自分と向き合う

警告!マラソンは健康に悪く、体を破壊する!私がランニングをやめたわけ~あなたは何のために走るのか?~






人はなぜ、こうも毎日毎日飽きもせず走り続けるのでしょうか?プロのランナーでもあるまいし、いくら走っても走っても何の腹の足しのもならないのに・・・走るのをはじめたきっかけは、きっと健康、体力アップなどのことを考えてなのでしょうが、今日もまたひたすらに走り続けている人には、その人なりの走る意味、わけが他にもあるはずです。

私はハイな気分をさらに更に求め続けた結果、ランニング中毒になってしまい、身体を壊し仕事にもひどい悪影響を及ぼしました。今回は、なぜ私は「走り続ける」ことを辞めてしまったのかを話すことにより、現代の「やりすぎ」「走りすぎ」に取りつかれたランナーに警鐘を鳴らしたいと思います。

健康増進のためのジョグやランがあなたの身体、健康を徐々に徐々に蝕んでいるとしたら、こんなに怖いことはありません。これまでトップスピードで走り続けてきたあなたも、ここらでちょっとだけ立ち止まって

「いったいぜんたい自分は何のために走っているのか?」

「これから先、自分はランニング、トレーニングとどう向き合っていくのか?」

について考えてみるのも、あながち無駄なことではないかもしれません。

私が長年走り続けていた訳

ひょんなことから走り始め、あのハイな気分を味わってからというもののランニングにハマり、気が付くといつの間にか一年に15~6のレースに出走するようになっていました。

当時の私にとってランニング、トレーニングは、習慣というより何がなんでもゼッタイやらなくてはならないもの、そのような強迫観念にとらわれていたような気がするのです。もちろん、さらなる「快」を求めて自らを駆り立てていたわけですが、トレーニングをしない日があった日には一日中罪悪感に苛(さいな)まれていたのですから本当に異常でした。

ほんとうにあの時は異常でした。何かにとりつかれていたようでした。ハードトレーニングをすっかり辞めたいま、あの頃を振り返ってみて「なぜ走り続けていたのか?」をあらためて考えた答えがこれです。

アタマをカラッポにリフレッシュしたいため

こういう時ってないですか?イヤなことがあったり、無性にカラダを動かしたくなる時って。誰にでもありますよね。こんな時はジョグでゆっくりと流すのではなくおもっきり走り込むのです。ガムシャラに!アタマが真っ白になり、悩んでいることなんてどうでもよくなったりするからほんとうに不思議!

仕事から帰ってきて心身ともにグッタリのはずなのに、全力疾走することにより全身がシャキッ!!とするんですよね。この感覚はきっとみなさんにもわかってもらえると思います。

②自分との対話を楽しむため

わたしの場合、アイディアがひらめく瞬間はだいたい決まっています。早朝、湯船につかっている時、布団の中、そしてランニング中なのです。みなさんにもきっとこういう自分だけのとっておきの時間というのがあると思います。

特に走っている時は、とんでもなくいい考えが浮ぶ時が多かったですね。もちろん、スピードトレーニングのような負荷を思いっきりかけるハードトレーニング時にはものごとを考えているような余裕などは全くありませんが、ジョグでゆっくりと流すトレーニング時にはいろいろなことを考えて走っていました。

流れる景色を横目に風の臭いを嗅ぎつつ、普段、物思いだけにふける時間ってあまりないですよね。私は曲作りもしているのですが、突然メロディーが湧きあがってきて慌てて携帯ボイスレコーダーを取り出すことしょっちゅうでしたね。ランニングならではの素敵で貴重な時間でした。

③自分のカラダの変化を知りたいため

これもランニングの大きな魅力のひとつです。日々走り続けていると、フォーム、カラダのハリ、心肺機能等の変化から自分の体調が刻々と変化しているのが手に取るように分かるようになります。これは健康上のメリットからランニングを始めた人にとっては一番の魅力ではないでしょうか?



④生活に彩を添えるため

ランニングは、日々の生活のアクセントになってくれていました。気分転換にはもってこいですよね。

⑤レース出走が楽しみなため

私を走りに向かわせていたいちばん大きなものは、これだったのかもしれません。近場のレースを全部抑えるのは当たり前。小旅行にかこつけてさまざまな観光地にもいけちゃうのがうれしいです。レースでの様々な体験、普段出会うことのできないいろいろな人たちとの交流もまた魅力でした。

⑥ハイな気分を味わうため

やはり、こんなにも長い間走り続けられたのは一種の「中毒」だったからだと思うのです。あのハイな気分を味わいたいがために毎日毎日疲れた体に鞭打つ~というより喜んで飛び出していってたのですから。この中毒に罹(かか)っていたため知らず知らずのうちに私の体はダメージを蓄積していったのでした。

おそらくみなさんも、だいたいこのような感じで走り続けていることと思いますが、私の場合これらはやっぱりこじつけで本当の理由はただ一つ、「ハイな気分を味わいたい!」ただこれだけだったような気がするのです。いま改めて思うのですが、かつての私は完全なランチュウ(金魚じゃありません。ランニング中毒のことです。)でした。



私はランニングで体を壊した!

私はこれまでフルもハーフも含めてたくさんのレースに出走してきましたが、ランニングしている人のすべてがレース出走を目的とはしていないはずです。私も早いうちにこのことに気付くべきでした。そしたら、もっともっとランニングを楽しめて、きっと今でも走っていたことだろうと思うのです。

私が過去に犯した過ちを話します。学校勤務だったころは何かに取りつかれたようにヒマさえあれば走っていました。朝出勤前、部活にかこつけて生徒と一緒になって走る、そして〆は帰ってきてからのトレーニングです。実はこれで終わらず、家に戻ってから家の中でのウェイトトレーニング。

当時は一秒でもタイムを縮めたい!この一念に駆られて何でも「トレーニング」ととらえていました。というより無理やりそう思っていました。授業中も足首強化のためにかかとを床につけず「つま先立ち」をずっと続けたりと、いま思うと異常でした。

「ランナーズ」をはじめ各種のランニング雑誌を定期購読し、栄養の研究なんかもしてました。いま思うと笑ってしまいますが当時はかなり本気だったのです。仕事をしながら月間走行距離500km達成はなかなかしんどいです。でも実際やっていたのです。

仕事に支障がでるようではほんとうのバカです。走りのプロでもないのに。そのうちに膝関節に痛みを訴えるようになり炎症を起こし、とうとうまともに歩くことができなくなってしまったのでした。

マラソン大会参加の悪い面

このような私のケースは馬鹿の見本ですが、実は笑えないのです。現実にランニング、大会出場に夢中になるあまり故障したり、中には病気になってしまう人がたくさんいるのですから。その原因はすべて自分の体力、生活環境にあっていないランニングを続けたことにあります。特にハーフ、フル専門に日々自分にハードトレーニングを課している人は要注意です。

度を過ぎたあまりにも身体を痛めつけるようなハードトレーニングは身体の免疫機能を損なわせ、リカバリーにもかなりの時間を要することが科学的に実証されています。5km10km等の比較的短めの距離であっても全力疾走するようなハードランニングは思いっきり体に良くないのです。これは科学的、医学的に様々なデータから立証されている紛れもない事実です。

しかし、タイムを縮めるためには流すだけのゆる~いLSDのようなトレーニングのみでは当然不十分です。緩急つけてのハードな走り込みが絶対に必要となります。ということはレースに出るのはいいとしても、全力でぶつかるのはやめにしてリミットタイムギリギリでゆる~く流すのが一番~ということになるのです。

しかしレースに出て、いったんスタートを切ってしまって、体に悪いからと自重できる人などほとんどいないでしょう。どのようなレースであっても、あの雰囲気は一種独特で自らをこれでもかと駆り立てる「何か」があります。

マラソンもそうですが、大会参加もプラスの面とマイナスの面がそれぞれあります。大会参加はランニング仲間との交流の場となってくれますし、何よりもさまざまな土地へいって見知らぬ大地に自分の足跡を残すことができるのは何とも言えないものがあります。

しかし、大会参加のマイナスな面=悪い部分にももっともっと目を向けなければならないのではないでしょうか?それは何かというと、次のようなことになるでしょう。

① 現段階での自己の走力以上の走りをしてしまう

レースは、自分との闘いです。自分を駆り立て、さらにさらに走らせ追い込んでいく「強い自分」と、「もっとゆっくり行ったっていいんじゃないの?」という「弱い自分」とが自分の中でせめぎ合っています。

そもそも、レース自体が、今の走力よりも強い自分、早い自分を求めるものであり、そのような自分に出会いたいがために大部分の人は走っているのでしょう。程度というものが問題になってきますが、かなりの無理をしてケガ、故障ならまだいいほう、実際に死んでしまう人・・・どのくらいいると思いますか?

ここ10年でなんと100人以上の方がレース中に亡くなっているそうです。健康のためと思って、無い時間捻出してトレーニング積んで、レース中に命を落としてしまうなんてまさに「健康のため死ぬ」ようなものです。

大会のプログラムも必要以上に私たちを「もっと速く走れ!」「来年もゼッタイ出ろ!」と追い詰めます。出走者全員のタイムはたいていネットにのせられますし、地方の小さい大会などでは昨年の全員の結果がプログラムにドーンと掲載されたりもします。

知り合いもいっぱい走ってたりすると、なぜああもリキが入ってしまうのでしょうか?

② 体調を考えず、レース出走を強行してしまいがち

これは私も苦い経験をしました。宿泊を伴うレース参戦で関西まで出向いた時のことです。朝から体がダルく、絶対普通の自分でないと分かっているのに強行出走した挙句が救急車搬送でした。自分がたいへんな思いをするだけならまだしも、たくさんの人に迷惑と心配をかけてしまいました。

当時は、はるばる時間とお金をかけて遠くから来てるのだから~と甘い考えで強行した結果がコレです。この時は本当に「自分はいったい何やってんだろう?」と真面目に思いました。

もちろん、レースにはレースでなければ得ることのできない人とのつながり、思い出などたくさんたくさんいい面があります。しかし、レース参戦のメリットだけを十分に享受するというのは本当に難しいことです。なぜなら、繰り返しになりますがレースでは自分自身を抑えるのが困難だから。

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レース出走、大会参加をやめやほうがいい人

タイムを1分1秒縮めることが、ほんとうにあなたの人生において、それほど重要なことなのですか?

このことを自分自身にもう一度、問うてみてください。過去の私に問いかけたいくらい重要な問いです。私たち一般市民ランナーはプロのランナーではありません。それぞれに生活があり、それぞれがさまざまな環境下にあります。

ランニング、ジョキングは自分を追い詰めるもの、自分の限界を超える~なんてかっこいいものでは決してなく、生活にハリと潤いを与えてくれるべきものだと私は考えます。だとしたら、健康維持、増進のためと思って日々ハードトレーニングを積んでいる人は、内実は自分自身を不健康に向かわせているのかもしれません。

こういった生真面目、誠実、几帳面な人は本当に危ういです。ご存知のように、レースのプログラムを広げると4~50代のおじさんの名前でビッシリです。入賞タイムなんてビックリです。おじさんでも入賞者は、2~30代の若い人たちと大して変わらないどころか速いくらいなのですから。

いま中高年になってランニングを始め、レースデビューと同時にランチュウアリ地獄から抜け出せなくなる人が多いそうです。どうして中高年の男性がこのようにハマってしまうのでしょうか?

それは中高年男性ならではの切ない事情から来ているのかもしれません。レースに出るようになって、どんどんトレーニングを積んでいくと軒並みタイムは上昇カーブを描きます。ある程度までは。家庭でも職場でも、なかなか自己の努力の結果が目に見えるカタチであらわれてなんかくれません。

自分が認められたようで、自分の存在価値が確認できたようでうれしいんですよ、きっと。「自分、ちょっといいかも!」というランニング中のハイな気分に似たような感情が沸き起こってきていい感じに浸れるのでしょう。これは過去の私を思い出してのことなので、多分です。

前置きが長くなりましたが、ズバリ!大会参加はやめにしたほうがいい人は、自分にブレーキをかけられない人です。客観的に今の自分とこれからの自分を見ることができない人とも言うことができます。自分で自分を抑えられなかった過去の私がそうでした。

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中高年のマラソンは体によくない?

マラソンランナーに太った人がいないワケは?そしてプロランナーだった人が短命で終わるのはなぜなのでしょう?

摂取した栄養、エネルギー、カロリー以上に運動することにより、すべてを燃やし続けてしまうため太るヒマがないようです。そして、若いころに一時的であってもカラダに無理をして与え続けてきたダメージというものは、年老いても確実に残り続けるものなのです。これは私で実証済みです。

そして42.195kmを走り続けるということは、心臓や血管に大きな負担とダメージを与え、腎機能や免疫力の著しい低下をも招くということだそうです。そして何よりもフルマラソンを年に何回も走ること自体が全くを持って不健康なことで、確実着実に老化を促進するらしいのです。

これは循環器科が専門の私の主治医に聞いた話です。お医者さん自身が昔、ランナーであっただけに説得力が増します。そして彼は続けてこうも言いました。「中高年の走りすぎは健康に絶対良くないし、寿命を縮め心筋梗塞の危険性をも高める。」

また一方、「活性酸素」の観点からも、負荷強め長距離走(LSD等は除く)は身体によくないことだらけのようです。活性酸素は負荷の高い有酸素運動(酸素などをエネルギーにして継続的に筋肉を酷使する運動のこと)によって大量に発生します。この活性酸素が体内で多く占められるようになると、脳細胞をはじめとする体内細胞がダメージを受けはじめ、細胞はいわゆる「酸化」への道を歩み始めるということなのだそうです。

怖いですね。カラダのためと思って始めたランニングが、自分のカラダを追い詰め痛めつけていたなんて・・・もちろん、ランニングという営みのすべてが悪いわけではありません。自分の身の丈に合わないランニングがダメなのです。それでは私たちは「走る」ということとこれからどのように向き合っていけばいいのでしょうか?



体にいいことを長く続けることが健康に、長寿につながる

スポーツが健康に与える影響を研究している石井好二郎氏によれば、ウオーキングよりもジョギングのほうが運動強度が高く、適度な運動量であれば糖尿病の改善と体重減少に繋がり、疲れにくい体を構築できるとしています。 週1~2回走ると心疾患リスクが下がり、週5回までその効果はほぼ一緒なのだそう。ところが、週6回以上のジョギングは心筋梗塞などのリスクが高まり、長距離・高強度でジョギングを行った後は、感染症にかかりやすくなってしまう~と言っています。  では、適度なジョギングとはどのようなものなのでしょうか。 アメリカの研究によると、『3つの60』が肝とされています。全速力の60%の強度(走りながら会話できる程度)、1回あたり60分未満、週60マイル(約96㎞)が推奨されているのです。

やはり、なんでも腹八分がいいということでしょうか・・・

そうですよね。ハイな気分、さらなる刺激、快を得たいためにどんどん自分にハードトレニングを課し、追い詰めていく・・・こんな修行僧みたいなこともうヤメにしませんか?

たった何秒かのタイムを短縮するためにも、とてつもない時間と労力を必要とします。リカバリーに要するそれらを足すとますますペイはしないのではないでしょうか?プロの走り屋ではない私たちにはもっともっと他にやらなければならないことがあるはずです。

それでもどうしてもフルマラソン大会出場はやめられないという人であったら、自分の走力よりも緩い走りを心がけて自己の身体にダメージを極力残さないことが大事です。私たちはマラソンのために日々生きている訳ではないのですから。

普段から自分に無理のない健康的なジョグで健康を維持し、大会は気分転換も兼ねてかる~く流す~なんてできたら最高ですね。

走ることによってしか得られないもの、見られない景色ってたくさんあります。でも、いままで走ることによって見ることができてた景色が、歩くようになって違って見えてきたのです。歩くことによって得られるものもあるのですね。

レース出走を辞めた今、昔の栄光?!に想いを馳せるとき懐かしさと一緒にふと「?」の感情が湧き出てきます。

「なんであんなに夢中になれたんだろう?」

「なんであんなに夢中になってしまったんだろう?!」

この2つの「はてな?」なのです。感謝と後悔の念が入り混じって複雑です。現在では

①30~50分の早歩きのウォーキング

②20~30分のかなりきつめの競歩に近い感じのウォーキング

③15~40分のゆっくり流すくらいのジョグ

これにウェイトを交えて週4~5回のペースでゆったりのんびり景色を楽しんでいます。いまあらためてこういった楽しみもあったんだなとつくづく思うのです。これまではウォーキング大会なんてバカにしていたのですが何でもやってみるものですね。

お年寄りばかりと思っていたのですが、なんでなんでファミリーからカップルまで本当にいろいろな人が参加していて、レースのあの張り詰めたピリピリ感などまったくなくて本当にまったりできました。

また最近では山歩きも始めました。これまでクロスカントリーで走っていた林道山道もスピードが落ちるとこんなにもいろいろなものが見えるようになるのですね。風の感じ方もまるで違ったものに思え、とても新鮮です。山を歩くようになると、様々な山林の植物、草木、動植物に目が行くようになり、山菜採りや野鳥観察までが趣味の一つに加わりました。

あなたも自分にぴったりのスタイルをぜひ見つけてください。走るにしても歩くにしてもランシューとウェアだけ身にまとい、ドアを開けて一歩踏み出せばそこはマイロード!!ランニング、ウォーキングならではですね。

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最後に最近気なっていることがあります。ランナーの「ウォークマン、携帯音楽プレヤー」を両耳にかけてのランニングなのです。ハッキリ言って、これだけは絶対にやめたほうがよいです。

人間の知覚のうち重要なパートを受け持つのが「聴覚」です。後ろからクルマ、自転車が来た時、人が襲ってきたときなどどうするのでしょうか?自分はそんな目には絶対遭わないなんて絶対思わないで。

みなそう思ってて実際に死んじゃったりするのですから。クルマはきっと避けてくれるなんてこと「絶対」ってホントに言えますか? それでも音楽、ラジオが欠かせないものであるならば、せめて片方だけの耳にして周りの変化を聞き分けられるくらいの音量にすべきです。

確かにお気に入りの音楽をかけてのランニングは気持もさらにハイになりステキですが、いいことばかりではないのです。自分が被害に遭うだけでなく、お年寄りにぶつかって転倒させ死亡させてしまった~なんて考えただけで怖いです。

ストレス解消にもなり、幸福感も高まって健康増進にもなる・・・いいことづくめのランニングなのですが、過ぎたるは猶及ばざるが如し・・・ですね。

エントリー料も年々アップし、最近のマラソン大会の動向としては、計画されていた新たな大会が断念されたり、定員割れのレースもだいぶ目立ってきているようです。あちこちでさまざまなレースがどんどん起ち上げられていた風景はもはや過去のものになりつつあり、これからは独自性、特色のないランナーにとってあまり魅力のない大会は淘汰されていくということなのでしょうか?

ランニングは無理のないよう楽しみながら、そして走る周りにも気を配りながら続けたいものです。あくまでもわたしたちの生活に彩(いろどり)を添えるものなのですから。

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※「ランニングが老化を促進させる2つの理由 | ランニングで痩せないと言われる理由も合わせて解説

※「運動するほど老化が進む!? 「1日1万歩」ウォーキングはキケン」東京都健康長寿医療センター研究所 青柳幸利

「ランナー」藤原誠

作詞 宇德 敬子/陳沒 作曲 宇德 敬子  歌 周華健

そして結論まとめ!

①NOTプロランナー、BUT市民ランナー

②より速く、ちょっとでも長く、そして強く!の考えは危険がいっぱい!

③過ぎたるは及ばざるがごとし!

④自分の年齢、体力、生活環境に合ったランニングとの付き合いを!

⑤走りすぎのときこそ考える!

「何のために自分は走るのか?!」

 トレーニングの強度、頻度、距離、スピードは身の丈に合っているか?!

⑥ランニングがすべてではない!














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