教師を辞めたいときに 教育・教師

教員辞めてもいい人・辞めたほうがいい人~過信・自信✖、確信〇~後悔だけはしたくない~






「迷う」という事自体、まだ気持ちが学校に残っている、未練があるということではないのですか?退職願を出してしまってからでは取り返しがつかないのです。

私もあの時の判断が正しかったどうかはわかりません。大切なものを失くしてしまった分、いやそれ以上のものを生涯をかけて追い求めていかなくてはいけないと思って毎日生きています。

ここのところ、辞めたい、でもほんとうに自分は辞めてしまってもいいのだろうか?という方からの相談が相次いでいます。年度替わりの異動希望のシーズンということもあるのでしょうが、最近の傾向として比較的教職経験の浅い方が多いのです。

それもまだ1~2年と学校の空気を吸い始めてちょっとしか経ってない若い方です。正直な感想を言わせてもらうと

「1~2年で何が分かるというのだろうか?」

「あなたの教職にかける思いはそんな程度だったのですか?」

「ここを踏ん張ればまた違った景色も見えて来るのに」・・・正直こんなふうに思ってしまうのです。

そしてみなさんに共通しているのが、あまりにも将来のビジョンについて楽観視しすぎている~ということなのです。「その自信・過信はいったいどこから来ていて、どこに根拠があるのですか?」と問うても明確な答えはまず返ってはきません。

40近くになって辞めた私と違って、若ければ転職もスムーズに運ぶかもしれません。しかし、これではあまりにも先が思いやられて、なんだか過去の私を見ているようでやりきれません。

今回は、「辞めたい!でもまだ迷っている・・・」という先生のために、辞めたクチからの私なりのアドバイスを贈ります。

※今回取り上げる「辞めたほうがいい」という意味は、当たり前ではありますが、学校のためにならないとか人格的に問題があって~という意味ではありません。そういった人たちのことは今回はあえて取り上げません。

未練があるなら止めといて!まずは未練を断ち切ることから・・・

辞めたほうがいい人の話をする前に、これだけは言っておかなければならないことがあります。それは最初に話した「未練」です。

今、あなたが、学校・子どもたちに対して少しでもまだ何か思いが残っているのであれば、辞めるなんてバカな考えはやめてください。少なくとも「未練などこれっぽちもない」とキッパリ言えるようになるまで待ってください。

私が身体を壊して教壇を去った当初は未練たらたらでした。でも、そうせざるを得なかったのです。辞めてからというものの、四六時中、学校のことが頭から離れず、「いまごろはあれしてるころだ、これしてるころだ~」といった感じで、いくら自分でこのモヤモヤを突き放そう、学校を忘れよう~とリキんでも離れていってくれないのです。

あらためて自分は本当に学校が好きだったんだ~と気付かされたのでした。結局自分が普通を取り戻せるまでにはえらく長い時間を要したのです。今でもなお、街で高校生を見かけると学校時代を思い出し、「続けていれば、この世界もどんなふうに見えているのかな?」などとセンチになっている自分がいるのです。

学校に子供たちにまだ未練があるみなさんは、きっと私と同じこの気持ちを味わうことでしょう。つらすぎますよ、こんな思いをみなさんには味わってほしくはないのです。

前置きが長くなりましたが、大切なことなので繰り返します。未練がある人はどうか思いとどまってください。早まってはいけないのです。もう一度、自分・まわりを振り返り、本当に辞めてしまって自分は微塵も後悔はしないのか~じっくり時間をかけて自分を見つめなおしてみてください。

できれば、周りの人たちの意見・考え・アドバイスもきいてみてほしい・・・私はすべて自分で勝手に決めて行動に移してしまったから・・・あの日あの時、もし私が誰かに相談することができていたならば、今の私の歩んでいる道もまた違ったものになっていたことでしょう。

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貧すれば鈍する・・貧しさはこころまでも貧しく寒くするもの・・

お金の心配をしたことのない人に、お金のないみじめさ・つらさ・切なさはわからないでしょう。明日からたとえば○○県立✖✖高等学校教諭~という肩書を失くして、いまの自分の看板だけで食べていける人がどれだけいるでしょうか?

独立・自営といかなければ再び雇われ人になるのでしょうが、教員だった人の転職は本当にたいへんですよ。私もご多分に漏れず辛酸舐めつくしました。個人の能力にももちろんよるのでしょうが、教育関係でひろってもらったら儲けもの~くらいに思って過大な期待は抱かないほうが身のためです。期待が多い分、ダメだっときのガッカリ度は半端ないです。

その頼みの綱の教育業界でも競争が熾烈です。教育業界、特に大都市圏の塾講師の教授レベルは学校教師のそれをはるかに凌駕していると言ってよいでしょう。(あくまでも個々の生徒の成績を上げるスキルを言っているのであって、授業の全体的な質、レベルを言っているのではありません。)

競争原理の働く戦場というステージで生き抜いてきた彼らの教授スキルは、ぬるま湯に浸りきっている学校教員のそれとは比べ物になりません。私は教科が商業でしたがこの事実を目の当たりにしたことがあるのです。

検定試験のレベルアップ、生徒の意識啓蒙という名目で県から予算が付き、進路とタイアップして専門学校より講師を招聘して課外授業を行ったのです。その授業を一部始終受けてみて衝撃を受けました。検定合格という目的のために、余分なものは何一つなく、彼女が発する言葉ひとつ一つが研ぎ澄まされたいたのでした。そして、何より生徒の喰らいつきがまるで違うのです。

教育業界に転職する場合であっても、そこが「学校」でない限り、これまでのやり方ですべてやり通せるとはとても思えません。私立学校、民間の通信制高校なども私は勤めたことがありますが、すべて競争原理が働いていて、個人の資質能力が厳しく見定められます。つまり、学校に益をもたらさないものはそこにはいられない・・・という厳しくも当たり前の現実です。

もし、それでも辞められるというのであれば、淡い期待、根拠のない過大な妄想はあまり抱かないほうがよいかもしれません。望みが叶わなかった時のガックリ、ガッカリ感は相当なものです。意中のところは自分が思った以上に選べず、受けても受けても落とされ、やっと受かったと思ったら生活維持がやっとの給与・・・こんな感じでしょうか。

何が言いたいのかというと、貧乏が耐えられない、プライドも捨てられない人はゼッタイ辞めちゃダメ!ということなのです。一生懸命頑張っている先生たちにとって現在の学校が過酷な職場であることは重々承知しています。でも、一点だけぬるくゆるいところがあります。

そうなのです。生活の保障、その他これでもか!というくらいすべてにおいて厚遇されていることなのです。黙っていても21日には決まった額が振り込まれボーナスまで出る!果ては昇給、手当、退職金、そしてそれらの手厚い保障は死ぬまで続くのです。

こういったスペシャルな扱いを受けてきた人たちが、思った以上にまったく稼げずお金の苦労でこころまで曇っていく・・・そんな例をこれまで見てきました。私自身も含めて・・・

そうなのです。いやなことから逃れたい人も、夢を語りたい人もまずは、明日の食い扶持の保障がなされてからにするべきなのです。

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あなたの生きる道、ステージはどこにある?!

あなたが今、奉職している学校が大好きで、今、その対価(たいか)として受け取っているもので満足であるなら、それが一番!「学校」というステージでしか味わえない充実感、満足というものは確かにあります。

しかし、なかなかそうはいきませんよね。それなりの制約があり、あなたらしくのびのびと生きるのはちょっと難しいのかもしれません。

また、仕事は「生活の糧(かて)」を得るための「手段」にしかすぎず、決して「人生の目的」ではない!という考えを否定するつもりはまったくありません。これはこれで尊重されるべき考えだと思いますが、やっぱり寂しいと思いませんか。何より、学校がそのような場所になってしまっていることが悲しいのです。

給料そこそこもらって、アフター5、休日楽しんで、老後は悠々自適~こういう未来予想図もいいかもしれませんが、あくまでも「ハコ」の中での出来事。人生の大部分をすごす組織に、生きがいを感じられないのであれば、それは実にもったいない人生だと思います。だって、人生という時間はあまりにも短すぎるから。人生、もっとドラマチックだっていいじゃありませんか?

仮にほんとうに学校を辞めたとして、あなたの次のステージはどこになるのでしょう?サラリーマン?自営業者?ビジネスオーナー?どれになってみてもそれぞれにたいへんですよね。

お金が一番? それとも好きな仕事? 働き方? 働く場所? 家の都合? 大いに悩むところですね。そこで悩み迷った時は、あなた自身の「内(うち)なる主人」の「こころの声」に耳をすませてみればいいかもしれません。きっと何かがきこえてくるはずです。

人間、上を見たらキリがなく、ヒトの欲望というものには凄まじいものがあります。「足るを知る」であったり、「清貧の思想」ももちろん深い意味があると思いますが、時には逆の発想も必要かもしれません。

狭い部屋に住む現実を嘆き、甘んじるより、なぜ上を目指さないのでしょうか、野心を持たないのでしょうか?「欲」は人間の目を曇らせることもありますが、時に人を向上させる原動力になり得るのです。

「お金がないないない!」と嘆き、爪(つめ)に火を灯(とも)し節約に節約を重ねるよりも、収入を上げることを考えたほうがよっぽど建設的で前向きだと私は思います。

そして、そのような雇用、活躍の場所がないのであれば、あなたがつくってしまえばいいだけの話ではないでしょうか?!そこでは、すべての責任をあなたが背負いこむかわりにに、すべてあなたが主導権を握ることができるのです。

「適材適所(てきざいてきしょ)」ということばがあるように、あなたの持ち味が最大限に発揮できる場所が「組織」であるなら、サラリーマンもいいかもしれません。しかし一方、人間は環境に順応、もしくは環境をつくり変えてきてここまで進化してきたいきものですよね。

どこで、どう自分が化けるか自分に賭(か)けてみる生き方というものもあっていいはずです。先が決まっていたり、見通せる人生も悪くはありませんが、ワクワク、ドキドキ、ギリギリの人生も面白いと思いませんか?!

どちらを選んだとしても自己責任です!あなたの「軸」を早いうちに決め、あとは何があってもブレずに突き進むしかないです。人生はあまりにも短いから。あれこれ考えているうちにあっというまに終わってしまいます。Time is money. Time is Life.

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辞めたほうがいい人、辞めてもいい人十傑!

①すべてにおいてスペシャル・有能な人

これは説明不要ですね。先生方のまわりにもいませんか?「なんでこんなスゴい人が教師やってんだろう?」という人が。どこに行ってもスペシャリストになれるようなスゴい人が。つまり、学校といった狭い枠に収まり切れないような人ですね。

私に言わせてもらうと、こういった人たちでも学校に居座り続けるのは、それなりの魅力があるところだからなのではないでしょうか?学校という場所は・・・

②スペシャルではないが、この日のために着々と準備をしてきた人

私を含めた一般の人たちはこうするべきでした。一時の衝動・思い付きで即動することほど愚かなことはありません。そのあとも人は生きていかねばならないのですから・・・学校退職後の未来予想図をきちんと描いてきて、来る日に備えて着々と実力を蓄えてきた人たちのことです。(学校勤め本気でやっていたなら、こんな暇はないはずですが・・・)

③学校、働く仲間たち、子どもたちに対して未練が一切ない人

④やり尽くした感、燃え尽きた感がアリアリで思い残すことは何もない人

こうなれたら幸せですね。晴れて定年退職の日を迎えた先生はこんな気持ちなのでしょうか?

⑤学校、教職員、子どもたちの顔を思い出すのもイヤでその状態がずっと続いている人

お互いが不幸です。人を信じることができない、許すこともできない、すべて人のせいにする・・・こういう状態であったならかなり重症です。いろいろなことが重なってのことでしょうが、出直すことで新しい道が開けるかもしれません。

⑥これまで我慢に我慢を重ねてきたがこれ以上は無理!!という人

人格破壊の状態になってしまってからは手遅れです。真面目な人ほど陥りやすい負のスパイラルです。こうなる前のケアが何より大事なのは言うまでもありません。

⑦身体がもうこれ以上持たない!!という人

私はこれで辞めました。最後の数か月は睡眠時間3時間で乗り切ろうとしましたが、カラダが言うことを聞かなくなりました。正常な考えができなくなり、これまた負のスパイラル地獄行きです。身体を壊してからでは遅いのです。がんばってがんばって尽くしても尽くしても、学校を辞めたらだれも面倒など見てくれやしないのです。

⑧能力的に無理な人

悲しいことにこういった人たちが存在するのも事実です。本人がいちばんかわいそうです。本人に罪はないのかもしれませんが、努力でもカバーできない、基本的スキルのなさからくるさまざまなトラブル・・・授業が成立しない、基本的な人間関係が構築できない、コミニュケーションスキルゼロ、事務的遂行能力なし・・・さびしくなってきましたのでここらあたりにしておきますが、何でも物事最低限クリアしないといけないものがあるでしょう。その最低限も能力的に無理な人が学校に居座り続けることはお互い不幸です。

⑨家庭の事情その他どうしようもない理由で辞めざるを得ない人

学校という職場は片手間でやり過ごせるような生半可なところではありません。フルパワー発揮がままならぬようになったら先生オリジナルの戦闘力も半減でしょう。こういったことは、その人ならでは事情もあり他人がとやかく言えることではありません。しかし、つらい決断ではありますが、やはり自ら断を下さなければならないという時があるはずです。

⑩志(こころざし)がなくなってしまった人

子どもに愛情、学校に愛着が湧かなくなってきてしまった、惰性でなんとなく毎日学校に行っている・・・こういった人たちは「辞めてもいい」ではなく、正直な話、「辞めた方がいい人」&「辞めてもらいたい人」なのです。好きになる気持ちが「恋」なら、「好きな気持ち」を持ち続けられる、それが「愛」なのですから。

私が辞めて正解だったかどうかは今でも分かりませんが(どちらに転んでも正解ないのでしょうが・・・)、一つだけ言えることがありません。地に足を付け私なりに地道に歩み続けている・・・ということです。こう言えるようになるまでには、辛酸舐めつくしましたし、かなりの労力&心労とそれなりの時間を要しました。

今の仕事ももちろん充実していてはいるのですが、学校時代のあの輝きはもう取り戻せないと思っています。

学校でしかできないこと、学校でしか知り合えない人たち、学校にしか存在しない価値・・・こういったものは確実に存在します。

しかし一方、辞めてさらにいきいきと輝きを増し、活躍している人もたくさんいるのもまた事実です。そうなのです。ステージは学校だけではないのです。とどまるのもよし、思い切って自分に賭けてみるのもよし。しかし、辞めるという一大決心を実際に行動に移すのは、あなたのその思いが「確信」に変わってからにしてください。

なんの根拠もなしの自信と過信だけを頼りに、社会という大海原にダイブして溺れかけた私の大失敗例も少しは参考になるのかもしれません。

あなたの未来予想図はあなたにしか描くことができません。そうです。人生のシナリオはあなた自身で書いていくのです。主演ももちろんあなたです。先があるということは、それだけでありがたく幸せなことだと思いませんか?


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