございます」の一言から一日、すべてが始まるのです。
⑤「叱る」と「怒る」はベツモノ
当たり前だけど、みなさんいっしょにしちゃってますね、これ。「怒る」の名詞形は「怒り」アンガーです。つまり、怒っていることは、自分の感情に任せて、怒りをこどもにぶつけているだけに過ぎません。目上の立場にあるものがこれではいけません。子どものためを思って、感情を抑え、指導し諭すのが「叱る」です。どちらがこどもの心に突き刺さるかは言わずとも明らかでしょう。
いかがでしたか?親子だから、言わなくともわかる、わかっているは正しいのかもしれませんが、時には幻想以外のなにものでもない時があります。口に出して言ってみて、言われてみて初めて相手の気持ちが分かる~ということもあるのです。まずは、日ごろ毎日の会話から親子関係を見つめ直していきませんか?