教育・教師 生徒指導/教育技術 相談ケース

アレるクラスもそうじで変わる!~清掃指導をクラス経営の柱に~心を磨く!





荒れているクラス、教師の指導が通っていないクラスに共通して出来ていないことがあります。そうなのです。「そうじ」です。

これまで、幾度となく「クラスの再建」について相談を受けてきましたが、指導困難クラスでは、必ずと言っていいほど担任、清掃監督者の「清掃指導」が行き届いていないのです。

担任の言う事を聞かないのですから、クラス経営が成り立たないのは当たり前ですよね。クラス経営がうまくいかないのは、担任にとっていちばんツライことです。

私も初めての担任の時は、何度も何度も壁にぶち当たり悩みました。そんな時、ある光景を目にしました。荒れに荒れていたクラスの担任が、一人で黙々とそうじしていたのです。

清掃は監督するだけではダメ! 率先垂範!

こどもたちにさせることができなかった清掃を、自分でただ一人寡黙に行っているその後ろ姿は、なんとも寂しく哀愁が漂っていました。私にとっては忘れることができない光景です。

「率先垂範」そのもののようですが、これでは範を垂れる相手はどこにもなく、生徒に教師がやらされているだけのような光景でした。とても気になったこともあり、後からその先輩教師(当時担任2年目)に事情を聴いてみました。

たまに見かねた女子生徒が「手伝ってくれる」(こう表現しました)こともあるが、たいていは自分ひとりで仕方なくやっている。自分がこうしてやっていれば生徒がいつかは自主的に「やってくれる」ような気がする~と言っていました。その後、先輩が思い描くような絵にはならなかったことは言うまでもありません。

それは、自分を卑下し、生徒に媚びていたからなのでした。完全に立場が逆転して、生徒が教師をなめていたのでした。この時期のこどもらは力関係で人間関係を組み立てる傾向があるのかもしれません。いったん、このような勢力図に収まってしまうと、そこから抜け出すのは容易なことではありません。

私は初任時の指導教諭に「授業がすべての生徒指導につながる」と教えられましたが、いまでは、それに加えて「清掃指導がすべての生徒指導に通ずる」と信じます。それほど、実に奥が深く、難しくもありおもしろいです。清掃は、教科学習のように直には自己に利益をもたらしません。こどもたちにとって出来ればやりたくない、ウザッたいものです。

そんな、イヤでダルい強制労働をいかに一緒に楽しむかを、前に「清掃指導で生徒を伸ばす!やり方次第で楽しい時間に早変わり!」で詳しく話しました。小手先のテクニックに走らないでも、そうじを自ら進んでやる自主独立、奉仕の心を生徒に植え付けることができるのです。

それは実に簡単なことだったのです。前にも話しましたが、

①ルールを徹底、首尾一貫させる

②教師が生徒とともに楽しんでそうじをする

③そしてこれを最後まで貫き通す

たったこれだけなのです。先述のように、私はこれまでの何回かのクラス担任、担任をはずれたときの清掃監督~とすべてこのルールに則ってこどもたちと掃除をしてきましたが、どんな荒れくれたボンもお嬢も、公平さを欠くことなく、裏切られても裏切られても信じ続ければまた相手もこちらに心を開くものです。

座学の教科指導と異なり、カラダを使ってお互い汗をかき、体感できる作業はこれだから実に奥が深いのです。こんな有益な清掃活動をクラス経営に活かさない手はありません。今回は、なぜ清掃指導がうまくいけば、すべての生徒指導もうまくいくようになるのか? そして、学校で清掃をこどもたちと一緒にやる意義について考えていきます。

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「そうじ」こそ、全人教育、人財教育!

教科学習、部活動~これらの活動でも様々な障害を乗り越え、目標に向かって努力することによって自己は鍛えられていくことでしょう。それでは清掃活動はどうでしょうか?学習、身体の鍛錬のように直接自分の利益には一見、ならないように見えます。

しかし、実はここに大きな宝が隠されているのです。勉強や部活の前に大事な大事なことがあるはずです。それは人間的修養であったり、自主独立の精神、奉仕の心を養うことではないでしょうか?清掃活動から得られる、見えないパワーは間違いなく人を人間的に強くします。これらによって獲得した力は、その後の人生において計り知れない影響を持つと信じます。

長年勤めた学校を辞めた後、あるIT会社にお世話になりました。そこの上司はそれはそれは有能な人ではありましたが、スタッフからの信頼はあまりない人でした。それは、そうじを含め、汚れ仕事は末端の仕事~と決めつけ、一切、自らの手を汚さない人だったからなのです。他人の気持ちを考えることのできない人が、信頼を得ることができるでしょうか?

そうじには生徒指導だけでなく、仕事にも相通じるエッセンスが凝縮されているのです。それではあらためてなぜ?学校で清掃をやることの意義について考えてみました。以下は私が思いついたものなので、みなさんもちょっと考えてみてください。

①自分以外のいろいろな人を理解できるようになる

清掃活動は与えられている自己のパートがあるとはいえ、清掃監督者、仲間との共同作業です。はじめと終わりのあいさつにはじまり、意思を疎通させながら、作業を終わらせるという目標に向かって限られた時間で頑張ります。この過程で、いいことも悪いことを含めて相手を知ることになります。おのずから協調性も養われることでしょう。

身体を動かしての作業でしか得られることのできない「体感」の経験は教育上貴重なものと信じます。

②さまざまなことを知るようになる

普段は気付かない、環境、モノの汚れ、破損、傷みを知るようになり、モノのこころを知るようになる。誰でも自分がキレイにしたところへは愛着が湧くものです。この気持ちは環境、モノを大切にするという公共心を養うことに通ずるでしょう。

③段取り力がつく

そうじは仕事そのものです。どのような仕事に就こうとも、そうじによって鍛えられたこの力はきっと生きてくるはずです。最初はどこでも、まずあいさつと掃除からですよね。

④おだやかな気持ちが得られる

実はこれがいちばんではないかと思うのです。自分のものでない環境、モノに対して心を込めて手を加えていく~その過程で自分そして他者と向き合い、心が磨かれていく~そうじが終わって「なんかムカムカしてきた!頭さ来た!」なんて思う人はまれですよね。きれいになった環境は安らぎを与えてくれます。

まさしく、社会に出ても役立つことばかりですね。

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クラス経営の柱として、清掃活動を立てる!

そうじが終わった状況を見極めることで、そのクラス、清掃監督者の経営状況、力量がうかがい知れる~とよく言われます。まさしくその通りだと思います。いつもツルピカな教室が荒れ放題~という例を私は見たことがありません。その真逆な例ならいくらでも目の当たりにしてきましたが。

とすると、あながちこの事は嘘ではないのではないのでしょうか? となると学級崩壊寸前のクラスであっても、児童生徒に清掃をやるモードにもっていかせ、クラスがツルピカになればうまくいく~ということになるのです。

真っ新なクラス開き、授業開きであった場合のアドバイスとしては、「初担任&授業開き~今スグやるべきこと!準備と心構え~」、そして学級崩壊についての対処法は「学級崩壊するクラス、教師の特徴~クラスと授業に思いがあれば~」で詳しく話しました。これらを踏まえたうえで、あらたな戦略を立てなければなりません。

スタートでこけたからといって、過去を悔やんでも何も始まりません。希望の光は過去にはありません。今なすべきことに注力しないことには未来はないのです。繰り返しなりますが、担任のあなたとクラスにブレない柱がないため今、こうなっているのです。思い立ったが吉日、いまからでも始めましょう。

まずは、クラスでの決まり、ルールを早急につくりそれを徹底させていくことです。特に「これだけは絶対許さない!」という禁止事項をつくるのもいいでしょう。例えばこのようにです。

①掃除サボリは絶対に許さない(クラス構成員の義務)

②クラスメイトを傷つけたり、迷惑をかけること(大人になりつつある生徒、君たちの常識で考えてほしい)

③陰口

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特にアレに荒れているクラスでは、思い切った荒療治が必要です。担任、教科担任の本気度、人間力がいまこそ試されているのです。決めたことを貫徹、徹底させる精神を強く持つしかありません。

たとえ、サボリが出たとしてもあきらめてはいけません。地獄の底まで追いかける執念で一緒にやらせなければいけないのです。

まじめにやっているものがバカを見るクラスであっては絶対いけないのです。これが延々と続けば、どんな生徒であれフツーにやったほうがラクだ~となるはずです。

そして、指導が行き渡ってきたころ合いを見計らって、クラス目標として例えば「自主独立」「奉仕」のように掲げ、その目標に近づくような「係り」の仕事を作り出し、生徒を指導していけばいいのです。

まずは、クラスの体(てい)をなすように「柱」づくりです。クラスの柱を生徒も実感するようになるころには、クラス担任としての信頼も取り戻していることでしょう。

まずはクラスを御せる状態にもっていくことが先決です。掃除の時間にツルピカになったクラス!いつ眺めても気持ちのいいものですね。クラスはこどもたちが学校での大半を過ごすリビングのようなところです。生徒の身体の安全とこころの平穏が約束された場所でなければならないのです。

担任はその場の確保に責任があるはずです。

クラスメイトが毎日ツルピカにしているきれいなクラスを、そうそう汚すものはいなくなるでしょう。私はクラスの清掃監督時だけでなく、自分の授業で他クラスでも授業開始時にまわりのゴミ拾い等、机の並べ替え、整理整頓を徹底させていました。

きちんとした環境での学習はやはり違います。こういったことを続けていくと、習慣というのは恐ろしいもので、授業間にこどもたちは自らきちんとして授業を待つようになるのです。理にかなったことであれば、こどもたちはきちんと聞く耳を持っているのです。

みんなでやるカラダを動かしての清掃は、本来は楽しいもの。普段交流のない生徒同士の会話のきっかけとなったり、友達の意外な一面を見れたり~と生徒にとっても、毎日きっと新たな発見があることでしょう。そのためにも、担任であるあなたが楽しんで一緒にそうじをするのが一番!

楽しんでやれば、雑巾絞りの冷たさもどこかあたたかく感じられ、こどもたちの笑顔を見れば、運ぶ机もなんとも軽く感じられるでしょう。さあ!掃除指導でしか得られない、あなただけの「何か」を見つけにいきましょう!自分自身の心を磨くためにも!








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