なんとなく過ごしてしまっても、シャカリキになりきる学生時代もみな同じ四年間・・・
みんなお金は大事にするけれど、なぜ時間を大切にせず粗末にするのでしょう? まさに「タイム・イズ・マネー」そして「タイム・イズ・ライフ」のはずなのに。
そもそも、学生時代から未来予想図を描いているというのはとてもステキなことだと私はおもいます。私は学生時代、会社員と教師だけには絶対なりたくなかったんですから。
どうしても、教師志望というと学生時代は、教育に関係することをたくさん学び、体験すべきだ~とのはなしになりがちですが、ほかにも学生時代にしか決してできない何かがあるはず。そんな話を今日はしていきます。
フツーに過ごすのが一番ダメ!?
というより実にモッタイナイ!!
学生だって、「大学」という桃源郷の住民でありつづけるためには、やらなければならないことがたくさんあるはずです。それでも思いっきり自由で、何でもやれる時間はたくさんありますよね。
でもですね、いったん社会人になってしまうと、この自由時間が極端に少なくなり、時間というものがとても愛おしくなってくるのです。そしてみんな口をそろえて「あれもやっておけばよかった」「これもしたかった」ってなるのです。
お金は自分のがんばり次第で働くことさえできれば、取り戻すこともできます。しかし、時間だけは絶えず流れ続け、生きていられる時は刻一刻と減っているのです。つまり、取り戻すことなんてできないのです。そして、社会人になってからは学生時代のようにまとまった時間なんてなかなか確保できなくなります。
教育学部、教員養成系の大学の学生さんでしたら、児童生徒と触れ合う機会もいっぱいありますね。そういうチャンスはむしろ、自分が教員に向いているかどうか迷っている学生向きのような気がします。
得られるものもたくさんあり有意義な体験なのでしょうが、どうしても一時的、表面的なものになりがちなものになるでしょう。
こういった、おいしいトコ取りの体験的なものに時間を割くよりも、どうせ教育に関するものに~というのであればドップリ浸かれるうんとディープなものが絶対オススメです。でも「楽しい、よかった」~だけで終わるようなものではないですよ。
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たとえば、塾、フリースクールなどでとことん働き、正社員講師、教室長と同じくらいシャカリキになって四年間勤め上げる~なんてどうでしょう?やり遂げた後は凄いことになってますよ。こういった何かをやり尽くした~という経験はきっと教師になってからも生きてくることでしょう。
何でも一定の量をこなし、努力し続けることによってある時を境に爆発します。その人の中で何かが「覚醒」するのです。私もこの「覚醒」の感覚を学生時代に味わいたかったですね。
学生時代は、楽しいことの誘惑盛りだくさんワールドです。「価値」はひとそれぞれですから、誰も否定することはできませんが、本当にそれでいいのでしょうか? 後悔はしませんか?
バイト、付き合い、恋愛、サークル三昧、そして本業の学業のほうはそこそこ・・・私はこれで、大失敗しました。
燃え尽きた~やり尽くした~という充実感がまるでないのです。ほんとうに寂しいことです。
すべてにおいて中途半端、そこそこだったのです。身を焦がす燃え尽きるような恋愛をしたわけでもなく、バイトに入れ込み、そこでのディープな人間関係にどっぷり浸(つ)かったわけでもなし、かといって、その気になれば思いっきり学問ができる環境にあったというのに、これまた中途半端・・・
特に高等学校教諭を目指している人は、
とにかく専門性を極めるための努力を!
教師なったら、思いっきり自分を高めていくのに必要な贅沢な時間など、まず訪れてくれませんね。自分からかなり無理をして捻出しない限りは・・・
特に校種高等学校を希望している方は専門性が求められます。「超」の付く進学校などでは、かなりハイレベルな専門性と高い指導能力が求められて当然です。こういった学校では高い専門性に裏付けられた実力が備わっていないと、生徒を指導できないばかりか教科内スタッフの足を引っ張ってしまうことになるのです。
聞いてはいるとは思いますが、教科指導力のない教師はいつまでたっても「進学校」などには異動できません。(もちろん本人も異動希望は出さない(出せない)とは思いますが)
それに加え、各専門教科では部会ごとに毎年、自治体によってはそれ以上の頻度で研究会などの研修が催され、輪番で発表のチャンスが巡ってきます。教師にとって、研修は受ける「権利」でありますが、それでなくても多忙な学校においては「義務」に近い、とても負担の大きい仕事になっているのが現状です。
こういった面からも、学力・人間力を磨く時間が十二分にある「いま」、学生時代にすべてを鍛えておいてほしいのです。
私は文学部英米文学科卒業後、民間を経て教師になりました。専門教科は高校商業です。海外の文学はいまでも大好きですが、「英語自体はそれほど好きでもないし、教壇に立つなんてとんでもない、英検2級レベルの自分が・・・」って感じで学部時代は免許を取る~という発想自体がなかったです。
このような感じで学部時代に教職課程を履修してこなかったので、卒業後仕事を持ちながら「通信制大学」で教員免許を取得したのです。それも教科替えをしてまで。
「なぜ商業?」「なぜ教師?」については、「後悔しないための教員採用試験・教科(校種)選択~簿記でロマンは語れるのか~」で詳しく話していますのでここでは控えます。私の場合、高校は普通高校でしたので、簿記の「ボ」からはじめて、すべて独学でなんとか商科経済系の大学出身学生に追いつこうと必死にがんばりましたが、結局最後の最後まで自分の専門が好きにはなれませんでした。
これまた「だったらなぜに商業に?」についての詳細な答えは、既に話していますのでそちらを聞いてもらうにして、カンタンに言うと、当時は高校商業は低倍率であり、当時就いていた事務職で簿記をかじったことからだったのです。
とにかく当時は、何が何でも早く教壇に立ちたかった。しかし、教師は自分の専門が心底好きでないと自分の芯、柱がブレやすいのを知ったのは教師になってからだったのでした。考えてみると(別に考えなくとも)教師にとって授業は教師の仕事の「柱」みないなもの。ここがブレまくりでは、生徒はかわいそう、自分は情けない~への世界まっしぐらです。
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教師志望だからこそ、あえて
いろいろな子どもたちと触れ合ってみる
現在、みなさんがいる学部は教員養成系の大学でしょうか?養成系だったら副免でできる限り多くの免許を取得しておくことをおすすめします。
といいますのも、可能性はできるだけ広げておいた方がいいからなのです。人間いつ何時、自分の興味関心、こころざしが変わっていくかなんて誰にも分かりません。
小学校教員養成課程に身を置きながら個別指導のアルバイトで高校生と学習していくうち、「高等学校で受けたいな!」~とか、一般大学の国文科で教職課程を取っていて当たり前のように中高国語の免許取ってゼッタイ高校教師になる!~と思っていた学生が放課後デイでバイトするうちに、特別支援学校に興味が湧いてきた~なんてことはよくあることなんですから。
興味関心の対象が変わっても、現在の大学で取得できる免許はすべて取っておいた方が後々役立つでしょう。そのうえで後から本気で違う免許がほしい!となったら「通信制大学」で仕事を持ちながら卒業せずとも「科目履修生」として学べばいいのです。
今現在、自分が属している大学の狭い範囲・視点から教育界を見渡すのではなく、さまざまな子どもたちと触れ合ってみるチャンスを自ら多くつくりだす~アクションを起こすということは大事なことです。自らの可能性を狭めてしまわないためにも・・・
子どもと一口に言っても、幼稚園・保育所から、小中高まで実に年齢の幅もそれぞれの特性も「差」、「オリジナル」がありすぎです。私自身、公立高校教諭十年以上、常勤講師2校、小中高生塾数校、通信制高校2校、その他バイトで放課後デイ、学童保育~とこれまで渡り歩ってきましたが、それぞれにアジがあり実に面白かったです。
もう一度学生に戻って、好きな免許を選べるとしたらやはり、「小学校」「中高国語」「高校地歴科」になるでしょう。もともと歴史が大好きで自営のいまでも歴史書、研究書は月10冊は読んでいるくらいなのです。
そして小学校・・・高校生にはあまり見受けられないあのバイタリティ、なんにでも興味を示すあの目のキラキラ感、毎日毎日が何が起こるか分からないドキドキ感・・・あの時期の子どもにしか見られない不思議な魅力を持ったある意味宇宙人と一緒に一日いられる小学校教諭はしあわせでしょうね。
それ相応の精神力と強靭な体力が要求されるでしょうが・・・
校種・教科選択に関しては「教師を目指すなら、小学校?中学校?それとも高校?②悩みスッキリ!」などでも詳しく話していますが、いまなら方向転換はカンタンとは決して言いませんが、比較的容易です。
いったん教壇に立ってからの進路変更はかなりの困難と心労、そして時間がもっていかれます。その意味でも、いまこそさまざまな「価値」に触れてほしいのです。
※「公立VS私立高校教師?「なるなら、どっちだ?」~違いと特性からの選択~教員採用試験」
教師志望だからこそ、あえて
他の熱くなれるものを求めて!前へ!
あなたの小中高時代を思い出してみてください。
印象に残っている教師、魅力的だった教師、好きだった先生~どのような方々でしたか?中にはコツコツタイプで優等生とでも言うべき先生もいたかもしれませんが、だいたいは
☆何かに打ち込んでいて、いつも熱く一生懸命な教師
★こどものために泣ける教師
☆児童生徒に寄り添い見守りつつ、最後まで信じ抜く教師
☆「何か」を持っている教師
もちろんひとくくりになんてできませんが、おそらくこのような人たちだったのではないでしょうか?
教師として必要になってくるチカラとして「指導力(教科・生徒)」「管理能力」「リーダーシップ力」等さまざまなものがありますが、極端な話このようなモノはあとからだってどうにでもなります。
しかしですね、「人間力」「共感力」といったその人のアジともいうべき「チカラ」は一朝一夕にはそう簡単には身に付くものではないのです。
だとしたら、こういった「人間の味」というものはどこから出てくるもので、どのようにして身につけていったらいいのでしょうか?
これに対する「こたえ」というものは、あってないようなものだ~ということは教師志望のみなさんでしたらお見通しでしょう。
教育は次世代のこどもたちに何かを伝え続け、何かを残していく尊い営みです。
そして、常に人として「出会い」と「別れ」を繰り返していく切ない仕事でもあるのです。
つまり、人間が好きであることが大前提です。
だとしたら、学生時代にやるべきことは見えてくるでしょう。
様々な人に出会い、いろいろな体験をし、自分を磨いていく~ここに努力し苦労してつかんだあなただけの「何か」が加われば言うことなしですね。
現場は熱く語り、行動で示す!そんな熱血先生も大歓迎なのですから!
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そして、結論まとめ!
学生時代しかできない何かをやり尽くす!
過ぎ去ってしまった時間はお金でも買い戻せない!
特に高校教師は教科専門性が高いので、自己の専門性を高めるべく
学生時代の相応の努力は必要!
自らの可能性を広げるためにもさまざまな子どもたちと触れ合う機会を!
座学も大切、しかし体験経験はかけがえのないもの・・・後から生きて来る