前回「なぜ茶髪はだめなのか?頭髪指導ってなんでやるの?」で茶髪について教師のたてまえと本音についてはなしましたが、一番大切なことについて話すのを忘れていることに気付いたのです。
「時間はかかったけれど、多数の理解は得られていると勝手に思い込んでいた。」のでした。当然、すべてがすべてうまくいくはずはなく、大切な自分のクラスの生徒を、結果的に退学まで追い込んでしまったのです。絶対忘れることのできない事実。これから教師を目指すあなたがたには、私の二の舞だけは踏んでもらいたくはないのです。
二学年新学期初日
今でもあの日の新鮮さ、衝撃はハッキリと覚えています。一年時、教壇から見える景色、みんなの頭の頭頂部は「クロ」でした。一年間という時間をかけて、学校のきまりを一緒に考え、何とか家庭、生徒の理解を得ていました。
そしてクラス替え、新しい出会いに期待に胸をはずませたのも束の間、教室はカラフルなカラーで彩られていたのです。「あたらしいクラスでやりたいこと、やらねばならぬことがたくさんあるのに、これはたいへんだ!」これが実感でした
。まず、初日にクラス全員の家庭にあいさつを兼ねて頭髪について私の考えを話し、家庭の考えをきくことから始めたのです。一発目は、まずこちらから話を一方的にするのではなく、相手の話をとにかく聞くことから始めました。誰だって、頭ごなしに人の考え、学校のきまりで押さえつけられるのはいやですものね。
温度差に苦しめられる日々
頭髪の色具合など、機械で測るはずもなく、人間の目でみて判断するのですから、見るものによってどうしても「差」というものが出てきてしまいます。しかし、その「差」も誰が見てもあきらかに限度を超えてしまうと、問題になるのです。
「なぜ、うちのクラスはこんなに厳しいの?」
「何で私だけ?」
一年時、各クラス、担任によって頭髪指導の「温度差」がありすぎるのではないか~ということを何度か学年、個人に相談したのですが、結局受け入れられないまま、つまり指導の基準が統一されないまま新学年となりクラス替えになったのですから、問題が起きないはずはないのです。
早速、頭髪指導に素直に従うものと、そうでないものとの間で不公平感が起き、クラス全体、学年全体での頭髪指導が難しいものとなってきてしまいました。
「前のクラスでは、これでOKだったのだから直さない!」
「どうしても直せというのであれば、なぜ前がOKで、今回×なのか、キチンとした答えを教えてほしい!」
とくるのは当然でしょう。
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つまり、一番はじめ「学年スタート時」に、クラス担任全員が、学年一体となってこの頭髪指導に取り組まなかったことによるツケがまわってきたのです。
生徒指導に当たってはこの「温度差」というのが一番難しいのです。そして、一番家庭、生徒が敏感に反応するのもこの「温度差」なのです。頭髪指導に限らず、すべての生徒指導に関しては、一番はじめに学年、学校全体で同じ考えの下、全体として取り組むことが何よりも大切なことなのです。
理由アリの反抗
家庭の方針、考えは実にさまざまです。理詰めですべてうまくいくというのは間違いです。自らが本心から納得しない限り、こちらの言うことにまったく耳をかさない家庭も少なからずあります。指導、対話をかさねていくと、普通はクラスのほとんどの家庭が、「ここまでやってくれてるんだから」と徐々に理解を示し始めてくれるのですが、最後まで頑として譲ることのない家庭、そして生徒がただ一人いました。
頭髪以外では、本当に素直で友達も多く明るい生徒だったのですが、頭髪の色に関しては、とにかく自分なりのこだわりがかなりある生徒でした。一時期は、クラスとしての指導がこの生徒にも通じていたときもあったのです。
しかし、本人の万引きにより事態は悪化へと向かってしまいました。盗んでしまったのは髪染めのためのスプレーだったのです。家庭が「頭髪指導がなければ、こんなことにならずに済んだ。学校の頭髪指導が厳しすぎるせいだ!」ときたのです。
何度も家庭訪問し、「窃盗」と「頭髪指導」とは別問題であり、それぞれに対話と指導をかさねましたが、頭髪に関しては改善がなされることは決してありませんでした。やはり、頭髪を頑として直さないのは「急に厳しくなった」からでした。
学年が変わって、担任の方針が基準が変わったということでしょう。家庭にとってみては。つまり、「昨年はこんなんじゃなかった。もっとゆるかった!」ということでしょう。本人が直す気はなくても、たいていは家庭の理解さえあれば、学校と家庭、二者間で根気強く指導していく途中で子供の心に変化が現れ始めるものなのです。
しかし、このケースでは親自体が「絶対に直す必要はない!」とこどもに吹聴し、更に煽るような言動が出てき始めてきたのです。
担任としての悩み
クラス担任としては、この生徒の指導には時間がかかる、そして決して急いではいけないことは頭では分かってはいました。しかし、私は任されているこのクラスの、曲がりなりにもキチンと守っているこどもも尊重し、守っていかなくてはならないのです。
このジレンマに悩み、眠れぬ日が続きました。結局私は待つことをせず、クラス、学年の指導ルーチンに則って事務的に事を運び、終わらせようとしたのです。相手から見たらさぞかし高圧的、一方的と思われたことでしょう。結果として、親子を追い込んでしまったのです。
そしてしばらくして親御さんより、「学校の指導にはもうこれ以上従うことはできないので、こどもを辞めさせます」との連絡が来ました。それほど、このこどもにとって、髪の毛の色とは自らのアイデンティティを示すものとして重要なものであったのです。寂寥感とも敗北感ともいえない、何とも表現できない感覚にしばらくは囚われ、担任としての無力感を感じたのでした。
今の私であったなら、この事案にどのように対峙するでょうか? 少なくとも,もう少し待つことはできます。前の自分のクラスとどうしても比べてしまい、「なぜ、なぜ」ばかりが先行し、結果を急ぎすぎたと今では思えるのです。
こどもとは、本当はこんなことに時間と労力を費やすのではなく、もっともっといろいろな話がしたかったのです。昔のこどもにあう機会もありますが、「頭髪にすごく入れ込んでましたものね」と言われるのです。一つのことにしか目が行かなくなり、全体を見渡せる余裕というものがなかったのでしょう。
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運命を変えてしまう恐ろしさ
学校退学後、東京に出てファッション関係の仕事に就いている彼女も今は、幸せな家庭を築いています。一人の人間の運命、行く先までも変えてしまうことのあるこの職業はある意味恐ろしいと言えるでしょう。
その重責を理解することの大切さを今、改めて感じました。私たちは自分で気付かなくとも、自分の言動でさまざな人に影響を与えたり、傷つけたりしている・・・というこの事実にもっと向き合うべきなのです。特に教師は!
そして、結論!
生徒指導は、整合性、統一基準、公平さが大事!
いつまで待つか?そのタイミング!も大切!
言ってしまったこと、やってしまったこと
それはその瞬間に、本人にはコントロール不可能となる
そして、取り消しは決してできない! スポンサーリンク