教師を辞めたいときに

教師を辞めた私はなぜ復職しないのか?教員採用試験を受け直す気力も体力もまたなし・・・




これでもか!というくらい教職の魅力をさんざん人さまにあおってるのに、「なぜ戻らないの?」という質問を最近もらいました。ちょっと前にも、いったん教職を退いた後に現場復帰を夢見る方からの相談も受けたり~と、みなさん一度でも教壇というステージに立ってしまうとあの臨場感、高揚感、至福感は誰でもやっぱり忘れられないものになるのでしょうね。

かくいう私、管理人もさんざんな回り道と人並みの苦労をしてやっと教壇まで上り詰めたというのに、十年ちょっとで辞めてしまったクチなのです。お決まりのように、現場が懐かしくを通り越していとおしくなり、恋に恋い焦がれて、通信制高校や私立高校という公立とはまた違ったステージでその切なくも哀れなブロークンハートを慰めてもらったのでした。

「学校をオマエの慰み者にするな!!」という声が聞こえてきそうですが、ちまたでは結婚育児を機に、いったん現場を離れたけれど(休職ではなく退職後)戻ってきた~とか、まったく違った職場でバリバリ働きもしたけどあらためて教職のすばらしさに気づかされた~なんて方もたくさんいるのでしょうね。でも私の場合はダメでした。

今回の記事はこれまでとはちがったスタイルで、大見出し小見出しもつけずに、正直なところを思いつくままに淡々と綴っていきたいと思います。

私の現場復帰を阻むものはいろいろなものがあったとしても、結局のところやっぱり「プライド」というこのやっかいなものが大きいのだと思います。辞めてしまった段階でこんな始末に負えないものはすべて捨て去ってしまったつもりでいました。実際その後に就いた、さまざまな職種でいくら辛酸を舐めつくしても、私の自尊心はまったく影響を受けたりなんかしませんでした、むしろ未知なる仕事に就けるよろこび、新たな出会いにワクワクしていたくらいなのですから。

学校を辞めた後の就業&修行の詳細はここではとても話しきれないので、「かなり詳しいプロフィール」をご覧ください。また、「辞めたシリーズ」では私が辞めるに至ったまでのエピソードも話しております。

新しい職場には、私が教師だったことを知るものなど採用サイド、上司上長以外なし、土台「元教員」なんて重たくすぎて眠たくなるような肩書などなんの役にも立たないのですから。「いま、ここで何ができるか?」「現場にどうやって貢献できるか?」それだけを考えて仕事してきましたから、頭の中はたえずシンプルスッキリクリアですっかり学校を忘れられる日常に埋没しておりました。



しかし、退職してしまったみなさんが感じるように、しんどいのだけれど苦労のしがいのあるあの充実感や覇気というものはなかなか味わえなかったのでした。そこでまた夢を見たくなって、高校という名のつくところにお世話になったのでしたがやっぱり学校はいけませんでしたね。民間によくある「ジョブリターン制度」なんかが学校にもあったらいいのに。

学校以外の職場ではプライドなんて仕事中かんがえたこともなかったくらいなのですが、学校ではこの忘れかけていた意味不明の感情が心の底からふつふつ湧き上がってくるのですから不思議ですね。
講師差別!教諭/常勤/非常勤講師~ぜんぶやってみてわかった非正規のツラさ切なさ」でも少し話しはしましたが、「教諭」という肩書が外れるとこんなにも人間的な待遇、扱いが異なるということを身をもって知りました。

民間では聞くもの見るものすべて新鮮で、会社のみんながすべて先輩・・・新しいことを覚えていく喜びもふたたび感じることができました。が、しかし場を転じていざ学校となると、それなりの経験もしてきて役職もそれなりに任せてもらえてきた・・・これまでのあの(自分的に)華やかしい!?キャリアなんかが思い起こされてまたまたあのやっかいなプライドなるものが首をもたげてくるのです。他から」見たら、きっとたいしたことなんかじゃないのにね。こころのずっと奥に閉じ込めておいたはずだったあの感情が・・・むずかしいですね。

結局のところ、私の志など、その程度だった・・・と言ってしまえば身も蓋もありませんが、私のように感じる人はそれなりにいるようです。再任用切れで引き続き講師職を求められても断った先輩元同僚などは「待遇も肩書もダウンダウンで普通はよっぽどじゃないとやれないよね、これ以上は・・・」とにべもありません。しかし一方、定年退職後、再任用自体を断り、非常勤講師として長年教壇に立ち続けていた先輩教師もいるのが現実です。

この二者間の違いは、志の軽重とまでは言いませんが、学校、子どもたちに対す気持ちの方向性がきっと異なっているのだと思います。

本当のところの心の闇は百人百様なのでしょうが、つまるところ、私にはいまのすべてを投げ打ってまで学校に身も心も捧げる覚悟はない~ということなのです。ついこの前も知り合いの小学校教師から「なんとか助けてくれ」とのありがたい誘惑もありましたが、現場は臨免を出してまでも充足できていないようです。

このように、現在では免許さえあって当人がその気にさえなれば講師職としては即、教壇に立つことができるある意味ありがたい時代です。それでも数が足りていないという現状は私たちはどう見るべきなおでしょうか? 正直な私の考えを言いますと「定数分の」教諭は足りているが、臨時的任用の先生がぜんぜん足りてないということだと思うのです。



ちょっと考えてみればわかることですが、これだけ現場の過酷な状況が喧伝されていて正式採用さえ低倍率に各自自体があえぐ昨今、教諭と同じ仕事量を求められるのに扱いも待遇も雲泥の差・・・となったら誰がいったいぜんたいやるというのでしょう?!よほど教育に情熱を傾けている熱血教師ぐらいしかまずいないでしょう。

「だったら、教採受け直せよ!」という声がまたまた聞こえてきそうですが、百歩譲ってあの採用試験をクリアできる学力知力が時を隔てて再びこの身に宿ったとしても、まず無理です。その主な理由はこんなところです。

➀ 体力の衰え&浦島太郎状態

非常勤講師職ならまだしも、現役時代のあの睡眠3~4時間でなんとか乗り切った(乗り切れなくて辞めてしまったのでした)あの体力気力はもうとてもとても戻らない・・・ましてや現在の現場の環境は過酷さを極めていると聞いています。ブランクが10年もある太郎さんが現場に適応していくのにはしんどいのではないでしょうか? 身体を壊して現場を去っている身が故、もう同じことは繰り返したくないのです。

② やり切った感がある

これはある意味、非常に自己満足感に偏った思いですが、正直なところです。自分のすべてを投げ打って奉職した短くはないあの時間は私にとってかけがえのないものです。あえていまの仕事を捨ててまでもう一度戻りたいとまではいかない・・・何より今の仕事を築き上げるまでのたいへんさが、教採に受かるまでの苦労どころではないので、その踏ん切りが正直なところどうもつかないのです。

③ ある種のうしろめたさ

辞めた当時はいくつものキャップ職と部活動、それに何より大切なクラスを受け持っていました。身体を壊したとはいえ、たくさんの人たちに迷惑を掛けてしまったのです。講師時代を含めて有給など一度も取ったことがなく、増してや一度も穴をあけたことなどなかった自分のこれがなれの果てです。一度去ったものが、再び正式に挑むなどおこまがしいというかなんとも癒えぬ想いがあるのです。

④ 人間関係の冷たさ冷やかさをあらためて知った

講師業がけっこう板についていたり、辞めた経験をお持ちの方はきっとわかってもらえるのではないでしょうか。もちろん、通り過ぎて行った人たちのすべてがそうではありませんが、いわゆる損得勘定だけでつながっている結びつきがいかに多いかに気づかされたのです。私にそれだけの人徳しかなかったといえばそれまでのはなしになってはしまいますが、今の良好?な関係に酔っている人たちも、いざやめてしまって物理的な距離ができあがってしまうと、いかにこれまでの関係がもろいものであったかにきっと気づかされることでしょう。

そうですよね。学校なんて職場ほど入れ替わり異動が頻繁に行われるところはないのですから・・・いちいちいなくなってしまったもののことなんて気にかけたり感傷に浸っているひまなんてあるはずないのですから。それこそ毎日がジェットコースターですもの、数か月もしたらきっと「そんな人いた?!」なんて感じになってしまうのでしょうね。

あれだけ何でも話し合えた同僚も、夜を徹して飲み明かした人たちもいまとなっては、もうお互いけっこういい歳です。その中でも、実際に連絡を取りあってるのは10本の指で間に合ってしまうくらいの数なのです。現役時代、年賀状を毎年毎年200枚以上印刷していた私も今では50枚ちょっと・・・

⑤ 代わりはいくらでもいる?!

人はそれぞれ唯一無二の存在で、学校であってもそれぞれオリジナルな存在のはずです。しかし、当たり前のことですが、私一人あなたおひとりがいなくなったとしても学校は何もなかったように回り続けます。誰も追い腹など切りません。(不登校気味であった生徒が私がいなくなった後、完全な不登校状態に陥り、しばらくして辞めてしまったことはありましたが)

あれだけ自分が心血を注いだクラス、学年も誰かが代わりをつとめ、時間はかかったもののそれなりに回っていったと聞きました。学校に限らずこの世の中はそのようなものなのでしょう。切ないけれどこれが現実です。学校から離れたばかりの頃はやけにセンチになってばかりいた自分も時間が経ってしまえば、このようなかなりドライな心情へと変わっていったのでした。

⑥ 広い世界をあらためて知ってしまった

過酷な環境下に置かれていても、志あるものにとって、学校という職場が今でも魅力的な場所であることには何ら変わりはありません。しかし、学校の外にも世界はあるのです。何も学校だけが世界のすべてではないのです。当たり前のことですが・・・私も学校に埋没していた日々はそのことに気づいてはいませんでした。いやむしろ、その事実に気づいていながらあえて目を背けていたのかもしれません。

私の場合、民間を経てから教職に就いたのですが、あらためてこの当たり前の事実に気づかされました。

こんなふうにいろいろと理由を付けて言い訳を述べてはきましたが、結局のところは、なんだかんだ言っても、全身全霊で打ち込んだあの気力は私にはもう既になく、二度と戻らない・・・という厳しい現実と正直に私が向き合ったからだと結論付けます。辞めてのしばらくは、学校の臭いのするようなところばかりあえて職場として選んでいました。きっと、失くしてしまったものをがあまりにも大きかったため、こころがスースーして心のすき間を埋めたかったのでしょうね、きっと。

繰り返し繰り返し移ろいでゆく季節もまた私を癒してくれました。教職とは一人の人間が一生を懸けるに値するすばらしい職業であると今でも私は信じます。こういう時代だからこそ、これからの世の中を担っていく若い人たちに、教壇というあのステージに立ち、ずっとずっと子どもたちに寄り添っていって欲しいと願うのです。
「さよならだけどさよならじゃない」詞:山田邦子 曲:KAN 歌:やまだかつてないWINK








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