「先生の家に遊びに行ってもいい?」って子供たちから聞かれたことのない教師が最近はほとんどだそう。おたがい何かととてつもなく忙しく、一定の距離を置いた冷めた関係が望まれる現代ならではなのでしょうが、さびしい時代になったものです。
当サイト「ユメザス」にも現役の若い先生から「子どもとの適切な距離の保ち方、関係の結び方がむずかしい・・・」「プライベートで子どもとどこまで付き合っていいものかわからない~」など、現代っ子の先生らしい質問、相談が寄せられていますが、自宅訪問に限らずおたがいが節度ある関係である限り何ら問題はありません。
「教員の家に遊びに行くなんて、時代錯誤もはなはだしい」「教師にもプライバシーはあるしプライベートな空間、時間はあってしかるべきだ」「公私混同は厳として慎むべき」~このような考えの先生がいても当然ですし、その考えを私は全く否定もしません。でも、「来るもの拒まず」ではないですが、「行きたい!」という生徒の気持ちに応える教師があってもまたいいのではないでしょうか?
そもそも、「先生!今度遊びに行ってもいい?」というこのセリフが生徒の口からでるのは、それなりの好意、信頼関係があってのことでしょう。まさか、大っ嫌いでいつか懲らしめてやろうと思っている教員にはこんな言葉は投げかけないですよね。
ただ、自治体、各々の学校によっては、教職員と児童生徒との個人情報のやり取りを一切合切禁止しているところもあるくらいですから、実際問題として行く方も、また迎え入れる側もそれなりに気を付けなければならないこと当然はあります。
生徒が教師の家に遊びに行く~他愛もないけどなんとなくほのぼのなこの光景は子どもにとっても教師にとってもきっと忘れられない想い出になるはずです。そんな自宅訪問がおたがいあとあと面倒なことにならないよう、今回は私が気を付けていたこと、生徒を自宅に招き入れるときの鉄則を話していきましょう。
生徒が教師の自宅に行くということ
教師は家庭訪問は数多くこなしていて慣れっこかもしれませんが、自宅に来られることとなるとなかなかそうもいかないのではないでしょうか?私の場合、奉職したすべての学校がいわゆる「教育困難校」であっため、生徒指導にかなりの労力を持っていかれ、いまの先生方と同じように朝から晩まで、一年中のほとんどが自分の時間などないような生活を送ってきました。
一日と一日がくっついてしまうようなそんな生活ではあったのですが、生徒長期休業日の何日かは毎年、ほぼ絶えることなく生徒が遊びに来ていて、ほんわかなアクセントになっていましたね。よく生徒がクラス、授業で見せる顔と部活とではまるでちがった顔つきになるようなアレですよ。普段学校での子どもとはちがった一面をうかがい知ることができて面白いですよね。
こういった現役の生徒だけではなく、当時は卒業生もそれなりに訪れていて、結構スケジュール調整がたいへんだった記憶があります。卒業生は現在でも遊びに来る子供がいて、いい大人になっても私からしたらやっぱりいつまでたっても「子ども」「生徒」なんですね。
このような子どもたちは、そもそもなぜに教師の家に遊びに来る~などというおそろしく時間と労力を持っていかれるようなアクションを起こそうとするのでしょう?この理由について、ジカに子どもたちに聞いた声によると、➀ どんなところに住んでいるか興味がある ② 学校、家では話せないような話を時間を取って話したい~とおおざっぱではこんなところです。
私は公立高校勤務でしたので当然異動があり、同じエリアであっても学校が変わる度に必ず引っ越ししていたのです。引っ越し魔なうえに見つけてくる物件がそれはそれは変わったものばかりであったため、一度訪れた生徒の口コミからさらに尾ひれがつき、訪問希望者が増えすぎて完全にキャパ越えで抽選制を採っていた時期もあったくらいです。
その一例が「海まで5秒」物件である「砂浜に建つ一軒家」でした。ちなみに今回、この記事に使用した画像(生徒も)はすべてオリジナルであり、私がかつて住んでいたところのものになります。
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実際「ウミチカ」というより「モロウミ」に住むということはいいことばかりではなく、それなりに忍耐と我慢を強いられるものなのですが、遊びに来る生徒はそんなことお構いなしにはしゃぎまくりです。でも「家」が訪問の目的であるならば、2度3度の訪問はないでしょう。なぜ、これらの子どもたちはこんな面倒なことに何度もアシを突っ込んだりするのでしょう?
一言でいうと「愛情に飢えている」ということなのでしょう。また、人間的なつながりを欲しているということ以上に、もっと自分自身を知ってほしい、見てほしい~という承認欲求からきているのかもしれません。考えてみると私の家に来たこれまでの子どもたちはさまざまな問題を抱えていた家庭環境であったり、それなりにたいへんな思いをしてきた子どもばっかりだったような気がするのです。
このような子どもたちの「行きたい!」というピュアな思いをどうしてはねつけることなどできましょうか。ましてや私に断る理由などまったくないのですから。ましてや逆に私が励まされたり癒されることもあるのですから。
先生、あなたの教え子が「家に遊びにいっていい?」と言ったなら、これは何かの「サイン」です。そしてその子どもをより知るようになる「チャンス」でもある~ととらえてあげませんか?こういった子どもたちのピュアな思い、願いを無下にしてほしくないのです。
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生徒が教師の自宅に来るということ
一口に「子どもが遊びに来る」と言っても、今受け持ちの生徒が来るのと、もういい大人になった卒業生が来るのではちょっと事情が違ってきます。話をカンタンにするために現役の生徒に限定して話を進めます。
せっかくいい想い出になるはずの日が台無しになることのないよう、迎え入れる側が気を付けなければならないことが結構あるのです。以下に当たり前かもしれないけれど大切なことを挙げてみたいと思います。
➀ 「1対1」はゼッタイだめ!
これは当たり前すぎて今さら感ありありですが、これはいちばん大事な大事な鉄則です。男女関係なしにです。一対一で何かあった場合、他の証言等がまったく得られなくなるばかりでなく、おたがい人間、差しで向き合うことにより、どんな感情が湧きあがってくるかもわからないのです。この一対一によって出来上がった空間によってこれまでさまざまな人間が破滅へと陥った例は枚挙にいとまがありません。いくら保護者の了承があったとしてもです。
無論、二人っきりで外に遊びにいくこともNGです。
② 事前と事後の保護者への連絡は絶対必要!
学年、指導部、管理職への事前了承、許可は学校にもよるのでしょうが、「何か」問題が発生したときに、これがなかった場合はさらに大事になることは間違いありません。また、自分のクラスの生徒以外の生徒(たとえば部活、授業などで接点があった生徒など)の場合、担任への事前事後連絡は礼儀でもあり、最低限必要でしょう。
③ 送り迎えは必要なし
これをやりだすとキリがなく、さらに面倒を抱え込むこと必至です。何より怖いのが事故です。現在でもほとんどの学校で大会引率、緊急時など必要に迫られた時以外の生徒同乗は禁じられていると思います。少人数でどうしても乗せたい場合は、保護者の同意、そして管理職の許可が必要です。
④ 教師サイドに家族がいる場合、こちらも事前許可必要?
しておいたほうがいいでしょうね。かつての同僚がこれがもとで大ゲンカとなったと聞きました。「聞いてないよ!」で奥さんとしては大あわて・・・一度ならずと何度も何度もの訪問で~やっぱり家庭持ちは訪問の頻度も大事なようで、気を遣わなくてはいけない対象は家庭内にもあるようです。
⑤ アポイントメントなしの訪問はケースバイケースで対応
これについて詳しく説明するとなると、一つの記事になってしまうくらいのボリュームになるので端折りますが、基本、ケースに応じてになります。まさか命からがら虐待から逃れてきた子どもを一人だから~という理由で帰すわけにもいかないでしょう。
⑥ 人の悪口、うわさ話は厳禁!
せっかくの日がこれではすべて台無しになってしまいますね。何より後味の悪い一日になってしまうことでしょう。ここにいない者の悪口は卑怯なふるまいであるだけでなく、いつ誰の口から漏れてしまうかもしれないのです。せっかくの一日なのですから、もっとたのしい話題やイベントで盛りがろうではありませんか。
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⑦ それなりの準備は一応必要
気心の知れた連中と行き当たりばったりの展開に任せるのも当然アリだとは思いますが、もうちょっと味付けにスパイスが欲しいですね。小学生が遊びに来るのと高校生とではかなり事情が異なってきますが、私の場合、当日一日のおおよその筋書きは子どもたちに描かせて、最終的に私と話し合って決めていました。せっかくの日なんですから何らかのイベント、サプライズは仕込みたいものです。
砂浜に建つ家に住んでいた時なんかは、砂浜でのビーチバレー&BBQが定番でしたね。帰り際にはそれぞれの生徒に「本」をプレゼント。もちろん、この日のために買った新刊本であるはずもなく、私の蔵書から、「この子にはこの本」と思いを込めて選んだ古本です。
もちろん、これは私の場合であって、先生方オリジナルいろいろあってそれでOK!
⑧ 自己の立場をわきまえる
いくら学校を離れた自由な一日であっても、自分の家でも「生徒と教師」の関係であることに何ら変わりはないのです。当たり前すぎることですが、学校を離れた一日だからこそ、このことをもう一度再確認すべきです。
児童生徒、子どもたちとはいくら親しくとも「友だち」にはなり得ないのです。この関係を越えた行き過ぎがあると、もう二度と元の関係に戻ることが出来なくなってしまった~なんてことになりかねないでしょう。自分の家であっても、生徒がいる限り「先生」として振舞わなくてはならないということです。虚構を張れということではなく、あくまでも教師として相対するということです。「親しき中にも礼儀あり」これでいきましょう。なんでも物事には「ちょうどいい距離」というものがあると思うのです。
⑨ トラブルが予想される生徒の場合はそれなりの根回し、準備を
遊びに来る連中すべてが気心が知れた関係良好の子どもだけとは限りません。指導明けでいまだ生徒サイドでわだかまりを持っていたり~なんてパターンもありました。このようなケースでは、逆にこれをチャンスととらえていい方向に持っていくことも可能ですが、やり方を一歩間違えるとこれまたこじれることになりかねません。このようなケースでは事前の準備を怠ることはできません。
また、これもまた経験談なのですが、自分に気がある(あろうであると思われるも含む)異性の生徒はなるべく呼ばないに越したことはないでしょう。あとあと面倒になることは目に見えています。ストーカーとまではいかないですが、私の場合、蔵書の背表紙をこれでもか!というくらいケータイで撮られまくり、後からこれらの本のことで質問攻めというより、これにかこつけて追いかけまくられたことがありました。このように、教師の私生活を知りたい一心で遊びに来る子どもがいたって不思議ではありません。これはこれでけっこう怖いです。ちょっと不気味です。
⑩ 自分ひとりで把握、処理できるキャパを超えない
いくら生徒も巻き込んでの一日とは言え、人数にしてもイベントにしても無理は禁物。これは私も経験あるのですが、あまりにも大人数となってしまうと、一人ひとりの生徒となかなか向き合うことができず終いになってしまい、せっかくの訪問が学校と何ら変わることなくちょっともったいないですね。
この先生はすごいです。結構な数の子どもを自宅に招いています。
「学生が先生の家に行かなくなった?」チーム八ちゃん オフィシャルサイト
子どものため、ではあるけれど・・・
負担に感じるのであれば・・・
私は何も教員すべてが「子どもの行きたい!という声に耳を傾けるべきだ!」などと言っているわけではありません。今、この時、子どもの訪問が子どものためにはならない、もしくは自分の重荷になる~という状況であるならば、断るのもぜんぜん問題ないでしょう。
ただ一点問題は、その断り方です。先生に講釈を垂れるつもりはさらさらないですし、必要もないでしょうが、あくまでも子どもの「行きたい!」という気持ちを尊重しつつ、キズ、ダメージが残らない優しい断り方であってほしいです。子どもの先生なんですから。
私の場合、断る理由はまったくなかったけれど、物理的に忙しいすぎて「ごめん」ということは結構ありましたので、こういったお互い傷つかない理由、方法での「ごめん」がいいのかもしれませんね。
指導明けの生徒を含む男女数人がウチに遊びに来たことがありました。その翌日のSHRでのスピーチ(帰りのSHRでは毎回、生徒進行で輪番&希望届け出制で生徒スピーチをやっていました)で、例の指導明けほやほやの生徒がこう言いました。
「先生には俺んちに何度も来てもらって、ウチでごはんも一緒に食べたんだ。俺の部屋も見たいと言ったから見せたんだけど、コレ必要アル?って聞いたら、「勉強部屋こそ見る必要がある」だって。何で?ってまた聞いたら、「部屋」を見れば、その人の人となりがわかるんだって・・・みんなどう思う?」「それで、今度は逆に先生の家に行ってきた。どんな家に住んでいて、どんな部屋があるかちゃんと見てきた。俺らも担任の自宅は知っておく必要があると思うよ~」このような感じで喋った記憶があります。
続けて「なんかいっぱい本があって、ぜんぶ部屋も見てきたけど、仕事のような紙もいっぱいあって家でも仕事してるなんて先生って仕事もけっこう大変なんだと思ったよ。まあこれでお互い家を行き来する関係になったってことよ!」とみんなを前にしておちゃらけて彼はスピーチを終えました。
この子どもは、とにかく手がかかってたくさんの時間と労力と精力を持っていかれましたが、弱い者いじめと嘘だけはつかないまっすぐな存在で男女問わず人気がありました。小中のほとんどは家庭訪問があって、こどもの家は担任は把握しているのでしょうが、高校の場合、指導、教育相談などで必要にせまられた家しか訪問しないのがほとんどでしょう。やはり、高校であっても担任ならばせめてどのようなところで生活しているかは知っておきたいし、知る必要がある気がするのですが、どうでしょう?
とにもかくにも、「先生、遊びに行ってもいい?」って聞かれるのはしあわせなことですよね。
それにどう応えるは、先生、あなた次第!!
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