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教師の授業力向上のために大切な視点と今、できること~授業のねらいを明確に!自分研究授業のススメ~





教師として日々、試され要求される「チカラ」には本当にいろいろなものがあって、キリがありませんね。

先生方のみんながみんなオールマイティのスーパーマンであったならそれはそれでスゴイことなのですが、それではこどもたちだってちょっと息が詰まってしまうかもしれません。

でも、教師であり続けるのであればゼッタイ絶対に必要になってくるチカラ、それが「授業力」です。ただ、闇雲に「教科力」をつけていくのも一つの手ですが、これでは必ず壁にぶち当たります。なぜなら、授業の対象である児童生徒不在の方法だからなのです。

今回は、教師の授業力向上のためには、どのような視点から切り込んでいくのがよいのかについて一緒に考えていきましょう。

授業が授業として成立する大前提・・・
それが「教科力」

先生方は日々、教壇に立たれていて何か困っていることがあるでしょうか?

この問いに、「何も問題はない!」と言い切れる人ほど、実は自らを振り返る必要があるのです。もちろん何も問題がない場合も実際、あるのでしょうが、ほとんどの場合、教員側が「伝えた」つもりになってしまっているのです。「伝えた」と「伝わった」はまったくの別物であることはこれまで繰り返し話してきましたので、ここでは深入りしません。

教科教授力が高く、伝えたつもりで自己満足の極地に至っている教員に欠けている視点があります。それは、「生徒不在で自分が主人公になりきってしまっている」というちょっと恥ずかしい事実です。

今日は、こどもたちが主役である授業をいきいきとした実りのあるものにするためには、どのようにしていったらいいのかについてがテーマですが、「授業力」の大前提になるのが先に出てきました「教科力=教科学力」なのです。

自己満足先生は教科力が高い場合が多いですので、このレベルはクリアしています。問題は、この大前提である「教科力」も覚束ない方がいる現実です。高等学校、特に進学校などでは教授内容も求められるレベルも相当なものになります。かみ砕いて、料理して生徒に提供する前に、この教科力がグラグラしていたのではてんで話になりません。

よく、「一を教えるもの、百を知るべし!」ということばが引き合いに出されますが、まさしくこれです。料理する前に、食材がちっぽけでわずかなものであったならおいしいごはんなどつくれるはずありませんよね。

高校であれば、大学入試レベル問題なんなく全問クリア、そして東大の二次論述問題なども鼻歌でスラスラのレベルを目指すべきです。私は専門は高校商業でしたが、幼少のころから現在に至るまで歴史書に親しんでいるため、今でも日本史、世界史に関しては大学入試問題、ほぼクリアできるほんのちょっとした自信みたいなものがあります。

ここまでの教科力が着いてくると、自分の教科が大好きになって授業が待ち遠しくなること請け合いです。自分が大好きなこの教科の魅力を子どもたちにももっと知ってもらいたい~と思うようになるのです。

この教科力が現役の時の私にもっとあったなら、いまももしかしたら教壇に立っていたかもしれません。教科商業にロマンを感じることができず、教科力に磨きをかけることに全力投球できなかったのでした。最後まで簿記ではロマンは語れませんでした。もちろん、教科商業や簿記に並々ならぬロマンを感じ、日々教科教授力研鑽のために奮闘されている先生方もきっとたくさんいるのでしょうが、私の場合はダメでした。

こういった意味でも、教師の校種教科選択は非常に重たく大切なものだと私は思います。

あの時に戻れたなら、やっぱり一番好きだった国語科か地歴科でチャレンジするでしょう。今となっては、決して戻ることはできませんが・・・

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授業力を高める3つの視点~ひとり研究授業のススメ~

①生徒の学力の到達度、背景、現状、実態の理解と洞察

②教材研究

③適切な指導法の研究

④授業検証

先生方に上の3点についての詳しい説明など不要かとは思いますが、ごく簡単に触れておきます。

小学校はともかく、中高では教科担任制ですので、同じ内容・単元・進度であれば、違うクラスであっても同じ授業を展開したくなる気持ちは分かります。ただせさえ忙しいのに準備は最小限の努力に抑えておきたい~という省エネ教材研究ですね。

私も初任の頃やってしまいましたが、実はこれが本当にダメなのです。相手となる子供が違えば教授内容は同じであっても、まったく違った展開になること必至です。ロボットに向かって授業するならともかく、相手は一人ひとりみんな違う生身の人間です。

彼らの実態に合わせた相応の準備、教材研究が必要なのです、当たり前のことではありますが。しかし、雪崩を打つような仕事の山と日々奮闘している教師にとって、実際毎回、毎回こういった骨の折れる準備は本当にたいへんです。そこで、毎回とまではいかなくとも自己の授業力の研鑽のためには、定期的な自己研修~と銘打って「自分研究授業」(自分ですべて完結する、自分のための研究授業)がおすすめです。

本番の研究授業のようにビッチリと書く必要はありませんが、指導案も実際書くのです。授業の展開から、発問、集団学習としての落としどころ、持って行き方、板書に至るまで~自分さえわかればいいことですので指導案もスラスラ書けてしまいますね。

そして、授業を補う個別指導、ノート指導などのアフターケアについても視野に入れておくのです。

ここまでやったなら、あとは授業の成果を把握するために小テストなど次の時間にやるとよいでしょう。そして授業検証をして次に活かすのです。生徒から取るアンケート・感想などはあくまでも参考程度にとどめて、プロ教師であるならば授業検証をキッチリやらなくてはなりません。

生徒にとって魅力的な授業とは・・・

どのような子どもたちであっても、授業に参加したい!わかりたい!気持ちがあるはずです。

わかる!

たのしい!

もっと知りたい!

こんなことがあったのか?

これらの子どもたちのピュアで自然な気持ちに教師は応えなければなりません。魅力的な授業とは具体的にどのようなものなのでしょうか?私がこれまで目指してきた授業を箇条書きにすると、だいたいこのような感じになります。

①授業者の授業の狙いがハッキリしていて、それを児童・生徒にも提示している

②生徒に「気付かせたい、理解させたい」教師の思いと、生徒の「知りたい、学びたい!」がうまくマッチした授業

③一方的な教師サイドの伝達、質問・発問形式の授業展開ではなく、生徒、集団に考えさせるマジック、仕掛けを練っている授業

④それに伴い、こどもの発言や疑問を活性化させる雰囲気にあふれている授業

⑤最後に授業の全体での共有と確認がきちんとできている授業

⑥ライヴ感にあふれたワクワクな授業

⑦ハッ!と気づかされたり、揺さぶりがある生徒のハートに直に訴えかけるような授業

⑧ひとりひとりが授業に参加している気持ちになれる全員参加型授業

・・・挙げていったら日が暮れて朝になってしまいますのでここら辺で終わりにしておきます。以上のことを考えた時、授業者の話は短ければ短いほどよいことが分かるでしょう。教壇というステージにいったん上がったのなら、ティーチャーはプレイヤーという演者にもなりきらなくてはならないのですね。

教授内容によっては、いつもこうとはいきませんが、一考に値する視点です。いずれにしましても、学級づくりは授業がかなめで基本です。授業力=生徒指導力~とよく言われるように、魅力的な授業をする教師のクラスが荒れた~なんて話を私は聞いたことがありません。

授業とは授業者の未熟な点が浮き彫りになってしまう恐ろしい場です。また、教師の人間力、底力が試されるのも教壇なのです。教員免許を持ったものしか立つことが許されないこのステージ、あの授業でのライブ感だけはいきいきと今でもよみがえります。そうなのです。授業ができる権利は先生!だけに与えられたものなのです。

大切なその権利!活かすも殺すも先生次第です。

※ 関連情報
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