教師だって人間。ぶち壊れ寸前で、カラダもこころも休ませてあげたいと思うときだってあるでしょう。この危険なサインが出てきたときに、しっかりとあなたの心身を守ってあげれば、おおごとにはならないで済むかもしれません。
「そんなこと分かってるんだけど、休めないのよ、学校は・・・」わかります、わかります。私だって公立10年以上、身も心も捧げて(奉職という懐かしいワードがピッタリ!)勤め上げて、年休取得はたったの一度キリ、のみ、それも半日!
愛犬が死の瀬戸際の連絡を家族から受けたので、急遽授業、クラスを丸投げで自宅へ直行。生憎愛犬ジローの死に目に立ち会うことは叶いませんでしたが、いまだに年次有給休暇を時間単位で取得申請したときの管理職の投げつけた言葉が許せずにいる自分がいます。「たかが犬くらいで!!」
動物といっしょに暮らしたことがある人ならきっと分かってもらえるでしょうが、長い時間を共に過ごした犬は、「ただの犬」ではなく「愛犬」となるのです。本来なら年休申請の時、長期間現場を離れるのでない限り、その理由を告げる必要はないのですが、あまりにも当時の自分は冷静さを欠いていて早くジローのもとに行かなくてはという思いが先立ち、理由を告げてしまったのでした。このストーリーは話すと長くなるのでここでの深入りは避けますが、それくらい学校はほんとうに休めなかったですね。

もちろん、頭痛や風邪っぽい時などはそれなりに私にも人並みにはありましたが、市販薬を飲んでなんとかやり過ごし、お医者にかかった時など、まずなかったのでした。(現役時代の反動で、いまは親身になってくれてるお医者さんがいっぱいの状態です)
もちろん、気が張っていたこともありますが、学校という職場が、教員が休めないのにはこの仕事なりの理由があるろ思うのです。(とは言っても、誰に迷惑かけようが、「権利」意識丸出しで、年休MAX、その他の休暇も取り放題~というレアな御方も当然、それなりにおりまする)
今回は、教師が休みが取れないそのワケを私の経験から話していくとともに、自らを休ませることなく馬車馬のように酷使した挙句、大好きだったこの仕事を辞めざるを得なくなった私の苦い経験から、教師は「休み」とどう向き合っていったらよいか探っていきます。
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教員が休まない(休めない)そのワケ
以前、教職志望の学生さんから「教員の休み」について質問があったのですが、学校の外、学校で働いたことのない方の多くは、教員もまた他の職種、業種と同じように当たり前のように普通に休みが取れるものだと思っているらしいですね。
最初にハッキリ言いますと、学校教員は休みたくてもまったく休めません。これ本当です。学校は自分ひとりで成り立つ職場ではないので、まわりの人とそれなりにうまくやっていかないと、とても面倒なことになります。ある程度まわりに忖度していかないといけないということですね。自分をとりまく人たちにいくら迷惑かけようと、どのように思われてもぜんぜんオッケー!とズバット割り切って生きていけるのであれば、それはそれでOK!です。全然問題ありません。(現実問題として、ほんとうに少数派ではありますが、迷惑がかかってもあえて休む~という人はどこの学校にも確実に存在します。)
土台、年次有給休暇、その他、教職員に認められている休暇を取得するのは「労働者」としての教員の当たり前の権利であり、まわりとの関係、学校環境の状況に関係なく取得できるはずなのです。が、しかし、それを簡単には許さない「学校文化、風土」なるものがどっしり根深く腰を下ろしているがために、みななかなか休みを取ろうとはしないのです。

他人への負担、迷惑を「罪」とみなす雰囲気が絶対ゼッタイに、学校という職場にはあります。確実に・・・そしてまた他人へ「借りをつくる」ことを極端に嫌い、このことがますます休みづらさをマシマシにしているのです。民間会社のように「お互い様だからね」なんてほのぼの雰囲気はまずありません。
「それじゃ、しょうがないよね」「たいへんだったね」と休み明け後、それなりに労(いた)わってもらえたのはみな、かなりの大けがをした人や大病をした人くらいでした。それほど学校人は「休むこと」をためらい、「休まれること」を毛嫌いします。それもこれも、自分が休むことによって、他に迷惑をかけることがわかっているし、あとあと自分自身への負担がハンパなくなるからなのです。
それでは、休むことによって生じる「迷惑」「負担」とはいったい何なのかを見ていきましょう。
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➀ クラス運営
特に自分がいないとクラスがうまくまわらない、担任の言うことしかきかない~というような仕込みをされているクラスはバッターボックスに入るピンチヒッターはたいへん。小学校にありがちな、「マイルール」だらけの「学級王国」的な「マイクラス」はできれば遠慮したいです。
担任との人間関係、信頼関係で成り立っているところに、あまりお互い見知ってもいない状態で相対するのだから、面白いと言えばおもしろくもありますが、こういった時に限って「大問題」が持ち上がり、休み明けの担任はトホホ・・・状態に陥る~というのがお決まりのパターン。

クラスには副担任といった教師もおりますが、彼らの扱いは学校によってまちまちそれぞれでしょう。私は公私立含めて6つの学校を経験しましたが、副担任が完全なお客様扱いで完全なピンチヒッター的な役割しか与えられていない学校から、担任と一心同体的な、ホームルーム、各種行事に至るまでさまざまなシーンでいっしょにクラスに寄り添っていくスタイルの学年~と実にさまざまです。
このように副担任と阿吽の呼吸で結ばれているマイクラであれば、ある程度安心はできるでしょうが、現状ではなかなかむずかしいでしょう。私の場合、前にも「副担任」の先生について別記事で話しましたが、
なるだけクラスにかかわってもらえるよう関係構築に努めてきました。しかし、副担任になってもらう教師が担任の一存で決められるものでなはないので、やはり相性が悪いとなかなか何かとたいへんです。私の場合、高種は高等学校でしたが、出張、大会参加等で私が不在時には副担任の教師、同じ学年の別クラスの教師から学年、クラスの自分が不在時の様子、引継ぎ事項を教えてもらうルーティンにはなっておりましたが、なかなかこどもたちの微妙な変化、気付きなどが伝わってこないため、クラスに男女それぞれ2人設けている担任秘書から、その日にあったささいな変化、気付きなどの報告を受けていたのです。
こういった細かな配慮がないと、あとあとたいへんなことになります。不在時に起きたとても小さなできごとがやがて大きな問題へ発展してしまうことはよくあることなのです。

② 授業
小学校は基本全科ですが、中高などでは、教科担任がいないとなるとてんやわんやの騒ぎです。予め休むことが決まっていて「自習課題」などをきちんと用意しておいてくれると、まだ助かるのですが、それすらない場合は誰かしら代わりの教師が授業をするか、もしくは自らが自習課題を即席にこしらえ、自習監督に入らなければなりません。それぞれの「科」で受け持つか、「学年」で負担するかは学校によってまちまちです。
定期考査直前で試験範囲まで未だ授業が進んでいない時なんかは本当に心配になりますね。このように、授業もまたクラスと同じようにある意味聖域でありますので、なかなかこれまでの経緯がわかっていない者が立ち入るのは結構しんどいです。
③ 部活動
部活の最初だけ顔出して、「後はよろしく」~って名ばかりの大会引率顧問教員ならまだしも、顧問の指導が通っていて部活のための教師になったような先生はやはり、出張、休暇中などは部活動の事がいちばん気になるようです。それに昨今の部活動中の学校事故が頻発していることを受け、部活動中、顧問がつかないことは基本あり得ません。何が起こるか分からないのが学校です。そのため私が出張で不在時は必ず副顧問の教師に張り付き&指導をお願いし、それも叶わない場合は活動自体を中止していたのです。
大まかなところでは以上の3つが、休んだ時の心配のタネですが、学校という所はおそろしくこなさなければいけない&舞い込む仕事、問題がハンパなく多く、これらだけにとどまらないのです。私の場合は校種教科が高校商業でしたので、各種検定準備事務作業、検定向けの課外なども当たり前のようにありました。休むことによって当然、そのツケは後から払わされることになります。その他の分掌、学年の仕事、生徒指導、面談、家庭への連絡、その他もろもろ上から上がってくる事務仕事などなど・・・あげたら本当にキリがないくらいです。

こういった情況ですので、休んだあとが怖くて怖くて仕方ないので、誰しもよほどのことがない限り休もうなどとは思いもしないわけです。そして何より、休み明けのあの仕事のたまり具合を考えると、他への負担以上に、自分に何倍も何十倍にも負荷がかかってくるので休みたくても休めないのです。カンタンに引継ぎができない特殊な仕事~という事情も問題をさらに難しくしていることは間違いないでしょう。
どこの職場でもそうなのでしょうが、学校という所は、毎日毎日同じルーティンを繰り返しているようで決してそうではなく、一日たりとも同じ日などありません。毎日、何かが起こり、そこにドラマがあります。それが面白く、やりがいがあると言えばそれはそうなのですが、一日でも休むとけっこう浦島太郎的にちょっとわからなくなってしまうようなところが実際あるのです。
他への負担はもとより、何よりも自分があとあとしんどい思いをしたくないがために、休みたくない~といったところが本音かもしれません。
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刷り込まれている優等生教員だからこそ
教師になるような人種はだいたいは、小さいころから勉強がよくできて、学校が好きだった比較的まじめに生きてきた人たちが多いように思うのです。私は十数年以上さまざまな教師を見てきましたが、おおむねそのような人たちがほとんどでした。私のように子供時代、学校が大嫌いで、かなり学校を休みがちで、当然学習の習慣などなかったのに教師になっちゃった~というなんとも怪しげなパターンは学校教職員では珍種扱いになります。(その反動か、教員になってからの私は学校が好きすぎて、毎日毎日行き過ぎて体を壊して辞めるはめになってしまったのでした。)
土台、「よく、みんなあんな所に毎日よく通っているもんだ!不思議に思わないのかな?」などと小学生のころから考えてたようなひねくれものだったので、何とかして学校を休めないものか?と考える日々でした。別に学校に行けば、普通にそれなりに楽しいのは楽しいのですが、「なんか違うんだよな~みんなと同じことを決められた時間の中でせせこまとやってて、先生も子どもも、それで本当にいいのか?」などと授業中悶々としてたような記憶があります。
小学生のころから、このような感じでしたので、高校に入ってからはさらに悪たれぶりに磨きがかかっていきました。高校は当然、教科ごとに単位があり、一教科でも出席時数が規定に達しないと、いくら定期考査で満点を取ったとしても、卒業はおろか、進級さえもままなりません。当然最初は、時数のカウントの方法、必要最低時数など分かりませんので、担任から何とかそれを聞き出し、各教科担当に休むたび、「あとどれだけ?」「あと何時限ならOK?」などと聞いていたものでしたが、露骨に面倒くさがる教員もそれなりにいました(当然です)ので、自分でチェック&管理する方法に切り替えました。当然、同じ曜日、時間帯を集中して休むことになると、あっという間にとんでもないことになるので、均等に割り振る~ということも覚え、教師から見たらかなりめんどくさい、イヤな子どもだったことでしょう。そのくせ、学校を休んだり、早退しても部活だけには大方顔を出すという変人ぶりでしたので、教師受けは私の場合、かなりまずかったですね。

このような人間が紆余曲折を経て、教師になったのですからたいへんです。私自身は先述のようにまったくをもって休みなどまともに取れるような状況ではない教師人生でしたが、自分のクラスの子どもたちには、「休み方」「自己責任の取り方」「自己管理の方法」を私自身の経験から、毎回クラスを持つたびに年度初めに必ず話しておいたものでした。(さすがに教科担任である他のクラスの子どもたちにまでは話しませんでした。というのも、他の領域は犯さない~という学校文化なる不文律のせいかもしれません。担任から「悪知恵を伝授した」などのようなトラブルを避けたかったからかもしれませんね。)
それは担任としては、子どもたちにはクラスに毎日顔を見せてほしいとは思います。しかし、生徒、家庭には生徒、家庭の数だけ、おのおののそれぞれの事情があり、担任が学校が立ちることはできない、立ち入ってはいけない「領域」「聖域」があるのは事実です。学校にはいろいろな子ども、教職員がいても許される場所であると私は信じます。であるならば、「休む」「休まない」の判断は、それぞれに任されてもいいのではないでしょうか?ましてや大人になりつつある高校生であるならば、自分のことは自己で処する~ことの学びを支援していくのが大人の務めであるとも言えます。
学校という場合は自由(もちろん責任も伴いますが)で生きやすく過ごしやすく、風通しがよいところであってほしい。学校に行くのが「当たり前」「休む=悪」という図式が成り立っている学校というのはちょっと違うのではないかなと私は思うのです。
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休むこと=「悪」の図式はおかしい!?
休むこと自体が「悪い」ことなんかでは決してなく、子どもが学校を休むことを否定することこそが、間違ったことなのでしょう。学校に毎日毎日決まった時間に登校して、決められた時間まで拘束され、定刻にならないと帰れない~この「当たり前」とされる「良いこと」からはずれることが学校では許されないのでしょうか?
それは、教員自身がこれまで受けてきた学校教育によって刷り込まれてきた「価値観」もまた大きく影響しているからでしょう。欠席=悪いことはいまの大人、そしてこの社会全体の価値観の押し付け以外の何ものでもないと私は思うのです。
言い方は悪いですが、日本の教育は、やすまない将来の善良なる労働者を量産するシステムに染まり切っているとも言えるでしょう。このような考えを持っている私ですから、自分のクラスの生徒たちの扱いもフツーの担任とはちょっと違っていました。基本的に「休む休まない」は本人及び家庭に委ねていたのでした。これは入学式、クラス開きの時に子ども、保護者に口頭、文書で必ず伝えてました。ただ「任せる」と言っても決して投げやり、放任などではなく、前述の授業時数の決まり、イエロー&レッドゾーンのカウント方法など各自計算できるよう細かく説明し、あくまで自己責任を伴うこともまた念入りに伝授したのです。

この結果、海外旅行に行く、アーティストのライブに行くため、誕生日だから休む・・・などなどそれはさまざまな理由を私に告げてくれたものです。高校生くらいになれば、今、何が自分にとって価値があり、何を選択すべきか?の判断はできる子どももいて当然であり、そのくらいに判断力をこの時期には養うべきだと私は思います。もちろん、管理職には話は通してはおきましたが当然諸手を挙げて~というわけではありませんでした。
それでも、やはり「休む」ことには、「責任」が伴い、それ相応の「リスク」「対価」を支払わなければならない~ということを子どもたちも学んだようで、なし崩しにいつも誰かが「休み中」などの状態になっているわけではなく、「こうあらねばならない」という呪縛から解き放たれたというか、責任は伴いますが、それぞれの価値観を認め合う自由闊達のような雰囲気がつくられていったように思うのです。
それでもなお、まったく休まない生徒がほとんどであり、これでいいと思うのです。学校に「当たり前」のように「毎日」登校することを良し、善~ととらえる生徒、家庭がいても、そうでない者がいてもそれでこそ学校です。
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子どもの「休み」と教職員の「休み」は異なる次元のもの
ただ、これが私たち「教職員」大人となると、当たり前な話にはなりますが、このような自由は許されてはおらず、学校の「決まり」に縛られることになります。学校教師であっても労働者には何ら変わりはなく、所定の休みを取得する権利は建前上はしっかりと保障されています。(過去にNHKのど自慢大会の予選会と本選(生放送)に出るために自分の部活の大会引率を副顧問に丸投げして批判の嵐にさらされた正顧問や、自分の子どもの入学式と担任が決まっている自分の勤務校クラスの入学式がかち合ってしまい、自分の家族を優先させた教師(自分の子どもに対しては親)がこれまたたいへんな目にあった実際の例がありました。これらは制度上は何ら問題はないのでしょうが、教師としての矜持上問題あり?!と問題になった事例です。)
しかし、これまで話してきたように、休みたくとも休めない~この状態が退職するその日まで延々と続く~となると一体全体どうなるのでしょうか? そうです。私の二の舞です。「身を粉にして働いている、すべては学校、子どものためだ」「こんなに頑張っている自分、結構いい感じじゃない?」このような自分に酔っている状態になっているとしたら、危険ですね。黄色信号じゃなく赤点滅です。

土曜日に休日出勤したら、あえて日曜日は仕事があっても強制的に休んでしまって仕事も家に持ち帰らない~一か月のスケジュールに強引に予め自分の休みを入れてしまい、その日はリセット、リフレッシュの日とし、仕事はしない~このように己を律し、そのかわり仕事の日はシャカリキに自分を追い込む~このようにめりとハリを付けて現役時代自分は働けばよかったと思うのです。
許されている休みを取る、取り切れなくとも、少しづつでいいから取ってみる。このように自分のためにも、お互いがそれぞれ取るようになっていけば、どれだけ学校という職場が変わっていくことでしょう。あまりにも視野狭窄に陥りすぎて、学校が仕事が好きすぎて自滅した私のようにならないためにも、自分の心身をいたわっていくこともまた大切なことではないでしょうか?
長く健やかに好きな学校で働き続けるためにも、自分と家族を守るためにも~
あなたは自分に酔ってまでも、それでも仕事に打ち込み続けますか、自滅の道を辿りますか? 自分のことは我がで守らないと誰も・・・ですよね。
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教員ってやっぱり3K?キツイ!汚い!危険!の三重苦?それどころか希少!貴重!感動!と三拍子揃った奇跡的&かけがえのない仕事(5K)
今回もまた、たまりにたまったこちらで未公開の相談事例をシェアしていきましょう。毎回ユメザスに寄せられる相談、質問にはその都度、私なりに(自分ではそれなりに律儀だと思ってる)レスポンスよく返しているつも ...
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教員に過重労働を強要するモンペはブラックすぎるのか?~これから教師の時間外勤務はどうあるべきか?~
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