いじめ

いじめの恨み一生忘れない?!~消えないうらみ、流せる方法~ネガティブコメントで憂さ晴らし?♪「交差点」藤岡正明

憎しみ、恨みを持ち続けることを、生きる支えとせざるを得ない人がいます。あまりにも酷い経験だけに一時期は自殺も考えた私ですが、いまでは流せてしあわせですね。

加害者を憎み恨み続けることで、あなたが楽になれるのなら、それもいいでしょう。しかし、「何か」を失っていないでしょうか?一生これからも、加害者を憎み続けて生きていくのですか?

こころが少し軽くなるかもしれないとっておきの方法をあなたに紹介します。

憎しみ、ネガティブコメントから得られるもの

あなたが、毎日毎日恨み尽くしても、加害者は普通に一日を過ごし、夜はグッスリ。そんなものなんですね。いつの時代も、傷を受けた者のつらい記憶は一生忘れることができないのに、加害者はそんなことを、まったく気にも留めてはいない。

憎しみ続ける日々から突き抜けて、「復讐」という実際の「行動」に出てしまう人もいますね。憎しみを自分の「気持ち」の中だけで、留めておくことができなかった人たちです。いじめのうらみすさまじき!の一言です。








それでも、恨み憎しみから得られるものは~「ない」どころか、「失うもの」のほうが圧倒的に多い事実に目を向けて欲しいのです!「いじめた」「いじめられた」・・・私なりにどちらもこれまで経験してきたので、その狭い範囲内では理解しているつもりです。ですが、その苦しみ、ツラさ、切なさは人それぞれであり当然、本人にしか分かりません。

こういった教師向けブログを運営していると、サンクス、ポジティブコメント&メール(相談も含む)と同じくらいのネガティブコメントどころか罵詈雑言だらけの一方的なコメントもたまにありますね。

現役教師、教師志望向けの記事ではネガティブコメントはほとんどなし、いじめ、生徒指導など主に生徒向に話した記事に攻撃コメントが多いです。時には「殺してやる」とか「絶対、場所を特定してやる」とか「勇ましい」コメントもあって色々考えさせられます。いじめ、自殺などのような深刻なテーマだけに、その思いの丈のはけ口を求めてるのでしょう。

最近のいじめ、自殺などに関するコメントを2~3挙げてみましょう。

①「いいや、憎み呪い続ける。他人事の貴様にはわかるまい。」(この記事)

②「偽善で物事を述べるな!お前はどうせ自殺なんか考えたことなんてないだろう!だったら黙って傍観してるか、さっさと死ね!」(自殺記事)

③「死ね詞ねしねシネ・・・(の繰り返し)お前ら大人がこういう社会をつくったんだろう。だったらこんなくだらないこと書いてないでとっととシネシネシネ(の繰り返し)」(頭髪指導の記事)

人の考え、思いというものはそれぞれですし、そのおもいを自分の中でどのように描こうと当然、それは自由です。でも、それを言葉にして相手を攻撃、傷つける~という行いは決して許されるべきものではないはずです。

まさに、いじめなどで言葉の暴力でこれまで傷ついてきた人たちが、匿名性をいいことに今度は見ず知らずの人間を上から目線で攻撃しているのですから、情けないを通り越して正直笑えます。いじめられっこがいじめっこになった気分というものはどういうものでしょうか?

こういった人たちは恐らく、私とか実際の相手に面と向かっては何も言えないかわいそうな人たちです。自らの弱さを自覚し、ほんとうの意味で強く、勇ましい人であったならこのようなブログを検索したり、コメントで憂さ晴らしなんかしてないで(当ブログは現在月間約100,000PV程度の弱小ブログではありますが、検索流入が9割を占めています。)、実際に何らかのアクションを起こしていることでしょう。

以前まではアドレスを記載しないとコメント受け付けないものとしていたのですから、何らかの返答が欲しく、絡みたかったのかもしれません。また、これまではこういった自らの直アドを記載してのネガティブコメントにもすべてダイレクト返答していたのですが、付き合い切れないので相手にしていません。最低限の礼儀を弁えたネガティブコメントにはもちろん返答していますが、「しね」とかのレベルの単語の混じったコメントは、すべてスパム扱いになって自動削除される設定に組み換えました。

②~③の人に対しては無視ですが、①のコメントの方の名前は凄みがあります。なんと「復讐鬼」です。この人に返すことばとしては特にありませんが、

敢えて言うのであれば「哀れな人だな・・・」

だけですね。もちろん復讐の鬼と化すくらいですから実際に遭ったいじめが壮絶なものであったことは容易に想像がつきます。

しかし、これから先ずっと加害者を思い描いて生きていくのですか?

憎しみだけが生きる柱の人生って哀れすぎませんか?

そんなことをするためにあなたは生まれてきたのですか?

・・・って私は思いますね。

そして先ほども話しましたが、他人の痛み、傷みに寄り添うことはできても分かることは永遠にないでしょう。近い人の痛みだって分かってあげることは難しいのに、ましてや他人なんだから。

この方は「他人事」っていう言葉を使ってましたが、「そんなの当たり前でしょう」~って感じです。そして、「わかるまい」っても言ってましたが、分かってほしいのですかね。無論分からないけど(分かりたくもない)、永遠に。

こういった「甘え」(全くの他人になら何を言っても許されるという)からくるネガティブコメント、恨みなどは何とも非生産的で何も得るものがないと私は思うのです。どこにも自分の怒りをぶつける先がないからって、たまたま検索で入ってきた「他人」を攻撃して情けなくないのでしょうか?

それでも「恨み呪い続ける」って言うのであれば、「どうぞご自由に一生呪っててください!余程ヒマなんですね?」って感じですね。

いじめられた傷が癒えない、忘れられないのは仕方ありません。忘れろ!とは絶対に言えません。しかし、流せることはできるのです。その気になりさえすれば・・・

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そして、失われるもの!

憎しみの感情というものは、「ヒト」といういきものに間違いなく心身のダメージを与えるのです。ストレスが心身に蓄積され、様々なダメージを受け、種々の病気を引き起こすといわれています。ストレスがヒトを殺すのです。いじめ被害で深手を負い、そしてやっとそれから逃れられたと思って、恨み続けた結果、病気になってしまってどうするのです!

恨みは心身を壊すだけでなく、あなたの「残された大切な時間」をも容赦なく奪い去っていくのです生まれたばかりの赤ちゃんもお年寄りも人生のゴール、終着駅に向かって刻一刻とカウントダウンが始まっていることに変わりはありません。あなたは、いじめ被害により、これまで奪われてきた時間を取り戻さなくてはいけないのです。こんなことをする奴らのために、あなたの大切な時間が奪われてたまるもんですか?もう彼らのためにあなたの大切な時間を使うのは金輪際終わりにしようではありませんか?!

そして最後にあなたから一番大切な「あなたらしさ」というものまで奪い去っていくことを忘れないで欲しいのです!誰かを呪っている時の自分の顔を鏡で見たなら、そのおぞましさにギョッとすることでしょう。それほど、憎しみの感情というものは醜いものなんです。

私の行動基準にマイルール(芯)(軸)以外に、人様(ひとさま)(特に、尊敬する人、好きな人、親等)に対して恥ずかしくない行動かどうか?という基準がありまする。人を憎んでいる姿など、私は好きな人に見られたくはないです。人間のどうしようもない感情ですが、少なくとも人様に堂々と見せられるものでないことだけは確かです。でも安心してください。人間うまくできています!

それでは、そのどうしようもない「憎しみ」という感情はどう処理していったらよいのでしょうか?

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忘れられない、なら流せばいい!

あなたが本当に「憎しみ、恨み」という感情から解放される時は、相手を許したときです。しかし、これほど酷い思いをし、キズを負わせられて、そう簡単に許せるはずはないでしょう。それでは、どうするのか?私がこれまで実践してきた方法を使ってあなたの感情を毎日少しづつ整理していってほしいのです!コツは一気にやろう、変わろうとしないことです。毎日少しづつがコツです。コツコツが「コツ」!

①許すのではなく、流す、忘れる、思いださない!

人にとって、何よりも辛いのは忘れ去られること、無視されること無関心である。あなたが日々恨みに付きまとわれていては加害者が喜ぶだけである。もう彼らのことを思い出すのはヤメましょう!

②変えられるのは自分だけ!

イチローさんも言っていたではないですか。「自分の変えられるもの、ことだけに集中する」と。相手の考え、行動を変えさせるのはとても大変で不可能に近いと思うこと。恨み続けることで相手が変わるでしょうか?「いままで悪かった!」と反省しますか?そんな殊勝な人であったら「いじめ」など馬鹿なことするはずないじゃないですか!

③憎んでも恨み続けても、何にも変わらない!(どころかますますあなたが不幸せになっていく)

私たちが生きている人生というものは、自分の眼、アタマというフィルターにかけられた自分勝手な解釈から来ているものであり、ほんとうの自分の人生ではないはずです。これまでがつらかっただけに、イメージを悪い方へ悪い方へと膨らませていけば(期間と頻度)、これまでのつらかった経験がますます辛いもの、酷いものと自己の中で認識されキリというものがなくなるのです。

なら、こんな惨めで非生産的なことはもうやめて、前向きにいこうではありませんか!

④「復讐」するくらいなら、あなたが幸せになればいい!

⑤「悔しさ」をバネに!

「憎しみ」ではなく、「悔しさ」をバネにし、これからあなたが努力して生き続け、幸せになればいい!

⑥あなただけの「あなたオリジナル」を見つける!

何か打ち込めるものが見つけられれば、それだけで人は強くなれます。忘れられます。なんだっていいのです。あれこれ悩むよりも、まずは何らかのアクションを起こしてみませんか?

そして、結論!

憎み続けること、それは失うものばかり!

忘れるのではない、流すのだ!

あなたらしさまで流すな!

「悔しさ」から幸せに!

「交差点」詞 藤岡正明 曲 松本俊明 歌 藤岡正明















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