教育・教師 生徒へのメッセージ

「学校の勉強は意味なく、社会で役に立たない!」は本当?なんのために勉強するのか?~勉強自体がトレーニングである理由~









いつの時代も議論される「学校勉強不要論」・・・ですが、私が思う結論はこれです。「意味もないことをやるイミはない!」必要だからある。

現実は、ある人にとっては思いっきり必要で役に立ちすぎ、一方ある人にとってはまるっきり必要なし(と自分に言い訳&思い込んでいる)なのでしょうね。

この時期にしか学べない・学ぶべきことが、お上(かみ)がちゃんとおぜん立てしてくれて、無償&格安で学び放題なのですからやらなきゃ損!なのに・・・

このことに気付いたのが私の場合、遅すぎました。

このテーマは、いろんな切り口でいろいろ議論され尽くされてきたことでしょうから、今回は私自身のキャリアにおいて「学校の勉強が持っている意味」についてちょっとディープ&真剣に話してみたいと思います。

いま、学校で学び放題なのに、ただやりたくない&逃げたいだけで「学校の勉強意味なし&役に立たない!」と言い訳している中高生に、これを機会に、これからの自分の在り方、生き方についてぜひ!真剣に考えてもらいたいのです。

すべては、社会で役に立っている人類の共通価値

社会人→教師→社会人フリーター→自営~とドロップ&コースアウト歴が長かった私の場合、実際学校の勉強・学習は思いっきり役に立ちました。まず、社会に出てからは学校のようにすべて教員が手取り足取り勉強、学習を教えてくれたりはしません。当たり前ですが。

会社で課題、問題にぶちあたれば基本、自分で何とかするしかないのです。厳しいかもしれませんが、これが当たり前で現実です。

学校の勉強は問題解決、目標達成の過程そのもではありませんか?

中間・期末考査まであと何日、やらなければならない範囲はこれだけ~自分に残された時間と課題を考えて、配分を考えてトライ&エラーを繰り返し目標クリア!実際、私が教員採用試験をなんとかクリアするまで、自営でなんとか自活していけるようになるまで~このすべてが問題・課題解決の連続でした。

学生時代に苦労して身に着けた自分なりの勉強・学習方法、スランプを乗り切ってきた経験~これらのすべてがいまもほんとうに生きています。

学校でみなさんが学んでいる教科、学科はいま現在この世のなかで役に立っている、必要とされている人類共通の価値なのです。

生きていくのには、最低限四則演算と読み書きくらいあれば大丈夫!といま思っているかもしれませんが、人類がこれからも進化を続け生き抜いていくためには、学び続け、その学び・遺産を子孫に伝えていくことが必要です。

人間がここまで他の動物を凌駕して繁栄をし続けてこれたのも、学び続けることによって進化してきた人間の「脳」によるところが大きいことは間違いありません。だとしたら、学び続けることこそが「人間の証明」なのではないでしょうか?

必要最低限の学びだけでは人間、生き抜いていくことはできないのです。

学校卒業してから、日本で普通にのんびり仕事をしていくのであれば「英語」なんか話さないで済むし、七面倒な「数式」、難解な「物理」ともまったく無縁かもしれません。しかし、学校で学んだこれらの専門をさらにさらに高めて、仕事で活かしている人もたくさんいるのです。

学校教育では、将来これらの学問を使う・使わない問わず、広く一般に人類共通の知識遺産を伝えておこうということなのでしょう。大切なことは、みなさんの将来「に」役立つかどうかではなく、社会「で」必要とされ、役立っているかなのです。

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そもそも、役に立っているかどうか?
を問うこと自体、ナンセンス!

直接役に立たずとも、どこかで必ず、学校の学習・勉強は役に立っている~と私は信じたいです。でなかったら、学校教師10年以上なんか馬鹿らしくて、誰もやってないでしょう。

「こんな学び、価値も世界にはあるんだよ!」とさまざまな学問・価値に若いうちに触れることは実はステキでとても貴重なことなのです。ひろ~く学んで行くと、いろいろなことが分かってきてもっともっと知りたいと思うようになってきて、ちがった景色が見えてくるのです。

そして、学び続けていくことによって当然、その結果である成績も上昇していきます。すると進路の選択肢も広がっていき、自分の可能性もまた広がっていくのです。

「選べる!」というのは実はとても大切なことなのではないでしょうか。2つしかない選択肢からどちらかを選ぶよりも、100も200もある可能性から誰だって選びたいでしょう。

「できない!」「やりたくない!」を嘆く前にまずはチャレンジしてみませんか?いまやらなければ、自分の可能性を思いっきり開かせることはできないのです。

これだけ思いっきり学べるチャンスは、あとからになってはそうは訪れてくれません。

あとからになって、あのときできなかった勉強を思いっきりやりたい!と思ってもできない切なさ、悲しさをきっと知ることでしょう。要は学校での勉強を通して、将来なりたい自分にどう近づいていくかが問題なのではないでしょうか?

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学びから得られる知識以外のモノ・・・
これが大切だったりする

学校での学習・勉強で得られるものは知識だけではありませんよね。

思考プロセスが身についたり、勉強していくことによって、いろいろな自分に出会ったり~と新たな気付きが得られるのもまた学習のたのしさです。

自分自身の特性、向き不向き、キャパシティーをも知ることになるでしょう。

そして、これからも学び続けていくために何よりも大切なこと・・・自分に合った学習のやり方、学び方を見つけるトレーニングもできてしまうのです。

これら以外でも学校の学習で得られるものはまだまだあります。

学ぶ仲間、師との出会い・・・これらは時に一生ものになることでしょう。

いまの時代、学校で教わるような内容は書物、あるいはネット等からいくらでも仕入れ、仕込むこともできます。しかし、ヒトとの交流、切磋琢磨のすべてがネット、机上では完結し得ないでしょう。こころとこころを通わす学びの場・・・それが学校です。

そして、学校の学習内容などまったく興味が持てない~となげく生徒も当然いることでしょう。それはそれでいいではありませんか、無理に好きにならずとも。「勉」めることを自分に「強」いるよりも、自分の気持ちのおもむくまま、ほんとうにこころから好きだと言えるものに没頭すればいいではないですか?

これからの時代、浅く広くの中途半端生半可なちょっとかじったような知識よりも、一点集中でとにかく尖ったディープな専門家が求められているのです。他の人にはない「なにか」こそ、いま求められています。

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社会人としての教養・・・

ここまで話しても、皆さんの中にはやっぱり、「学校の勉強は意味ないんじゃないか、どうせ無駄だろう!」という人が当然いると思います。

芸術、スポーツの分野、あるいはITの分野で身一つで一代を築いたさまざまな有名人・・・彼らにとって学校の勉強は本当に、無意味で無駄なものだったのでしょうか?

私は決してそうは思いません。

これら自分の才能を開花させた人たちは、みな人知れず努力し続けてきた人たちです。どう考えても、こういった人たちがまったくの無教養とは思えないのです。

彼らが放つ威厳、品性、ヒトとしての魅力、奥深さ~というものはたゆまない自身の努力と学びの賜物(たまもの)のはずです。

その土台が学校教育にあると私は信じます。

「無駄なものはなにもない」

「必要だから学校でやる」

「やること自体に意味がある」

社会人として、いま私を支えている「集中力」「持続力」この二つも学びのトレーニングから得たものです。

みなさんには、せっかく学ぶのですから、学問、学ぶことの楽しさに気付いてほしいし、学んでいる学問の奥深さ、そして実際の社会とのつながりも実感してもらいたいと思うのです。

学校での「学び」が本当に役に立つかどうかはさておき、「学び」自体が人生を豊かにしてくれるものなのですから・・・

そして学びのたのしさ、すばらしさに気付いたのなら、今度はあなたがほかの誰かにそのことを伝えてあげてほしいのです。

遅ればせながら、学びのすばらしさに気付いた私はそう思います。
※「もう一度高校生に戻れるなら・・戻りたい戻れないあの頃~いま、未来だけが変えられる!~

※「高校やめたい!中退って将来困るの?「学校つまらない」は理由になる?後悔だけはしないために!













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