あかね荘でのみね子との「親子」の会話を思い出してみました。
ホントは「行っでみっがな」なのに「帰っでみっがな」と言ってあげられるところ、そして「みね子ちゃん」から「みね子」と無理して呼んであげられるところに
実さんの優しさが滲み出ています。
みね子と一緒に「帰る」奥茨城村も「はじめて」のはずなのに、実さんはじいちゃんと美代子さんを前にして「帰って・・来ました・・」です。
本人の中では当然、抵抗あるではずです。「はじめて」見る人たちにさすがに「ただいま~」とはいきなり言えなくても、それでも「帰って・・きました・・」
という言葉が出る人なのです。実さんは・・・
そして、「はじめて」会うじいちゃん、進、千代子を前にして「お父さん」「千代子、進」という呼び方も抵抗あったことでしょう。
実さんの性格からして恐らく頭の中で、声に出して何度も何度も練習したことでしょう。
奥茨城村へ帰るバス車中でも次郎さんのことはわがんなくても、おぼえてなくとも相手を労わって「御苦労さまでした」です。
記憶は無くしても、やっぱり実さんという人の本質は何にも変わってなくて本当によかった。
自分のこと知りたい~
あのさ、お父ちゃん、そろそろ・・・
みね子ちゃん
(しばらく間おいて)
えっ?
(少し間をおいて)
みね子
(これまた間おいて)
はい
奥茨城に…帰ってみっがな? どうがな?
うん・・わがった、帰ろう スポンサーリンク
いつまでも「みね子ちゃん」だったら、みね子がきっと傷付くだろうと思える人なのですね。
そして、みね子にその先を言わせず、自分からそう切り出すことによってみね子を安心させ、よろこばせたかったのでしょう。
人を傷つけることを何とも思わない人、傷つけたことすら気付かない人が多く和めない現代において、僕たちがどこかに置いてきてしまったものに
いっつも実さんはじめ、『ひよっこ』オールスターズは気付かせてくれます。
あいての気持ち、空気を読んでそっと手を差し伸べてくれる、すずふり亭のみんなも優しすぎて泣けてきます。
記憶はなくしても、必死に自分を知ろうとしている実さんの眼差しが、まっすぐすぎてまぶしいです。
よぐ、帰ってぎた、よぐ帰ってぎたな
お父さん・・・美代子・・・ みね子・・・千代子・・・進・・・
ご心配をおがげして、すみませんでした
申し訳ないです、それから・・・
自分の家族のこどが、わがんなくて、何つっていいのが・・・
本当に、ごめんなさい・・・
記憶がもどっかどうがもわがんねえし
自分がどうなんのがも、さっぱりわがんねえ
んでも、 こごで、取りもどしてえ
もういっぺんやり直してえ
生ぎ直してえ
そう思って、帰ってきました
どうが、よろしくお願いします
よぐ、帰ってきたな
よぐ帰ってきた
ありがとうございます・・
あっ、美代子。メシにすっぺか、腹へったな
あっ、はい
いいのげ? もういいのげ?話終わり? 父ちゃん!
おぉ・・・
ハハハ! 進がぁ、結構重いなぁ
大きくなったよ
大きくなったか、そうか
お帰りなさい、お父ちゃん
ありがとう、千代子
いがったね、進
111話では茂じいちゃんの、「よぐ帰ってぎたな、よぐ帰ってぎた」このことばに谷田部家みんなの想いが凝縮されていて、いがったですね。
畑での再会シーンもじいちゃんは、言葉ひとつ交わすことなく、その滲み出るやさしさそしてうれしさを見事に表現していました。
古谷一行さんは、歳と共にその円熟さが増し、その深みはとどまるところを知らずあらためてすごい俳優さんだなと思います。
じいちゃんの万感の思い詰まったこのフレーズの後に追い打ちをかけるように、父ちゃんめがけて突進する進。
2年半前とは違って、ちょっぴりお姉さんになって自分なりに喜んでましたが、お姉さんにならざるをえなかったんですよね。
実さん失踪、みね子東京~という状況下、じいちゃん母ちゃんを助けて千代子なりに成長した姿がいじらしかったです。
お父ちゃんがずっと奥茨城村にいたら、まだまだ甘えん坊の千代子だったかもしれないというのに、あの無邪気でこどものまんまのお嬢ちゃんは
どこにいっちゃたんでしょうか。
それぞれがそれぞれの想いで、今日というこの日の喜びを噛みしめていました。
実さんが、こうして晴れて奥茨城村に帰ってきたのも、みね子、美代子という人のあたたかさ、優しさに触れたからに他なりません。
彼を突き動かしたのも、この二人の「家族」に対する愛情だったはずです。
その愛が実さんの胸に響いたホンモノだったからこそ、帰ってきたのです。
あらためて『ひよっこ』の底に流れているテーマは「絆」と「想い」だと思うのです。
「ただいま!」って今日は言えなかったけど、しあわせはもうすぐそこまで来ていますよね。
大丈夫、きっと・・・
NHK連続テレビ小説『ひよっこ』第19週「ただいま。おかえり。」第110、111話 8月8日9日放送分