夜遅くひっそりとした印刷室・・・コピー紙のカートン何束もゴッソリ持ち出し、事務室ではボールペン、スティックのり、クリップ密かに大量に持ち帰る~現職時代、このようなできれば見たくはなかった同僚の姿を目の当たりにしてきました。
今回、給食持ち帰り教員処分が世間を賑わしましたが、ここまでだいたん、かつ長期に渡らずとも似たようなことはどこの学校でも実際あるのかもしれません。それではなぜ、今回この教員の持ち帰りケースが「事件」になってしまったのでしょう?
今回、「給食持ち帰り処分先生」のケースを取り上げることによって、普段ずっと学校という閉鎖的な空間に閉じ込められている先生たちが犯しやすいあやまちを考えていきたいと思います。私が教壇を去ってから長い時間が経ちましたが、学校の中と外の空気は同じ空気であっても、違いがありすぎだったのでした。
「もったいない!」って理由で許されるの?
問題のすり替えのコワさ!
かんたんに今回のケースをはじめに振り返っておきましょう。
大阪府堺市の堺市立堺高校定時制課程に勤めていた62歳の男性教諭が、2015年から約4年間にわたり廃棄予定だった給食のパン(1002個)と牛乳(4178本)(いずれも本人自己申告数)、総額約31万円分を自宅に持ち帰っていたとして、減給3ヶ月の懲戒処分が下されたことを、産経新聞、共同通信などが伝えた。
教諭は同日付で依願退職。持ち帰ったパンと牛乳の実費額を堺市教育委員会に返還したという。両報道によると、今年6月に匿名の告発文書が届き発覚。堺市教育委員会が調査していた。
教諭は2015年から夜間定時制の高校で給食指導を担当。生徒が欠席するなどして出た給食の余りを「廃棄するのがもったいないと思った」「用務員が廃棄する手間を少なくしようと思った」などの理由から用務員の男性にパンや牛乳を自分のカバンやあらかじめ用意した発泡スチロールの箱に詰めるよう頼んでいたという。
※給食は、同校で午後7時10分から10分間の休み時間に「補食」として配られていた。生徒約150人全員が対象で、年間216万円の給食費は全額公費負担。菓子パン1個と紙パック入り牛乳1本が無料で配られている。
※しかし、昼間に働いている生徒も多く、仕事の都合で急遽(きゅうきょ)欠席する生徒も多いため、毎回、生徒全員分を用意しているわけではない。過去の統計に基づき、毎回、生徒数の7割程度の数を準備。しかし、あらかじめ生徒に給食が必要かどうかを確認していない見込み発注のため、どうしても1日に10~30人分の残食が出ていたという。
また、同校のルールでは食品が腐ったりするリスクもあるため衛生上の問題から生徒に持ち帰りを禁止し、余ったパンや牛乳は分別して廃棄することになっていた。
※処分を受けた教諭は給食指導担当で、発注量の決定権はなかったが、生徒に時間内に給食を食べさせ、持ち帰りの禁止を指導する立場だった。
4年にわたり、毎日のように多くのパンと牛乳本を持ち帰り、その給食は家族みんなで食べ、それでも食べきれない分は廃棄していたとのこと。その後、持ち帰り給食の実費約31万円を弁済した上、彼は退職したという。
忘れてならない事実は、「持ち帰り禁止」は市のルールとして毎年各高校に通知されていた~という事実です。
文科省が設けた「学校給食衛生管理基準」に「パン等残食の児童生徒の持ち帰りは、衛生上の見地から、禁止することが望ましい」「パン、牛乳、おかず等の残品は、全てその日のうちに処分し、翌日に繰り越して使用しないこと」と明記されている。堺市教育委員会ではこれらのことを毎年、市立高校へ通知してルールを順守するよう徹底を図っていたのです。
そして、その後の調査でさらに以下のような事実も分かってきたのです。
問題のあった定時制高校では、食堂や空き教室で配食されていて、給食指導担当の職員が必ず立ち会ってその場で飲食することになっており、持ち帰りはもちろん室外への持ち出しも禁止されている。処分された男性教員は、2015年に給食指導の担当になった当初から、余った給食の廃棄作業を行う用務員に、余ったパンと牛乳の保管を依頼して持ち帰っていたという。
しかも、余った給食を用務員から受け取る際も、男性教員は人目を避け、校内の別の場所でこっそり行っていた。あくまでも本人の申告による数字であるが、多いときで牛乳を1日に16本、パン5~6個を持ち帰っていた。それを自分や家族で消費し、余ったら捨てたとも話している。
「捨てるのがもったいないから持ち帰った」という一方で、持ち帰っても食べきれなかったら捨てたというのは話が矛盾している。
さらに、2016年10月に兵庫県たつの市の特別支援学校で、44歳の女性教諭が給食のパンと牛乳を自宅に持ち帰って停職1か月の懲戒処分を受けたことが報道されたとき、持ち帰りを一時期やめていたことがあるという。わざわざ人目を避けたり、他の自治体で問題になったときに持ち帰りを控えていたという。つまり、男性教員は、給食の持ち帰りがルール違反であることを自覚していたのではないだろうか。
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私からすると、これだけの数、量を毎日毎日4年ものあいだず~っと持ち帰ってて、いままで何にもなくフツーに教員やってられてた~ということのほうがスゴいと思うのです。
以前から再三再四「持ち帰り禁止」とされていたルールを知っていながら、もっともないいワケを自分で勝手につけて、学校の設置者のものである公共物を学校管理者である学校長の許可も何も得ず、わがの勝手で4年もの長期にわたり持ち出し処分していた・・・
こどもたちに「学校の規則、ルールは守るように」という立場であるおとな、教員が「ルール無視」「俺様ルール適用」っておかしくはないでしょうか?
この教員の感覚、意識自体が私にはわからない。おそらく完全にマヒしてしまっているのでしょうが・・・
これだけの量、そして継続、連続性・・・「ちょっとだけ」とか「ついうっかり」「たかが」「どうせ」なんていいわけは当然できないし、給食担当をいいワケにして「余ったモノはぜんぶオレのモノ!」のようなヘンな感覚に陥ってしまったのかもしれませんね。
普通、これ民間でやったら間違いなく横領(他人・公共のものを不法に自分のものとすること。)とか「窃盗」になるでしょう。つまり、彼の頭には罪の意識などみじんもなかったのでしょう。実はこれがいちばんやっかいで怖いことだと私は思います。
ごくごく普通の世間一般の感覚と閉鎖的空間で培われたオレ様主義とのギャップとでもいうのでしょうか?
これは、今回のような金銭、モノに対するときの意識だけでなく、教員が人、時間に相対するときの意識にどこかでつながってはいないでしょうか?そこには「甘え」であったり、「驕(おご)り」のような外の世界からしたら実に眠たい教員特有の意識、考えがあるように思えてなりません。
あくまでも、「食品ロス」と「横領」「窃盗」は別問題です。「もったいないからいいだろう、何が悪いんだ!」は問題のすり替えどころか、間違いなく犯罪の礼賛、肯定です。
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やはり、「問題あり」と「問題なし」が半々!
ネットにも良識はあった!
けれども、法律的には完全「アウト」!
ツイッター
「誰の損害にもなっていないのになぜ?」
「廃棄するなら持ち帰って食べる方が良い」
「この教諭の「横領」のせいで生徒の分が足りなくなったとかならともかく、廃棄予定の残飯を持って帰ったら通報されて失職とか、ちょっとねえ。その「総額31万円」はどのみちゴミになるわけで、ぶっちゃけ誰も損してないじゃん。現代社会の不寛容さが如実に出てるよな。」
「給食4年間持ち帰る…いや、廃棄する給食のパンとかなら別に良いじゃん。何が悪いの?例えば転売とかしてたら最悪だけど、自分で家で食べてたんだろ?むしろ良い事じゃん。 」
「もう本当にルールから外れた行動は全て悪とされるんだな。管理職の思考がロボットと同じになっている証拠。根幹はブラック校則を作る思考と同じ。」
「ルールとモラルを使い分けろよ。」
「今求められているのは教諭の処分ではなく、学校給食で出る「食品ロス」の問題にもっと目を向けるべきではないだろうか。」
「給食4年間のトレンド見て批判の大半が制度に対してであり、教師に対しては同情的かやり方が上手くない等の意見が大半で日本人もまだまだ捨てたもんじゃないなと思った。」
「これは何がいけないんだろう?これで懲戒処分ですか?捨てるより持って帰った方がよっぽどいいでしょう!処分取り消ししよう!」
「例えばインフルエンザで休みの子が一気に増えた場合めっちゃ給食余る。そしてもったいないから職員室にもってきてくれて残業しながら食べるってよくある話牛乳は毎日余る。処分重すぎん?」
twitterをはじめとするSNS上では、「処分すべき事案ではない」などと、堺市教育委員会の処分に対する疑問の声や男性教諭を擁護する声であふれていましたね。
尾木ママ
この問題を受け、尾木ママはブログで「もったいないから自宅へ毎日持ち帰りはーーやはりダメですね」とコメント。「食品ロスが解消するからいいのでは~残らない工夫を学校としてすべきで個人判断で持ち帰りはおかしい・公務員としては法に反する いろいろ意見があるようですね」とした上で「尾木ママもロスがもったいないまでは大賛成 でも校長に相談するなど給食担当教師としては全く責任を果たせてないと思います」とした。 しかしながら「退職はもったいなさ過ぎるのではないでしょうか?」とも記していた。
八代英輝弁護士
八代英輝弁護士は、今回の処分に食品ロスの観点から疑問の声があがっていることを指摘し「私は弁護士として先生はルールに則(のっと)って行動すべきだったと思います」と見解を示した。 その上で「31万円相当は、かなり高額になりますし転売していたらどうなんだってことも問題です。食品ロスは、解決しなければ問題ですけど先生の不正は食品ロスとは無関係ではないか」と指摘していた。
テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜/前8時)
今回の問題を番組では、街頭で教師の行為の是非を取材し処分は妥当とする意見が6割だったがインターネット上では「フードロス」などの理由で処分はおかしいという意見が9割だったという。
こうした問題にコメンテーターで同局の玉川徹氏は「処分はおかしいって言っている廃棄にお金がかかる、フードロスとかじゃないと思う。もしか、それを言うんであれば、毎日、余っていたわけでしょ?ある一定の数が。だったら先生はその数を少なくするって形で発注を変える方向に働きかけなきゃいけないと思う」と指摘した。
その上で「そういうことをしないで、そのままにしておいて。それで自分の生活に組み込んでいるわけでしょ、毎日持って帰ってるっていうことは。それは筋が違うんじゃないかなと。民間企業でも、これやったら横領になりますよ、厳しいところだったら。クビにしたわけじゃないんで学校が処分をしたのは僕は適正だったと思う」と見解を示していた。
近畿大の鈴木善充准教授(財政学)
「今回の件では、教諭が給食費を自分の食費に充てているということになる。例えば会社から備品を持ち帰るのと同じこと。窃盗や横領はいけないと教える立場の人間がこのような行為を行うことに問題がある」
一方、識者の考えでは一様にやはり、「やりかたが間違っていた」としています。つまり「食品ロス」を考えていかなければならないことと、「持ち帰り横領・窃盗」とをいっしょくたに考えてはいけないということなのですね。当たり前といえばあたりまえのことなのですが。
それでは、この「お持ち帰り先生」のやり方の何が間違っていたのでしょうか?
芝綜合法律事務所 牧野和夫弁護士
文部科学省が、学校給食法9条に基づき示した『学校給食衛生管理基準』では、『パン等残食の児童生徒の持ち帰りは、衛生上の見地から、禁止することが望ましい』『パン、牛乳、おかず等の残品は、全てその日のうちに処分し、翌日に繰り越して使用しないこと』と明記されています。
たとえ余ったとしても、保護者が支払っている給食費もしくは公費を使って用意されたパンや牛乳などの給食を無断で持ち帰って食べた場合、私的に消費したことになります。 余った給食は食べることができれば、法律上は財物に該当するため、実際に摘発されるかどうかは分かりませんが、刑法235条の窃盗罪(10年以下の懲役または50万円以下の罰金)や刑法252条の横領罪(5年以下の懲役)が成立する可能性があります。 また、民法の不法行為や不当利得行為に該当し、民事上の損害賠償責任を負う可能性があります。
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余った給食はこう処分していた!
私の定時制高校勤務の経験から
現職時代に私が兼務教諭(昼間普通高校、夜間定時制高校勤務)として、定時制高校に勤務していたことは前に話しましたが、ありました、ここでも給食が。昼間部の公立高校ですと、まず給食などにはありつけないのですが、私もたいへん給食にはお世話になりました。
当然、毎日の給食には「あまり」が出てきてしまうのですが、ここではきちんとしたルールが敷かれていたうえ、「持ち帰り」は禁止されてはおりませんでした。そして、持ち帰り先生のような「捕食」ではなく完全な「夕食・夜食」でした。メインディッシュ副菜、デザート、飲み物まであり、結構豪華でおいしかったです。そのルールとはこうです。
①余りについては、各クラスが担任と話し合って、ルールを決め、一年間はそれに従って行う。
ほんとうにこれだけです。
つまり、各クラス、あまりの行方はバラバラでした。じゃんけん、あみだくじで当たったものが持ち帰らなければならないクラス。余った給食で、分けられるデザート、ジュースなどは職員室に寄贈?するルールになっていたクラス。クラス会議で、あまりは特定のクラスメイトがぜんぶもらうことになっていたクラス・・・などのようにとにかく何でもアリでした。
「持ち帰らなければならない」としたのは、キョウビのこどもたち、必ずしも余りがほしいこどもばかりではないのですね。「当たった」生徒は責任をもって家まで持ち帰るなり、必ず食べてくれる友人にあげたり~とか食べ物の行く末に最後まで責任を持たせていたのでした。
いかがでしょうか?このようなカンタンなルールを学校が決めたうえ、きちんとした話し合いと取り決めがクラスで行われ、担任をはじめとして全体がその行く末をきちんとして見守っていたので何も問題など起こらかったのです。
仮に、クラス会議で「あまったのは先生がみんな持ち帰っていいよ!」となれば、大手を振って「持ち帰り先生」の誕生になるのです。
「持ち帰り禁止」でなくとも、このようにカンタンなルール一つとおのおのの良心が働けば何にも問題はないのですね。しかし、この定時制高校では「持ち帰り禁止」です。持ち帰りが禁止されている以上、あまった「捕食」はその日のうちに誰かが食べきるか、処分されるしかないのです。
それだったら、あくまでも「持ち帰り禁止」を前提にしたルール一つを敷くだけで済む問題ではないでしょうか?そして、「あまり」を極力出さないような注文の方法、注文に対しての責任の持たせ方等、考えられることはたくさんあります。
持ち帰り先生のしくじりの数々
持ち帰り先生の勤務校の「持ち帰り」システムがどうなっていたのかの詳細は報じられませんでした。しかし、持ち帰り行為が常態化していた経緯から、そこにはきちんとしたルールなどなく、持ち帰り先生の「マイ・ルール」が優先されていたように推測されます。
それでは、この先生の何が間違っていたのでしょうか?
①管理職に相談なし、独断専行(自分だけの判断にもとづいて、勝手に行動すること)
給食は公費でまかなわれているもの。当然、「オレ様」の「マイ・ルール」が」適用されるものではないのです。その処分には学校の管理者であるものへの相談、許可が必要であることは教員にあらずとも「大人」であればわかるはずです。
②敵をつくるほど、おおっぴらに明け透けにやりすぎた
市の教委に匿名の告発文書が届くのですから、「告発者」はまず身内と思って間違いないでしょう。よほど「憎たらしい、いまいましい」「懲らしめてやりたい」という思いが強かったのでしょうね。
つまり、先生にちょっとした遠慮や控えめさなどがあれば、告発者もこのような方法は取らなかったのではないでしょうか?当たり前のように当たり前の顔をして、給食を自分のモノにしているこの先生にがまんがならなくなったのでしょう。
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③墓穴を掘ったそのいいワケ
「廃棄するのがもったいないと思った」
「用務員が廃棄する手間を少なくしようと思った」
これを聞いてみなさんはどう思われますか?一瞬、もっともふうに聞こえてしまいそうですが、違いますよね。「もったいない」「手間を省く」ことと「持ち帰り」は百歩譲っても結びつくものではありません。
こんな苦し紛れの恥の上塗りいいワケをするくらいだったら、「ごめんなさい。すべて私が間違っていました。」と言い切ってしまったほうがよかったのではないでしょうか?
でも、ちょっとしくじってしまったこの先生も社会に「給食ロス」の問題を投げかける重要な役割を果たしてくれました。その後の市教委の見解を読売新聞は以下のように報じています。
④人目を忍んで持ち帰っていたり、同じようなことをやっていた教員が処分された時期は「犯行」を控えていた~など「いけないとわかっていてあえてやっていた」という実に姑息な故意犯
堺市の永藤英機市長は15日、廃棄予定の食べ残し給食を持ち帰った市立高男性教諭を市教委が懲戒処分としたことを巡り、「食品ロス」削減の観点から批判が相次いだことを受け、市内の施設に食べ残し分の提供を検討する考えを示した。
永藤市長は記者会見で、「持ち帰りは禁止されており、生徒に呼びかける立場の教諭が順守していないのは問題」と述べ、処分は妥当との見解を示した上で、「安全性が確保できれば、食べ残し分を市内の他施設に提供できないか市教委で検討してもらう」と話した。
学校教師が持つべき「原価意識」とは?
そもそも私立学校や一部の株式会社立通信制高校などを除いて、公立学校と「原価意識」は相容れないものなのかもしれません。私企業と異なり、利潤の追求を第一目的となんかしてませんから。
しかし、国公立学校の教員とあれども、ロス(損失)(物的、人的、時間的)を極力なくす努力は個々の教員に求められて当然だと私は思います。私は教員になる前と退職後とで民間の空気を吸ってきましたが、いちばんそのギャップを感じたのがこの、学校に勤める教職員の原価意識のなさ、低さでした。
学校のモノ、学校で使うモノは全部タダ、使い放題~といったモノに対する意識から、時間の使い方にいたるまで前述したような信じられない光景を幾度となく目にしてきました。自分がのんべんだらり仕事をやって時間的ロスを被るのは自業自得ですが、他の人間の時間まで持って行っていい道理はありません。
この原価意識については、まえに「元教師が思う「やっぱりおかしい教師の世界」~変えていかなければならないこと~」でくわしく話していますのでこちらでの深入りは避けますが、やはり、やらなければならないことがありすぎである教師は、「いかに少ない時間、労力で最高のパフォーマンスを得るにはどうしていくべきか!」ということにもっともっとフォーカスしていくべきだと思うのです。
教員となると、非常勤の先生以外は固定給制でしょうから、自分の一時間当たりの「価値」(時給に換算できますね)を知っておくのもいいかもしれませんね。一時間当たり、これだけの「見返り」をもらっているのであれば、それ相応どころか「以上」の「果実」を学校の設置者、家庭、社会に還元していかなければならないのではないでしょうか?
受け取った価値、報酬以上の価値を相手に与えていくことはビジネスでの鉄板鉄則でしょう。
※「教師の給料は安い?高い?教員の給与から働き方を考える~高給取り!されど使う時間なし?!~ 」
この「原価意識を常に持って行動せよ!」のマインドは私が民間で叩き込まれた教えではありますが、学校で働く先生たちにも、ぜひ、いまこそ考えてもらいたい意識なのです。なぜなら、いま、先生たちが相対している子どもたちはこれから、そのほとんどが民間で働くことになるのですから。そしてこどもたちの家庭の人たちもまた、その多くが民間で働いているのですから。
学校教師といえども、学校の外の世界について無知でいいはずがありません。
「教育」というスグに目に見えての効果はなかなか現れてはくれない尊い営みであるからこそ、この意識もまた教師にとって必要なマインドなのではないでしょうか?