医者に言われた何気ない一言に、心をズタズタに引き裂かれたことがある。イヤならほか行けばいいだろう~と思うかもしれないが、地方都市では絶対的にお医者の数が足らず、競争原理が働かず選ぶに選べないという実に深刻な事情が横たわる。開業「即」「大繁盛」なのであるから、彼らが死ぬまでおごりたかぶる「お医者様」気分に浸りっぱなしになるのも無理はなかろう。
しかし、若い時分ならまだしも、中年になってきてあちこちにガタが出てきた身にとって、たよりになる「医師」、ホームドクターが一人もいないのはなんとも心もとない。人間、必ず一度はみな死ぬ。それが早いか遅いかだけなので、主治医なんていらないよ~という豪気な御方もいるだろうが、私が心配しているのは、エライ病気になって家族に迷惑をかけたり、スパゲッティのようなたくさんの管につながれっぱなしになったり、ヒドクイタイ思いをするのがイヤなだけなのだ。そうならないうちになるべく早いうちに・・・という切ない事情があってのことだからなんとも仕方がない。
これまでさまざまな病院、医院、クリニック、医者、医師、医療従事者にお世話になり、さまよい続けてきた私であるが、寿命は病院、医師選びで決まると本気で思っている。なぜなら、患者と医療従事者とでは医学的知識、知見、スキル、技術などについてあたりまえではあるが、圧倒的な差があるからだ。
この「違い」「差」を当たり前ととらえ、一方的、傲岸不遜に「治療」なるものを押し付け、強制する「医者」がいる一方、この差を埋めるべく、患者に寄り添いつつも、ていねいにコミュニケーションを取りながら説明し、患者の同意を得たうえで治療に入り、その後も良い方向へ導いてくれる「医師」もまた少なからず存在する。
この「良医」に巡り合うのがなんとも難しいのだが、不可能ではない。その方法とは?カンタンに言ってしまえば、患者自らが勉強し、自らの頭と足でかせいで見つけるしかないのである。良医に巡り合うまで。今回は医者遍歴を重ねに重ねてきた私がドクハラ・モラハラにもめげず、どのようにして良医(「名医」と「良医」は必ずも一致するとは限らない。名医があなたにとって常に、必ずしも良医とは限らないからだ)に巡り合ってきたかを話してみたいと思う。
私が受けてきたドクハラ・モラハラの数々
最近は患者による医療従事者へのハラスメント(ペイシェント・ハラスメント「ペイハラ」)もまた横行しているようで、さまざまな病院で「患者様による暴言、暴力許しません」との張り紙を見かけることも多いと思う。しかし、つい最近、個人病院でこんな貼り紙を目にした。
「当院に対するSNS等での誹謗中傷、口コミサイトでの悪評書き込みがあった場合、個人を特定し、以降の診療、治療を断固として拒絶致します。場合によっては法的手段に訴えることもあることを予めお断りしておきます。なお、そのような書き込み等を見つけた場合、速やかに当院にお知らせいただきますようお願いいたします。」
なんという驕りたかぶった言い方であろうか。この医者は、経歴、提供する医療技術はすばらしいのであるが、とにかく患者の話を聞かない、目を見ないでパソコンばかり見て話す。というより指示、命令するといったタイプの医者。患者からの質問など恐れ多くてできない~という雰囲気を醸し出している。患者サイドからの意見や要望などは聞くに値しないといったスタンスで「オレの言う通りしてればそれでいい」と言い放った時もあった。
つまり、「オレを悪く言う奴は徹底的に排除し追い詰めてやる!」といったことなのだろう。このような感じであるから、離れていく患者も悪評を流布する者も多いのだろう。だが、それでもこの病院はいまでも大繁盛で1日の来院数は平均150人を超えるとホームページでうたっている。
前置きが長くなったが、私がこれまで世話になったがドクハラを受けた医者を大きく3つにタイプ別に分けて見ていきたい。
ドクター・ハラスメントの定義
医者(ひろくは医療従事者)による、患者への医師としての不適切な言動の一切をまとめてこう呼ぶ。これには、患者に対する暴言、いやがらせ、侮蔑、不遜高圧的な態度、投げやり緩慢な言動、脅しなど言わば患者を不安、不快にさせ、果ては心身ともに傷つけるすべての言動が含まれる。(ここでは医者によるハラスメントを取り上げているのであって、医療従事者の技量技術知識欠如が招く患者へのダメージなどは含まないものとする)
ドクハラの分類
➀ 医師失格タイプ(サディスティックに患者の心を傷付ける)
A:絶望させる、責め続ける
「なんでもっと早く来なかったんだ! これはもう手遅れだ~こういうことやってるから、治るものも治んないんだよ!馬鹿じゃないの?」
なかなか治らない風邪の症状に落ち込んでいる自分に対して→「そんなくよくよした性格だから、治らないんだよ! 少しは元気に走り回っている犬でも見習ったほうがいい!」
B:恐怖を植え付ける
「これだけ酷い頭痛だったら、もう注射しなかいな。たかが頭痛ってバカにしてると今よりもっと苦しんで死ぬよ!」
C:脅す
★ 息苦しさがなかなか治らず、いくつかの病院を回った挙句、知人のすすめで行った医者にこう言われた。
「あなたは少し、人のことを信用することを学習したほうがいい!」「うちで診てもどうせスグ他、行くんだろう!」「ボクの言うことをキチンと聞くというのなら見てあげるけど、できないなら見ないよ!」
★ これまで、あまりにも横暴かつ横柄な医者だったので、「先生」と呼ばずに「さん」づけで話したとたん「先生と呼べ!」と命令! この口調があまりにもきつく、しかも大声で彼が怒鳴ったため、「私も先生と呼ばれる仕事に就いているので(当時は高校勤務であった)、私のことも先生づけで呼んでいただけますか?」と返したところ、彼の怒りにさらに火をつけたようで、「医師を先生と呼ぶのが常識だろう!」と、さらにがなり立ててきたので、私はこう返した。
「医者の常識は、世間の非常識かもしれなですよ」
D:放棄、無視
★ こちらが遠慮がちにする度重なる質問、問いかけ~すべて無視
新型コロナに罹患したときなど、シンコロの患者だけ集めた狭い個室になんと朝から夕方まで閉じ込められていた、放置の極致・・・なのに、となりで普通の患者とバカ話、延々と・・・こちとら水も何も摂れない状況で自分はしっかり昼休憩、夕方にやっと現れたかと思えば、自身のマスク上下を両手でガッチリ抑えながら、汚いものでも見る(診るでは決してない)ように、かなりの距離をキープしつつ「薬出しておくから・・・」たったコレだけ。
★ 遠慮がちに症状について質問しただけなのに、「そんなにあれこれ疑問に思うなら、他行って! うちはあなただけじゃなくって、たくさん患者待ってるんだから!」~とあからさまに放棄。
E:命令
説明、同意なしの診療&治療強制
つまり、素人患者などに話す&説明する時間などもったいないということなのだろう。こちらが症状を話した後、「注射とクスリ!」たったこれだけ。酷い医者になると、このワンフレーズさえなく、いきなり看護師に処置室に連れていかれ、そこで治療を受けながら看護師に説明を受けるというありさま。
法律を知らないわけないだろうが、あからさまに無視する医者が多すぎる。
☆彡 医師が診療をしたときは、患者本人またはその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をすることが必要(医師法第23条)。
☆彡 医師は、医療を提供するに当たり、医療を受ける者(患者)に対して適切な説明を行い、その理解を得るよう努めなければならない(医療法第1条の4第2項)。
ましてや医療技術が高度に発展した現代に於いては、疾病、症例によっては様々な治療法が存在する。それぞれのメリット・デメリット、ベネフィット・リスクを含めいろいろな選択肢を提示した上、患者の医療利益が最大になるようアドバイス、指導が重要なものになってくるのは自明の理であろう。何人(なんぴと)にも憲法で保障されている、患者の「自己決定権」が医療業界ではあまりにもないがしろにされているのではないだろうか?
F:いやがらせ
★ 診断書書かない、紹介状も書かない。とにかくセカンド・オピニオンを求めるのを嫌う。
★ 朝に来院しても、昼をまたいで常に夕方、夜間にならないと診てもらえない(何回来院しても)。
★ 他のクリニック、病院で治療を受けたことに根を持ち、今ここにきたことをあからさまに責める。「何でそんないい医者にかかっていたのに、ワザワザウチ来たの?くる必要あるの?」
G 無神経
待合室、中待合室、診察室などで、患者自身の個人情報などを大声で話し、まわりにダダ漏れているというのに、いっこうに気にする様子なし。これは医者に限らず。患者サイドに立脚した考えのパターンがまったくない医療従事者のなんと多いことか・・・
つい最近、待合室で見聞きしたこと
★ 次回来院の予約を取ったおじいさんが帰り際「オレ、次、元気でこられっかなあ?」と冗談半分に笑顔で問いかけたところ、その受付嬢の返しがコレ
「さあ~なんともそれは分かりません。先生じゃないんで・・・」
おじいさんの顔がこわばっていくのが見てられなかった。おじいさんの投げたボールを額面通り受け取ってどうするの?って感じ。せめて「そんなこと言わないでくださいよ。元気に来られるにきまってるじゃないですか」くらいは言ってほしかった・・・
★ 医者の診察を直前に待つ中待合室で、看護婦(リスペクトしていないのであえて看護師とは呼ばない)が「あれ~〇〇さん、また太ったんじゃないの?大丈夫?!」無神経なあなたに心配などされたくないっていうの・・・と、このおばさんは思っていたはず。まわりには当然患者さんいっぱいいるのに、なんともバツの悪そうな顔してた。私のほうがなんか悪い気になってしまって、知らない気付かないふりしてた。そういう看護さん、あなただって私からしたら相当コロコロ太ってますよ~
② 銭の亡者タイプ
患者の治療、症状の回復よりも自分の利益(金銭、自尊心)をまずは優先させる医者。よって、不要不急の治療、検査、投薬の嵐に見舞われること必至。医者による、何ら説明なし、同意なしの治療、検査、投薬が強制されることになる。
歯医者にかかった時などは、たいへんだった。「いまここでセラミックにしないと、また同じことの繰り返しになるに決まっている!」と保険外診療のセラミックを半ば強制。歯医者だけでなく、歯科衛生士、受付まで一丸となってすすめてくる。見開きのメニュー表?みたいなものを見せられ、「ここはレストラン?!」などと息つく暇もなく半ば根負けして4本詰め物入れ替えで、50万強のイタイ出費と相成った。
③ 嘘を言う、真実を話さない、隠し事をする、知ったかぶりをする、できないことをできないと言わない~等、
自身の保身のため患者利益を損なう言動が多い医者
これは、非常に危険!! ドクハラ、モラハラ以前の問題! 命を預けるに足り得る医師では決してない。即、去るべき!
なぜ、医者によるハラスメントはなくならないのか?
医師、医者という人種が昔から嫌いでどうも苦手である。私の独りよがりの考えから来るものなのだろうが、医者にはこれまで散々な目にあわされ続けてきたのだからどうしようもない。きっと誰だって一度や二度くらいは大変な目にあっていることと思う。
医療従事者から見ると、われわれ患者サイドにもきっと言いたいことがたくさんあるのだろうが、私は別にエラソーに医師と相対したり、無理難題言って困らせたりなんてもちろんしていない。予約の時間だって当たり前であるが遅れたことだってないし、ましてや他を傷付けるような言動なんかありゃしない。だのに、なぜに、患者側が比較的多くのハラスメントを甘受しなければならないのか?不都合&不合理の極みである。
そこで、なぜにドクハラは起きてしまうのか、私なりに考えてみた。
➀ 医者は感謝される、へつらわれる、敬われるシーンが非常に多く、恥ずかしい勘違いではあるが、自分に酔ってしまいおごりたかぶるようになってしまう。
② 医者以外の世界を知らない世間知らずだから、自分を世の中の頂点と思い込み、下界の者たちを見下すようになる。
③ パタ~ナリズム(医療においてのパターナリズムとは、強い立場にある医師が、弱い立場にある患者の利益のために、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう)に陥っているから。
④ 医療情報の非対称性
現代においては医師顔負けの医療情報、知識で完全武装したスーパー患者もときおり見かけるが、たいていは患者サイドが情報弱者である。この圧倒的な医療情報の量的質的経験的技術的な「差」が患者を弱い立場へと追いやっているのではないか?
⑤ 「命」という人間にとって何よりも大切であり、かけがけのないものを扱う職業であるため、他のどんな職業よりも尊く特別な存在である~という選民意識が働くため
⑥ これは地方、僻地などの一部の地域限定になるが、「競争」原理がまったく働かないため、「医者は王様、下々を診てやっている、イヤなら来るな」という図式になり、傲慢な医者を量産することになる。
⑦ 患者サイドの純粋な思い、考え、評価、要望などが医療現場になかなかフィードバックされない現状
⑧ 医師としてというよりも、人としてどうか?という人間が医者になってしまう不合理。医学生選考時、医師国家試験時に人間的欠陥を加味されないこと自体が問題。
ネットの口コミ情報は当てにならない
お医者にかかろうとして、普通の人がまずやることはたいてい同じ。友人知人などからの口コミ、そしてネットでの口コミ検索・・・
知り合いから得られる実体験、素直な感想(特に医療従事者の口コミは貴重)はぜひとも参考にしたいリアルな情報ではあるが、ひとつだけ注意したいことがある。その貴重な口コミはあくまでも、その人の受けた印象、感想であって、それがそのままあなたにも当てはまるとは限らないということ。参考程度にとどめておいて、実際に自分で会って話して相談しての受け止めが何より大事。
ある人にとって、最悪な評価の病院であっても、他の人にとっては最高の病院になる場合だってあるだろう。その逆もまた然りなのである。
そして、最低でも4~5回くらいは通ってみないとそのお医者さんがあなたにとって本当の意味での信頼に足り得る「医師」なのかどうかの見極めは難しいと思う。なぜなら、医療重視者のすべてが最初から感じがよく、こちらのことを丸ごと受け止めてくれてコミュニケーション力抜群~などとはまずそううまくはいかないから。何度か通ううちに、あちら側もこちらを知るようになり、心を許してくれるようになったりすることがあるからだ。そもそもお医者様はもっとオープンであるべきなのだが・・・(もっとも、はじめての診察で暴言を吐かれたり傷付けられた時などは、「即」その場を離れるべきではあるが)
リアルな関係での情報が得られない場合や緊急時はやはり、ネットに頼らざるを得ないが、こちらの場合、注意が必要である。どういうことかというと情報がコントロールされている場合が多いということなのである。私の場合、このネット口コミにすがって何度だまされたことか・・・
医院、病院の口コミサイトは数多く存在するが、その多くは運営側が患者から寄せられた口コミをえり好みし、掲載をコントロールしているのはみなさんも御存知の通り。こちらとしては相手をののしったり、あることないことめちゃくちゃ陥れたりなどするはずもなく、実際に自分が受けた診察、治療の事実と素直な自己の印象、感想を述べたにすぎないのに、「悪評」の場合、サイトによってははねつけられたり(不掲載)、加筆修正が実際求められたりするのである。
要は医療従事者にとって心地よい、差し障りのない情報だけが載せられているということ。事実は一つ、受け取り方は千差万別、百人百様~とよく言うが、やはり自分で実際に行ってみて感じた自己の感性を信じたい。逆に、Googleの口コミなどは投稿者の口コミがそのまま掲載されるため、大多数の人にとっては、良医であるのに、めちゃくちゃなことを書かれ評判が貶められているということも当然あるだろう。
それは、それぞれの患者の現在の状態・病状や期待も、病院医院、医療従事者の印象に大きく影響するからだと思う。また患者自身の性格や価値観によっても、実際に受けた医療サービスの評価も変わってくるのは当然のことであろう。最終的には、自分の病状や優先事項と照らし合わせて、その得られた情報を自分自身で解釈することになる。そして、その決断には決めた自分自身が責任を持つべき。いくらネットや他人にすすめられたからといっても、結局決めたのは自分なのだから・・・
このように、ネットの口コミ情報や病院ランキングなどは便利ではあるが、口コミは評価、意見がかたよりやすく、ランキング自体も広告費を払って上位に表示させている場合が多いため信頼などあまりできないのが現状。
やはりネット口コミもまた、参考程度にとどめておくのが一番であり、やはり自分のアシでかせぎ、アタマで考え、ハートでジカに感じた「何か」を信じたい。そして何より大切にしたいのが、病院、医療従事者との「相性」である。病気、疾患というこのやっかいなものは、非常に個人差があり個人的なものであるので、やはり相性はとても大切なものとなってくる。
よく、「病院には余計なことは何も期待していない。治してくれさえすればそれでいい。」という人がいるが、これは半分は当たってはいるが、半分は不正解である。なぜなら、生きている生身の人間は決して機械などではなく、血の通ったあたたかいからだを持ち、非常にナイーブな「こころ」というものもまた持ち合わせた不安定ないきものであるから・・・
この記事のタイトルに「~本当の良医に巡り合うために~医師は患者を言葉、態度で助け、医者は言葉、態度で殺す~」と銘打ったのもこのことからなのである。幾度となく「医者」の言動で殺されかけたが、「医師」の言葉と態度で生かされたこともあった。医師もまた血の通った人間なのである。
「病は気から」ということわざがあるが、これはあながち嘘ではない。気持ちの持ちようで病気は悪くもなり、良くもなる~というのは本当のこと。その「気持ち」を前向きにさせ、寄り添っていくのが「良医」であると思う。
いくら腕がよくても、実績があっても医療相談の一つをするにも気が重くなってしまうような医者は私は避けている。「医は仁術」という言葉は過去のものとなりつつある今、あらためていまググってみたが、最近はAI検索がトップに出てくるのでどうも私はなじめないがAIがこう示してくれた。
医療は単に病気を治す技術だけでなく、人を思いやり、仁愛の徳を施すことが本来の姿である、という意味の日本の格言です。この言葉は、医師は損得を度外視して患者を救うことに喜びを感じ、金銭や利益よりも人命や幸福を最優先するべきだという、医療に携わる者のあるべき姿勢を示しています。その思想的背景は平安時代まで遡り、日本の医療倫理の中心的標語として長く受け継がれています。
最後の下りはちょっとクエスチョンマークがつくが、この患者に寄り添っていくという姿勢を持ち合わせ、「仁」と「徳(得ではなくて)」を大事にしている医師に私たちは巡り合うべき。なんとしても。
開業医一人が一日に診る患者数の平均は100人であるという。医師からすれば目の前の患者は100人の内のたった一人にすぎない。しかし、患者からしてみれば、たったひとつのかけがえのない命なのである。この至極当たり前のことを大切にし、できるだけの患者の立場に立って診察、治療に当たっている医師に私は巡り合うことができた。
この人にだったら命を預けられる、この人の言うことだったら何だって聞ける、この人がいるだけで何か元気が出てくる~こんな感じの穏やかであり包容力に満ちた人格者である。それでは、どのようにすれば良医にたどり着けるのであろうか? その道筋をたどってみたい。
「良医」に巡り合うために
実際のホーム・ドクターの決め方
➀ 場所、時間的制約をできるだけ取り払う
コンビニではあるまいし、近い早いがいちばん~は禁物。自分の「命」を預ける医師ならば、多少の時間と労力はあえて犠牲にしたい。身体が悪くてあまりにも遠くはちょっと、地方でクルマがなく、公共交通機関を使ってまでは・・・とかいろいろ制約はあるとは思うが、近くに良医がいないのであれば、できるだけギリギリ頑張って、やっぱり良医にかかりたい。
私が通っている頭痛外来専門医は高速で2時間かけて月に一度通っている。良医、名医ならこんな程度は序の口で、通いきれなかったり、安心のため引っ越した人も実際いるのである。それくらい、たよりになる「良医」に巡り合うということは重要なことなのである。
② ホーム・ドクターオンリーではなく、さまざまな組み合わせが大事
実は私はホームドクターは二人である。風邪などの軽い症状などの場合やちょっとした医療相談に乗ってもらうときなどは至近のお医者さんにお世話になり、深刻な相談、専門的、テクニカルな要素が強い病気、疾患、症状のケースではクルマで片道2時間かけて相談に行っている。このことは両者に告げてあり、お互い医療情報のやりとりもあって実にスムーズ。
本当は一本に絞りたいところなのだが、緊急時や時間がない時などはやはり近くがありがたい。私のように遠近と使い分けるのも一つの手かと思われる。同じように眼科もまた2人の医師に世話になっている。このように歯科、皮膚科、耳鼻咽喉科などの診療科目、部位ごとに当然、良医を見つけるべきである。
なんでも相談できるかかりつけ&総合医一人いれば、そこから他の診療科に紹介してもらえるのは実にありがたい。もっとも、内科一般はすこぶる調子がいいのだけど、泌尿器科だけにお世話になっている~などのケースでは当然、その医師がメインのホームドクターにしてもよいと思う。
③ 私の着眼点
A:受付あなどるなかれ
かかりたいお医者の目星がついた段階で、いきなり電話で予約したり、かかる前提でTELするのではなく、まずは電話でいろいろと聞いてみよう。医師選びは「医師」単体ですべて判断してしまうのではなく、病院、医院で働くすべての人を対象に観察してみよう。中には電話での応対がぞんざいであったり、「看護婦」が医者より偉ぶってる~なんてところだって結構あるものである。
医師の患者に対する姿勢、考えはそこで働くスタッフにも及んでいると考えるべき(診療所、医院のみになるが)。なぜなら、自分の医療に対する姿勢と異なった考えを持つスタッフは雇い入れるはずはないから。
試しにはじめての電話で、こういう医師、こういった治療をのぞんでいるのだけれど大丈夫でしょうか? 医師はどのような感じの人ですか?みたいな感じで聞いてみると、その医院の力量、姿勢が一発で分かってしまう。こころある医師ならば、受付スタッフの採用、教育にも当然、チカラを入れているはずだからだ。
B:病院全体の雰囲気、感じ
見る人にとっては些細なことに移るかもしれないが、これまた医師選びの重要なファクター。整理整頓、清掃状況は全てに通じると考えるべき。ましてや医院、病院は心身の不調を訴えている人がお世話に杏る場所。常にきれいで清潔でなければならない。一事が万事。
C:最新医療機器、設備にだまされるな
患者のための検査? それとも医者のための検査?
かつてかかっていた病院では何ら説明、患者の同意なしに検査に次ぐ検査を強いられてきた。患者の症状なんかそっちのけで、診療報酬支払基金の審査ではねられない、これでもかというくらい目一杯の検査である。このような医療機関は患者ファーストなんかでは決してなく、病院の収入が第一なのであろう。
現在、私がお世話になっておる医師は、必ず検査の前に、「このような理由でこういう検査を行いたいと思いますがいかがでしょう?~と患者の同意を得たうえであくまでも選択は患者に預けるというスタンスを貫いている。そして、他の選択肢を示したり、検査のメリットデメリットも必ず示してくれる。このように、患者の権利をなるべく尊重してくれる医師をぜひ探してもらいたい。
必要のない検査に費やされる多額のお金、貴重な時間と労力、そして何より恐ろしい侵襲(しんしゅう)(生体に何らかの刺激や負担を与えることを指す医学用語)のことを考えると、「検査」に対する医師の姿勢は医師選択の重要なファクターである。いま、なぜ、この検査が自分にとって必要なのかをきちんと説明してくれる医師こそ信頼のおける良医である。
D:クスリのリスク
くすりの処方の仕方もまた、とても重要な医師選びの重要なファクターになり得る。
同じ薬を違う人にそれぞれ処方しても、クスリの効果と副作用の現れ方は千差万別、百人百様である。医者なのだから、クスリの知識、処方術も優れているのだろう~は早計。クスリの新しい知識などを学習することをおろそかにして薬剤師に任せっぱなしの医者が時たま見かけるが、実はこれはたいへん危険なこと。医師選びの際には、クスリについてもまた深い理解があるのと同時に、患者が薬に関して相談、質問したときに真摯に応対してくれるかどうかも重要な判断材料になるだろう。
クスリの処方(薬物療法)を受ける時の注意点
以下に挙げる項目が医師の視点できちっとなされているかどうか、患者サイドでしっかりと見極めなければならない。そのためには患者側も相応の学習が必要になる。2~30年前ならまだしも、今の時代、その気になりさえすればクスリの知識などいともカンタンに手に入る。
➀ 今の自分の症状、疾患に最適であろうと思われるクスリが処方されているか?
② 自分に最適な投与量になっているか?
これもまたとても大切な事。適切な投与量の見極めに失敗すると、効果が期待できるどころか重大な副作用に見舞われることになる。例えば、一錠の錠剤は医師の処方により、二分の一、四分の一と砕いて薬局で出してもらえるのである。
③ 薬剤の副作用を最小に抑えるようにする努力が見られるか?考えられる副作用の説明、同意があるか?
中には、患者の副作用などお構いなしに、「治るためには、このくらいの副作用など我慢しなさい。イヤならクスリ出さないよ!」などという医者が過去にあったが、論外である。副作用を訴えた時に、真剣に患者と向き合ってくれるかどうかも重要な見極めポイントになる。
④ 患者を薬漬けにするつもりなのかどうか?
診察の際に、前回から今回までの状態を患者に確認して、クスリの量を加減したり、場合によってはクスリを変えたり止めてみたり~とこういった臨機応変的な処方がなされずに、いつも同じ薬を同じ量だけ出す医者は危険である。患者の身体は生身のものであって、日々刻一刻変化していくものなのなのだから。
⑤ 御存知のように、クスリの飲み合わせ、相互作用が時に人体に命にかかわる危険をもたらすことがある。この薬物相互作用を何も考えず、患者に今飲んでいる薬などをまったく聞かずにクスリを処方する医者もまた今田に存在するが、これまたたいへん危険人物と言わざるを得ない。
⑥ 妊婦、お年寄り、小児、幼児、乳児への処方の配慮があるかどうか?
⑦ 漢方薬の処方に対して造詣が深いかどうか?
漢方薬なら副作用はない~と断言し、山のように幾種類もの漢方薬を処方する医者もまた危険。逆に漢方薬といったものすべてを軽んじ、拒絶し、患者が求めても一切処方しない~という医者もどうかと思う。漢方薬と一概に言ってもほんとうにさまざまであり、もしかしたらこの患者に今、ピッタリな漢方薬があるかも?~と探ってくれる医師はやはりありがたい。
因みにクスリの処方でいつもお世話になる「調剤薬局」であるが、これもまた「かかりつけ」に絶対すべきである。私もはじめは便利なので、かかっているクリニックの至近の薬局にお世話になっていたが、診療科目が増えて3つも4つもになってくると、そのたびさまざまな説明が必要になってきたり、担当薬剤師が目まぐるしく変わってきたりとデメリットの方が多いからである。良医と同じように、クスリのことでもまた何でも相談できる薬剤師を見つけたほうがいい。
当然、クリニックにくっついている薬局はどうしても、その診療科に近い領域のクスリのストックが多くなるわけで、あっちもこっちもとすべてのクスリがいつも常備してあるわけではない。取り寄せてもらったり郵送してもらったりとちょっと難儀するがこんなことは大したことではない。
私の場合、薬剤師もまたベウトパートナーに巡り合うまでとにかく時間がかかった。これまで何十件もの薬局をめぐってきたが薬剤師もまた実にさまざま。ある分野には強く明るいがそれ以外はからっきし~だったり、お医者の世界と同じように患者をバカ扱いする薬剤士なんてわんさかいるし、なかなか難渋したものである。でも、数をこなしているうちに見えてくるものがきっとあるはず。パーフェクトとまではいかなくとも何でも相談できる薬剤師さんがいることもまた安心できて実にいい。
E:営業日、休み、緊急時も参考に
近所のクリニックで、年末年始、ゴールデンウィーク、お盆で10日以上の休みを当たり前のように設けているクリニックがあるが、ここも御多分に漏れず大繁盛である。その他、常時不定期に閉院しているときもあったりとやっているかどうかわざわざ事前に確かめないといけないというちょっと変わったところである。
もちろん、こういったスタンスであるから緊急時、救急時など診てもらえないし、時間外であれば受付の電話もすべて自動応答に切り替わる。それでもよくって通院している人がいるのだから、何も文句などないのだが、医師の姿勢としては如何なものであろうか?
医師であろうと人間であるから休みは当然必要である。しかし、私なら苦しんでいる患者を目の前にして、長期の休みなどおいそれと取れやしない。うわさでは毎回、長期バカンスに費やしているという。それもこの医者は内科医である。年末年始などは風邪、感染症などで診てもらいたい患者だってたくさんいるだろうに。
F:専門的な事を質問、相談してみよう
最近ではネットなどからの情報をたよりに、医師顔負けの知識を装備した「上級患者」もどこの病院でもそれなりに出没するそう。医師や看護師の反応を見れば、その病院の専門性や患者への姿勢が見えてくる。患者を小馬鹿にしたり、見下したり、適当にあしらったりするところは「即」去るべき!
心ある医師であれば、患者の声、心の声には真摯に向き合ってくれるはず。臆することなく相談、質問してみよう!
G:「紹介状を書かない!」という医者は避けるべき
古い体質の医者などはよく、他の手あかのついた患者をイオやがる傾向がある。しかし、セカンドオピニオンを求めることは、患者の立派な権利でもある。セカンドオピニオンをしぶるような医者は避けた方が無難である。いざ、他のチカラが必要になったときに頼れないのであれば、これほど危険なことはない。また、その医者にまる抱えされてしまうことになり、貴方の生殺与奪がすべてその医者に委ねられることになってしまうのである。
そして、医師どうしのネットワークもまたとても大切なものであり、ひとりの医師で治していこうとするのではなく、複数の眼とワザで患者と相対して総合的に人体を捉えていく~という姿勢がこれからは当たり前になっていくのではないだろうか?これまで病気、疾患は部位、パーツごとに専門が細分化され、患者もあっち行きこっち行きを余儀なくされていたが、医師同士がつながり合い、情報を共有することによって本人にとって最善の治療が受けられるようになると考えられないか?
医師の世界は医師が一番よく知っている。私は眼が見えづらくなってきたときに眼鏡をかけている内科医に「眼科はどこがいいでしょうか?先生はどちらですか?」と聞いて今の眼科を紹介してもらった。
H:情報発信、活動状況
地域の医師会でのポジション、活動状況、学会での研究状況、著作、SNSなどでの発信も要チェック!しかし、医師である以上に情報発信に熱心で、SNS何でもやりまくりで自院の宣伝だけに一生懸命な医者も時たま見かけるので見極めは慎重に。
I:肝心の診察、相談業務を見極めよう
エラソーに足組み、ふんぞりかえり、肘掛け椅子に両手置きっぱなし、パソコン先生(PC画面オンリーで患者の顔をろくに見やしない医者のこと)はバツ。態度ひとつとあなどるなかれ。診察時の立ち居振る舞い、姿勢はすべてに通じると信じる。
また、傾聴の姿勢はあるか? 患者の話をできるだけ聞くようにつとめているか?患者としての権利を最大限尊重してくれているか?のチェックも怠らぬようにしなければならない。私の主治医は、インフォームド・コンセント(医師と患者との十分な情報を得た上での合意)が徹底されつくしている。治療のメリットとデメリットを懇切丁寧に説明し、本人や家族の同意のもとで治療方針を決めていくのである。
J:掲示物をよく見て見よう!
以下のような「患者の権利」についての貼り紙がクリニックのいちばん目立つところに堂々と鎮座していれば、その病院は患者の権利、人権について意識レベルが高いのではないだろうか?
患者さんの権利とお願い
当院では患者さんの権利を尊重した医療を提供いたします。
1. 人格を尊重した、公平で安全な最善の医療を受ける権利があります。2. 病気の説明を十分に受け、自ら治療法を選択する権利があります。
3. 医師、病院、施設等を自由に選択する権利があります。
4. 医学研究あるいは医学教育に参加することを拒否する権利があります。
5. 診療に関する個人情報が保護される権利があります。
6. 医療費の報告及び医療費の公的援助に関する情報を受ける権利があります。
ドクハラにはこう対処する
私の場合、イヤならなるべく行かない、多少遠くても良医であるならばクルマでどこへでも行く~というスタンスで良医に巡り合うことができたが、皆が皆、このように行動できるとは限らない。諸事情で(仕方なく)近くのお医者にかからざるを得ない方も多いことであろう。きっと心無い医者の言動で傷ついてる方も多いであろう。
そのような場合、患者としてはどのようにしたらよいのであろうか?私の経験も含めて考えられる方法を紹介してみたい。
➀ 医者に直接、伝える
これは私は何度もチャレンジしたことがある。たとえば、こんな会話をした記憶がある。
初診でろくに患者の話も聞かず、事前の看護師による問診も何もなく、一方的に薬の処方の指示、そして次回来院日時を告げるのみで診察を打ち切ろうとしたのですかさず、「何の説明も受けず、一方的な処方と指示だけとはあんまりではありませんか?」と問いかけてみた。その返しがコレ。
「あんまりとはどういう意味だ?何が不服なんだ?こっちはこれでずっとやってんだよ!面白くないならもう来んな!!そういう偉そうな事言ってから病気になんだよ!」
このように土台、ドクハラをするような医者に何を言っても無駄、無意味なのである。患者に言われて「ああそうでしたか、ごめんなさい」などと性根を入れ替えるなんて無理、ムリ、もうそういう人間に成り下がってしまっているのであまり効果は期待できない。私の例のように逆上し、さらに面倒&イヤな思いすること必定である。
ただ、その医者の本性を再確認するためには有効と思われるので試してみる価値はアリ>
② ICレコーダー等による録音
土台、相手の話を録音する時点ですでに両者間での信頼関係はないものに等しいが、これはのちに相手の「非」を責める時、第三者に判断してもらうときの判断材料に資するものとなる。もちろん相手の了承などはいらないし、犯罪にもならないので安心してほしい。
③ 病院への投書、医師宛ての手紙を書く(ネットを介してのお問い合わせなども含む)
手紙を書く、受け取る~という行為にはお互いワンクッション置くことができ、冷静に物事を見つめることができるので、案外いい方向に物事が進む時がある。自分の今、置かれている状況、困っていること、悩んでいることを素直に心を開いて打ち明けたなら、少しでも医師としての矜持をもっているものならば、向き合ってくれるかもしれない。もちろん、匿名などではなく素性を明かしての投書になるが、一方的に相手の非に気付かせたい時などは匿名でもよいと思う。やはり、手軽なネット登校よりも直筆の手紙の方が人の心を打つチカラは確実にあるだろう。
④ 各種口コミサイトへの投稿
これは先述のように、ほとんど効果は期待できない。こういった口コミにこころを脅かされる日常がイヤで、こういったサイトをあえて見ないようにしていると親戚の医師は言っていた。ウサバラシ程度に考えて、事実をありにままに客観的に述べるのは問題ないだろうが、誹謗中傷となると問題が大きくなり、タダでは済まなくなることもあるので慎重に。
⑤ 各種相談窓口での相談
なるものがあり、一応相談は受け付けてくれることにはなっているが、あまり大きな期待は無理かもしれない。というのも、一度実際に相談してみたことがあったからなのだ。ちょっと前まで都の病院に通院していた時があり、その時、採血の予後が非常に悪く、痺れが残り、腕が腫れ上がってしまったことがあった。当然、その病院に直接、どうしたらよいか電話で尋ねただけだったのに、「そんなになるまで何でほっておいたんだ、もう今となっては遅いから大して何もできないと思う。よくあることだから、ほおっておいても心配ない」などとさんざん責められ難儀した。そして、来院日時と診療科、名前、担当看護士の容貌などを伝えたにもかかわらずその後、何の音沙汰もなし。
こういったこともあり、相談窓口に電話したものの、話は一応は聞いてくれるのだが、あくまで当事者間で問題の解決を図りなさい~というスタンスでアドバイスらしいものも一切なかった苦い経験がある。
他の自治体でも似たような窓口はあるとは思うが、当事者間の介入、仲介、調停などはしない、医療、法律など専門的、テクニカルなジャッジメントは一切しない~という点では共通しているようだ。
⑥ マスコミ、ネットを頼る
あまりにも理不尽、不合理な扱いを受け、人間としての尊厳を傷付けられている状態ならば、世論にその是非を問うというのも立派な一つの手段となろう。
~と6つの方法であったが、一番いいのは、一日でも早く良医に巡り合うこと。そうしたならば、もう無駄なドクターショッピングのような毎日とはおさらば。医者のことは医者が一番よく知っている~とよく言うが、医師もまた人間であり、医師の世話になっているはず。ならば、思い切ってお医者に「良医」を探してもらえばいい。良医にたどり着くまでの過程は長く険しいものなので、さまざまな人の手を借りた方がいい。
患者は消費者、お客様ではない
これまでさまざまな医療機関にお世話になったが、患者は単なる「客」「消費者」ではないと私は思っている。「金を払っているんだから、患者は客」「医者は黙って病気を治せばいい」という考えは、医療の世界にはなじまないと言える。
しかし一方で、深刻な問題もまた横たわる。ドクハラとペイハラが重なり合い、ぶつかり合う現状は本来の医療の姿では決してないはず。なにゆえ両者間の齟齬が生じるのであろうか?それはさまざまな要因がもちろんあるのだろうが、いちばんはお互いがお互いを知ろうとしない、できない環境下、努力不足によるコミュニケーションの欠如からくるのではないだろうか?
そもそも私たちが一番望んでいる「適切な医療」をカンタンに言うのであれば、「現在の医療水準の範疇で、患者が選択した最高と思われる医療」となる。しかし、この「適切な医療」を選択するまでに、医師が患者にいくつかある治療内容、方法、手段について、わかりやすく説明しなければならない。その長所短所についても、十分に時間をかけて説明しなければならない。さらに選択しようとしている治療が本当に本人にとって適切、必要なものなのかどうか、また他の医師の意見を求める必要も出てくるかもしれない。なぜなら、説明の時はどうしても、医師の行おうとしている方向へ誘導しがちになるから。患者にとって本当の意味での「適切な説明」であるかの保証はないのである。
となると、再三再四に渡る長時間の懇切丁寧な説明、そしてそれに対する報酬の保証が必要になってきてしまう。
そうすると、これをクリアするためには、
☆彡 クスリや検査などのモノ中心の診療報酬制度から、説明や技術などに配慮したものに変えていかなければならない
☆彡 カルテなどの診療資料を患者に渡して、密室の医療から開かれた医療にしていく必要がある
つまり、患者サイド医師サイドだけの自助努力でどうこうなるものではなく、制度改革が求められているということになる。つまり、より良い医療を受けるためには、制度改革を求めるだけでなく、医療の内側、内実、実情、実態を理解することも重要になってくるのである。患者と医療従事者の間の相互理解が深まれば、より良いコミュニケーションにつながるから。
医療従事者とよいコミュニケーションを取るためには、なにもかしこまったり、へつらったりと斜に構える必要などまったくない。私が心がけていることは ➀ 自分の疾患について十分に理解するよう努め、日々の経過観察を怠らず、きちんと報告すること ② あいさつ感謝の言葉など礼節を弁えること ③ わからないことは分からないと知ったかぶりはやめ、質問すること ④ 嘘や隠し事は厳禁 そして最後になるが ⑤ 自分の都合ばかりではなく、相手の気持ちを思いやることを忘れない事~と この5点だけである。
あなたにとっての「良医」に巡り合えるかどうか、それはあなた自身の気持ちと、行動力にかかってる。願いが叶いますように!