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後悔しないための教員採用試験・教科(校種)選択~簿記でロマンは語れるのか~









正直、私の教科選択は失敗でした。とにかく一刻も早く教師になりたい、教採に合格したい一心で、当時倍率の低かった教科を選んでしまったのですから。文学・歴史が小さいころから大好きで教師を辞めた今でなお、これらの多くの書に親しむ毎日です。

私は学部時代に教員免許を取ってこなかったため、社会人になってから大学通信教育で免許を取得したことはだいぶ前にディープに話しました。「校種」に関してはドンピシャ&バッチリでしたが、「教科」選択が大失敗でした・・・

これまでに教員採用試験!(校種選択)③小中高?もう一つからのアプローチ教師を目指すなら小学校?中学校?それとも高校?悩みスッキリ!①教師を目指すなら小学校?中学校?それとも高校?悩みスッキリ②などで校種ごとの特性や長所短所、そして選択に当たっての注意すべき点をかなり詳しく話してきましたので、今回は私の経験から考える「後悔しない教科選択」について話していきます。

校種替え、教科替えは複数の免許を持つ先生も本当にたいへんです。ましてや免許取り直しとなったらそれこそ、一大事です。後悔は後にも先にもたたずです。なってしまう前のいまならまだ間に合うはずです。

今の大学、学部で取得できる免許は決まっているが
教科、学部、科目選びはとても大切!

たいていのみなさんは今在学している大学、もしくは卒業した大学で取得可能な免許状が決まっていますよね。でも、ちょっと待ってください!

あなたのその教科、一生涯教えていく自信がありますか?こころから大好き!~と本当に言えますか?

どうしてこんなことを聞くのかというと、それにはちゃんとしたワケがあるからなのです。教えていくうち、自身で学んでいく中で好きになっていくことも、もちろんあるのでしょうが、専門教科は嘘偽りなく大好きでないと、なが~い教師人生続けていくことが難しくなるからなのです。

教師を続けていく中では、すべてを投げだしたくなるようなトラブル、辞めてしまいたくなるようなできごともきっといくつもあることでしょう。そんな時、「この教科、学問がスキ!」という熱い思いが、辞めたい気持ちに打ち勝つ原動力になるのです。

なんてったって教師の仕事の柱は「授業」です。この授業が大好きでない教員は不幸です。生徒にしてみたって、専門の教科が大好きで、教えることも大好きな教師に教えてもらいたいに決まっているじゃないですか。「あぁ~きょうもまた授業~かったるいな~」というようなリーマン教員に教えてもらうよりは。

自分が大好きなことについて話す時、みないきいきとした表情になり、こちらもなんかうれしくなりますよね。自分の好きなことについては誰しも熱く語れるし、時間もあっという間に過ぎて行ってしまいます。

実はこれとても大事なことなのではないでしょうか?教師が自分が教える教科、科目に対する愛情がないと、教えてもらうこどもはもちろんのこと、教師自身も不幸になるのです。教科に対する愛なくして熱く語れないし、そこにはロマンも何もこどもは感じないでしょう。そして、伝わらないどころか、まったくをもってつまらないのです。

私の場合、学んでいく中で好きになっていくはず~と勝手に思い込んでいましたが、そのあても外れました。確かにスキル、知識は増えては行きますが、ちっともワクワク・ドキドキしないのです。その意味ではこどもたちに申し訳なくいまでも思っているのです。

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体育教師になりたい学生が文学部に行っても体育の教員免許は取れないのです。中学社会、高校地歴公民等は比較的広く文系の学部でその免許状が取得はできますが、小中はともかく、高等学校の教師を目指すのであれば、教員養成系の大学で学ぶのではなく、自己の専門を極めるための大学に進学すべきだと私は思います。

※「教員になるならどっちだ?教育学部or文学部?~文学部で何を学ぶ?~

なぜなら、高等学校は教科の専門性が特に強く、それらを持ち合わせていないと高校によっては、生徒の学問的探究心に応えることができないことになるからなのです。比較的自由な時間がたくさんある学生時代に自己の専門分野で研鑽(けんさん)を積んでもらいたいのです。あとあとこの積み重ねは、絶対に生きてきます。

私の場合、学部時代文学部、卒業してから商学部と学部を鞍替えしたので、後から私なりに苦労しました。これからの人たちには私のような苦労は味わってほしくはありません。それほど、教科そして学部選びはとても重要なことなのです。

一を教えるもの十を知るべし

論語の「一を聞いて十を知る」ではなく、「一を教えるもの十を知るべし」~

勝手に考えたことばですが、人様(ひとさま)に教える立場にあるものは、当たり前ですが教わるものと同じ経験知識レベルではうまく伝わらないでしょう。この「ことわざ?」の意味は、「自分自身で深く理解しているのは当たり前、その教え方伝え方について熟達していて、常にその向上のために努力し続ける人であるべき~」と私は思っています。

大事なことは、「伝えた」と「伝わった」はまったく別物である~という事実です。

※「教師とスピーチ!「伝えた」「伝わった」の関係 ♪「男のららばい」山川豊

教えたつもりになっていて、一人善(よ)がりに陥っている教師は、がんばればがんばるほど、実はイタイ!のかもしれません。考えてみれば分かるのですが、実は「教える」ということは本当に大変な技術と経験が必要とされる行為なのです。

例えば一対一の時、一対集団の時ではそれぞれ教授法、技術、話法もまったく異なるでしょう。私もティームティーチングの研究をしたことがありました。教師同士が会話形式で課題に取り組み、疑問を解決していく過程で生徒に発問し、授業に参加させ、のせていく~というシナリオだったのです。

ためしに同じシナリオで複数のクラスで試みましたが、当然ながら結果も感触もまったく違ったものになったのです。それほどこのライブ授業というものは奥が深く怖くもあり、面白いものなのですね。このように新しい授業の取り組みは日々行われているものであり、本来、教師独自のスタイルに固執せず、研究されていくべきものなのです。

教科に対する思いが自分を突き動かす!

「教える」、「何か」を伝える~ということは、創造的でその人の味が出る、本来たのしいもののはずです。

また、「教わる」ことも同時に、新しいことを学べるワクワク感が何とも言えないですよね。

子供の前で授業をしたことがある人なら分かってもらえると思いますが、授業のライブ感は病み付きになります。まさしく中毒、ドラッグ!数多く授業をこなせど、ただの一つとして同じ授業は存在しないのです。

まさにその日その時間一瞬一瞬の勝負!授業が生徒に受け入れられた時、生徒の輝きを感じられる場の一体感!一方、準備不足であったり体調不良だったりすると敏感に生徒は感じ取りそこにはノリやライブ感はなく、一方通行のつまらない授業になり下がります。ここが授業の怖いところであり面白さなのです。

今日も授業崩壊、学級崩壊寸前のところで日々がんばっている教師がいると思いますが、授業が生徒に受け入れられ、生徒にとって充実したものであれば学級崩壊などは起き得ないのです。こどもは、なんだかんだいって授業が楽しい、実りのあるものであってほしいと思っているのです。

「分かりたい、できるようになりたい!」という欲求は本来、子どもたちみんなが持っているもの・・・それを、教師のつまらない授業でこどもの伸びようとする芽をつんでしまってはいないでしょうか?

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人間という生き物が他の様々な生物と一線を画するのも、言語の獲得はもとより、学びつづけその学びを代々受け継いできた~ということにあるのではないでしょうか。先人の知恵を次世代に引き継ぎ、あたらしいものごとをどんどん獲得していく。そこには「学び」と「教授」という行為が必ず存在するのです。

「教える」ということは「学び」ということと同じくらい大切な尊い行為なのです。この厳(おごそ)かな授業を職業とすると志したからには、みずからに生涯学び続けることを義務付けなくてはなりません。

教える方が偉くて、教わるもののほうは一段と低い~という封建主義的な古臭い考えでは今の教育界の荒波を乗り切っていくことは難しいでしょう。確かに教員の方が知識経験、そして年齢では上でしょう。しかし、昔ならともかく我々が生きている現代では、その気になれば欲しい情報は即、手に入れることができるし、分野によっては生徒のほうがその道の先人、達人であったりもするのです。

そこで、「教えてあげる」「教えてもらう」という考えから脱却して「教室は教師生徒ともども学び合う、成長の場」と捉えることを提案します。そこでは経験の差こそあれ、立場としては対等であり、ともに学びあう共感体感の場となるのです。生徒は、教師を敬い感謝し、教師は自己の学びをさらに深め生徒からも多くを学ぶ~こんな学園天国あったらしあわせでしょうね。

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文学歴史好きが「教科商業」に挑戦!

今日の話題に「教科選び」を選んだのも、みなさんには、私のような失敗を味わってほしくないと思ったからなのです。私の卒業学部は、文学部・英米文学科、そして専攻はアメリカ文学です。大学選びがそもそも失敗の始まりでした。

文学、特に米文学が好きだったこと、当時は比較的英語が得意だったこと、そしておしゃれなヨコハマにキャンパスがある~これだけの理由で特に深く考えもせずさっさと決めてしまったのでした。入ってからはなんと英語漬けの毎日で英語炎熱地獄でした。

文学はたしかに今でも好きですが、語学自体はそれほど好きでもなんでもなかったのでした。入ってから、学校が語学にとにかく力を入れていること、そして私自身英語がそれほど好きでなかったことに気付いたのですからなんとも笑うに笑えません。

一気に大学の授業にも興味が失せ、好きな本読みまくり、バイト漬けの生活の始まりです。当然のように資格、免許の類は一切取得せず、なんとか卒業だけはさせてもらったという感じでした。

だのに、ひょんなことから就いた塾講師職で小学生のピュアすぎる瞳にノックアウトされ、小学校教諭免許状を取得しようと通信制大学に入るも挫折・・・次は、中高社会(当時はいまのように、中学社会、地歴、公民などのように教科社会が細分化されていなかったのでした)に再チャレンジするもこれまた途中でギブアップ・・・

小学校は科目数の多さとスクーリングの困難さ(仕事を続けていたので、長期の休暇について職場の理解がなかなか得られませんでした)でドロップアウト・・・社会は教採のすごすぎる倍率に受ける前どころか、免許取得前に恐れをなし敵前逃亡・・・といずれも情けない理由&言い訳ですべて諦めてしまったのでした。(いまあらためて思うけど、はぁ~なさけない)

ここですべてが終わるはずでしたが、三度目の何とかやらで、最後のチャレンジを私は試みるのです。事務職時代に取っていた簿記資格を活かせる教科ということで、当時は倍率が比較的低かったことも魅力に映ってかなんとなんと「教科商業」に教科替えしてしまったのでした。

受験可能なさまざまな自治体を何年か受けて、やっとこ教壇に立てるようにはなりましたが、そのしあわせも束の間・・・実際、なってからが実にたいへんでした。学習していくことのたいへんさであれば、好きなものであれば「大変」とは思わないはずです。

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専門としている方には失礼な話になりますが、学べど学べどまったく興味が湧いてこないどころか嫌気さえ差してくるのですから困ったものでした。確かに分かる・解けるになってくるとスッキリ感は当然あるのですが、文学・歴史からあふれて来るあのロマンなど微塵も感じることができないのです。

もちろん、私なりに好きになるよう努力はしましたが、やっぱりダメでした。極みまで到達していないからかもしれませんが、それが当時の私の限界だったのです。

簿記でもコンピューターの授業でもロマンを語ることはかないませんでした。これらの教科は学問ではありますが、技術・スキルの側面が非常に強いものなのです。完全な教科選びの失敗でした。

もちろん、商業という教科が心底大好きで、教科内容のみで立派にロマンを語っている先生方も全国にはたくさんいるのでしょうが、わたしにはできませんでした。職員室の隣り合わせ・背中合わせの席で現文や日本史の先生方が熱心に授業研究しているのを見るのはなんともつらかったのでした。みなさんにはこんなつらい思いはしてほしくないです。

教採前どころか、学部選びから実は教員採用試験は始まっているということなのです。その教科に対する思い入れが強ければ強いほど、採用試験を突破していく原動力となることは間違いありません。

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自分の「本当の気持ち」に正直に!

高校時代から自分が修めるべき学問の道が見えている生徒はしあわせです。それでは入ってしまってから「しまった!!」と私と同じようになってしまった場合はどうすればよいのでしょうか?

私の例を思い出してみてください。何の免状も取得してこなかった私だって、時間はかかりましたが3年で教員免許を取得できたのですから安心してください。最後までやり通す意志・ヤル気さえあれば、教科替え、校種替えは可能なのです。

大学を卒業さえしていれば(必要な単位を取得していれば)、正科生として入学するのではなく、免許状取得に最低限必要な科目のみを履修する「科目履修生」「聴講生」として入って最短2年で免状取得が可能です。(通信制大学によりいろいろです)

いまは昔と違い取得できる校種、教科も本当に多くなりました。そして、社会の要請を受けてか通信制大学の数自体も多くなりました。「星槎大学」では体育、「明星大学」では理科、音楽、そして「大阪芸術大学」では美術、工芸、音楽など、これまで通信で取得が叶わなかったさまざまな教科を取得することが可能な時代となったのです。(正科生入学、卒業が条件など条件付きのところもあります)

最近私が問い合わせたところでは、日本女子大学の家政科で「家庭科」の中高免許状が「男性でも」取得できるそうです。実際、毎年数名の方が取得されているそうです。(正科生入学・卒業は不可。免状取得のみOKだそうです)

通信とは違ったアプローチになりますが、まだまだ道、方法はあります。入学してしまってからでも、年次にもよりますが転科、転入学が可能な大学もあるでしょう。私自身も卒業大学は3年次編入学により入りました(文学部→文学部)が、まったく違った大学に移るという道もあるのです。

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入職してからの教科替え、校種替えは、さらにさらに本当にたいへんです。小中交流、中高交流のあるところでは校種変えはスムーズにいくこともあるようですが、基本同じ自治体であっても受けなおしとなると思ったほうがよいです。なる前の意志固めが重要になってくるのはこのためなのです。

駆け足で教科選択の大切さをいっしょに考えてきましたが、自分の専門とする教科選びは本当に大切です。あなたの専門教科、本当に「一生モノ」でしょうか?途中で想いが揺らぐものではないでしょうか?もし、ちょっとでも自信がないのであれば、いまからでも別な方向に舵を切りなおす~という秘策もアリなのではないでしょうか?

なってしまってから「しまった!!」「思いが冷めてきた!」では、あなた自身もそうですが、学校、こどもたちがみんなたいへんな思いをするのですから・・・未来の先生!がんばってください!











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