「先生!先生!」って呼ばれることが当たり前になり、いい気分になってたのに、子どもたちが陰で呼び捨てしてるなんてまだかわいいほう。ひどいあだ名で呼ばれてること知ってショックを受けた経験ってありますよね。
呼んでるほうは、必ずしも敬って言ってるわけではないのです。このことわざは、ある意味教師への戒めだとおもうのです。そう呼ばれていい気になっているものへのあざけりだけではなく、「調子に乗るなヨ!」っていう・・・
子どもたちの教師への呼ばせ方(基本的に侮蔑的なものでなければ私は自由だと思うのですが)は別の機会に譲るとして、今回は同僚、管理職をどう呼んだらいいかについていっしょに考えていきましょう。当たり前すぎて取り上げるのも一瞬ためらいましたが、実はこんな基本的なことがなされていない現場も実はあったのでした。
同僚は「先生!」
管理職は職名が基本ですが・・・
初任の若い「お兄さん」にいきなり、こどもたちが普段私を呼んでいたかわいい「愛称」「まめちゃん」で呼ばれた時はぶっ飛びました。別に「~先生」と呼ばれたい訳ではありませんでしたが、いきなり「愛称」+「タメ語」で来られてノックアウト寸前でしたよ。
内規に校内の教師はお互い「~先生」と呼ぶこと~なんて書いてある訳もちろんありませんが、基本老いも若きも同僚教師は「~先生」でしょう。私の場合、生徒はすべて苗字ではなく下の名前で呼んでいました(「生徒は呼び捨てか?「君、さん付け?」話し方を教えるのも教師のつとめ」)のでこれを踏襲し、同僚教師も基本アンダーネームで呼んでいました。(本人がイヤという場合は別ですが)やっぱり、下の名前がその人を一番現わしているような気がしてならないのです。私の場合。名付け親の気持ちも込められていることですし。
以下が私の同僚呼び方ルールです。
①同僚教師は学校ではすべて「~先生」(当然、講師、初任者も退職間際の方もです。)
②同僚もプライベートでは「~さん」
③管理職等は「校長、学校長」「教頭」「主任」「~部長」
「職名」自体が尊称ですのでこれで立派に敬っていることになってるのですが、「教頭先生」と呼んでください~と懇願されたり、「〇〇校長先生」などと長ったらしく呼んでいる人もいたり~といろいろありました。
④事務職の方々は事務長も含めすべて「~さん付け」
別に差別している訳ではないのですが、「~先生」ってちょっとなんだか不自然だと思いませんか?
恐らく、私のようなパターンの人がいちばん多いのではないでしょうか?中には、学校でもプライベートでもずっと「~さん付け」であったり、人・場所によって呼び方をいろいろ変えていたり~といろいろいることでしょう。しかし、やってはいけないこと、はずしてはいけないことがあるのです。それは何でしょう?
Sponsored Link
呼び方にも当然、基準は必要!
「やってまった!」
では済まないのです・・・
要は以下に挙げるようなことをやらなければ「あとはご自由に」なのです。
①時、人、場所により呼び方を変える
校長は「〇〇〇校長先生」、初任者は「~くん」、同僚は「愛称」~などと「差別」するのはもってのほかです。児童生徒の呼び方にしても、自分の中での基準を置くことの大切さを話しましたが、教師同士も然りです。最近では、大谷翔平投手の活躍が目覚ましいですが、現役時代彼ほどの活躍もできなかった人が先輩面して「大谷くん」などと呼んでいるのも聞くといい気がしないですね。やはり、いくら先輩であっても「大谷投手」「大谷選手」「大谷さん」と呼ぶべきでしょう。一方、将棋界では藤井棋士がたいへんな活躍ですが通称「ひふみん」の呼び方はやはり筋が通ってます。何十歳下でもきちんと「藤井さん」と呼んでいるのですから。やはり、名前の呼び方にもその人の人格が現れてくるのだと思います。
②児童生徒の前では特に気を付ける
生徒のアンテナは敏感です。自分たちの先生が蔑称で呼ばれてたり、「くん、ちゃん付け」で呼ばれていることを知ったらどう思うでしょうか?言ってしまった言葉は取り消すことはできないのです。一方、プライベートで同僚といるときなど「~先生」では職業が一発で周囲にわかってしまうということにも留意するべきでしょう。このように普段当たり前のように使っている「先生」も、一般社会ではお医者さんとか代議士さんくらいにしか使われないのですから当然ですね。
③下の名前で呼ぶ場合は注意が必要!(名字+先生が普通?)
これは私の失敗例です。いつも通り、初任の女性教師にも下の名前+先生!で呼んでいたら、その気があるように誤解されてたいへんな目に遭いました。特に女性の場合、下の名前で呼ばれるというのは「特別」な何かを感じるようです。もちろんすべてではありませんけど。
もちろん、統一基準が必要です。人によって「苗字」で呼んだり「下の名前」で読んだり~とかはもちろんダメですよ。「何か」「なぜか」を相手に考えさせてしまうからなのですね。
スポンサーリンク
本心は「先生!」と
呼びたくもない人だっていましたが・・・
組織人で生きる限りは、心をちょっと表面上偽るしかないのです。私はどこか、その人にだって「先生」と見習えるべきところが絶対あるはず~と思って、「いいとこ探し」をするようにしてきました。でもそれでもやっぱり苦手な人はダメなんですね。それでも、学校では当然、「先生」です。
実際、みなそれぞれお互いを「先生」「センセイ」と呼び合う事によって学校内の秩序が保たれているのかもしれません。「先生」と呼ばれて悪い気は普通はしないですから。私も最初に「先生」と呼ばれた時はとっても新鮮で、快感だったのを覚えています。でも、これに慣れてしまうことが実は怖いことなのではないでしょうか。ある意味、学校は「自分に酔っている」人が実に多い場所なのですから。
最初のタイトルのことわざを、老いも若きも教師ならもう一度思い出し、自戒の意味も込めて胸に秘めておくべきでしょう。人は誰でも自分がかわいいです。どうしても自分中心にものを考えてしまいがちです。
「自分は「先生」と呼ばれるに足りる人間なのか?」「先生」であり続けるために、走り続けることのできる人だけが「先生」なのだと私は思います。その点、自分のことをおこがましくも「先生」などと呼んでいる教員は私は「似非教員」だと思います。現役時代、私は生徒の前、教師同士でも自分のことは「私」で通しました。みなさんは、自分のことをどのように呼んでいますか?