2003年9月28日放送 放送分 159分
クライマックスはやはり、幸一(明石家さんま)が銃を味方に突き付けられて死んでいく(であろうと思われる)シーン・・・
自分の仕事である写真と人が大好きで、そして何より家族を愛していたお父さん(劇中でみんなからこう呼ばれていた)・・・そんな彼が、戦争へ行って人を殺めなくてはならない現実と向かい合った時のむごたらしい苦悩を、見事にさんまさんが演じている。
「こんなことをするためにぼくはうまれてきたんじゃないんですよ~」
このセリフがこのドラマに一貫して流れているテーマのような気がしてならない。
敵国の負傷兵を行軍中に見つけた幸一は、命乞いをする兵隊をなだめるも上官に「殺せ!」と命令される。このシーンで上のセリフ・・・そして上官に銃を頭に向けられたところでシーンは飛ぶ。彼が殺されたというシーンは一切ないが、後日降伏して生き延びた(お母さん(黒木瞳)と娘(上戸彩))が、収容所でお父さん愛用のカメラを米兵が持っていたのを目撃したことで容易に想像はつく・・・
どこまでも人間が好きで、人を信じることを止(や)まなかった幸一・・・彼が家族が離れ離れになる前に言っていた「人間みんなおんなじ、悪い人はいない」この言葉を信じ、敵に身を投じ命を長らえた母と娘。
息子二人(坂口憲二、勝地涼)と嫁(仲間由紀恵)を戦争で殺されるも、その戦争のさなかに生まれた6番目の尊い命・・・その彼女が現代(2003年)まで生き続け、自分の母親(黒木瞳)のこと、そして戦争を孫娘(上戸彩)に語りかける・・・
お母さん(戦争時)と三女(現代)を黒木瞳が、長女(戦争時)と現代の三女役の黒木瞳の孫娘役を上戸彩が演じるというW二役という憎い演出が、戦争の切なさを際立たせていてなんとも物悲しい。
勝地涼、オダギリジョーこの二人もむごたらしい殺され方(戦争でむごたらしくない殺され方などないと思うが)でこの世から消えていってしまったが、みんなみんなまだまだやりたいこと、やり残したことがたくさんあっただろうに。
オダジョーが上戸彩と、戦争が終わったら映画を見に行くという約束も幻となってしまい、彼女の手元には彼から託された本だけが残る・・・
このドラマで印象的だったセリフは前の「ぼくはこんなことをするために~」以上に、昇(勝地涼)が父親に語り掛けた「お父さんはなぜ、こんなたいへんな時にいつも笑っていられるんですか?」これである。
この問いにさんまさんがどう応えたかは実際に見てもらいたいので控えるが、彼なりのこの戦争に対するささやかな抵抗であり、自分が自分でいるためのアイデンティティみたいなものであったのだろう。
子どもが親に対する言葉遣いはすべて敬語、そしてさんまさんもすべての自分の子どもに対して常に「ですます調」を貫く(子供の名前は呼び捨て)・・・明らかな創り手の意図、そして父親のポリシーが見え隠れして切ないドラマなのになぜかうれしくなってしまうから不思議だ。
そんな思いがあふれて来るなんとも不思議な雰囲気のドラマチックなドラマである。
戦争はすべての人を不幸にし、人間を人でなくしてしまうものであろうが、いつの時代も真っ先にその最前線に立たされるのは、彼らのようなフツーのしあわせしか望んでいないごく平凡な人たちである。20~25万とも言われる沖縄戦の尊い犠牲・・・
本土の捨石となり、見捨てられ虐げられた過去を持つ彼らの子孫は、私たち本土の人間が持つ「日本」という国に対して持つ感情も、また違ったものであることは当然であろう。しかし、一方的というか偏ったソースの取り上げ方で基地問題と絡め合わせ、沖縄の人たちの被害者意識、そして「反米」精神を巧みに操作しながら「反日」を煽るかのような昨今のマスコミの報道に私は疑問を呈する。
なぜなら「最後の地上戦」は沖縄諸島(慶良間諸島など)、沖縄本島などでは決してなく8月15日の敗戦終戦以降の「樺太・千島列島」での戦闘なのである。日本が敗戦に伴い武装解除に向かいつつあるのを横目に当時のソ連軍はあろうことか千島列島・占守島に攻撃を仕掛けてきたのである。そして侵略者であるソ連軍と闘うため日本軍は再び武器を手に取ったわけなのだ。
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当時樺太には40万弱の人々がいた訳であるが、日本軍の必死の抵抗のお陰で民間人犠牲者は4,000人で済んだのである。一方日本軍の犠牲は3万人とされている。この戦闘に勝つには勝った訳であるが、日本は終戦/敗戦したことになっており、軍上層部の戦闘停止命令により結局降伏するに至るのである。この混沌とした一瞬の形勢逆転のすきを狙って、当時のソ連は北方領土をいわばかすめ取ったのである。
現在北方四島返還を巡って世間がやたらと騒がしいが、私には現在の安倍政権の歩み寄り譲歩姿勢は理解できない。「4島全島が無理ならせめて2島だけでも・・・」という甘い考えでは1島も返ってこないのが関の山、世の常であろう。どうせ返ってこないのであるならば最後まで自国のポリシーは曲げないでもらいたい。
2島返還(ロシア側は返還ではなく「譲渡」と言っている)が日ソ共同宣言に基づくものであることは理解できるが、2島のみ返還でよし~とすることは国後・択捉両島の返還は以降は諦めるということに他ならない。
終始一貫して「4島一括返還」に最後まで拘るべきではないのか?70年以上という長い時をかけて積み上げてきたもの、こだわってきた問題を、国民の信を問わずして手前勝手な都合でいじくりまわすというのはいかがなものであろうか?それこそ国益を損なう大問題である。
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国後、択捉両島はクナシリ、エトロフ島と表記されることもままある。これは全世界的に見て、これらの島が日本固有の領土と見なされていないということからも来ている。日本固有の領土であったクナシリ、エトロフ・・・そしてこれまたカタカナ表記されることの多いナガサキ、ヒロシマ、オキナワ・・・
沖縄返還が1972年、そして小笠原初頭返還が1968年~とアメリカの占領下にあった島々が次々と本土復帰を果たしたのと比べて、火事場泥棒的に現ロシアにかすめ取られたクナシリ、エトロフがいまだにこの国に還ってこない現実はなんとも理解しがたい。
戦勝国であったアメリカが返還に応じ、敗戦間際に不可侵条約を破って卑劣な行為に及んだ国の現政府高官が「日本敗戦の結果、ロシアが勝ち得た領土」と言ってはばからないのだから開いた口が塞がらない。一方、下手すると北海道の半分までをロシアにもぎ取られるところを、必死に食い止めてくれた人たちのことを私たちはもっと学ぶべきである。
これらの「カタカナ」の文字に潜んでいる意味の重さを、歴史の深みを今こそ私たちは噛み締めなければならない。市井の人たちも含めて当時を必死に生きたさまざまな人たちの犠牲の上にいまのこの国、日本国、そして私たちがあるのだから。
劇中に絶え間なく流れる「さとうきび畑」