教育・教師 生徒へのメッセージ 相談ケース

父親とうまくいかない息子、娘でいいのか?父親が嫌いで尊敬できなくともよいのか?~親子関係は許し許され~♪「野風増」河島英五

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今回の相談は、男子中学生をもつお母さんからの切実な悩みです。「息子が父親をとにかく毛嫌いして、顔も合わせようとしない。先日は、お父さん早く死んでくれないかな?と私に面と向かって言われ、なんて答えていいものやら、とにかくショックでした・・・」

どうしてこうも父親は煙たがられ、嫌われる存在なのでしょうか?

子どもであるあなたがたがこの世に生まれてきた時、お父さんはどのような気持ちだったのでしょう?毒親は別として、親になった喜びとその責任の重さをきっと感じたことでしょう。

親子関係・・・血がつながっている事実が取り消せない分、いったんこじれてしまうと本当にむずかしいです。これまで相談を受けた親子関係問題で、対象が母親であるのはまれで、そのほとんどが父親と息子、そして父親と娘との関係でした。

実際、私自身も幼少期より現在に至るまで父親との関係で悩んでいます。とうに大人になった今、悩んでいるというよりは、適度な距離を保っている~と言ったほうがいいかもしれません。どうやってもうまくいくはずなんかない~と諦めたというわけでは決してなく、そういうものだ、仕方ない~と流せるようになったような気がするのです。

今回は親子関係で悩めるみんなに、実際私がどのような親子関係でこれまで悩んできて、どう対処してきたのか、そして自分の中でどう折り合いをつけてきたのかを話していきたいと思います。

はじめに断っておきますが、こればかりは「正解」というものがありません。みなさんも悩んで悩んで悩みぬいて、自分なりにいつかは、どこかで決着を付けるしかありません。自分のこころのなかで・・・

ちょっとだけ悩んできた先輩として言えることは、解決の糸口は意外と身近なトコロにあるのかもしれない~ということと、そのキーワードは「許し」「流し」にあるのかもしれない~ということだけです。

一緒の空気を吸うのもイヤ!苦手!というより大嫌いだった・・・

とにかく細かい、極度の神経質、気が小さいのにプライドだけは人一倍。自分が絶対で、自分の非は決して認めることはないのに、こどもの非は烈火のごとくとことん追求する~そのくせ外面だけはよく、いい人で通っている・・・

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い~のことわざ通り、父親のやることなすことそのすべてが大嫌いでした。顔も声も、ごはんの食べ方もそのすべてが大嫌いでした。私がこうも父親が嫌いになったのは、原因があると思うのです。大人になった今、自己分析してみると、以下のような原因が挙げられます。

①父は教育、しつけ等そのほとんどを母親に任せていて自分は一切かかわってこなかった。

②何か問題がある時だけ、前面に出てきて私を叱った(というよりは「怒った」でした、感情に任せて)

③力関係で自分が優位にあるときだけ、暴力を振るった。

④子どもであった私を信用してこなかった(と私は思っている)

⑤母親に対しても常に上から目線で、亭主関白そのもの

⑥家で威張っているくせに、外へ出ると急に気が小さくなり「いい人」であろうとする

⑦そのくせ、どこから湧いてくるのかプライドがありすぎ


嫌いなトコロを思い出せば朝になってしまいそうなのでここらで止めておきますが、こうなった一番の原因のいちばん根っこにあるのは、「極端な会話不足」にあるのは間違いありません。こどもの非の事実だけを見て取り、問答無用で殴りつける・・・その姿勢からは、まずは自分の子供を信用し、話を聞いてみるという発想はないのです。

私の父親の性格がよくわかる以下のような出来事があります。

私が乳児のころからひどい小児喘息(ぜんそく)で悩まされていたのにとなりでタバコぷかぷかふかし、そのくせ父の母親(もぜんそく持ち)の隣では決してタバコをのみませんでした。

また、高校入試(当時は私立以外、1校のみしか受けることができませんでした)の時でした。第一志望の高校は当時の私の成績では当落スレスレ。私としては玉砕覚悟で臨みたかったのですが、「落ちて浪人なんかさせられるか、家の恥だ!」とのたまいました。現在でもあの時、「超進学校に行けたなら人生変わっていたな」と思うのです。落ちたとしても踏ん切りがつけられたと思うのです。

このように、自分の子供は自分の所有物、こどもの気持ちよりよりも世間体とか自分の気持ちを優先させてきた人なのです。

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母子家庭のようなこども時代・・・

実際、母子家庭ではありませんでしたが、仕事第一でまったく家庭は省みず、金銭的に家庭は支えてきてはくれましたが、家庭の精神的な支柱は常に母親でした。

父親参観も一度も顔を見せず、スポーツの嫌いな人でしたので親子のキャッチーボール経験もなし、極め付けは免許を持っていない人でしたのでファミリードライブは常に淡い幻想でしかありませんでした。

「どうして、自分の父親は普通の父親じゃないんだ?!」この問いに対する答えを永遠に探しているようなこども時代でした。小学校時代の夏休み、ともだちが家族で海に行った、山にでかけた~と絵日記に自慢げに書くことがたくさんあるのに、自分は何も書けず困った記憶があります。家族でどこか出かけるというときは、決まって冠婚葬祭時オンリーです。

とにかく、ともだちのカッコイイ「フツーのお父さん」がうらやましくて仕方がなかったのです。それよりも自分の父親が嫌いで、尊敬できない存在であったのがいちばん情けなくみじめで、そしてそんな自分も嫌いでした。

当然、その持っていきようのない怒りの矛先は、唯一会話の成り立つ母親へと向けられていきます。

「どうして、お父さんとなんか結婚したんだ!」

「違うお父さんがいい!」

「お父さんのどこがいいの?」

こんな、子供じみた当時の私の無理難題に母親はこう諭します。

「外で働いているお父さんがいちばん大変なんだよ。悪口は言ってダメ。悪い人じゃないんだから」

ここが、私の母の凄いところだと思うのです。親子関係のうまくいっていない家庭の原因として、母子一緒になって父親と敵対する関係になっていることがあげられるのです。母親は、父親を悪者にしてしまっては、うまくいくものもいかなくなってしまうのです。今でこそ、こう思えるのですが、当時の私は母親まで私を分かってくれない・・・自分の味方は誰もいないんだ・・・と一人でセンチな気分になっていたのでした。

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そして、転機が訪れる・・・

そんな子供時代を過ごしてきた私ですから、大学入学をきっかけに当然のように一人暮らしを始め、学校勤務時代の最近までずっと実家を離れて暮らしてきました。

そんな私に転機が訪れます。先にも何度も話しましたが、身体を壊したのをきっかけに先行きをいろいろ考えた末、学校を辞めることになったのでした。かつての父親と同じように仕事第一で突き進んできた結果がこれです。


ふと周りを見渡してみると、教師になって十年以上経っていました。そして、父母ともにそれなりに老いていたという現実を目の当たりにしたのでした。受け入れたくなくとも受け入れなくてはいけない事実でした。あの強情な父親が小さく、弱弱しくなってしまっているではありませんか。

それまで疎遠だった実家との距離が一挙に縮まった瞬間でした。不思議なことにそれまで抱いていた憎悪にも近い悪感情などどうでもいいことのように思えたのですから本当に不思議でした。学校を辞めた人ならこの話は分かってもらえると思いますが、辞めた後は本当の友人のみが残ります。このひとたちと家族だけが、辞めた現在も私を支えてくれています。

最後に本当に頼りになるのは、やっぱり家族なのです。このことに遅ればせながら私は気づいたのです。

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親の心、子知らず・・・子の心、親知らず・・・

今では、完全に自然な親子関係になった・・・と言えればいいのですが、事はそう簡単にうまく運びません。いまでもそんなに好きではなく、尊敬もできません。

しかし、昔のように憎悪と嫌悪が一緒になったあの激しい感情は、なぜか今の私の中にはないのです。それは諦めとは違うものです。どちらかというと、

「仕方ないね、合わなくとも」

「まあ、いいか~」

「お互い様だし」

のような気持ちです。


相手の言動のすべてにイラつき、楯突いてきた昔が嘘のようです。そうです、最初に話したように、「許せる」そして「流せる」自分になったのでした。父と子の血縁が切っても切れないものであるならば、事実は事実として受け入れていくしかないのです。これまでの私はこの事実からあえて目を背けていたのでした。

私の場合、親子とは言え、性格も顔つきに至るまで何から何まで違いすぎる二人なのです。ウマが合うはずなどないのかもしれません。過去の私は、他人の良好な親子関係ばかりに目が行き、うまくいくのが当たり前、普通である~と思っていたのでした。合わなくて当然、それならば、合わないなりの付き合い方を考えていけばよかっただけなんですね。

いろんな親子関係が当然あっていいのですから、最初からこういった楽な考えにシフトすればよかったのです。以心伝心という言葉があるように、こちらの悪感情は相手に当然伝わります。当時、当然父も相当ムシャクシャしていたと思います。

それが、いまでは普通に挨拶を交わせる仲になれたのです。普通の会話に、特別なしあわせを感じている自分がなんだかとても不思議です。

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それでも親子は親子!

誰でも歳を重ねていき、そして老いていきます。この世にサヨナラする支度を始めた父親を見ていると、この人もまた、「フツーの父親」のようにこの人なりに自分たち家族のためにがんばってくれたんだな~と思うのです。

これまで述べてきたようにかなり横暴な父ではありましたが、虐待とまでの暴力はありませんでしたし、お金で家族に心配をかけたことはありませんでした。そして何より三十年以上という長きに渡り、一つの仕事を全うしたのですから。私にはできなかったことです。

「辞めたい!」と思ったこともきっと何度もあったはずです。そこを耐えて忍んできてくれたのだと思うのです。自分の気持ちを言葉であらわすのが苦手な人でした。母はよく「言葉にしてもらえないと、分からないこともあるの~」なんて言ってましたが、きっと父は「家族なんだから、言わなくともわかってくれる~」なんて思っていたに違いありません。

愛情表現の仕方があまり分からない不器用な人なのです。そんな相手の気持ちを、分かろうともしなかった私が悪かったのかもしれません。

親子関係って不思議ですね。私も父も老いていき、時間が解決してくれたんですから。

こういった苦い経験があったからこそ、教師時代、私は大人になりつつある生徒をまずは信用し、自分の素直な感情を言葉にして伝えてきました。そして、極力強制は避け、こどもたちが自分で判断していく過程を大切にしてきたのです。自主性には責任が付いてきます。近い将来、社会に出ていくことになる生徒にはとても大切なことだと思うのです。

今回は、長々と私の経験談になってしまった感じですが、それぞれの解決法、答えがあるのです。最初に話したように、自分なりにいつかはどこかで決着点を見出さなくてはなりません。もしあなたが、まだ幼かったり、時が熟していなくて親を受け入れられない状態であるならば、物理的、心理的距離を取るしかないのです。

間違いなくあなたの親なのです。その事実が受け入れられる日が、来るかどうかは私にはわかりません。でも、ちょっと想像してみてください。あなたが生まれた日、親はどんな気持ちだったのでしょう?あなたのその名まえにどんな思いが込められていますか?そして、あなたが親になった時、こどもに対してどのような気持を抱き、どんな名前を付けるのでしょうか?あなた方には未来という時間があります。

命は受け継がれていくものなのですね。

河島英五「野風増」


 

 

 

 

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