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教師に向いていない人とは?後悔しないよう②~オトナになりきれない人たち~

投稿日:2018年6月12日 更新日:

私も長いこと学校に奉職してきましたが、自分が「教師向き」と思ったことは一度もありません。しかし、徐々に学校にどっぷりとハマって行って「学校、子どもっていいな!」「この仕事を選んで本当に良かった!」と心底思えた、ドキドキワクワクの瞬間が何度も訪れてきてくれました。そして、自分自身がイキイキしているのを実感できる毎日は幸せでした。

「向き」「不向き」というのは確かにあるかもしれませんが、この「好き!」っていう気持ちを大切にあたためていって欲しいと思うのです。この気持ちさえあれば、後から何でもついてくるような気がします。すべてはここからスタートなのですから。

前に、「教師に向いていない人とは?①」の中で、いろいろな傾向の人、さまざまなタイプの人について大きく「18」のタイプに分けて話しましたが、その中で実はいちばん大切かもしれない「共感力」についてサラッと流しすぎましたので、今日はこの「チカラ」についてちょっと詳しく話してみたいと思います。

学校という職場もまたチームプレー

学校は、実にいろいろな子どもがいるように、教職員もまた様々なタイプの人間がいて許される場所であると私は信じます。人間なんですもの、皆が皆オールマイティー、完璧で神様みたいだったら、子どもたちだけでなく、我々おとなも和めないですよね。

いろいろな個性と個性とがぶつかり合う場、学校でもそれなりにみんな何とかうまくやっていけてるのも、一人ひとりがそれぞれ他を思いやり、折り合いをつけているからだと思うのです。

学校という職場は個人プレーの部分ももちろんありますが、基本はチームプレーで成り立っています。チームを組んでやっていく仕事なのに、一人だけ他を全く思いやることのできない自己中心的な人間がいたら、いったいそのチームはどうなってしまうことでしょう。

そうなのです。学校で仕事を進めていくにあたり、他の痛みを気持ちをわかろうとする「共感力」はこどもに対してだけではなく、チームの一員である大人にとっても大切なものとなってくるのです。私自身もこの「チカラ」に長けていたという訳ではありませんが、鈍いなりにできるだけ相手の立場に立って物事を考えるよう努めていました。この「チカラ」は本当に百人百様ですが、あまりにもこの「チカラ」が欠如している人間がいると現場は大混乱です。

そんな人、教員にいるはずがない~と思われるかもしれませんが現にちゃんといるのです。

★自分の考えが通らないといきり立ち、机を蹴って職会を飛び出していってしまう「オトナ」

★生徒指導で、もう十分に生徒が反省しているというのに、逃げ場をまったく与えてやらずさらに更に深いところまで追い詰め、傷つけていく「オトナ」

★職員室という「職場」であるというのに、他の人にしてみればどうでもいい個人的な飲み会の話などを延々と大声で話し続ける「オトナ」

★公の場で一人の生徒を晒しものにし、深く傷つけ何とも思わない、ひどすぎ不思議な「オトナ」

★仕事で失敗してしまった同僚をサカナに、場所をわきまえず泥酔してしまう子どものような「オトナ」

・・・・・キリがまったくありませんのでここらでやめておきますが、すべて実話です。私自身も自分が完璧であったなんてもちろん言えるはずもありませんが、少なくともここまで厚顔無恥な言動はありませんでした。繰り返しますが、「共感力」とは他を思い、伊あての立場に立って分かろう!理解しよう!と努める姿勢、感受性のことなのです。

みなさんが実際に現場に入ったとき、少なからずこういった人たちと付き合っていかなければならないことになります。いったいどうやって心の平静を保ち、どう付き合っていけばよいのでしょうか?正直、もうここまで「オトナ」になり切ってしまった場合、彼らをガラリと変えるのは無理!と思ったほうがいいでしょう。カミナリに思いっきり打たれでもしない限り。

変わってもらいたい!変えて見せる!なんて変な気は起こさず、適度な距離を保って付き合っていくしかないと私は思います。そのアクションが無駄で無意味とは言いませんが、それに費やされる時間とあなたの労働力、そしてダメージを受けるメンタルを考えた時、まったく得策でありません。ペイしません。これは、私の経験からのアドバイスです。

こういった教員に限って、「子どもとはおまくいっている!」なんて憚りもなく言い放題なのですから始末に悪すぎです。だいぶ前に「子どもは好きだけど、同僚教師嫌い!辞めようか?」で共感力ゼロ教員に相談を受けた時のエピソードを詳しく話していますので、時間があるときにでものぞいてみてください。

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年だけとってしまった子どものような人・・・

こんな人に最近出会ってしまったので、ちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。私自身、学校を辞めてから紆余曲折を経てここのところずっと自営で何とかやってきましたが、リアルの世界への渇望からか週一だけではありますが、放課後デイ(発達障碍児の学童みたいなものと思ってもらって大丈夫です。)に児童指導員として行っているのです。

その事業所は未だ立ち上げたばかりで、受給者証をもらって利用開始~となったこどもがまだ一人もおりません。要は仕事が何もない状態なのです。そのような事情ですので監理者より「みなはじめて同士だから、指導員同士で交流してて~」という事になったのでした。

その日は私と大学院を卒業したばかりで教採を控えた女子と高校を卒業したばかりの男の人の都合三人です。女性のほうは最初から交流などする気がなく、一人で黙々と教員採用試験の勉強を始めてしまいました。仕方なく(?)私と男の子ふたりはじめて同士で雑談を遠慮がちにしながら男の子の勉強をみてあげていたら、突然、「ガタン」と席を立ち、「バタン」と大きな音を立てドアを閉め別室へと消えていきました。あからさまに不快感な様子で、怒りのすごさがドアの音にもあらわれています。当然、場の雰囲気は最悪です。

「自分の勉強の邪魔をしやがって~」と言いたそうな顔で席を立った時の彼女の顔は、般若のようでそれはそれは人間とは思えないほど恐ろしかったのでした。これを聞いてみなさんはどう思いますか?おまけとしてさらに笑えるはなし付きです。一日の勤務が終わって、彼女に私が皮肉のつもりでこう話しかけました。「さっきはうるさくしちゃってごめんなさいね。」そのリターンがこうです。「別の部屋に行ってたから・・・」私は皮肉を込めて言ったのでしたが、額面度どおりに受け取ってくださったのですね。

何も彼女にまっとうな「私のほうこそごめんなさい。勝手に勉強してた私が悪いんですから・・・」などと言ってほしかったわけではありません。別にそんな言葉など期待もしていませんでしたが、空気をまずいものにしてしまった何らかの一言がほしかっただけなのです。

そもそもここは、教採を受ける人のための学習ルームなどでは決してなく、放課後デイのれっきとした仕事場なのです。あくまでも経営者、監理者の好意で利用者がいない時間だけは自分の勉強が許されているだけなのに、勘違いも甚だしいのではないでしょうか?ましてや、監理者は「交流して!」と言ったのです。遠慮がちにこそこそと勉強しているならともかく、指示に従っていたこちら二人が勉強の邪魔をするワルモノにならなければならないのでしょうか?

そんなに教員採用試験の勉強に励みたいのであれば、こんなところにいないで家にでも籠ってればいいのです。結局、「教採に受かりたい!」「経験、経験もほしい!」「お金もついでに欲しい!」などの打算で動いているのでしょうね。これってズルくないですか?講師の経験もせず、今年彼女が教採に晴れて(?)合格したら、来年から教壇に立つことになるのですね。

本当に直近の例で華々しく彼女に登場してもらいましたが、老若男女問わず、学校でもこういった他人の気持ちをあまり考えていない、自分勝手な人が多いように私は思います。「自分がこういう態度を取ったら、こう言ったら相手は、まわりはどう思うかな?」~と自己を相対化することができず、絶えず自分中心に考えてしまうのです。いわば大きな子どもです。

自分がよければ他はどうなろうと構わない、他人の気持ちを汲み取ろうともしない大人、大人とうまく付き合うことのできない大人・・・果たしてこういった子どものような大人(きちんとした大人顔負けのこどもだっているのに失礼ですね。)に、こどもの教育を任せても本当に大丈夫なのでしょうか?答えは誰が考えても「否」ですね。前の私のブログでも話しましたが、大人とうまくいかない人が子どもに逃げたとしても同じことです。

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相手の気持ちを考えてあげられるだけの余裕を持ち合わせていないのですから、自分にとって「快」であるこどもたちだけみていくことになるでしょう。結局、「共感力」のない人は児童生徒を傷つけてしまってもその自覚すらないのですから本当に始末に負えません。

人は相手の気持ち、そのものになることは決してできないとは思いますが、少なくとも「相手に寄り添ってみよう!」「相手の気持ちを知ってみよう!」とすることはできるはずです。最初からこの努力を放棄ひているような「共感力」のない人に絶対に教師は務まりません。合格してしまったら、死亡ひき逃げ事故とか生徒を殴って重傷を負わせた~とかの余程のことがない限り彼らを辞めさせることは誰もできません。一番かわいそうなのは、われわれ大人ではなく、子どもたちだと思うのです。

因みに「鈍感」と「共感力なし」は全く次元の異なる別物です。たとえ、鈍感であっても子供に寄り添えるやさしさを持ち合わせたあたたかい教師はたくさんおります。要は自分中心の考えから脱却できているかどうかの実にカンタンなことなのです。

それでなくとも、学校は本当にたくさんの子どもを見守り育てていく場、自己中心的に構えて特定の子供だけをお気に入りにされてはたまりません。こういう人は、たった一人で自分のオリジナリティを存分に発揮できる仕事(たとえば、さまざまな創作活動などでしょうか?)などに就くべきだと私は思います。

逆に言いますと、こういった人たちがいても、自己のペースを乱されることなくマイペースを貫き、なんとかみんなとうまくやっていける!という人は本当に教師向き!と言えるでしょう。折衝能力、コミュニケーションスキル、対人関係能力の高い人ってやっぱりいるのですね。

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人の振り見て我が振り・・・

人は、他人が自分をどう思っているのかを気にしすぎてもつらいですが、それをまったく気にしないのも、またダメなのです。自分で自分をとらえているように他人は決して見てはいません。そのギャップにいつも人は悩むのでしょうが、まだ自分を見つめなおそうとしている人は救いがあります。自分を振り返れる余裕があるのですから・・・

私たち大人は相手の気持ちを考えてあげられる心の余裕を持ちたいものです。そして、自分自身の気持ちも、振り返る余裕を持たなくてはいけないと私は自戒しています。心に遊びのある余裕を持った「大人」にこどもたちは「オトナ」を感じるのだと思います。
もし、自己中心的な考えから抜け出せなくて悩んでいる人がいてもぜんぜん大丈夫です。本当に自分勝手な人は問題の認識さえしてはいませんから。先の例のような人の中心は、常に自分です。でも、悩んでいること自体が価値のあることではないですか。全身に向けての第一歩なんですから。

いろいろなこどもたち、大人と出会っていく中で、常に自分を振り返る習慣と「待つ」余裕さえ養っていけばよいのです。人は変われます。成長していけます。死ぬまでそれが続くと信じて、私も自分に残された時間を慈しみ、前へと進んでいきます。

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