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「イジメの時間」評価レビュー~いじめ被害者が加害者を殺すとき~倍返し以上の復讐劇~ネタバレ注意

逃げたくてつらくて苦しくて、自分をいじめぬいた奴らを殺してやりたいけどできなくて・・・もう何もかも嫌になった、死んでしまおう・・・

そう苦しみぬいて自殺後の自分の葬式の夢を見るまでにいたり、とうとうこの物語の中学生、天童歩(てんどうあゆむ)は人生最後の日を迎えるかに思われた。が、歩の遺書を見た母親の携帯からの必死の哀願を前にして、かろうじて自殺を思いとどまることができた。

一度死んだも同然の自分、なんだってやってやろう、やれる!という万能感にあふれる少年の復讐劇、ここに開幕!

先日、いじめ加害者に対する仕返し、反撃について「いじめ加害者に仕返し、反撃はどこまで許されるか?いじめ被害を最小限に食い止めるのみに徹すべきそのワケ」でもちょっとくわしく話したが、限度を超えたもはやいじめとも呼ぶべきでない凄惨ないじめに対しては、結局法的手段に訴えるか、逃げるかの二択しかないのである。

だが、このストーリーのいじめ被害者はどう転んで人格が入れ替わってしまったのか、用意周到に自分をいじめぬいたものどもに私的制裁、つまりリンチ、拷問を加えたうえ結果的に3人ともども殺してしまうことになるのである。

イジメ返すどころではなく、加害者を地獄に突き落とし、そのうえ自分の犯行とバレないよう仲間割れのような計画を練りつくすなど、どう考えても何万倍返しの異常性格者の復讐であり、彼ら以上の相当のワルである。歩がこうも変わってしまったのは、やはりかわいがっていた老ネコ、ワーを彼らに殺されたこともあろうが、もともと歩、本人の根の深いところに植え付けられていたサディスティックな心根がただたんによみがえってきただけ・・・であろうと思えるのだ。

加害者たちを監禁し縛り上げ、自分の意のままになるという圧倒的優位な立場に立つに至り、相手が許しを請うべくいくら哀願懇願しても、その手を緩めるどころかさらにさらに、自分が受けた仕打ち以上の凄惨な暴言暴力、いやそれ以上の拷問を加えていく・・・フツーの神経の持ち主だったらちょっとは「許してあげてもいいかな」の気持ちくらいよぎるものであろう。それが歩の場合は一切合切ナッシング。最初から「殺す」と決めかかっていて、それ以外の選択肢はないのである。迷いというものがないだけに鳥肌が立つくらいにおそろしい。

ここで歩の恐ろしさがリアルにわかるセリフを紹介しよう。監禁&拷問中で許しを請う鈴木山に対して歩が放ったセリフ・・・

「残念だけど、たとえ鶴巻が若保囲を殺そうがおまえは徹底的に痛めつけるし、誰も解放するつもりはない。絶対に殺すから覚悟しとけ!」

鈴木山に助けられた経験から数木山を神のようにあがめている鶴巻(女子生徒)に、同じくいじめ加害者の若保囲を殺せば監禁中の鈴木山は助けてやる~と約束していたのにこのワルさ加減である。

いまとなっては残虐の限りをいくらでも尽くせる悪の化身となってしまった歩だが、むかし、もともとは心根のやさしいフツーのいい子だったのである(いまもそういう部分がまだわずかでも残っていると信じたい)、からにして、歩の様子がおかしいことに気づき手を差し伸べてくれた教師や友人だってちゃんといた、はずだった。だのに、だのに、彼みずからそのありがたい千載一遇ともいうべきチャンスをみすみす捨て去ってしまった。

いじめられたものの気持ちは当の本人にしか決してわからない。話したいけど話せないんだ・・・ここのところの伏線は作者「くにろう氏」が実際いじめ被害者であったのではなかろうかというくらいに実にリアルである。結局、自分で自分を追い込むかたちで加害者の呪縛から逃れられなくなりさらに窮地へと追いやられていく。

歩をここまで追い詰めてしまった彼ら、主要いじめ加害者三人もまたさまざまな複雑な過去を抱えており、この悲劇とも惨劇ともいうべき物語をいっそう空虚なものへとしている。それはネグレクト、虐待であったり病的な過保護であったりと現代の教育の病を反映しているだけあってそれなりにリアルである。彼らもまた教育の被害者であり、いじめ加害者であるのになんとも一筋縄ではいかない難しさ、切なさが画中から漂ってくる。

私がこの物語でいちばん印象に残っていて好きなキャラクターは、なんてったっていじめ加害者の鈴木山。歩に監禁されるまでは絵に描いたようなワルを演じきっていたが、それも本当のワルの中のワル、若保囲に誘導され、彼の手の中で踊らされていただけだなんてあまりにもむなしすぎる。

自分が監禁されている倉庫に若保囲も連行され、手足縛られオムツだけのボコボコの自分の姿を見るにつけ、若保囲は爆笑しあざけりの言葉を鈴木山に浴びせつけた。この時までに若保囲をほんとうの友だちと信じ切っていて、歩に彼だけは助けてあげてほしいと懇願していたのに・・・彼の心持ちを考えるといくらひどい奴でも切なくなる。

そんな若保囲もついに歩に捕らえられ、同じ監禁の身となる。一人では何もできない若保囲は鈴木山にいっしょに逃げるための算段を目論もうと持ち掛けるのであるが、鈴木山に一蹴される。このころはまだもしかしたら、ここから逃れるかも~と思っていたのか、「いや、もしここから出られたとしたら、俺はお前を殺す!」と断じている。

もうすでに歩への復讐とか報復などという気持ちは消え、自らを省みる気持ちへと変化していったのである。

このように、監禁された当初は歩に対する怒りしかなかった鈴木山であったが、監禁生活も長期間におよび、心身ともにあまりにも傷めつけられすぎたためか、それもやがて絶望へと変わっていく。このあたりの鈴木山の心境の変化が歩とのやりとりの中で描かれているのだが、やけにしおらしくなってしまい泣かせるのである。

監禁生活が短い若保囲のほうが急死するにおよび、さすがにうろたえ、あわてふためく歩を前に鈴木山は「自分のせいにすればいい」と説く。さらに続けて「お前にここまでやらせてしまったのは俺たちだから せめてそのくらいは・・・すまなかった。本当に心からわびるよ」息も絶え絶えの中、彼はこう歩に詫びを入れる。

これに対する歩の返しがコレである。コワすぎる。

「ここまでやらなきゃ被害者であるボクのほうがやられてた。誰が何と言おうとも、これはボクが生きていくための正当防衛だ。たとえこれで罪に問われ罰せられることになったとしてもボクの勝ちは変わらない。ボクは生きているから、未来があるんだからね。逆にお前らの人生はここで終わり・・・死んだら未来も何もない。あるとすれば遠い未来、遠い昔の記憶として誰かにときどき思い出されることくらいか。そういえば、そんなことあったな、そんな奴もいたなってね。昔死んだ別に親しくもない同級生の存在なんて、自分の人生にとってどうでもいいもんな。でも安心しなよ。ボクは忘れないから。毎年お前の命日にツバを吐きに行ってあげるよ、ざまあみろってね」

コレに対する息も絶え絶えの鈴木山のセリフがコレ。切なすぎる。

「そう・・か・・仕方・・ねぇ・・よな。こんなこと・・させちまって・・本・・当に・・ゴメンな」

ここまで彼に言わせてもなお、顔色一つ変えず、「初志」を貫徹させようとする歩に虫ずが走るとともに寒気を覚えた。

つぎに好きなのは、鶴巻という女子生徒。

彼女は鈴木山をあがめ慕うあまり盲目となり、鈴木山、若保囲とともに歩いじめに加担するかたちで破滅へと向かっていく。彼女もまた不幸な家庭環境で育ち愛に飢えていた。そこを鈴木山、若保囲に付け込まれたわけなのだが、あまりにもピュアラブすぎるのである。

歩が自分をいじめぬいた奴らを殺すという初志を貫徹させたのに対し、彼女は自らの愛を貫き通したと言えるだろう。クラスのボス的生徒にに性的いじめを受けているところを鈴木山に救われたのをきっかけに、鈴木山への病的な愛へ傾いていくのだが(これも彼らの仕組んだ悪だくみ)、鈴木山が死んだとのウソを告げられた(この時はまだ彼は生きていた)と同時に投身自殺を図ってしまうのだから。

ここまで書いてきて気持ちがめちゃくちゃ重たくなってきたのだが、さらに進める。いちばん嫌いな若保囲はもうほっといて、いちばん意味不明なのは、歩と平原という女子生徒である。

平原は歩も慕う皆のあこがれの的なのであるが、実は幼稚園の頃、歩にいじめられていた。(イジメた当人は覚えていないのが世の常)監禁場所を見つけた彼女は何を思ったのか突然、歩を刺してしまう。何やら、彼女が幼稚園でいじめを受けていると心配した母親が当時入院していた病院を抜け出し、その途中で心臓麻痺で死んでいたらしいのだ。それを恨みに思っての犯行らしいのだが、なんか物語の最後になって白けてしまったというか、いかんせんいかにも取ってつけたようなおとぎ話のようなシロモノ感がアリアリでなんかなんかね・・・という感じなのだ。そして彼女もまた首つり自殺でみずから命を失くす。

肝心の歩は刺されても死ぬことはなく、先の彼の口上のように生き延び、「未来」を勝ち取った~というストーリー。死の寸前で救出された鈴木山は入院先の病院で死ぬ寸前に「すべて自分たちの責任」とし、その他もろもろの要因が絡まり合って歩はまったくのおとがめなし・・・

こんなのアリ、これでいいの?こんなにたくさんの人が死んでるのに~といった最後はお粗末感がたっぷりである。

それでもこの物語は何かを私たちに訴えかけている。いじめ描写の機微があまりにもリアルすぎるので、いまいじめで悩んでいたり、過去にいじめを受けた人にはハッキリ言っておすすめできない。学校関係者やいじめ加害者にはぜひとも読んでもらいたいとは思うが・・・

作者が言いたかったことは、いじめの持つ負の連鎖の恐ろしさ、いじめ加害はもとより、仕返し、反撃、報復から生まれるさらなる悲劇・・・結局、誰も決してしあわせにはなれない~ということだったのだろう。

未来を勝ち取った歩のその後は描かれていないので私たちが知ることはできないが、とてもとてもあれから彼がしあわせな」人生を歩めたとは思えない。

結果、たくさんの人を死へと追いやり、みんな不幸にしてしまったではないか?あれだけ歩に死を思いとどまるように哀願した母親は、息子のこの姿を見てなんて思うだろうか・・・つらすぎてやりきれない。

私が読んだのは「13巻」までで、いわゆる「もしも」の世界が描かれている外伝「2巻分」は読んでいない。これ以上読み進めると、本編の味が薄れてしまうのと、もしもの世界はないと考えるから。世の中の出来事、すべてかどうかは別にして必然と偶然が微妙に入り混じり積み重なり、今の私たちをかたちづくっているはず。あの時こうしていれば~と誰しも悔やむ過去はあると思うが、過去に想いを馳せても現実は何も変わらない。過去を含めてこれからの自分次第でどうにでもなるのは、やはり現在と未来だけである。

これを全部読んだ知人によると、みんなと仲良くやっているフツーの歩の姿がそこにはあるという。何やらハッとさせられるような新事実も描かれているようだが、コアなファンなら読んでもいいかもしれない。

ちなみに、こちらの漫画は紙の単行本としては「1~2巻」までしかでておらず、あとはすべてネットで読むことになる。私はスマホアプリのピッコマで大部分を無料で読ませてもらった。ラストまであとちょっとの残りの部分ははアマゾンで購入。

ひょんなことから(若保囲が鈴木山のペンケースを歩の机に忍ばせた・・・実は平原が真犯人らしいのだが)歩への壮絶ないじめが始まり、自殺直前までいきながら母親の直電というきっかけで殺人者への道を歩むことになった歩・・・

世の中、人生は実はこういった、なんでもないようなちっぽけな「きっかけ」で良くも転んだり生き地獄にもなったりするのだろう・・・そう思うと何気ない日常に何気なく潜んでいるであろう転機を思案するあまり一分一秒気が抜けないではないか。いやはや人間というのは業の深い生き物。なかなかどころか到底、「なすがまま」の境地には達せないようである。

歩は「されるがまま」から脱して自らの意思で歩み出した。結局すべての人を不幸にして自分もこれから十字架を背負って生き続けなければならない。死ぬまで。しかし、この決断をした時の歩の気持ちはしあわせとは言えないだろうが、満足はしていたのだろう。あくまでも自己満足でしかないが。この気持ちはいじめられたものにしか結局分かりはしない。

そんな歩の心の中の決意を最後に抜き出して終わりとしたい。

「過去にはボクと同じような経験をした人、苦しみふみとどまれず死んでしまった人、たくさんの被害者がいた。同時に、人を傷つけ死に追いやっても、素知らぬ顔で人生を謳歌している加害者も本当に不思議だ。法的なバツというものは、事件とはまったく関係のない人が決めたもので、加害者に対して被害者の望む罰を与えることなんてできない。被害者が苦しんで苦しんで、その先の人生まですべて奪われたのに、加害者はその先の人生を楽しむ権利が認められている。そんな状況でボクが警察に相談してどうなる?アイツらにどれだけの罰を与えられる?どうせたいした報いも受けず反省も後悔もせず、むしろ逆恨みするぼがオチ。仮にボクが死んだって、奴らは変わらないだろう。苦しめられた本人にとったら、どんな罰を与えたって一生解決しない。せめてできることといえば、理不尽に受けた苦しみをそれ以上理不尽に返すくらい。むしろ加害者がやりすぎだと訴えたくなるくらいの法や道徳なんて無視したやり方で・・・被害者が納得できるかどうかがすべてなんだ。そこに他人の正義なんていらない」

 

 

 

 

 

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