むかし昔のこと、「先生はみんなのことが大好きだ!」「みんな一人ひとり同じように大切」~なんて開けっ広げに話してくれた教師がいました。当時はピュアそのものであった私は、いたく感動した記憶がありますね。キョウビの子どもたち、まさかこんなセリフを堂々と吐く先生もいないと思いますが、額面通りに受け取ってくれるはずもないでしょう。
そう、教員サイドだってやっぱり人間だもの、子どもたちの好き嫌いがあって当然。けっして口に出すことはないけど・・・前回「先生ってやっぱり自分のクラスの子どもがかわいいの?」という相談を紹介したついでに、今回はホンネで「教師にとってスペシャルな生徒」について語っていきましょう。
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教師とは「覚悟」の仕事
最初に断っておかなければなりません。出だしで話した「教師にとって特別な存在」は、あくまでも教師個々人の問題であり、自分の心の内だけにとどめておかなければならないものであるということ~これは絶対です。そして、教師であるならば、教師個人のアタマの中に「こんな子どもが好き!」という個人的かつ勝手極まりない「ワク」のようなものがあり続け、それにとらわれていると非常にまずい~ということを肝に銘ずるべきです。
つまり、そこからフェードアウトしてしまった子どもは蚊帳(かや)の外となり、教師の視野から除外されてしまうことになるということなのです。
教師が受け入れるキャパシティは最大限にしておけ~ということよりか、どのような児童、生徒であっても自分の懐に受け入れ、寄り添っていかなくてはならないのが「教師」だということです。これはタテマエではなく、教師の義務であり権利でもあり、使命なのです。
こういった「覚悟」の仕事が教師なのです。
この「覚悟」という言葉の響きからは、教員サイドにとって心地よい、都合の良い子どもだけを溺愛するなどはもってのほか~という声なき叫びが聞こえてくるような感じがしませんか?
また、悲しいかな、いくら教師としての「情熱」や「覚悟」だけがあっても、子どもたちの前ではそれらはすべて虚しく空回りに終始するのみ~という実際問題にも目を背けるべきではありません。情熱、覚悟いった崇高なものに伴う教育技術、知見、相応のスキルが求められるということです。
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教師の勝手な都合での「かわいい」
来る日も来る日も、さまざまな子どもたちを相手にしていてヘロヘロになった時や、仕事がうまくいかなくてへこんでいたりするとき、元気をくれる子どもっているじゃないですか?逆に教師が励まされたりするとかいうあのパターンです。こういった子どもの存在は教師にとって、ほんとうにありがたいですよね。自分だっていっぱいいっぱいのくせに、別に教師だけではなく他をいたわる余裕、優しさを持ち合わせているってすごいと思う。
私は教師時代も含めてまだまだ人間が出来てないので、こういった他を慈しむことのできる児童、生徒って年齢、男女問わず人間的にとても魅力的に映ってしまう。きっとステキな大人になるんだろうな~という未来予想図を描けるようでなんだかうれしい。
こういったわかりやすい、どのような教員にとっても手間がかからずありがたく、いわゆる一般に「かわいい」と称される子どもの例を挙げてみましょうか。素直、まっすぐ、努力を続けることができる、何事も一生懸命、クラス、授業を仕切ったりうまくまとめることができる、教師の意図を汲み取るのがうまい、呑み込みが早い、デキる、教師の言うことをよく聞く、反抗しない、言われたことのみやって余計なことはしない、自分に好意を持ってくれてる・・・などなど。およそ、教師サイドから見た「かわいい」はこのようなところでしょう。
でもですね、こういった子どもたちに重きを置く「偏愛」も度が過ぎると取り返しのつかない事態へと事は進んでいくことなど容易に想像がつくと思うのです。それでも他との適正な兼ね合いをはかれないのは、どうしてでしょう?教師にとっての心地よさ、ハイな気分を手放したくないという教員サイドの勝手な甘え以外の何ものでもないのです。
そうなのです。このような子どもたちに割く時間が多くなるにつれ、教師の手のひらからこぼれ落ちていく子どもたちの数もまた増えていくという恐ろしい真実と教師であるならばもっと真摯に向き合うべきです。
教師であるならば、いつまでも「ぬるま湯」になんか入り浸っていないで、「超冷水」にも「高温サウナ」にも果敢にチャレンジすべきです。ぬるま湯にもずっと浸かっていれば、いつかはのぼせ上がってしまうのですから・・・
教師が惹かれる子どもは人それぞれ
それは、用もないのに何かと分室に寄っては自分と距離を縮めようとする子どもがかわいくないと言ったらウソになりますが、私の場合「かわいい」というか惹かれる生徒というのは、おおよそ大多数とはちょっとかけはなれた生徒ばっかりでしたね。
私は学生時代デキが悪く、学校ギライ。そして大人たちからさんざん虐げられた経験から、教員のほとんどが苦手であって、他の子どものように教員を普通に信用することなど、まずできなかった子供時代を過ごしました。そんな私が、長らく社会人を経験してからの教師としての初任地がこれがいわゆる教育困難校・・・運命かと思いましたよ。
子どもたちにいくら敵意むき出しされても、むかしの自分を見てるようで、とてもとても他人事には思えなかった・・・
このような私ですから、教育的関心、興味の対象はおのずから、およそ普通に「かわいい」という子どもとは真逆の子どもたちだったりするわけです。和を乱す、反抗的、家庭不和、集団を頼む、無反応無関心、つかみどころほぼなし、ワルサばっかり・・・さまざまな諸事情、要因、環境からこのような状態に陥っている子どもがほとんどなのですから、えり好みなんて関係ないですよ。
私の場合、手間のかかりすぎる子ども、なかなか信頼関係を築けなかった子供なんかとやっと心がちょっとだけ通じるようになった時などしあわせ、教職としての充実感を味わったものでした。時間も手間も労力も、精力も使い果たした結果、つかみとった信頼関係・・・ちっぽけなものかもしれないけれど、当時の私にとってはそれはそれは大きなものでした。
接触の機会が多すぎるからというよりか、手がかかる生徒ほど愛情が湧く~という言葉がぴったりかもしれません。
この他、教師なんかがおよそ想像もつかないようなとてつもないすさまじい経験をしてきた子ども、何とも言えないミステリアスな雰囲気を持っている子ども、攻略がかなりむずかしい子ども~なんかも私の場合、グッときますね。ほんとうに教師としてのこどもに対する興味関心は人さまざまであり一括りにすることなんてできない相談。
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前にも話しましたが、こういった子どもに自分の時間の大部分を捧げたがために、誰かの救いを求めていた子どもの存在を見落としてしまったのでした。一見、何の問題もないと思われていた(私が勝手にそう思っていたにすぎない)子どもがある日、突然、「学校辞めます!」ときたのでした。「辞めたいんですが・・・」の相談でなく「辞める!」ともうすでに決定だったのが悲しくも寂しく切なく、そして何より自分の非力さ傲慢さが呪わしかった・・・
「頑張っている」「精一杯やってる」「ギリギリまで自分追い込んでる」なんていい気になって自分に酔っていた以外の何ものでもなかったわけです。こういった自分に酔うという「ハイ」な状態もまた非常に危険です。学校はすべての子どもに対して開かれているべき場所であり、学校教師はどのような子どもであっても平等公平に相対していかなければならないはずです。
こういった日の当たらない存在である子どもにもまた同じようにあたたかな眼差しを向けることができたり、子供の隠れたる才能を浮かび上がらせることに努力を惜しまない教師が本当の意味での教師と言えるのではないでしょうか?
個々と全体のバランスが微妙なところで求められる教師という存在、こういったところにもプロレベルのワザが求められるのですね。なんともむずかしすぎる一方、深く面白味のある崇高な営みなのでしょう。
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