教師 教育・教師 相談ケース

教頭なりたくない!管理職試験受けずに学校辞めちゃっても本当にいいの?!~生涯一教師という生き方~









私が管理職に対して抱いているイメージは悪いものかもしれません。なにせ、極度の睡眠不足と過労から倒れてしまい、身体を壊し退職にいたったのは、ふつうはあり得ない強制校務分掌が原因だったのですから。

ちょっと前に「私が教師を辞めた理由~戻れることなら~あなたのその転職ちょっと待った!」でも話しましたが、学年主任、生徒指導副部長、教科長、運動部正顧問、その他もろもろ~「これで頑張れ!」という貼りつきでした。せめて、運動部顧問をはずしてもらえるように頼んだのですが、教頭と私の考えはずっと平行線・・・最後まで「ウン」と言わなかった私に業を煮やした教頭が学校長に泣きつき、最後は職務命令でやられました。

私にそれだけの能力が無かったといえばそれまでです。私以外のすべての教職員が同じような貼りつきであれば納得もできます。しかし実際、どうだったでしょう。どこの学校でも今でもありがちな光景かも知れませんが、一部の者に分掌が集中し不公平感ここに極まれり状態でした。

日々目を血走らせもがいている私とアフター5、長期休暇を満喫しまくっている教員とが同じ屋根の下で仕事をしているのですから、学校と言うハコは本当に不思議な空間でした。

ウンと言いやすいもの、難なく仕事をクリアしてしまうものを捨て駒のように酷使し、用済みとなったらバッサリ!そんな印象がぬぐえません。在職中は毎年届いていた教頭、学校長からの年賀状も退職後は一切合切ありません。退職したバカものになんぞ、ハガキ代だってくれてやるか!そんなとこなのでしょう。

教頭になる~ということは、こういった「汚れ」「憎まれ」「裏方」の部分の仕事をぜんぶ引き受けなくてはいけないものなのでしょう。これまでさまざまな教頭先生と一緒に仕事をさせてもらいましたが、教頭職に就いたがゆえに不幸になってしまった人たちを目にしなくてはならなかったことは本当につらいことでした。

しかし一方、管理職不人気どこ吹く風、あえて管理職を目指す人たちも当然います。彼らの違いはいったいどこから来るものなのでしょうか?

今回は、現役の小学校の先生からのメール相談(相談はこちらまで→ 51@yumezas.net)です。こちらの先生からいただいたメールをお名前だけ伏せてそのまま紹介します。

突然のご連絡失礼いたします。
いつも楽しく、、、、ではなく、辛い時に拝見させて頂いております。
現在、小学校教員として勤務しており、忙しずぎる毎日をただ闇雲に走っている感覚です。
まめきち様の体験談を読んでは、もう少し頑張ろう、もう少しやってみようと考え直す日々です。
年齢的にも、管理職への打診が多くなり今までは子供が小さいことを理由に断って来ましたが、それも難しくなってきました。
たらればになってしまいますが、まめきち様が退職せずに勤務を続けたならば、どのような管理職になったと思われますか。また、管理職になるのを避ける為の退職にはどのような考えをお持ちですか。
何かの機会にテーマとして取り上げて頂けたらありがたいです。
突然の長文、お願いで大変失礼いたしました。まめきち様もどうぞ良いお年をお迎えください。

なぜ、管理職選考試験は敬遠されるのか?

先生、ご連絡ありがとうございます。

正直な話、このようなお話はやはり管理職を経験された方から聞くのがいちばん、その切なさつらさ、大変さ、やりがいなどが伝わってくるものだと思います。その何歩も手前で挫折したものの戯言と捉えていただいて結構ですが、私なりに今回は考えてみました。

先生は教頭になるおつもりはないようですが、本当に「管理職になるくらいなら辞めたほうが~」と考えておられるのでしょうか?

「退職!」この2文字を見ると私はどうも過敏になりがちです。自分が半分後悔しているだけに、ほんとうにちょっとだけ待ってほしいのです。先生からいただいた質問に答える前になぜに、こうも管理職に就こうとする者がいなくなったのか私なりに考えてみました。

昨年、人事降格制度を利用して、いわゆるヒラの教諭に「格下げ」してもらった管理職が280人以上にも上ったそうです。また兵庫県豊岡市が2019年に市内全小中教員に対して行ったキャリアに対するアンケートではなんと9割の教員が「管理職にはなりたくない」と答えたのです。

これらの数値から、「ヒラのほうがいい」「辞めるのではなく、ヒラに戻りたい」という先生たちの声が聞こえて来るではないでしょうか?アンケートに答えた先生たちが管理職になりたくない理由として挙げたのは以下のようなものでした。

「担任を持って子どもと接していたい」

「労働時間が長い」

「労働時間が増えると自分の家庭の育児や介護等との両立が難しい」

「これまでとはまるっきり違う仕事になりそうで怖い」

そもそも昔は、ある程度の年齢になり役職を経験すると自然と自分で上を目指していったり、声がかかるような雰囲気であったはずです。誰かが必ずやらなくてはいけないものであるのに、なぜこうも教頭のなりてがいなく、先生の職場のように「説得」寸前までいくような雰囲気になってしまったのでしょうか?

ここからは、私のこれまで見聞き体験したことからの考えになります。管理職不人気の・・・

教諭とは求められる能力、資質がまるで違う(たてまえは学校運営能力、リーダーシップ性なのでしょうが)

高校も大規模校になりますと授業をまったく持たない教頭もおります。あったとしてもごくわずか。学校長は別として、教師として教壇に立てる権利がなくなってしまうのです。教諭時代に長い時間をかけて必死なって磨いてきた授業力、生徒指導力といったものが活かせる場が確実に少なくなりますよね。

そんな能力よりも彼らに求められるのは、危機管理力、折衝力、人間関係調整力、根回し力、割り切り力、冷徹さ(すべてにいい顔などしていたら、それこそ潰れてしまいますよね)、上からのプレッシャー、下からの突き上げをうまくすんなりかわせる処世術、そしていちばんに求められるのが私は事務的遂行能力・・・これに尽きると思います。

私自身、デスクワーク、各種提出物関係を苦手としていて部活の終わった20:00以降、よく分室で悪戦苦闘している様子は前に話しましたが、私はこの分野の要領が悪いため教頭職になどにはまちがっても就こうとは思いませんでした。私には到底できない仕事だと今でも思っております。

先生もご存知のように、さまざまなところからの回答文書が滝のように流れてきて、それを自分で処理するだけならまだしも、他へ回しそれにさらに手を加えて回答しなければならないものなどややこしいものばかりです。それらをすべて終えた深夜の職員室で教頭先生が学校日誌と悪戦苦闘している光景はいまだに忘れることはできません。

文書処理専門要員かと間違われるような膨大なデスクワークをさっそうとこなし、放課後の多すぎる会議に教頭が顔を見せない日はなく、各種クレーム電話受け付けで担任と激論かわし、生徒指導部会では指導部長と部会をリードしていき、時数補充、代講などは真っ先に自分が矢面に立たなければならない・・・

ほんとうにほんとうにたいへんな仕事であると私は認識していました。

私たちヒラの教諭であったものの苦労は、子どもたち、家庭とかかわる部分のものがほとんどでしたが、教頭職にもなると日陰者の立場で仕事をしなくてはならないんだ・・・と思ったものです。

すべてにおいての負担増

私も公立、私立、そして通信制高校と歩き渡り、さまざまな教頭先生と交わってきましたが、株式会社立の通信制高校を除き、そのすべてにおいて教頭がいちばん遅くまで学校に残っていたものでした。そしてもちろん、アサイチ出勤です。

特に時間的な負担増、ヒラでさえ過酷な早出出勤、残業(持ち帰りも含む)、休日返上にあえでいるというのにさらに更に輪をかけて学校に拘束されることになるのですからこころを病んでしまう人が多いのもうなずけます。

校長にならず(なれず)、潰れてしまうものが多い現実を知っている

学校数の多い小中と比べて、高等学校でヘッドに上り詰められる人には限りがあり少数です。それまでにはそれ相応の忍耐と努力、根回しが要求されます。いちばん過酷な教頭職で教師人生を終えることを当人は最初から望んでいたわけではないでしょう。

やっぱり学校長まで行って、自分の想い描く学校を運営してみたいという気持ちに駆られてトップを目指したのだと思うのです。これではいちばん損な役回りをただみんなのために引き受けた~と同じことではないでしょうか?

学校長との相性に自信がない

学校長があたたかさ、寛容さを持ち合わせており、確固としたなリーダーシップ性を備えていればまだ救われます。しかし、教頭も自分の学校運営のための捨て駒としか考えない学校長といっしょに仕事をすることとなるとこれまた大変です。

やがて汚れ仕事、教職員の指導管理に関するものをすべて押し付け、自分だけ良いとこ取りが始まるのです。上からは圧力をかけられ、おまけに下からは敵視されたのでは教頭先生という仕事は本当に孤独なマラソンランナーのようです。

彼の思い描くゴールはやはり学校長のいすなのでしょうか?

教師の同僚性でこれまでも話してきましたが、教師はおおむね、相談されるのには慣れていても、誰かに自らの悩みを打ち明けられるようにはできてはいません。ましてや、教頭職にいったん就いたからには、彼は誰に相談するのでしょうか?

子どもたちといちばん近いところで一生仕事がしたい!

やはり、これに尽きるでしょう。

自分は何のために教師になったのか?

教師人生において何を実現したいのか?

何が一番大事なのか?

この原点回帰ともいうべき問いにもう一度、向き合ってみてはいかがでしょうか?もしかしたら、何か見えてくるような気がするのです。

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小学校教員は女性が多いという
当たり前の現実をあらためて直視する

前置きが長くなりましたが、質問に答える前にもう一つお断りしておかなければならないことがあります。それは私は小学校での勤務経験がありませんので、小学校特有の職場環境、管理職との関係などは想像の域を出ないということです。

高校は圧倒的に男性の占める割合が多い職場ですが、小学校では教諭の7割近くが女性というではありませんか?私にはこの数値がどのような意味を持つものなのか正直分かりません。想像になりますが、女性の比率が多い職場ゆえにいろいろたいへんな問題も当然あるのではないかと思うのです。

こういった職場で管理職に就くということを考えたら、私だったらさらに二の足を踏んでしまうことでしょう。女性教員の数はたしかに7割に迫る勢いかもしれませんが、教頭職の男女比率は8:2というではありませんか?管理職に至っては男女の比率がこうも逆転するのです。

女性の絶対数がこれだけ多い中、教頭職が「女性に」これだけ敬遠されているのは何かがある~と私は勘繰ってしまうのです。先生のご事情のように家庭だけの問題ではないような気がするのです。やはり、学級王国ということばに象徴されるように、小学校の先生は子どもたちと常にいちばん近いところで生きていこうというピュアな人たちが多いからなのでしょうか?ここの部分は先生からぜひ教えていただきたいです。

これまた想像で申し訳ないのですが、小学校において管理職になるということは、こういった女性集団を束ねていき、リーダーシップ性を発揮していかなければならないということなのではないでしょうか?

「管理」職・・・そのことば通り監督指導する立場・・・組織の維持、管理、教職員の服務監督、こどもたちの安全管理、学校の危機管理・・・カンリ、カンリ、カンリ

私の高校の同級生にも小学校教員になったものがおります。「男性教員は結構負担キツイんだ!」とかよくグチを聞いてたものですが、管理職になったとたん「女性軍団を束ねていくのに疲れた~」とかの理由で教頭職を一年務めて退職してしまったのです。

小学校は小規模校、僻地なども多くあることでしょう。そういったこじんまり感があり、アットホーム的で地域の核となっているようなあたたかな学校では、このような殺伐した風景は、もしかしたらないのかもしれません。

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どのような人なら管理職に向いているのか?

前に、「職員室いじめ~教員同士のいじめと実態と対策(私の経験から)~」で話しましたが、教頭が教頭をいじめたり、下々のものが総出で教頭をつるし上げるシーンだけはどうやっても私の頭から離れてくれません。

そして、教頭先生が放った「なんで、私、教師になったのか分からなくなったんですよ・・・」この言葉だけは生涯忘れることはないと思います。

「自分はこんなことをやるために教師になったんじゃない!」

おそらく、こう言いたかったのではないかと私は思うのです。この教頭先生は生涯一教師で通すことができればどんなにかしあわせだったことでしょう。とにかく授業が大好きで週2~3時間ばかりのわずかな時を本当に楽しみにしていました。

これまた私見になりますが、やはり管理職にも向き不向きというものが確実にあるでしょう。管理職に向いているという人は私は次のような人であると思うのです。

①自分が管理職になるための準備を着々と進めてきた人で、
自己が管理職になっての未来予想図がしっかりと描かれていて、
かつ仕事のイメージもできている。

逆に言うと、思い付きであったり、誰かに言われてやむを得ず~などというのはキケンすぎます。上の教頭先生の場合も上から請われたそうです。

②ある意味、割り切ることができる人、場合によって冷たさに徹することのできる人

いわゆる人の好い「いい人」、誰からも嫌われたくない人などはまず、潰れてしまうことでしょう。上の例の教頭先生は、校務分掌ノイローゼ(多くの下々が校務分掌打診を総出で拒否にまわるという大暴挙に出たのでした)になってしまいました。人に強い態度で出ることがまったくできない人だったのです。

③そのあとの絵もキッチリと描かれている人

そうですよね。管理職で退職後、そのあとの自分のキャリアをきっちりトレースできている人でしょうね。まさか学校長経験者が再任用でヒラの教員には戻れないでしょうから(プライドが邪魔して)。

管理職になるのを避けるための退職について

これについては即答できます。「教師に少しでも未練があるのであれば、断じて辞めるべきではない」これです。

学校を辞めてからこれまで、幾度となく学校の夢を見てきました。自分がイキイキと教壇に立っている実にライブ感あふれる夢です。これは切なすぎますよ、やるせなさが半端ないです。学校で得られた充実感以上のものを求めてこれまで頑張ってきましたが、やはり学校でしか得られない価値は確実にあったのです。

ただ以下のようなケースでは総合的に考え抜き、最終的にさまざまな人に相談してから決めたほうがいいと思うのです。

①学校にはもう何も思い残すものはない、すべてやり切った

②学校以外のステージでやりたいもの、目指すものがある

③経済的な心配は何もない

管理職になるのを回避するためだけに、先生のこれからの教師人生を犠牲にしてしまうなんてもったいなさすぎです。詳しくお話聞く限りでは、なかなかむずかしい雰囲気のようではありますが、イヤな思いするのは一時なのではないでしょうか?

そして、もし万が一「辞める!」という選択をされるのであれば、やめた後の準備と設計ができてからでないとほんとうに危険であることは付け加えておきます。私はこれで大失敗しました。

※「教員辞めてもいい人・辞めたほうがいい人~過信・自信✖、確信〇~後悔だけはしたくない~

もう一度、先生の内なる主人とじっくり対話されて、「ほんとうに後悔はないのか?」を考えてみることを強くおすすめします。

余談にはなりますが、前に小学校教師の激務さから退職し、現在は学童保育で活き活き活躍されている先生の話をしました。このように、学校と言うカタチ、ステージ、そして待遇にまったくこだわらなくてもいい生活環境にあり、ちょうどいい機会だから思い切って辞めて、違った環境に飛び込んでみたい!というのもアリなのかなと思います。

私も児童館、学童、放課後デイ、塾などで元小学校の先生方とこれまで仕事をしてきましたが、みなさん、それぞれの事情のもと、ほんとうに一生懸命で楽しそうです。学校の外にもやはり、都はあるものなのです。本家本元の都はやはり「学校」なのでしょうが、住めばどこでも都になり得るものであると私は信じたいです。

以上、長文になりましたが、最終的に先生の目指すものが何で、場所はステージはどこなのか?ここにすべてはかかっていると私は思います。

教師として優れていた者が、優秀な管理職になれるとは限らないところが本当に難しいところだと思うのです。
https://youtu.be/LS2jFQwe9f4














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