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対教師暴力警察通報は本当に教育の敗北か?博多高校 教師暴行事件考察~生徒と教師の人権~

まず、最初にこの有名な動画をもう一度見てください。あなたがこの教師だったとしたら、このような暴力と屈辱を前にしてどのように、この生徒本人、そしてクラスと相対するでしょうか?さらにその後、どのようにこの問題に対応していきますか?

実際の両者顔出し動画はこちら

今回は、このような児童・生徒の暴力を目の当たりにして教師はどう対処していくべきか?

指導の範疇を明らかに超えている暴力に対して警察に通報することは、本当に学校、教師の敗北になるのか?

そして、暴力を受けた教師の軽んじられている人権はいったいどうなるのか?

最後に、加害生徒の人権度外視の社会的リンチ・・・これらについてについて一緒に考えていきましょう。









対教師暴力・暴言・・私の経験から・・

実は私も教師になりたての頃に似たような経験が一度、そして十年近く経験してから一度ありました。一例目・・・この動画のようにクラス、授業自体こそ崩壊はしていませんでしたが、いつも特定の生徒が何かと突っかかってきて授業の妨害行為に及んでいたのです。授業中、授業後にその都度指導はしていましたたがある日、ついに私に立ち向かってきたのです。

胸ぐらをつかまれ二人してもみ合いになり、机をなぎ倒して授業どころではなくなりました。何とか冷静さだけは保っていましたが、彼を封じ込めるのに精いっぱいでまったく余裕などありません。お互い疲れたところで離れましたが、頭の中まっしろでその後のことは詳しく思い出せないのです。覚えているのは授業を中断させて今回のこの件について、それぞれが思うところを無記名で書かせたくらいです。

二例目は前にも詳しくなぜ先に手が出てしまうのか?なぜ暴力はいけないのか?~暴力に頼らざるを得ない悲しい教員~で話しましたが、異動三校目のことで、十年近く経験を積んでの対応です。

二度目は授業開きで、相手の出方をうかがっていた生徒のことですからここでは深く取り上げることはしません。問題は私が初任のころの対応です。二年目から自分が変わっていったことは前に詳しく話しましたがこのころの私は未だ自分に自信がなかったのだと思うのです。授業のルールは敷いてはいたものの、一本自分の中に強くしっかりとした柱がなく、その都度自己の対応にブレがあったような気がします。

いまであったなら当然、違った心で彼と向き合えると思うと歯がゆく悔しい気持ちでいっぱいです。この件の顛末はこうです。隣のクラスの授業担当→管理職、生徒指導部長→指導部会→自主退学勧告、謹慎指導で紛糾→生徒に対する指導が決定されないまま、本人、家庭より退学願いが出される~

私の授業にかかわらず粗暴な態度が目立つ生徒で、指導を重ねること度々で次に何かあったら退学を勧告する~の誓約書まで取り付けていた生徒ではありましたが、やっぱりやりきれない思いでした。しかし、最後に彼と家庭とじっくり話し合いの機会が持て、退学後も何度か学校を訪れるなどしてケンカ別れではなかったのがせめてもの救いでした。

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福岡博多高校、新任常勤講師のすごさ

博多高校暴行事件の概要をもう一度おさらいしておきます。

福岡市内の私立高博多高校の新任常勤講師が社会科の授業中、タブレットで動画を視聴していた一年男子生徒のi-padを取り上げたところ、この生徒が激高し動画のような暴挙に出たという事件です。

普通でしたら、私たちの目に触れることのまずない学校での風景なのでしょうがSNSで拡散されたため、学校外で衆目にさらされることになり事件が明るみになったのです。

クラス大勢の前で蹴られ、パンチ、そして胸ぐらつかまれ罵声を浴びせられる・・・どんなにみじめで悔しく情けなかったことでしょう。しかし、彼は教師として決して生徒に手を上げず、毅然とした態度で叱責し、そのまま何もなかったように授業を続けました。

同じく初任であった当時の私は、生徒を抑えるためとは言え生徒と同じレベルまでになっていました。彼のような冷静な判断はできませんでした。動画を見る限り、クラスで授業が成立しているようなレベルではなく、暴力に至ったことを楽しみはやし立てているようなクラスの雰囲気です。

初任とはいえ9月にもなって教科担当のクラスで授業が成立しないレベルを非難する、教育界の識者もたくさんいるようですが、だからと言って殴られても蹴られてもいい・・・という考えにはならないはずです。暴力はどんな時であっても許されないものだからです。

事件のその後・・・

2017年9月28日 対教師暴力・暴言発生

教科担当から、担任・指導部・管理職への連絡一切なし

SNSで動画が拡散されるに至り、その日の深夜学校長の元へ警察から連絡が入る

当初、被害教師は被害届を出さない意向

校内で対応を検討の結果、被害届を提出(全治一日の診断)

9月29日加害生徒、傷害容疑にて逮捕(48時間拘留される)
福岡県警東警察署コメント
保護者を通じて加害生徒と連絡は取れてはいたが、逃亡、自傷行為を起こす可能性もあり、総合的に判断して逮捕に至った。

10月2日釈放

10月3日退学願が出され、10月3日付で退学(自主退学扱い)

学校長の「おわび文」の「?」(はてな)

今回の対教師暴力事件を受けての学校として出したおわび文でちょっと分からない、おかしい?と思った箇所がありました。他の学校(埼玉県の私立高校)が出した学校のコピペ疑惑はさておき、学校としての体面を取り繕う感がアリアリでいやな気分にさせられました。

「これまで、道徳教育を推進し、暴力は絶対にあってはならないものであることを教育してまいりました。しかし、残念で申訳ございませんでした」~と結んでいましたが、問題はその次の文々です。

「今後はITモラルを持たせる教育を云々~」とあるのです。あたかも、今回SNSで動画を拡散させてしまったことがすべて悪い~ような言い草です。要は、学校、自分たちにとって都合の悪いことを拡散させたこと=ITモラルの欠如~という単純公式なのでしょう。

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学校の対応がこうなったワケ

当初、被害に遭った教師との面談で被害届は出さない方向で進んでいたはずなのに、どうして一転して被害届を出すことになったのでしょうか?

それは、SNSによりリアルそのものの動画が拡散されたことにより、その反響すさまじく、問題が学校が予想していた以上に大きなものとなって社会問題化までしてしまったために、そうせざるを得なく亡くなった・・・というところが本当のところではないでしょうか?

表向きは、管理職と被害教師とが話し合い、「限度を超えている」「指導の範疇にない」ということで~ということになっていますが、事情を聴かれた警察から被害届を出すよう強くすすめられたことが大きかったようです。

副校長は生徒側から自主的に退学願が出されたことを強調して次のように話しています。「本校の校則に則って厳しい処分が出された可能性もある。(もし、退学願が出されなければ)今回は本人と保護者の意向を尊重した」

父兄の談話としては、「まさか逮捕されるとは思っていなかった・・・」とのことです。学校側と本人交えてきちんと話し合いの場も持てず、急な展開に動揺を隠せません。副校長の話から、学校側の判断は「退学」~その決が下されるまえに、「自主的判断」を仰いだ(迫った?)~と勘繰るのは私だけでしょうか?

退学した加害生徒を想うとき・・・

この加害生徒は確かに中学時代もたいへんで、高校に入学後も喫煙等での指導歴があり、度々授業中も口答えや教師に突っかかてかかる粗暴な生徒だったようです。

今回の授業の様子を見る限り、そこには教師生徒間の信頼関係など微塵も感じられず、このようなことは今回がはじめてではないことが容易に想像できます。そして明らかに度を越えた「暴力以外の何物でもない」おそろしいものを底に感じます。

これは指導の範疇を越えた暴力であり、何らかの鉄槌を彼に喰らわすのも学校の役割と信じます。しかし、たとえそれが退学という非常に重い処分であったとしても、彼の言い分も聞いてあげられる余裕と時間が欲しかったと思うのです。

状況がそれを許さないという大人の事情は十分に分かります。でも、教育機関としての学校がしてあげられる最期の情けがそれだと思うのです。

「高校生が退学になるとき~学校の事情と生徒の言い分~退学の持つ意味とその重さ」でも詳しく話しましたが生徒にとって退学という処分は学生という身分を一瞬にして取り消されるという途轍もなく重たいものです。

学校は「ハイサヨナラ、アトハヨロシク・・・」でそれきりでしょうが、退学していくものはたいへんです。自分が犯してしまったことの重大さに気付かされる暇も与えられず、これでは放校された~退学させられた~の感だけが生涯彼に付きまとうことでしょう。

つまり退学させるにしても、そこにはなんらかの教育的配慮があるべきだと思うのです。

加害生徒本人もとより、被害教師もまた無念だったと思うのです。何ら本人と話合いの時間も持てず、一方的に退学なのですから、自分が退学させてしまった~との自責の念に駆られていることでしょう。現に彼は「学校に迷惑をかけてしまって申し訳ない・・・」と言っているのです。




被害に遭った教師を想うとき・・・

まず私が思うことは、「ここまでになってしまうまでなぜ、放置していたのか?」ということなのです。動画の彼の毅然とした態度から実直そうな性格がうかがえますから、おそらく彼なりにいろいろ悩み、策を講じてきたのだと思います。

ですがその努力むなしく、二学期の九月になっても動画のような有様・・・2017年当時23歳ということですから、九州の有名国大を卒業して間もなくだったのでしょう。教壇に立ってから日が浅い彼を誰が責められるでしょう。

私が問題にしているのは、彼の指導力や授業力ではありません。なぜ、こうなるまでに自分ひとりで戦い続けたのか?~ということなのです。彼もここまでになるまでには、加害生徒、クラス全体との闘いが相当あったはずなのです。動画にあったようにその場の雰囲気を楽しんでいるような悪意に満ちたクラス生徒の表情からも、それはうかがい知ることができます。

なぜ、教師は相談することが苦手なのでしょうか?まぜ他を頼れないのでしょうか?日本の教育・学校文化に根差した深い問題があるように思えてなりません。前になぜ、教師は相談することが苦手なのか?教師の同僚性①でも詳しく話しましたがおおむね教員は相談されるのは得意としていますが、いざ自分が相談するとなると腰が引けてしまうようです。

かく言う私もそうでした。生徒、同僚、後輩から相談されること数多くあれど、自分から歩み寄ったこと片手にあまる・・・

つまり、教職員みな忙しく、自らのこと自らで処するのが当たり前とされてる学校で、自分のことで他人に相談するのは自分の無能さをひけらかすこと・・・とみな心のどこかで思っているのではないでしょうか?きっとそうです。

そして、授業、クラスは「聖域」とされ、授業者、クラス担任以外は何人たりと踏み込めぬ特別な場所・・・ひいていえばお互いの領域にはお互い踏み込まぬ暗黙の了解の存在・・・

このような学校文化なるものが、彼を相談へと向かわせなかった原因の一つであることに間違いはありません。この高校で教師生活をスタートさせた彼の教師人生が、このようなことで挫けないよう祈らざるをえません。

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対教師暴力・暴言には
どのように立ち向かっていくべきか?

教師を少しでも務めたことのある方でしたら、表には決して出てこず、担任、教科担当の胸の内に秘めたままの本来指導案件になるはずのものがたくさんあることを知っていることでしょう。

中学校での対教師暴力件数が多いのはみなさんも知っていることと思いますが、これはあくまでも認知件数として表に出てきているものだけをカウントした結果です。このように対教師暴力・暴言に至ってしまってからでは、すべて遅いのです。

過去の私が気付いたように、そうなる前の授業開き、クラス開きから、さらに言うのならその前から事を着々と進めていかなくてはなりません。私が実践していったこの具体的な方策は「初担任&授業開き」「集団の力を頼む女子グループへの生徒指導~学級崩壊一歩手前~途中からの打開策」「アレるクラスもそうじで変わる~清掃指導をクラス経営の柱に~こころを磨く」「学級崩壊するクラス、教師の特徴~クラスと授業に思いがあれば~」「学級経営にコツはある~担任の思い一つのみ~」などで詳しく話しておりますのであえてここでは述べません。

簡単に言うと、クラス、授業に賭ける熱い思いがあるのは当たり前で、それを前提にした冷静沈着なる授業、クラス経営の準備、方策があるということなのです。つまり教師の熱意だけではそれが空回りに終わることもあるということなのです。

このように教育とは一朝一夕には成し得ない実に奥の深い営みなのですね。

しかし、如何に準備万端で臨もうとも思い通りになどいってくれないのが相場です。それでも暴力暴言を前にしたとき、教師であるならばどうあるべきでしょう。

どのようなときも、なんぴとに対しても暴力・暴言だけは絶対に許されないものである~という毅然とした態度で終始一貫臨むこと~これに尽きます。ブレてはいけません。これを通すのであれば、普段より教師であるあなたも襟を正す必要があります。

普段使う、何気ない言葉、人知れず傷つけてしまってはいないか?生徒の他に対するちょっとした暴言・暴力を見逃したりなどしてはいないか?日常から暴力・暴言は絶対に許さないという教師の生き方が何よりも重要になってくるのです。

そしてことが起きてしまってからですが、前の私の二例目のように自分のうちだけで収めようとするのは自己満足以外の何物でもないのかもしれません。事実は事実としてキチンと担任、指導部、管理職に伝えるべきで、そのことが本人、そしてまわりの人間のためでもあるのです。

犯してしまった行為に関して、責任を取らなければならない~学校に属している限り学校の指導に従わなくてはならない~こういったことを一緒に考えていくのも学校の果たす役割でもあるからです。




警察通報は学校教育の負け、
教師自らの指導放棄にはならない!

限度を越えた明らかな暴力事件の場合、警察に被害届を出し、捜査の協力を仰ぎしかるべき罰を与えることは必要と考えます。

今回の福岡の暴行事件は教師の指導力不足・力量不足は否めないにしても暴力が許されることにはなりません。ダメなものはダメ、ダメナなことはやはりダメなのです。社会でも学校であっても。

暴力はあくまでも暴力であって、問題をすり替えてはいけないのです。学校内で起きたことであるから、学校内で処理、指導すべき~警察通報、被害届提出は学校教育の敗北、指導の放棄~いずれも問題のすり替えです。現に文科省の通達として、限度を明らかに越えた事件の場合、警察、児童相談所等の関連機関との連携を密にするように説いています。

社会の中の一つの機関として機能しているに過ぎない学校が、自己内だけですべていつ何時も自己完結できる~と自分で勝手に思っているのは自己満足以外の何物でもないかもしれません。より良い方向にに皆が前へ進んでいくために、さまざまな機関が手を取り合っていく時期にきているのです。

このことは、被害者、加害者、学校を取り巻くすべての人たちに益するはずです。

今回「敗北」という言葉が当てはまるのは、すべてを取り繕うとし体面を保とうとした学校の対応そのもではないかと私は思います。

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子どもの人権、教師の人権~
どちらも守られなければならない・・・

時代の趨勢か子どもの人権を守ることばかりが強調され、今回の教師のようなケースでは教師側の人権は見逃されがちです。あそこまで個の尊厳が傷つけられ、心身に甚大なダメージを負ったケースでさえ、教師の人権は軽んじられているのが現状でしょう。現に新任教師は被害者でありながら萎縮してしまい、「学校に迷惑をかけてしまって申し訳ない~」と言っていて、おおごとにしたくないと当初は被害届を出さないつもりだったのです。

これが彼の真意ではない~ということは分かっていますが、周りの目を気にするあまり、なかなか自分の本心は言えない雰囲気が現場にはあったのでしょう。まして新任であり、自分の領域での自己完結が求められる職場において、自分の至らなさが明るみに出てしまった~他に迷惑をかけてしまった~という思いだけがまじめだけに先行していったのだと思います。

そして先述のようにオモテに出てこないケースで、心身に傷を負いながらも声を上げられずにいる教師がたくさんいることを考えるとやりきれないです。教師がこどもにされたことと同じことを、生徒に対してやった日には大問題となってしまうこと確実です。

教職員の人権が守られるためには、日ごろから声を上げやすい職場の雰囲気づくりが何よりも大切なことは言うまでもありません。一人、また一人と声を上げ風通しのよい職場になっていくだけではダメで、管理職の協力、リーダーシップが不可欠です。日ごろからの生徒、教職員ともども人権意識高揚のための計画的な方策がいま求められていると言えるのです。

一方、子どもの人権に目をやると昨今ではこれでもか~というくらい過剰?に守られているのが現状でしょう。しかし、子どもの人権を守ることばかりに専念すると、学校・教職員そのものがうまくまわらなくなっていくこど必定です。

教育的指導加えること一つにしても、管理職・父兄・子どもの顔色をいちいち伺ってやるどころか、指導を加えること自体ためらい止めてしまうことになりかねないのです。過剰に子ども・保護者が自らの権利意識ばかりを主張するのは、自ら自分の首を締めあげる行為に思えてなりません。

最後に今回の加害生徒の人権についてですが、加害者だからと言って何をされても文句を言える立場ではない~という考えは誤りです。SNSで今回の事件が拡散されたスピード以上の速さで、彼の本名・住所・家族・自宅・電話番号・付き合っている者のプライバシーまですべて暴かれ衆目にさらされる結果となりました。

彼のやってしまったことは事実として社会的制裁も受け、逮捕までされています。さらに追い打ちをかけるようにあることないこと、果ては事実かどうかも疑わしいことまで素性も何も表していないものが、ネット上、リアルでの本人攻撃~これは社会的リンチともいえるシロモノで非常に卑劣です。

最近の何かあったら、とりあえずすぐ叩く、攻撃する~という風潮・思想はとてもキケンなものであることに皆、自分で気付いていないことがもっと恐ろしいことだと私は思います。振り上げたその拳はいつかきっと、自らに向かって下されることになるでしょう。

こういう時代だからこそ、自分の目でホンモノ、確かなものを見極めるチカラを養っていくこともまた大事なことなのですね。自らも戒めなくてはならないと思いを強くしました。











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