「〇〇がいるといつもクラスが明るくなるよ!」
「バカの見本としてお許しいただきたい!」
いずれも、人がたくさんいるところで発せられた教師の一言です。
前者はクラスみんなの前、そして後者が多くの一般聴衆を前にしてのシーンです。昔の担任が言った一言は今も懐かしく思い出すことができますが、私の講話を評価しての指導主事のひとことは、忘れたくともいつまでたっても忘れられません。
教師であるならば、自分が使う言葉の重み、その影響力の大きさをいまこそ再認識すべきです。意識せずとも、多くのこどもたち、まわりの人間を傷つけてしまっているかもしれません。
前回、「教師の話し方にコツはある~言葉の厳選と前向きなことば~そして振り返り」で話し方について触れましたので、今回はズバリ!教師がふだん使っている「ことばそのもの」について一緒に考えていきましょう。
ゴキブリ、負けるマシーン、お前のせいで負けた~と同列の「香水キツい!」
これらの言葉の数々はこの8月、神戸の市立中学校で女子バスケ顧問が発したものです。ニュースではこれらの発言を「叱責」という表現を使っていましたが、これは「叱る」ではなく、ただたんに自分の怒りをぶちまけていた「怒る」行為そのものだったのでしょう。
「叱る」には、こどものこれからのことを考えての指導の意味合いが含まれていますが、「怒る」は自分の抑えられない感情を爆発させる行為以外のなにものでもないのです。
「自分がこれ言ったらこうなるだろう、どう思うだろうか?」と言う前にたいして考えもせず、教師は往々にしてあまりにも軽すぎる発言が多いように私は思うのです。
教師は話すのが商売でもありますので、スピーチは別として「話し」が大好きです。でも好きだからと言って、流れにまかせて不用意な発言などしていないでしょうか?
自分がどこで、何を言ったかすぐ忘れてしまうような言葉の連発ばかりでは、軽々しく見られてしまっても仕方ありません。
この教員は「言ってはいけないと認識はしていたが、変えることができなかった」~と自分の頭の中ではわかってはいたようですが、この私も人さまのことをとやかく言えるような人間ではありません。
現役時代は「言葉遣い」だけは誰に対しても気を遣っているつもりでしたが、人知れず生徒を傷つけてしまっていたのでした。私がわかっているだけでこの1件ですが、私が知らないだけでこのほかにも恐らくたくさんあることでしょう。
卒業後のクラス会で、「先生に言われた「香水キツい!」の一言、けっこうショックだったんだ~」と打ち明けた女子がいました。彼女が当時受けたショック以上に私もショックでした。
なぜって、自分がそんなこと言ったなんてまるっきり覚えていないんですもの。「やってしまった~」とその日は本当に落ち込みました。何でも、席替えで好きな生徒の隣になったのもあって、その日は普段よりもおしゃれを決め込んで香水も自分のお気に入りをちょっとつけてきたとのことでした。
当時を懐かしんで笑って話す彼女でしたが、その時は相当ショックだったのでしょう。そのあとに彼女は早退したというのです。担任でありながら、自分で言ったことが原因で早退したと、当時結び付けて考えられず、そして時間がたったいまも自分が言ったこと、そして早退の件も覚えていないのです。
唯一の救いは、人前ではなく、一対一のシーンだったということなのです。(このこともまるで本当に記憶にないのです、恥ずかしながら・・・)
なんて罪作りなんでしょう。
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自分の話、言葉に責任を持つ、そして意図的に言葉を操る・・・
上の私の失敗からも分かるように、往々にして言われたほうは一生もの、言ったほうはほんの一瞬なのです。
そのシーンをもし、やり直せるのなら、「今日、なんかあった?」「誰の好み?」ぐらいは言えるかもしれません。
香水をつけてきてしまった行為、そのものをストレートに責めたりするのではなく、落としどころに誘導し、待てる余裕がいまの私にはあります。当時は私も幼かったのでした。
当時は、「声掛けチェックシート」なるものを作って、いつ誰と何を話したかを記録しておいて、のちの指導に活かしていただけに本当にショックでした。
このクラス会があってから、さらに私は自分の使う言葉に気を遣うようになりました。
ただ、現役を退いた私と現役であるみなさんとでは決定的に違うことがあります。それは、自分の言葉に責任を持つ~という点は同じですが、言った後の影響を考えて意識的・意図的に言葉を選ばなくてはいけない~という点が教師には求められる視点なのです。
教師が「こうあってほしい」「こんな風に育っていって欲しい!」と願う方向に、意図的に言葉を選んで導いていくのです。言葉にはその「ちから」があると私は信じます。
その言葉について説明は不要でしょう。信じている、待っている、期待している・・・自分の思いを前向きなことばに乗せてストレートに表現すればいいだけなのですから。昔、教育心理学で学びましたね。こどもは教師が期待する方向に育つ傾向があるって。
たとえ、そうならずとも、こどもを信じるこころだけは教師ならば持ち続けていたいものです。
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明るく、前向きなことばにはパワーが宿る!
自営になった今も週一、放課後デイで働いていますが、積極的に私が使っていることばがあります。
「いいね!」
「やる~!」
「さっすが~!」
小学低学年のこどももおりますので、時には厳しく叱ることもありますが、自分の怒りに任せて怒ったことはありません。仮に怒ることがこの先、あったとしてもそれはこどものための演技、ポーズでしょう。
しつけの部分も多い仕事ですが、緩急つけて積極的にほめるようにしています。そして「いい!」と思ったことは、ストレートに表現するようにもしています。
そしてそこには、健やかにこのまま素直に育っていってほしい~という私の願いが込められています。
普段、こどもと生活を共にしている学校教職員がもっともっと自分の使うことばを大切にしていくのなら、学校はこどもたちにとっても大人たちにとってもあたたかな場所になる気がするのですが、みさんはどう思いますか?
言葉を大切にし、責任を持つということは他の人のことを考えてあげる余裕があるということなのですから、学校が悪い方向に行くとは考えられません。まずは、大人である私たちが範を垂れ、他に優しいこどば遣いの輪がこどもたちにも広がっていくとよいですね。
いじめなどの学校、社会問題の解決の糸口もひょっとしたらこんなところにあるのかもしれません。