「夢がない」「夢を見つけられない」「いま、やりたいことがぜんぜんない」~これらのことは本当に悪いことなのでしょうか?
あなたの終わりのない「自分探しの旅」・・・いったいいつまで続くのでしょうか?
私は一生モノの仕事、大好きだった教師を辞めてからなが~いこと、本当に悩み、もがき苦しみました。残りの人生、いったい何に賭けるべきか?
日本各地放浪の旅も長いことやりましたし、行くとこ行ったところで様々な人たちと出会い、そしていろいろな仕事にも就いたりもしました。またこたえが欲しくて何百冊の本をむさぼるように読み漁ったりもしました。
でもですね、自分が「これだ!」ってこころから思える答えはとうとう見つからず終いでした。
いまでも本当の答えは見つかっていないのかもしれません。でも、いまは自営でなんとかイキイキ仕事をしているのです。少なからず私を必要としてくれてる人たちのために、精一杯一日一日を前だけ向いて生きていくだけの毎日です。
今回は、なぜか無理矢理「夢」「目標」「やりたいこと」を持とう持とうと悩み苦しんでいるあなたへ、ちょっとこころが軽くなって明日へのヒントとなりそうな話をしていきます。
夢や目標があるのも、ないのもまたよし
毎日、やりたいこと、やるべきことがたくさんあって、夢・目標達成向けて脇目もふらずまっしぐら~わたしからしたらこのような人たちはとってもうらやましいと同時にちょっとたいへんだな~って感じです。
一方、大多数の人たちは夢を見つけるに見つけられず、さまよい続けている「強制夢追い人」なのかもしれません。でもですね、ちょっと待ってください。夢や目標などな~んにも持たず、の~んびりとただただ毎日を過ごしているだけのような人たちは、ダメで何にも役に立たない人たちなのでしょうか?
学校では「大きい夢を持て!」、やっとこの思いで入った会社では「目標達成!」のため馬車馬のように働かされ、身も心もすり減らす毎日・・・これが人生の終わり近くまで延々と続く・・・夢や目標をなかなか持つことができない人たちにとって現代は、なかなかツラい時代ですね。
夢や目標がないこと=悪、ダメなこと
この公式が当たり前のように成り立っているいまは、私はちょっと怖いなと思います。
すべての人が何かに駆り立てられるように、目標に向かって機械的にシャカリキに動いて動きまくる~これが一番生産的で効率的なのかもしれませんが、本当に大事なモノは一見、役に立たなそうな非効率的なモノのカゲに隠れているような気がどうもしてなりません。
神奈川津久井のやまゆり障がい者殺傷事件・・・まだ記憶に新しいですね。障がい者差別(犯人は差別ではなく、区別選別という言葉をつかっていましたが)、優生思想・・・人間の価値、人の考えというものはほかの誰にも決められないと私は思うのです。
これらの人たちは、なかなか夢や目標というもの、なかなか持ちたくても持てない人もいることでしょう。持てないから、彼らはダメで役に立たない人たちなのでしょうか?決してそうではないはずです。
この事件の犯人は、これらの人たちが生きていること自体「悪」で、すべて「消費」しかしていないと決めつけています。自らの意志表示をできない人たちを「選別」して19人もの尊い命を奪った訳ですが、当然彼らにも生きる権利があります。
彼らとつながっている多くの人たちにとっては、彼らの存在そのものがかけがえのないものだったに違いありません。意志の疎通にしたって、言葉を介してでなくとも表情やしぐさ、雰囲気などでまわりのものにさまざまな光をはなっていたはずなのです。
人間、日々を精一杯ただただ生きているだけで、生きていること自体が価値がある!と思えませんか?
夢、目標、やりたいことなんて無理に見つける必要まったくなし!
な~んにも目標や大きな夢はないけれど
別に好きでやっている仕事ではないけれど
定時で家に帰ってからの家族との団らん、野球を見ながらの一杯のビールを楽しみに毎日一生懸命働いている人たちはダメな人たちですか?こういったたくさんの人たちも、またいてこそ私たちの生きる社会でしょう。
だったとしたら、夢や目標、やりたいことが特にないひとたちは、無理やり自分を追い立てて夢を見つけようとする「夢地獄」におちいることなんてしなくともよいのです。
時には自分を追い込んで頑張ることも必要かもしれません。でもですね、いつもいつも自分を限界まで追い込んでいくことは「夢自体」が強迫観念となり、自分自身をダメにしてしまうことになりかねないのと私は思います。
誰もがみな、限界ギリギリまで自分を追い込めるわけではないのです。ひとそれぞれなのですから。夢がある人もない人も、いろんな人がいていいはずです。許されるべきです。この社会は。
大きな夢、やりたいことがたくさん・・・いいですね、おおいに結構、がんばってください!夢は人を突き動かす大きなパワーの源なんですから。しかし、夢がない人を見下したり、追い込むようなことだけはしないでください。人にはそれぞれの事情があり、ほんとうにいろいろなのですから。
いま私たちにとって大切なことは、自分の気持ちに正直になることではないでしょうか?
無理矢理につくりだしたり、引っ張り出してきたりしたものは、それはもはや「夢」とは言えないでしょう。夢とはそのような薄っぺらなものではないはずです。
人は誰でもいつかはかならずこの世とさよならします。それがちょっとだけ早いか遅いかだけの違いです。
この世に何を残したか、何をやり遂げたか?に価値を置く人の価値も当然認められるべきです。
しかし、それもまた人間が勝手に作り出した価値の一つに過ぎないのです。
死ぬ間際に、「ただただのんびりとした平凡な人生だったけど、この家族でよかったな!」「ずっとフリーターで結婚もできなかったけど、たくさんの本を読めて本当にしあわせな人生だった!」
~これらのしあわせ基準、価値をいったい誰が否定できるでしょう?
夢や目標に追い立てられているあなた、夢が見つからず悩んでいるあなた、ここらで一度立ち止まってのんびりして、あらためて自分と向き合ってみませんか?
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夢はないけど、ちょっとだけ、ちょっとでも自分を変えたい、違う自分と出会いたいと思ったときは・・・
どうやら、人とは保守主義ないきもののようです。今の状態をキープしようとしてラクなほう、楽な方へと流れてしまうものですね。しかし、これではいつまでたっても何も変わらないこともまた事実です。
「考え方」そして「行動」を変えない事には、明日もあさってもまた同じことの繰り返しです。変えるのが難しい、できないのであれば、無理になんて変える必要なし・・・なのではないでしょうか?人間そんなに簡単に変われるものでもないですし、「変えよう、変えよう!」とリキんだって疲れてしまいますもの。
そこで私は、現在の自分を嘆(なげ)き、否定するのではなく、「こんな自分でもまあしょうがないな~」と肯定し、まずは何でも「やってみる」ことにしたのです。
ここでは、「やるか」「やらないか」だけの世界です。
中途半端はいっさいなし!グレーではなく、白か黒のみ!
そして、「やる」のなら、「即」のみ!アトからは一切なし!
このように「行動」を変えていくことによって、徐々にではありますが違った世界をのぞけるようになったのです。興味をもったことは、とりあえず「即、やってみる」、何事も迷わず「チャレンジ」してみるくせがついていったのです。
むずかしい理屈をいろいろとこねくりまわすと何でも難しくなってしまうのではないでしょうか?
「変える」ということは実は、実に簡単なことだったのです!
無理に「変えよう」などとしなくても、何でもトライ&チャレンジしていけば案外カンタンに自分が勝手に変わっていくものなのだと私は気付きました。
実は「変える」ではなく「変わる」だったのでした。
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考えてみると人生というのは、「選択」の連続ですね。
受験校はどこにしよう?
本当にこの相手でいいのかな?
起業しようかやめようか?
ラグドールもかわいいけど、やっぱり犬が好きだからシェルティーにしよう!
こんばんのごはんは何にしよう?
私たちはみなその時、その時の「これがいちばんだ!」って思ったことを選んできて現在の自分の立ち位置にいるのですね。
言わば、あなたの選択選択の連続がいまのあなた自身を作り上げてきたのです。
このとりあえずやってみる思考にしてからは、消極的な選択から積極的な選択へと変わっていきました。やってみたいことチャレンジしたいことが、向こうから飛び込んでくるようになったのです。大きな驚きと発見でした!「こんなに自分、いろいろなことに興味あった?」って感じなのです。
新たな自分に出会うためのヒント
今まで決して気付くことのなかった自分に出会いたいのであれば、「環境」を変えることがすべて~と言っても過言でないくらい、自分が身をおく場所は大切なことになってきます。わたしたちを普段から取り囲んでいるものについて見ていきましょう。
①仕 事
もし、今の仕事で悩んでいたり、満足していないのなら、あなたを最も必要としてくれるところへ飛び込むのもアリかもしれません。今まで「やりたい!」「やってみたい!」という気持ちがどこかでくすぶっていたのなら、思い切ってチャレンジしてみてはどうでしょうか?
一つの仕事を泥臭く続けていくことによって見えて来るもの、気付くこと~これらももちろんあるでしょうが、人間生きていられるあいだはほんとうに短いです。つらいからイヤだから逃げる~を繰り返しているだけの根無し草は考えものですが、ここぞ!という時に思い切って行動に移せるということは、人生におけるチカラと言えるでしょう。
そして、使用人として雇われるだけが仕事ではありません。社会的なニーズがあるのに、そのようなサービスがもし無いのであれば、あなたが仕事をつくりだしてしまえばいいではないですか?私自身、民間企業→教育公務員(十年以上)→民間企業→自営~と渡り歩いてきましたが、自分のやりたいことと社会のニーズをマッチさせるべく、日々奮闘しています。
また、仕事を変えるということは「職場環境」が変わるということだけでなく、別れと出会いもセットになってついてくるわけです。
②住むところ
私は転居を数知れず繰り返してきました。住む場所のチカラというのは侮れないですよ。いるだけでパワー、元気をもらえるという場所が必ずあります。もちろん、人によってその場所がどこなのか?はさまざまでしょう。私の場合、それは「海」でした。下の画像等、海の画像はかつての我が家、「海まで5秒!」でした。
これまで20回以上引っ越しを経験してきたバカ話はこちらをどうぞ!
「住むならトーキョー?東京はエラくて田舎はダサいのか? ♪「トーキョーマイラブ」チュウニ」
「2年京都に住んでみた!あなたのその京都移住計画ちょっと待った?!」
生きるのに疲れたら、住む場所を変えてみるといいかもしれません。考えてみると、人間生きていられる時間は限られているのに、ひとつの場所にこだわって、ずっと同じところに居続ける~というのもなんかもったいない気がしませんか?引っ越しを繰り返して、「モノ」にこだわり、モノをため込むことがいかにむなしいことにも気付かされました。
※「若者こそ断捨離そして終活・生前整理を~モノ・しがらみのスリム化はあなたに何をもたらすか?~」
とりあえずやってみる! ことでチャンスが増える!
環境を変える!なんてカンタンに言ってくれるなよ~という声が聞こえてきそうですが、今日から、いやいまから「即」変えられるものがあるのです。そうなのです。あなたの思考、行動です。
環境については、これまでとは異なったところに自(みずか)らを置くことにより、自然とさまざまな影響を受け、自(おの)ずから自分のアクション、考え方も変化していくということを狙っていますが、この「とりあえずやってみる!」は我がの思考・行動様式を変えていくことによって自己変革(マイ・レボリューション)が大いに期待できるのです。
それでは、いったいぜんたいどうしていけばいいのでしょう?
よく、チャンスを「チャンス」と気付ける人はごくごくわずか~と言われていますね。わたしも本当にその通りだと思います。先見の明があって一つのことを成し遂げた人は、自らの千載一遇のチャンスを決して逃さないのだと思います。
しかし、わたしのような凡人には、そのチャンスがそばに来たことにさえ気付かないし、気付けないのです。悲しいことに。でもこればっかりはいくら努力してもしょうがないものだと私は思います。感性の問題なのかもしれません。
でも、そのチャンスにちょっとでも近づける方法があるのです。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる~ではありませんが、チャンスが何百~何千分の一の分子の「1」であるならば、チャンスに巡り合うためのアクションの分母を限りなく増やしてあげればいいのです。
アクションを多くしていけばいくほど、その中にアタリ!がある確率が上がっていきますのね。そして、その中に自分が本気になれるもの、ハマれることがあるかもしれません。
なんでも、そう。例えばスポーツの場合、何らかのきっかけがあって普通始めるものです。兄弟がやっていたから、親に強制されたから、「巨人の星」を読んで感動したから~ふつうはこのようなパターンが多いかもしれません。
でも私の場合はちょっと違うのです。いま私は硬式テニスとランニングなどのスポーツに親しんでいますが、それぞれの始めるようになったきっかけはこうです。
★硬式テニス
部活の顧問としてまったくの未経験でしたが、子どもたちに付き合っていくうち、その魅力に完全にハマってしまいました。(実はたまに卓球もやりますが、これまた最初は強制部活(希望とはまったく別のところで顧問が割り当てられる)がきっかけでした)
※「まったく経験も知識も、ついでに興味もない部活動顧問に!~さあどうする?!すべてはあなた次第!~」
★ランニング
それまでは長距離は大の苦手&大嫌いだったのですが、初任地で強制的に町内駅伝競走大会の学校選出メンバーとなってしまったのです。やるからには練習練習、「もうこれきりだ!早く終わりたい!」などと思っていたのが、いざ出走してゴールを切ったら、あら不思議!
「もっと早くなりたい!もっと走ってみたい!」こんな気持ちになるなんて「まさか!」でした。
これらのパターンは「とりあえずやってみよう!」と自分から起こしたアクションではなく、強制的であったり仕方なく始めたものばかりです。でも、これらを「なんでもやってみよう!」精神で挑戦していくことによって大好きになっていったのです。
このことは私たちの毎日にもよくあることです。私だったら、どうせやらなくてはいけないことならば、イヤイヤなんかではなく楽しんでやりたい。
この「とりあえずやってみる」「とりあえず動いてみる」は人間関係にももちろん、当てはまります。出会う人の数を増やしていけば、あなたのとっての運命の人に出会える確率も上がっていくことはいうまでもありません。「とりあえず会ってみる」ことによって、仕事でのターニングポイントになる人に出会えたり、生涯の伴侶に出会うべくして出会ってしまったり~そんなしあわせなことになるかもしれません。
でも、目一杯動いても、その中にアタリがなかったらどうすんだよ~とこれまた聞こえてきそうですが、仮に分子のチャンスが「0」であったとしても、あなたが即、動いて得た「経験値」というものはあなたの中に確実に積みあがっているはずです。これが何物にも代えがたい人生における財産だと私は思っています。
どうでしょう、とりあえずやってみませんか?
いままでと「違ったこと」「はじめてのこと」をやってみる価値!
そんなに、「即行動!」「とりあえずやってみる!」なんていったて、ちょっと億劫(おっくう)、なかなかできないんだよなあ~という人の気持ちもちょっとは私にだってわかります。「それでは、ハイサヨナラ」ではあまりおもしろくないので、例えばお金の使い方ですが、思い切ってこれまでやった事のないお金の使い方を試してみるのはどうでしょう!?
☆南極旅行に行く
☆超高級スポーツカーに乗ってみる(レンタカー、カーシェアリングでもOK)
☆超高級料理店での食事
☆ネコ派だったけれど、犬と暮らしてみることにした
☆テニスサークルのみんな(50人もいるんだけど)に、ランチをゴチそうしてみた
決してふざけているのではなく、違う世界をちょっとでも見たり、突き抜けた体験したりすると人間のものの見方、考え方が変わるというのは良くあることなのです。オープンカーに乗ったことのない人にはあの爽快感、夏の暑さのスゴさは分からないでしょう、乗ってこそ、試してみてこそ!なのです。実はなんでも。そんな気がします。
なんて思いきったことなんてコトとてもとても・・・というあなたにはこんな提案!
◎いつも見るテレビ番組はとりあえずおいておいて、まったく毛色の変わったTVを見てみる
◎いつも利用しているストア、スーパーでなく、新しいお店を開拓する
◎なじみのカット屋さんではなく、新しいカット屋さんに挑戦し、ついでに新しい髪型にしてもらう
◎少しだけ早く寝て、少し早く起きてみる
◎何もなかった部屋にいやしの観葉植物を買ってみた
◎帰宅するとき、いつものルートとは違う道を通って帰ってきた
◎いつもはあちらから先にあいさつしてきるので、半ば仕方なく応じていたが、今日から自分が先に「おはよう!」と言ってみた
◎いつもはイヤな仕事は先送り後回しだったのが、今日だけ先にやってみた
◎SNSでウォーキング仲間を募集してみた
10個目はあなたがどうぞ!
結局なんでもいいんですね。要は「いつもの」をやめて新しいことにちょっと足を突っ込むだけでいいのです。
たったコレダケ、簡単でしょ!
要は何でも興味をもったものは、「とりあえずやってみる」の発想でいきましょう。それでもやらない人はやらないと思います。でも、それもまたその人のアジであり、それでいいのだと思います。
考えてみると、人間生まれてから死ぬまでの間に体験できること、出会える人というのはほんのひとにぎり。もしかしたら、こんなコト、あんなヒトに出会ってたら人生もっと変わってたかも?なんて絶対アリだと思いません?
せっかく今この世で生きていて、そう遠くない将来に死ぬんだから、いろんなコト体験してみたいと私は思います。
「いつか、いつかまたね」なんて言っている人にその「いつか」は絶対に来ないような気がします。
まずは、明日からでなく、今、この時からはじめてみませんか!!
そして、結論!
「変えよう!」→「やってみる!」
「あとから」→「いますぐ」
何でもやってみないとわからない!
関 連 記 事・情 報
※「即行動、すぐやる人に自分を変えるためのマインドセットと11の方法~自己時間管理術~」
「まだ愛したりない」 詞曲歌 土井晴人