いじめ

いじめ傍観者!いじめ解決のキーパーソンをどう活かすか?「みてるだけ」からの転換!

いじめ問題の解決には、何よりも早期発見早期着手が大切です。忘れられがちなのが、実は仲裁者、引きとめ役として重大な役割を担っている人間がいるのです。

いじめに直接手を染めることはなく、囃したて煽る観衆は「加担者」ですが、「傍観者、中立者」の存在を忘れてはならないのです。そこで今回は、いじめ早期発見解決に向けて、彼らの力を何とか活用できないか、その方策を考えてみました。







中立者(傍観者)の心理(2タイプ)を見極める!

ここでは、いじめを囃(はや)したてるような加害者と同等なものを中立者傍観者(ぼうかんしゃ)としては扱いません。彼らは立派な「加害者」なのです。このことはハッキリさせておかなくてはなりません。中立者は、大きく分けて2つの型に分けることができます。

①関心タイプ

いじめを見て見ぬ振りはできない、という正義感はあっても、「今度は自分がターゲットになるのではないか?」という猜疑心に悩まされ、なかなか声を上げることができない児童生徒が、この「関心タイプ」に属します。

②無関心タイプ

「いじめるほうもいじめられるほうも悪いのではないか?」「自分には関係ないし、関心もない」「面倒な事に巻き込まれるのはまっぴら」と、いじめを認識しつつも、見て見ぬ振りを決め込む真正の無関心がこの「無関心タイプ」です。

ここで、主にクラス担任の果たす役割、責任が当然大きくなってきます。これまでやってきたことに加え、中立傍観者の力をいじめ解決、クラス経営に活かすのです。無論、無関心タイプの心を突き動かすのはなかなか大変な事。それであったら、関心タイプの彼らに期待しようではありませんか。

彼らの背中をそっと押してあげるだけでよいのです。そのためには、彼らの身の安全保障を万全なものにしなくてはなりません。いつも頭に入れておいて欲しいことがあります。彼ら「中立者(関心タイプ)」は、どちらにも転ぶ可能性があるということです。

いじめを止めさせる側に立つか、いじめる側に転ぶかは担任であるあなたにかかわっているのです。

要は、中立者の立場から引きとめ役、仲裁者へと彼らの役割を転換させ、いじめ被害者を「被害者加害者間」の密室状態から解放してあげることです。これに尽きます。では、どのように実践していけばいいのでしょうか?

全国津々浦々の学校で今日も教師が悪戦苦闘しながら実践しています。自ら考え実践していくしかない。と言い放っては元も子もありませんので、私が過去に実践した方法について述べてみます。あくまでも私のクラス経営上での話ですので、参考までにしておいてください。

クラス担任としての揺ぎ無い決意を、いまこそ示そう!

学校、クラスは児童生徒が心身の安全を保障される場でなければなりません。この当たり前のことが、当然でなくなってきている現状が異常なのです。そして、クラス担任は自らのクラスであっても、いじめはいつ何時起こるかもしれないし、どんなこどもの心の中にも「いじめの芽」はあるという前提でいなければならないのです。

私はクラスを任された最初の所信表明で、この心身の安全保障を第一に掲げ「いじめは絶対に許さないし、傍観、中立も許さない。」という、加害者とは真っ向から対決していく強い姿勢を打ち出しました。

つまり、「見て見ぬふりは、いじめを容認することであり、加担者、加害者の側に立つことだ」とハッキリさせたのです。

そして、ここからが重要なのです。いじめ問題は生徒教師間、つまり学校という狭い空間のみで解決できるような生易しい問題では決してありません。そこで、各家庭に、生徒の前でしたように「所信」を電話で「表明」するのです。

前クラス担任からの引き継ぎで過去に「加害者」「被害者」であった生徒の家庭については家庭訪問も行いました。つまり、クラス担任の決意の程を家庭にも知らしめ、同時に各家庭の協力も仰ぐのです。家庭の教育力が絶大な家ほど、この協力が実に有難く、力になりました。

普通、ここまで担任がいじめ問題根絶を叫び続けると、こどもらは「面倒くさいことになりそうだ、関わりたくない」となり、手に染めることはないものなのですが、それでもいじめは起きるという危機感を前提に、私は更に次の手を打ったのです。

共感性、社会性に欠けるこどもたちをどう導くか?

事あるごとに、いじめ問題、こどもの自殺について考えさせたり、「いじめ傍観」はいじめをエスカレートさせることになり、いじめに消極的に加担した「加害者」であることを話していきましたが、言葉だけで生徒の心を突き動かすのは実際難しい。生徒自らのこころが自分のものとして体感実感できなければダメなのです。

そこで、「人権意識」「社会性」「共感性」を育むべき、さまざまなロープレ(ロールプレイング)を、生徒にシナリオ、配役を考えさせ実演させたり、様々なクラス役割を設け、生徒間での協力、話し合いが必要な場を人為的に作り出したりしたのです。

このことは生徒間の人間関係を教師にも見えやすいようにしたことで、メリットが実に大きかったです。

いずれにしても、その大目的は「いじめは酷い、辛い、情けない、恥ずかしい」という「共感性」と「社会で許されない事は学校でも絶対に許されない」という「社会性」を生徒の心に植え付けることです。

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そして、極めつけは生徒間問題の仲裁役をクラスの「係」としたこと!

彼らの立場にも配慮し、彼らが決して孤立しないよう係りは「男女3人づつ計6人」。随時担任に報告を義務とし、大きな問題についてはクラス全体で共有し、クラス会に諮(はか)ったりもしました。

「いじられっこ」が実は「いじめられっこ」であることを私に教えてくれたのも、この係りである彼らでした。私が犯した大きな過ちは「いじり」は「いじめ」のはじまり!?違いと境界線~教師なら「悪のいじり」を見逃してはならない!で詳しく話しましたが、彼らがいなかったら~と思うと今でもゾッとするのです。

このように、いじめ問題解決に向けて彼らの力に期待する役割は、これからも大きくなっていくことは間違いありません。

「いじめ」は人権侵害という大きな過ちであるということを彼らに気付かせることが、教師の大きな務めなのでしょうが、私の場合このアプローチはあまりうまくいきませんでした。誰もが持っているこの「人権」というものよりも、「人間としての尊厳」~これを貶めるような言動はゼッタイ許さない!!という姿勢を一貫して持ち続けたほうがよいのかもしれません。

いずれにしても、傍観者・無関心者の持っている影響力は、計り知れないものがあります。起きてしまってからのいじめ根絶のためだけでなく、いじめ予防のためにも今こそ!彼らのチカラを活かそうではありませんか。

そして、結論!

教師は、「自分一人で解決しよう!」なんて考えは捨てよ!

いじめ傍観者中立者、家庭の力を借りよ、活用せよ!

クラス担任のブレない、強い姿勢、貫徹心は生徒に通じる!

「あしたがすき」 詞 名木田佳子  曲 渡辺岳夫















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