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元教師が思う「やっぱりおかしい教師の世界」~変えていかなければならないこと~

投稿日:2018年6月26日 更新日:



民間企業勤務を経て教壇に立ち十数年、そしていまは自営で何とか自活している私が今、あらためて思う「それでもやっぱりおかしい教員の世界」について今日は話したいと思います。教師志望のみなさんが飛び込もうとしている世界、昔はこんな感じでした。果たして、今現在どのような世界になっているのでしょうか?

慣れとは恐ろしいものです。私もなり立てホヤホヤの頃は、なんと摩訶不思議な世界だ~ととにかくビックリの毎日でしたが、時間の経過とともになんとも思わなくなってくるのです。コワいですね。初心を想い出す余裕などないほとんど世界ですが、教師になった暁にはたまには初任の頃を振り返ったり、外の空気にふれたりしてみてください。学校の外では、いろいろな人が生活していて、学校とはまた違った時間が流れていますよ。

①自分のメンツ、プライドが何より優先!

ご存知のように教員はとにかくプライドが高い人が多いです。また、まわりから自分が受けている「評価」が気になって仕方がない人種でもあります。それも子どもたちからの評価ではなく、同僚、管理職からの評価を大事にします。もちろん、全部が全部そんな訳ありませんが、自分自身のメンツ・プライドを子どもたちの教育的利益よりも優先させている人が多い事実が嘆かわしいのです。教育的ポーズなどの見せかけや、カタチだけ何とか取り繕ったりして切り抜けようとする甘えの蔓延などなど・・・がっかりさせられることがあるかもしれません。

いまこそ、大切なのは変なメンツやうすっぺらなプライドなどではなく、教師としての矜持なのではないでしょうか?

教科、校種にもよりますが、教員志望者がどんどん減少しているいまこそ、経験あるなしにかかわらず、自分の「柱」となるものを一本、打ち立てるべきでしょう。これさえあれば、何があろうと何が起きようと、ブレない自分でいられるはずです。

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②おかしな美徳がまかり通っている摩訶不思議な世界!

以前勤めていた民間企業は、残業は規定時間内に業務を終えることのできなかった無能な人がやるもの~ととらえていました。そういう訳ですので、加算給はもちろんつくのですが、個人の判断で残業を決めることはできず、必ず上長(直轄上司のことです)と残業時間、内容の取り決めをした上での許可が必要でした。

教員の世界はどうでしょうか?私自身を振り返っても、「残業」「勤務時間」という言葉自体自分の概念にはありませんでした。早朝~深夜まで仕事に埋没しても終えられず、当然毎日持ち帰り残業~おまけに土日が当然休める訳もなく、一週間がつながり連続90日勤務なんてこともしばしばありました。

残業当たり前、休まないのはもっと当たり前、遅くまで残っていて休日返上が教員の美徳・・・などと表立っては誰も言いやしませんが、そのような雰囲気がアリアリの不思議な職場でした。(常勤講師1校、教諭4校、合計5校での経験です。私立非常勤講師の時も大方そのような感じでした。)

そのような世界ですから、いつも早く帰らなければならない事情のある教員などはいつもビクビクしていましたね。帰り支度を勤務時間中に何度かに分けてやっておいた上、何度かに分けて荷物をクルマに運んでおくのだそうです。そして、手ぶら状態で「お先に失礼します!」などとは言わないで、いつの間にかいなくなっている・・・ホントたいへんですね。

③授業・学級経営・部活動などを評価する指針がまるでなし!

民間であったなら、業務の成果を評価するものさし、ガイドラインが必ずあることでしょう。それなのに学校で一番の要(かなめ)であるはずの授業による教育効果・成果をはかるものが何もないのです。強いてい言えば、教員自ら自分の授業を考査、アンケートなどで振り返り、反省し次にいかしているくらいでしょうか?授業者以外の眼が入ってこないというのは本当におそろしいことだとは思いませんか?

私は校種が高等学校でしたが、年度初めに「年間指導計画」なるものを提出し、年度納めにちょこちょこっと反省を書き込んでハイ終わり!です。まさに「仕事のための仕事」であり、管理職もろくに見もせず「ハンコポン」です。高校などでは専門性も高く、同じ教科でなければたとえ真剣に見たとしても、分かったような気持ちになるのが関の山ですから仕方もないですね。

ちなみに、この「仕事のための仕事」のために教科内では、持ち回りであらかじめ「担当」を決めておき、その担当者が作成した年間指導計画を教科内みんなで参考にしたりコピーしたりしていました。本来でしたら許されることではないのですが、「仕事のための仕事」に、それでなくとも少ない時間をとられる訳にはいかないのです。みなで考え出した苦肉の策だったのです。

初任の頃は初任研、研究授業などで最初だけある程度は鍛えられるでしょうが、この時期を過ぎてしまえば5年研・10年研などの経験者研修があるくらいで、後は好きにやってちょうだい~って感じです。

部活動にしてもそうです。こちらは大会参加による結果がすべてとして捉えられてしまうむきがあり、地道に活動をリード、アシストしている熱心な教師などはあまり評価されない世界かもしれません。みなさんはこれから、自分のこれらの教育活動をどのように振り返っていくのでしょうか?

学校はこれらの活動に熱心な人よりも、校務分掌をソツなく、効率的にこなしていく「有能」な人が重んぜられるところかもしれません。授業は普通にやって当たり前、それプラス学校全体の分掌にいっぱいいっぱい寄与してくれる人を大切(コキ使われている、いいように使われているとも言い換えられます。私みたいにならないよう注意が必要です。)にするのです。

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④仕事の優先順位を自分でつけられない困った人たち!

言い換えればこのような人たちは、時間の使い方、時間の大切さを知らない人ということができます。昼間の自分の授業の空き時間なのか、お茶菓子持ち込みで他の分室を訪れ、一時限分まるまる話していき、ヒトの時間を盗んだという意識がまるでないのですから困ったものです。そのくせ、締め切り厳守の仕事などはいつも守られたためしがありません。

こういうことやってて「早く帰りたい!」だの「教員は激務だ!」って叫んでもあまり説得力がないと思うのですが・・・

どうやら、「いくらシャカリキに働いたってどうせ給与は変わんないのだから、のんべんだらりやろうぜ!」ということなのらしいですが、必要最低限どころか、その最低限さえもできないのでしたら教員失格です。

こういった極端に「困った!」人たち以外にも、要領が悪いのか、一生懸命頑張ってはいるのだけれど遅々として仕事が進まず、いつも忙しそうにしている教師が何処の学校にもいるはずです。こういった人たちこそ、自らの働き方を見直し精査していく必要があるのではないでしょうか?

私も現役時代、デスクワークは嫌いで苦手でしたが、少なくとも優先順位はキッチリカッチリ付けて締め切りだけは厳守していました。

⑤年長者、管理職が必ずしも敬われるとは限らない、ある意味おそろしい世界!

前に能力がないとみなされ、周りからたたかれ、いじめられ続けた教頭の話をしましたが、まさにこれです。能力がないとみなされれば、いくら歳がいってようと偉かろうが遠慮はありません。これは本当に特殊な世界です。同じ教科内であれば、ある程度、年の功は考慮されるのかもしれませんが、いろいろなシーンで年長者が若輩に教えを請う時があります。部活などがいい例ですよね。現役競技者バリバリの正顧問と退職間近の競技未経験副顧問などがそのパターンです。

⑥うわさ、悪口横行のドロドロ、ベタベタ、ジト~の世界!

建設的で前向きな批判であればだれも文句などいいやしませんが、どうしてこうも本人のいない所で悪口を言うのが好きなのでしょうか?これには民間から来た私にはどうしても分からないことでした。お酒の入るシーンなどでは肴(さかな)にされる先生、生徒の数は大変なものになります。

自分たちを棚に上げて、自分たちだけで気持ちよくなったつもりでいる~暗い話ですね。憂さ晴らししたくなる気持ちはもちろん分かりますが、こんな姿を父兄、生徒にはみせられませんよね。すごい!いい話はなかなか伝わってはきませんが、まさに「悪事千里を走る」です。格好のネタの伝わる速度は瞬時!です。本当にコワく狭い世界でした。

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⑦エンドレスワーク!

休日、プライベートのすべてを投げうっても仕事が終わらないのです。これが退職の日まで延々と続くのです。毎日、持ち帰り仕事のバッグをたくさん抱えての帰宅です。そのまま泥のように眠ってしまい、ただ持ち帰っただけになったこと数知れず・・・こんな毎日を過ごしていれば適応できなくなってしまう人も出てきて仕方ないことでしょう。

教師に精神的肉体的タフネスさが要求されるのも当然ですね。

⑧特定の人間だけに仕事の集中砲火を浴びせる非情さ!

できる!早い!確実!と三拍子揃った有能な人に仕事が集中するこの不条理・・・本人は負担がたまったものではありません。一方、いつの間にか学校に来ていて(無断遅刻)、いつの間にかいなくなってしまう(無断早退)ような教員には安心して仕事を頼めないために、管理職も必要最低限の仕事しかつけません。

え、これが本当に通るの?これでいいの?~と最初は驚くことばかりでした。権利ばかり主張し、最低限の義務すら果たさない人たちのこともかんたんに首を切ることはできないのです。みなさんならどちらの道を選びますか?

⑨原価意識のなさ、低さ!

コピー機、印刷機ジャンジャン刷り放題、夜間の事務室で文房具ゴッソリ持ち出し、各部屋の照明は付けっぱなしで退室、帰宅などなど・・・時間の使い方もそうでしたが、学校の資産にも無頓着な人が多いのにはびっくりでした。

私が教師になる前に勤務した会社ではいちばんはじめに「常に原価意識を持て!」とアタマとカラダに叩き込まれました。実際そのように動かされたのです。社員一人雇うのに年間、一か月いくらの原価がかかっているかを計算させられ、日々その費用以上の仕事をするように教育されたのです。

学校の資産はなんだって使い放題、無限などと思っているのでしょうか?我々社会人はどこに属そうとも、絶えず原価意識を持ちたいものです。文房具持ち出しなどは立派な犯罪かと思いますが・・・これが通ってしまう世界ってコワくないですか?

⑩新しいことは始められない特殊な世界!

こどもたち、学校のため、前例にない新しい「何か」を始めよう!やろう!とすると大変な労力を必要とし、精神的苦痛に耐えなければなりません。まず、周りの理解を得るのにたいへんです。根回しだけで気が遠くなります。すべて、前年度踏襲が基本、原則のおかしな世界です。

またこれは、これまでやってきたことをやめることもできない~とこれまた変なことをもイミするのですからまたまた不思議ですね。

⑪カタチ、見せかけだけの仕事の膨大さ!

例えば、先にも話した「年間指導計画」ですが、これから一年間の教授内容、方法など単元別にビッチリ細かく記入することが要求されますが、やっとこへとへとになって提出しても、返ってきて前と違うところは、ただ一つ。管理職のハンコが押されているということだけなのです。キチンと確認しているかどうか知りたくなり、ずるい私は昨年度のモノとまったく同じものを出してみたのです。(もちろんキチンとしたものは作成はしましたが)これまた、何もなかったように印が押されてかえってきたのでした。空しくなりました。情けなくなりました。仕事のための仕事と言いますか、もっと他のことに時間を使いたいだけなのです。

また、指導主事が各学校を回っていく「学校訪問」もカタチだけの最もたるものでしょう。この日のために管理職はじめ教職員一同が、カタチだけの書類づくり、合わせに翻弄されることになるのです。普段から普通にやっていれば何も問題はないのでしょうが、むずかしいですね。

このほか、調査、研修、報告なども一応やった(ことにしている)カタチだけのものがなんと多いことでしょう。子どもたちのためになることならともかく、こういったことに多くの時間を割かれるのはツラく悲しいことです。

⑫半強制の飲み会の多さ!

学年はじめ、忘年会、年度終わり~の「3大大会」くらいでしたら歓迎ですが、教員の世界の飲み会の数、パワーには圧倒されます。公立、私立、通信制~とこれまで数多くの学校にお世話になりましたが、どこもかしこも飲み会の数は半端なく、普通の人の酒の入った場での豹変ぶりには驚かされました。

全体会も数え切れず、小さな学校では一つの行事が終わるたび、ある時は行事の前の壮行会名目での飲み会など何かと理由を付けて飲みたがる人が多いことにビックリ。これに加え、宿泊を伴う半強制の飲み会が学期ごとにあるのには面喰いました。これら全体会以外に、各部、委員会、学年、教科ごとの飲み会がこれでもいか!というくらいありましたね。これに部活動顧問同士(学校内と学校外)、そして個人的な同僚との飲み会などを合わせるとすごい数になったりします。

お酒の飲めない人はちょっとたいへんな世界かもしれません。今は昔と違って飲めない人を守る向きもありますので、決してお酒に強くなろうと間違っても鍛えたりなどしないでくださいね。お酒の場の雰囲気をみなと一緒に楽しむだけで十分だと思います。そして、あるときは断る勇気を持つことも大事かと思います。

それにしても飲み会恐るべし!ある学校では、学期ごとの大きな全体会では「出し物」をやることがこれまた前年度踏襲の慣例となっており、幹事となった教員チームは悲惨の極みです。授業の準備よりもこちらが優先されるのですから。ホント、トホホの世界です。

これらは私が経験した学校がたまたまだったのかもしれませんが、みなさんお酒の席、兎にも角にも好きで強いですよ。それだけストレスが溜まる仕事なのですね。ホントお疲れ様です。

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⑬会議、会議、会議の異常さ!

学年主任をやっていた時は、議案は初めに運営会議に諮られ、まったく同じような内容で職員会議~など無駄と無理がある会議が多かったです。その点、退職後勤めた通信制高校はとにかく効率的でした。全体会で、どうしても面を合わせなくてはいけない内容だけ「会議」とし、個人個人各自デスクトップPCが貸与されていましたので、メールやグループチャットで大抵の案件は済まされていました。各自の時間を大幅に確実に削ぐ会議は、できれば少ないほうが有難いものです。

⑭学校でしか通用しないだろうと思われる人種の多さ!

人それぞれ個性があり、みなそれなりに変わってはいると思いますが、とにかくレベル、次元の違った変わりようには驚きでした。とにかく変わり者が多いかもしれません。教員の世界しかしらない人が、この特殊な世界にドップリとはまってしまえばそうもなってしまうのかもしれません。

☆彡会議中に写真週刊誌を持ち込み、周りを気にせず自分の世界に入り浸り、読後(鑑賞後)はイビキを書いて熟睡、果ては会議終了後、同僚に起こされる始末

☆彡職会で自分の意見が通らないからと言って、机を蹴って出ていってしまう教員

☆彡平気で子どもたちの前で、他の教員の悪口をこれでもかというくらい並べる怪物(これは、子どもたちの前での講話だったのですが、さすがに私も止めに入りました)

☆彡自分「エライ」、こども「下」の考えしかできない教員

挙げてみて気分が落ち込んできましたのでここらでやめますが、みな実在の人物です。私も人のことを言えたものではありませんが、少なくともこれらのことは決してやるまいという常識と良識だけは持ち続けていたつもりです。そのような人たちでも、死亡ひき逃げ事故でも起こさない限り、普通に生きていけるおかしな不思議な世界だったのです。


⑮「先生様」同士が傷をなめ合うベトベトした気持ちの悪い世界

お互いがお互いをヨイショするこの世界は、教員なり立ての私にはとても摩訶不思議で気持ち悪いものに映りました。そのくせ、建設的、まっとうな批判には目を背け耳を貸そうとしないのですから困ったものです。

以前先生と呼ばれるほどの馬鹿でもなし②~自分で自分を「先生」ってバカ丸出しで恥ずかしくないですか?~で私自身が自分で自分を「先生」と呼ぶことへの嫌悪を話したら、「ショックを受けた」というコメントをもらいました。自分で自分を尊称で呼ぶことがフツーに通っている世界、おかしくないですか?

このコメント主さんは未だお若い幼稚園の先生でしたから、まだ年端の行かない幼児に教えるためもあるのでしょうが、普段からそう自分を自分で読んでいると父兄の前でも普通にそうなってしまうでしょうね。

たかが呼び方一つで~と言ってしまえばそれだけですが、これもまた「志」「矜持」といった自分自身の在り方に深くかかわりのある大事な問題であると私は思うのです。別に教師であらねど、人間傲慢になったら終わりです。

どうやらこの世界は、まわりから「先生様」と呼ばれたくて、自分でも自分を「先生」と呼びたい人が多いのですね。私にはまったく分からない世界です、正直・・・

⑯それでもやっぱりおかしい年功序列型の一律昇給給与体系

以上、辞めたクチの私が「なんかなんかね~」と当時を偲んでいま思う「教師のミラクルワールド」でした。あくまでも私が思っていた「変だよ!」なのですが、現在でもあながち大きくは、ズレてはいないでしょう。私が辞めてからちょっと時間が経ちましたが、現場は昔とはだいぶ変わったでしょうか?どうやら、風のうわさにもそのような声は聞こえてこないようです。

変えてはいけないものと変えていかなければならないものとがあるはずです。しかし、「変えなければいけないもの」は変えようとしなければ、いつまでたっても変わらないのです。昔のまんまです。狭い世界にどっぷりと浸かっているとそれが当たり前になってしまうところが実にコワいですね。そうならないために、どうすればいいかは辞めたクチの私から言うべきではないと思います。先生方、教師志望のみなさんももうきっとお分かりのことでしょう。

児童生徒に寄り添っていく先生たちのため、そして何よりこれからの子どもたちのため、誰かが一声を上げ、小さなことから始めていくしか方法はないような気がします。実際、そのような世の中の動きはあるようですが、最近の現場のナマの声を聞いてみる限りでは自分たちの権利のみを主張する向きばかりで「こどもファースト」ではどうもないようです。



自分たちの利益を主張するあまり、決して「変えてはいけない」教師の矜持とか志といったものまで曲げてしまうのではないかという危惧を私は抱いているのです。

深夜に生徒が補導されて「勤務時間外だから」ですべてが済まされてしまうのだとしたら、教師とは担任とはいったいぜんたい子どもたちにとって何なのでしょうか?たしかに、教師の労働者としての権利は守られなければならない大切なものです。

しかし、教師と言う職業はどう考えても民間の功利主義・利益主導主義とは相容れないものでしょう。厳しい言い方かもしれませんが、身を切ることができなくなった教師が増えてきたのだと私は思います。「奉職」といった言葉はもはや死語でしょうか?

おかしい世界は変えてはいかなくてはなりませんが、変えてはいけないものだけは無くしてほしくも変わってほしくもありません。二律背反といいますか、この二者のアンバランスこそが今の教育界のもっとも悩ましいところなのでしょう。

「やっぱりおかしい~」はなしを話し続けてきて、ちょっと私もおかしくなってきましたので、次回はもっと明るい話題でいきたいと思います。それではいったんさようなら!




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執筆者:


  1. 名古屋の生徒数が多いtknmzのせいと より:

    ものすごい共感できるお話でした笑
    現在名古屋の中学に行っていますがどうして教師って間違いを認めないんだろうとずっと疑問に思っていました。
    最近、nhkで教師の大変さとか言う舐めた番組を放送されたんですが取材者の私見で番組を編集してるんだなと思いました。
    現在の学校についてですが、
    学校の先生の感情で成績を決めている
    といったことが起きています。
    どう言うことかと言うと
    僕がテストで80点後半をとり提出物も確り出しているのに俺よりも点数が低いやつのほうが成績が高いです。ちなみにそいつはすごい先生に気に入られています。
    多分学生は教師志望の人が多いと思います。でも学校で教師になりたいやつなんて無能ばっかり。
    クズが教師になるんだから生徒もくずになります。
    だから怠け者や時間の作り方がわからないクズが出てくるんだと思います。
    かなり僕の愚痴ですが僕がこの記事でいいと思ったことは
    教師の評価アンケート
    的なやつの導入です。
    無能な税金泥棒は、とっとと首にして新しい有能な教師をいれるべきだと思います。
    僕は教師という学校という箱庭のなかの世界しか知らずで感情で評価を下げていきたい高校もいけなくするようなグズはとっとと死ねばいいと思いました。
    さらに教師がくそに思えてきました笑
    当てはまるところが多すぎて読んでて楽しかったです

    • まめきち より:

      tknmzのせいとさん

      コメントありがとうございます。
      tknmzのせいとさんは中学生ですか?教員志望の学生ですか?

      生徒・学生、教師それぞれにそれぞれの環境と事情がありますね。
      この2者の関係は決して敵などではなく、本来お互い高め合って学び合う同士のようなものであるはずです。
      教師サイドのほうがちょっぴり歳を重ね、人生の先輩であるが故に、付かず離れず寄り添いリードしていく関係が理想なのかもしれません。

      しかし、tknmzのせいとさんが言うように必ずしもこの二者間の関係はうまくいっているとは言い難いです。
      そして「無能な税金泥棒は、とっとと首にして新しい有能な教師をいれるべきだと思います。」とありましたが、
      昨今の厳しい教師の勤務実態を鑑みて現場に有能な教師が集まらないのです。

      志が高い教師になるであろう有能な人材がみな民間等、他に流れてしまっているのが現状です。
      昨今の教員採用試験、関東のある自治体の校種小学校ではなんと1.2倍ですよ。
      選ぶにも選べないのです。
      「なりたい人はみなどうぞ」的な世界になってしまっています。

      このような状況でもなお教職を選ぶいう「変わった」人たちは、

      ①それでもなお、どうしても教師になりたい!という志を持った強い人

      ②教員にでもなって、なんとか安定した生活を確保し、仕事はそこそこ・・・という意志薄弱な人

      この2種類のどちらかでしょう。

      このような厳しい現場ではありますが、tknmzのせいとさんの学校の教師の中にも「この人はスゴい!」「教師オーラが半端ない」「とにかくアツい、アツすぎる!!」こういった教師がいませんか?
      いつの時代も、身を切ることのできる教師はいるものだと私は信じます。

      なぜなら、教職は一生かけて追い求める価値のある仕事だから・・・

      しかし、tknmzのせいとさんが言うように、「評価」を一個人の感情などで決めていいはずありません。許されないことです。教科担任であれば、まず年度初めに評価の方法を生徒に提示し、納得させてから日々の授業に入るべきです。
      すくなくとも私はこれまでそうしてきました。

      なぜなら、そうしないと生徒が頑張れないからです。教師サイドでどのように評価するのか分からなくして、生徒にとって日々の学習、がんばれるはずありません。

      tknmzのせいとさんが遭った今回の場合は、教員にきちんとした説明をもとめてもいいようなケースです。
      と言っても表立って問題にするのは憚れるのでしょうね。

      いつの時代も優位に立っているのは教員なのかもしれません。しかし、「評価権」を握っているからと言って何でも許される~というのは違うと思うのです。
      ブログでも話していますが、小さな声でもいいから、誰かが第一声を上げるべきでしょう。

      生徒も人であるからして、教師もまた人です。
      絶対に分かり合えない存在だと私は思いたくないです。

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