本気で愛した人だから、忘れられるはずもない・・・永遠に自分とは交わるはずもない道を行く時子・・・分かりすぎるくらいハッキリした恋の終わりに、追い打ちをかけるように、終止符を打つ決意の三男・・・「人生の大部分が時子が好き」だった彼も、米子をこころから愛せる日がくると信じたいです。だんだん好きになっていって、ずっと好きでいられれば、それはじゅうぶん立派な「愛」だと思うのです。いろんなカタチの愛があってもいいですよね。
好きになる想いが恋なら、好きな気持ちでい続ける、それがたぶん「愛」・・
前回、「148話~みね&ヒデ~コメディータッチに埋もれてしまったふたりのロマン~」で、三男が主役で彼の悲恋がテーマなのではないか~と話しました。それくらい彼の時子に対する想い、愛情が丁寧きめ細やかにこれまで描かれてきました。
一方、ヒロインのみね子はというと、彼女のあたたかさ、優しさ、そして成長振りは本当にあったかい視線でていねいに描かれてきました。しかし、みね子の恋物語ではいっつも彼女は受け身であり、みね子が誰かに恋焦がれる切なさ、ツラさもどかしさは僕たちは劇中では見ることができませんでした。彼女が果たせなかった役割を三男にさせ、ヒロインと対比させることにより、更に三男の悲恋を鮮やかに浮かび上がらせようとしたのであれば、これはもう岡田マジックです。
みね&ヒデのお花畑コメディーデートがあまりにも軽すぎたため、151話のミッツヨネの真剣勝負が、余計に重く強く我々聴者に訴えかけてくるではないでしょうか。
米子からしてみれば、これほどうれしいことはなく、今日が史上最高の日でしょう。これまでは一途に好きスキ!でしたが、これからは大好きな彼に「何をしてあげられるか」を考えていかねばならないのですから、これまたしあわせですね。見返りを求めず、相手を想い続けていくことが愛なのですから。
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実は三男の悲恋が隠れテーマの『ひよっこ』
敢えて時子への想いを断ち切るため、限りなくゼロに近いけれど、時子と結ばれる~というそのわずかに残された可能性までをも否定してしまった三男。彼の心中を想うと辛すぎるのです。151話の三男・・・どこか寂しげで切なさそうでしたね。
この決断は、額面通り時子への別れでもあり、米子への誠意のあらわれでしょう。前に「俺のどこがいいんんですか?」って米子(当時のさおり)に聞きましたよね。その回答はまだ彼女からもらってはいませんが、今日、逆に男の三男から米子のとってもいいところ、ずいぶんアツく語ってくれました。彼の誠実さ真面目さ、そしてあたたかさが感じられるステキなシーンでしたので、もう一度どうぞ。
オレ、いろいろ、考えました、いろいろ・・・
こごに来てがらのこど、さおりさんのこど、旦那さんのこど・・・
この、店のこども
うれしいこどだなって、思いました
だって、そんなにオレのこど必要としてくれてるなんて、幸せなこどだなって、思ったんです
女の子に、好きだ、好きだって、言われたこどねえがら、戸惑ってしまうけど・・・
好きって言われで、男として、うれしくねえわげがねえし
それにさおりさん、時々自分のこと、自信ねえみたいに言いますけど、それ、おがしいですよ
さおりさん、かわいいですよ
かわいいです
それに、面白いです
次に、何すっか、何言うのが、さっぱりわがんなくて・・・
動ぎが読めねえっつうが、何か、リスみだいなとが・・・
何か面白くて、かわいいです
振り回されんの楽しくなってきました、エヘヘ・・・
恋人、なりませんか?
オレでいがったら・・・
これまでの想い続けるしあわせから、想われるしあわせに気付いたのでしょうが、やっぱりどこかもの憂げで哀愁が漂っていると感じるのは僕だけでしょうか?でも、もうこうと決めたからには、いっつも時子を想っているような自分には決別しなければなりません。かわいそうすぎるけれど・・・それこそ、そんな風では米子に失礼であり、米子の想いを裏切ることになってしまうから。
ここが三男のいちばんつらいところで、男の見せどころなのだと思います。愛子さんと省吾さんは、今でも好きな人への想いを引きずっています。大好きです。でも、お互い、想い人は亡くなってしまった人だから、その想いは誰にも咎められるものではなく、それぞれの想い人に対して敬意すら払っています。忘れることなんかできないし、忘れなくてもいいのです。
でも三男の場合はどうでしょう?時子はいまでも同じ東京の空の下、当然生きています。この想いを殺しつつ、米子を好きになっていこうとする三男は、やはり男の中の男だと思うのです。
「ラブ・ラブ・ラブ」詞 安井かずみ 曲 村井邦彦 歌 THE虎舞竜
今日の彼の男ぶりは、米子のこれまでの劣等感をきれいに否定してあげ、仲直りまでさせてしまったこと。何よりも家族の愛情のありがたさを知っている彼だからこその仲直り大作戦&引き換え条件・・・泣かせます。陰で善三さんも、泣いてます。いい奉公人が立派な婿取り候補になった瞬間です。たたみかけるように、これまでの「さおりさん」から「米子」~と名前変わっただけでなく、いきなり呼び捨てですよ。三男の決意のほどが伺い知れます。これまであったかい目でお店、米子そして善三さんを見ていたんだなとあらためて気付かされたのでした。
決して交わることのないふたりの道・・・
それにしても、米子は男を見る眼があります。こんなステキな男のハートを射止めて、しあわせものです。よかったですね。なぜ、時子は三男の想いをとうとう一度も受け取らずに終わってしまったのでしょう。どうして永遠の友人なのでしょう?三男のよさは一番、わかっているはずなのに・・・
ここが、この悲恋のカギを握っているのです。そもそも、時子とは最初からこうなる運命だったのかもしれません。米屋の一人娘と付き合うと決めた~ということはゆくゆくは米屋の婿様、そして米屋の主人、旦那さん・・・三男に夢はあるのでしょうか?「人生の大部分、時子が好き」って言うくらいですから、時子こそが夢だったのではないでしょうか?
一方のトッキーは、「奥茨城村で一番じゃイヤ!」と断言しているように、上昇志向というか最初からふたりは目指すものが違い、歩んでいる道も違うものだったのでしょう。決して交わるはずもない道をそれぞれ歩んできたのです。誰よりも気心の知れたふたり・・・こうなることはお互い、分かっていたのかもしれません。切なすぎます。
どうにもできないこと、どうにもならないこと・・・仕方ないんです。誰も悪くなんかないのです。でも、それでも人は生きていかなくてはならないから、前を見ていくしかないのです。前だけ見て、強く生きて行くことに決めた三男、そしてみんなに幸あれ~
NHK連続テレビ小説『ひよっこ』151話第26週「グッバイ、ナミダクン」9月25日
「大好きでした」詞曲歌 erica