「どうして自分の言うことは聞かないのだろう?」
「こんなに頑張っているのに、どうして思いが通じないのだろう?」
~このようなもどかしさ、悩みを一人悶々と抱えている先生方、きっといることでしょう。私も若かったころは悩みぬきましたよ。でもですね、解決への突破口は実に簡単なことだったのです。
言うことを無理に聞かせる、やらせるのではなく、子どもたち自らが気付き→自分自身の中で受け止め→行動の変化~といったこのプロセス、つまりこころに響く指導でないと、こどもたちの気付き、やる気スイッチはON!とはならないのです。
そのためにはいったい何が必要なのでしょうか?
まずは、そしてずっと
教師がやり続けていることを
見せていくことの大切さ!
その答えは「率先垂範(そっせんすいはん)」これに尽きるのです。これは実は先生方、みなさんも気付いていることだと思うのです。一見カンタンそうで、やり続けるのは実は難しい・・・
私の初任の頃を振り返ってみると、実はこうでした。
授 業
準備万全で臨んでいたのに、余裕が全くなかったため、ぎこちなく自分自身が授業をまったく楽しめてはいなかった。
「これってスゴイ!ね」
「どうしてこうなるんだろう?一緒に考えてみよう!」
「その意見、イイネ!」
「みんな、今日はやるじゃないか!」
授業のライヴ感とともに、私自身が授業を楽しんでいれば、授業を子どもたちと共有、体感できていれば、このような言葉もポンポンと飛び出していったのでしょう。悲しいことに、はじめの頃の私の授業はなんともつまらない一方通行の授業ともいえない代物だったのです。
実は私の場合、自分の授業研究のために、初任の頃からビデオに従業風景を収めていたのですが、いま改めて見直すと赤面ものです。
わかりやすく、ためになり面白い授業を提供したくば、まずは授業者が率先して授業を楽しまないとダメなのだ!と私は気付いたのです。楽しめるくらいの余裕はいったいどこから生まれてくるのでしょうか?
そうなのです。準備に準備を重ねた周到な努力の積み重ねしかないですよね。そして後はトライ&エラーです。こう話すと、「そんな時間どうやって捻出しろって言うんだ?」という声が聞こえてきそうですが、それは重々承知してます。
みんなそれぞれに事情があり、忙しいのは同じです。私もそうでした。しかし、教師であり続けるのであれば、やらなくてはいけないのです。できる範囲でも構わないのです。
まったく準備ができずに(せずに)臨む授業は億劫ではなりませんでしたか?授業のノリもウケも、準備万端で臨んだ授業とは天と地との差がありますよね。やはり、授業準備に賭けた努力は裏切らないのです。
清 掃
掃除監督場所、クラスでああしろ~こうしろ~指示と見守るだけ・・・ほかのクラスもこのような感じでしたので私も当初は右習い→大失敗!
真面目に清掃を黙々とやる子どもがバカを見るようになり、私の指示も通らなくなっていきました。当たり前です。自分は指示だけで高見の見物なんですから。
それが、そうじ自体を楽しむ!という私自身の独りよがりのコンセプトのもと、音楽をかけ、話をしながらも手は動かして、そして何よりも早く丁寧に終わらせるよう努力し、全員が終えるまで清掃は決して終わらない~というシズテムにしてからは生徒自らすすんで掃除をやるように変化していったのでした。もちろん、わたしも率先して加わります。
こどものヤル気を引き出すためには、教師サイドの仕掛けとやってみせ続けが何よりも大切だ!と痛感したのでした。
よく、小学校などで黙々清掃などといって一言も話さない、話せない~という掃除スタイルが取り上げられますが、私はこれは無理でした。清掃という活動自体がこどもたちの貴重なコミュニケーションの場なのです。
「普段あまり話さないともだちだけど、そうじの時に色々話せた!」
「普段はおっとりしてるけど、そうじはテキパキすぎてビックリ!」
このようなチャンスまで黙々とやって奪ってしまいたくはありません。
そうじ活動自体を話すとまた話が長くなりますので、清掃活動については以下をご覧ください。
「アレるクラスも掃除で変わる!清掃活動をクラス経営の柱に~こころを磨く~」
「清掃活動で生徒を伸ばす!~やり方次第で楽しい時間に早変わり~」
部 活 動
まったくの未経験の部活動であったため(言い訳)、初任時は部活に行ったり行かなかったり~の繰り返し。行ってもただ見てるだけ・・・さぞかし、生徒も退屈でうっとおしかったことでしょう。なぜって、ヤル気もないくせに義務で中途半端に来てるだけだったんですもの。
→チェンジ!
初心者は未経験なりに、生徒に教えを請い、何とか練習相手になるまでに練習に打ち込んだのでした・・・と文字で打つと簡単そうに見えますが、結構シンドいです。卓球の顧問であった時は、マシン相手に黙々レシーブ練習、ネットでの球拾い、果ては日曜夜間の卓球教室通い・・・当時は、何とか初心者脱出のため私も必死だったのです。
こどもは教師の行動をつぶさに見ています。こちらの本気度、ヤル気をきちんと評価するものなのです。私が実際行動に出たことにより、どう変わっていったのでしょう?
私の上達度などがしばしば部の話題にのぼるようになり、心なしか部の雰囲気も明るくなっていって練習にもメリハリと覇気、そして部としての一体感が生まれてきたのです。
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言動不一致のコワさ!
人は口先だけの人間より、行動で実際に自分の考えを示している人を信頼するものです。
こどもに「みんな仲良くね!」などと言っておいて、職員間の人間関係が滅茶苦茶、ギスギスだったり、教師間いじめがあったり・・・「教室はいつもキレイに!」なんて言っておいて職員室の自分の机上がゴミダメのようになっていたりしたら、まったく説得力がありませんよね。
みなさんの身の回りにもいませんか?こどもの遅刻には烈火のごとく怒りをぶちまけるくせに、自分の授業はいつも10分遅刻して行く~という人が・・・
教師は範を垂れなくてはいけない存在です。教師であるならば、子どもたちに日ごろ指導していることをまずは、自らがやってみせ、その姿を見せ続けていくことが何より大事なのです。
すべてはここから始まるのです。
指導している人間が実際にやっていることだからこそ、生徒も納得しこころに響く指導となるのではないでしょうか。これが「やってみせ」の極意なのです。
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子どもも教師も、また人間だもの・・・
つまづいたって いいじゃないか
にんげんだもの
~みつを~
というみつをさんの詩がありましたね。
率先垂範自体は効果バツグンなのは分かった。しかし、「つづかないんだなあ~にんげんだもの」~という声が聞こえてきそうです。
そうですね。でもやっぱりにんげんだから、言っていることのすべてが行動と一致するとは限りません。やろうと思っていたってできない時だってあるでしょう。
しかしですね、たとえできなくても「やろう!」とし続ける教師の姿を子どもたちはシッカリと見ていますよ、間違いなく。
「先生は先生なりにやろうとしている!」
「かっこよくはないけど、なんかイイ!かも!?」
人知れず頑張っている教師の姿をとらえた子どもたちはこんなふうに思うのかもしれませんね。
教員のすべてがキッチリカッチリ言動一致のスーパーマンだったら、それはそれですごいことですが、私的にはなんかなごめなくて気味が悪くてイヤ!
カッコよくはないけど、がんばり屋の先生だから、できないこどもの気持ちも分かろうと寄り添えるのだと思うのです。子どものヤル気スイッチを「ON!」にできるのは、きっとそんな教師だと私は思います。
不器用でも、カッコ悪くてもいいじゃないですか! まずは自分が自分でアクションを起こす!
はじめの一歩は重たいかもしれませんが、二歩目はきっとちょっとは軽く感じられるのではないでしょうか?!
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