みんなとうまくやっていくことに疲れてしまった、中学教師からの相談。教師は教員になったとたん、周りから「先生、せんせい!」と呼ばれ、学校という特殊な閉鎖的な環境で人生の大部分を過ごすことになる、いわば「カゴのトリ」かもしれません。
せんせいはなぜ「カゴ」から飛び出したくなったのでしょうか?「カゴ」から飛び立って先生が目指す「自由」は果たして得られるのでしょうか?
絵に描いた自由!
最近では、教師を目指す若い方、そして現職の教師からも相談も多くなってきました。それも、「辞めたい!」「辞めようか?!」という切なる思いが際立っています。辞めたクチとして、私で役に立つならとことん利用してもらいたいものです。
辞めるのもとどまるのも、正直言ってどちらを選んでも「たいへん」
これに限っては正解というものはないです。どちらを選択したとしても悩みは尽きないでしょう。厳しい言い方になりますが、もし、「辞める」という選択をするのなら、自分で「エサ」を取れるようになってからにしてください。とだけは言えます。
余程、切迫した事情がない限りは自分に「チカラ」を付けてからのほうがよいのです。これは本当に大事なことです。
※「教員辞めてもいい人・辞めたほうがいい人~過信・自信✖、確信〇~後悔だけはしたくない~」
一時の感情に身を任せて、一生後悔することになったら悲劇です。往々にして教員は自信家であり、自己を過大に評価しがちです。その自身の「自信」がいかにあてにならないものかを、私は身をもって知りました。特に、勤め人でなく自営業はしんどいですね。
エサを自分で獲ってこないと飢えて死んでしまうのですから。会社人になるにしても、サラリーがダウン、それも大幅にすることは覚悟しておいたほうがいいでしょう。元教師の市場価値、評価はそんなものなのです。余程、有能でないと未来は真っ暗です。そして、「嫌だから辞める、逃げたい!」という逃げ癖はなかなか抜けなくなります。ド根性なくして務まる仕事なんて今時、ゼロですよね。
「カゴのトリ」は自由を夢見て飛び立ちました。
しかし、夢見た「自由」はどこにもなく
おなかがすいてきました。
しかたなく、「カゴ」をさがしにさがしましたが
あのなつかしい「カゴ」はどこにもないのでした。
いまならまだ間に合います、あなたの「その迷い」がどこから来るものなのか、もう一度冷静になってみませんか?
そして、その悩みの元があなた自身の努力で解決できるものなのか、そうでないものなのか?さらに、どうしても辞めなければいけない究極の選択なのかを自分の内なる主人に聞いてみるのです。
そんな時、「教師を辞めたいときに~」シリーズは、辞めていまは何とか自活している私の話ですのでちょっとは何かの役に立つかもしれません。
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偽善者の自己満足!
相談の方が言うには、「子どもとはうまく付き合えるし、うまくいっているが、同僚とうまく付き合えない。顔を合わせるのも苦痛!自分の価値観をこどもに押し付けて満足している偽善者が、こどもを洗脳する学校には行きたくない!」とまで言い放ちました。
私も人の話をきく職業柄、気は長く、待つこと耐えることには慣れているつもりでしたが、怒りを通り越して、彼女には憐れみの感情さえ出てきました。彼女の頭を支配しているのは、「自分は悪くない!」「悪いのは同僚!」という自分至上主義なのです。
教職にあるものとして最悪なのが、この「おこさま」のような幼稚な考えを持ち続けている人たちです。
私は彼女に「教師」であるならば、
①ものごと全体を見渡せる、客観的な視野と余裕
②自らを省みれる謙虚さ
③他人を受け入れ、許すことができる余裕
が必要であること、学校はスタンドプレーが許される場所ではなく、チームプレーで成り立っていることを話してみましたが、まったく聞き耳持たず、しまいには日本の教育制度が悪い云々の話になってきて、延々と持論の展開になり収拾がつかなくなってきたので、丁重にいったん終わりを告げ始めると、私に罵詈雑言を浴びせ始めたのでした。
ホント世の中いろいろな人がいるということが改めて分かって勉強にはなりましたが、時間がもったいなかったです。私も死に向かって刻一刻と時間がなくなってきていますので、それほど暇でもないのですが、彼女の暇つぶしに使われてしまった感じです。
昨今の教員採用試験ではだいぶ倍率もゆるくなってきたようですが、こういう人が正式採用で教諭として教壇に立っていると思うと、この国の未来は本当に大丈夫なんだろうかと本気で心配になってきます。何より子供たちがかわいそうで心配です。私も自分を省みれる人間でありたいと思いました。
紹介の紹介ということでもありましたが、いきなりアポなしの深夜の電話、それもハナから「タメ口」!! これでは職場でうまくいくはずもないでしょう。この方は同僚を「偽善者」と罵りましたが、こどもとうまくいき、同僚とうまくいかないのであれば、あなたこそが「偽善者」だと私は思うのですが、彼女にしてみれば自分以外の大人は「全部悪」なのだそうです。
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こういう大人になりそこねた子どものような「大人」はかなしいですね。恐らく、信頼できる同僚、友人もいないのでしょう。確かに彼女のはなしも分からないではありません。しかし、自分のまわりで必死に頑張っている同僚が見えてこないのです。
それは、私に言わせてもらうと、「自分」にこだわりがありすぎるからなのです。あまりにも自分が可愛すぎてまわりを見渡すことができないのでしょう。
おかしいと思うのであれば、筋を通して話し合うべきで、陰でコソコソ同僚の悪口を言って何になるというのでしょう。こういった姿を子どもたちに胸を張って見せることができるのでしょうか?
彼女は電話口で自分のことを「せんせい」と言っていました。それなのに、同僚、それも先輩教師たちを「アイツら」です。謙虚さのかけらも見られませんでした。
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理想を語ってはいけないのか?
彼女は「洗脳」ということばを使っていましたが、私からしてみれば「?」ですね。確かに教員、教師の一言は重く、責任を持たなくてはいけませんが、キョウビのこどもたち、容易く「洗脳」されるほど、こどもでしょうか?
こどもは大人が考えているほどこどもではなく、実にしっかりと大人を観察しているものです。教師の言動が一致していなければ、こどもたちの信頼など勝ち得ることはまずできないものです。
およそ理想、きれいごとを夢物語みたいに語ってばかりも考えものですが、教師が自分の理想を語り、努力しているのであれば立派なことではないですか。教師は時には「偽善」と思われることでも、言わなくてはいけない時があります。
しっかりと「現実」を見据え、夢に描いた「理想」に向かって、「理想と現実」のギャップを埋めるための努力を生徒にみせるべきではないのでしょうか?それはたとえ「偽善」と思われても、判断するのはこどもたちなのですから。
また一方、教師は自分の言葉に酔いがちで、彼女の言う「自己満足」というのもあながち嘘でありません。絶えず自らを省みる努力は無論必要です。これはいつもの繰り返しになりますが、
「伝えた」と「伝わった」はまったくのベツモノなのです。伝えた「つもり」の自己満足がいちばんよくありません。そして私も自らを振り返るのです。
そして、結論!
教師は、教師である前に社会人、
そして人間であることを自覚せよ!
自分にこだわりすぎると自分さえも見失う!
言動一致!
理想を語るなら行動で示そう!
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