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教師とスピーチ!「伝えた」「伝わった」の関係 ♪「男のららばい」山川豊








なぜ、教師にとってスピーチは大事か?

「教師のスピーチ」ときいて、ホームルーム時の談話や、全校集会での学校長のスピーチなどが思い出されると思います。

それでは、その「スピーチ」自体の内容を覚えているでしょうか?

あなたが学校を卒業してしばらく経っているにもかかわらず、その内容が頭に胸に刻まれているとしたら実に素晴らしいです! 覚えているあなたもすごいですが、その話し手はもっとすごく、そして素晴らしいのです!!

私もこれまで数多くのスピーチをしては来ましたが、生徒の良い意味で記憶に残るようなスピーチが果たしてどれだけあったでしょうか?

教師がスピーチ(伝達事項ではない)をする場合、事前に準備をする場合と即興(アドリブ)の場合とがあるのです。

本来であれば伝達事項ではない談話スピーチの場合、準備があって然るべきですが、なかなか現場の事情が許さない~と言ったら言い訳になるでしょうか?

LHR(ロングホームルーム)時こそ準備もせずに担当したことはありませんが、朝晩のSHR(ショートホームルーム)は準備をきちんとして行ったのはその3分の2くらい。あとの残りは即興で、その日感じたこと、普段思っていることなどを手短に話していました。

では、一体全体なぜ、教師にとってスピーチは大切でその生命線と言われるのでしょうか?

答えはかんたん!

人は人の「言葉」により何かを感じ、心を動かされ、さらにはその後の行動、生き方に影響を受けることもあるからなのです。そして、教師の仕事の大事な部分を占める「授業」も「ことば」によってなされるからでもあるのです。

その意味で考えると、「教師」という職業ははなはだ畏れ多く神聖なものなのかもしれませんね。

私は何も「感動した!」「心を突き動かされた!!」の類の「すばらしい」スピーチのことだけを言っているのではありません。

むしろ、教師の「言葉」により、生徒が傷つき「憎悪」「嫌悪」「恐怖」「絶望」等の回復不可能な心のダメージを受けることもあるのです。全体相手のスピーチですらこういった恐ろしいことになる可能性を秘めているのですから、ましてや一対一での会話となったら破壊力影響力もすさまじいパワーを秘めているのです。ことばとスピーチには。

私自身、スピーチによってこどもの心を傷つけてしまったことが私が知っているだけで一度ありました。詳しいことはとても長くなるので別の機会に話しますが、恐らくこの他にも人知れず私のスピーチによって傷ついていたこどもがいたかもしれません。

ほんとうに言葉の持つ力、パワーは恐ろしい。

そしてすばらしくもあります。

まさしく、言霊(ことだま)です。

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伝える技術とことばの重要性

学校の教育活動はすべて言葉を介してなされています。

学問、教科科目の教授、伝達事項、注意、指導、ふれあい・・・すべてことばがかかわってくるのです。

ロボット先生が話すわけでは今のところ無いわけですから、教育活動は教師の全人格 + その人のスピーチ技術 + 行動力にかかっているのです。

あなたもこれまでたくさんの教師とかかわってきて多くの授業を受けてきたと思います。

思いだしてみてください。

何を言っているのか分からない、一方通行的授業・・・退屈だったらまだいいです。

退屈を通り越して苦痛、拷問にさえ等しい授業もあったと思います。

実は教師は初任者の時の研修を一年間受け、後は五年、十年~と経験者研修があるのみで、まともにスピーチ、授業のトレーニングを受けないで現場に放り出されるのです。

私は教師になってから自己の話術、スピーチに自信があり、アドリブがきき、話もうまい~と勝手に自分で思い込んでいたのです。思い出すと恥ずかしい話ですが。しかし、初任のあるとき何気にとった授業のアンケートで

①早くて何を言っているのか聞き取るのに疲れてしまう!

②自分のペースで話すので、こっちのペースに合わせてほしい!

③その時の気分で授業の雰囲気が変わるので、できればいつも同じ感じでやってもらえると安心するかな・・・

等々、散々な意見をきかせてもらったのです。元来、くじけたりへこんだりする性格ではなく負けず嫌いなところがありますので、「よし、いっちょうがんばったろうか!!」と気合を入れ、改善にむけ挑戦の日々が始まったのでした。

ビデオを固定させほぼすべての授業を録画し、後から再生を試みた時の恥ずかしさといったら言葉では表現できません。改めて人は自分のことを客観視できないものなのだと思わされたのでした。

※「授業中私語には理由がある~やめさせるには、まず(い)授業の改善を!+ルールを分からせる指導~」

自己陶酔教師にはなるまい!

これから教師を目指す若い世代のあなたがたにお願いがあります。

どうか自分に、自分のことばに酔わないでほしいのです!!

児童、生徒のきこえないけど、心を澄ませば聴こえてくるであろうこころの声に耳を傾けて欲しいのです!

往々にして教師はナルシストである。

「自分はこんなに頑張っている!」

「いいこと言ってるぞ!」

「のってきた、言葉がどんどん溢れてくる!」

自己の狭い経験から来る訓話などをどうも垂れたがる傾向にあるようです。かつての私もそうでした。生徒は教師が話した内容を、そのままの額面通りには決して受け取ってはいないことでしょう。自分だけで盛り上がっている自分を冷静な目で見据える「もう一人の自分」を持つことが大切です。

教師のそういった盛り上がる話のたぐいが大好きな子どもも当然いることでしょう。しかしその一方、教室の片隅で冷めた目で教師を見限っている子どもの視線も無視すべきではありません。教師であるならば、自己を鳥瞰俯瞰できるバードアイビュー(鳥の目の視点)が求められて当然でしょう。

それほど、独りよがり、独善、自己陶酔は怖いということなのです。

※「教師の授業の脱線・なごみはどこまで許されるのか?~授業私物化の恐ろしさ~

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「伝えた」(一応)と「伝わった」の関係

これはまったくの別物です。

教師は自分がはなしたことはすべて、全部の生徒に「伝わった」と勘違いしがちですが、決してそんなことはないのです。

「伝える」には技術的な面と人格的な面からのアプローチが必要なことは言うまでもありません。

技術面では、年齢学年にもよるでしょうが、たとえば、一度に二つ以上の指示を出すときには注意、やり方のていねいな説明が必要、児童生徒の心理状況を考えての伝達指示、配布物が有る場合は、すべての児童生徒にいきわたったのを確認してから説明開始~等々、当たり前であるが注意しなくてはいけない技術の面があります。

人格的なアプローチでは、熱い思いで語る教師のことばには誰だって耳を傾けるであろうし、真剣に、本人のためを思って叱ってくれる教師の思いは伝わるということを意味します。

この二つが揃ってこそ教師のスピーチになる訳なのです。

熱い思いだけでも生徒は疲れてしまうし、技術だけのスピーチなんて聞きたくもないですよね。

それにしても何と高度な技術と高尚な熱い思いが要求される仕事なんでしょう!

楽をしたい人間にはまったく不向きの仕事!

しかしこども学校が大好きなあなたにとって、これほどやりがいがあり素敵な仕事はないのです!

現場であなたを待っているこどもがいるってしあわせなことですね。

そして、結論!

「伝えた」と「伝わった」は全くの別物

「伝える」ための両面からの努力が不可欠

「ことば」で傷つける教員にではなく

「ことば」で励ませる教師になる!

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詞 たきのえいじ 曲 鈴木淳 オリジナル歌手 山川豊 「男のららばい」














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